73.軍門
モニターに表示された映像は白黒で、画質はあまり良くない。まあ、娯楽映画じゃないんだし仕方ないか、と思いながら俺は頬杖をつく。
暗視装置が第二次世界大戦末期のドイツで開発されたのは有名な話だ。そこから紆余曲折を経て、いま自衛隊に配備されているものは第三世代に当たる。
バカみたいに高額だし、そのぶん高機能だ。しかし完全な闇ともなると第一世代のドイツが開発した赤外線に頼らざるを得ない。
ほら、あれを見ろ。仲間の暗視装置から伸びている線がいわゆる赤外線照射だ。あれを反射させて相手を丸裸にする優れものだが、相手も同じ装備をしていたら位置がモロバレになるというデメリットを負っている。
一方で赤外線をまったく照射していない者もいた。先頭を歩む二名は他の者と兵装が大きく異なり、全身がシュッと引き締まっているし背負っている装備も少ない。一人が振り返るとその男の両目がぼんやりと白く輝いた。
《闇礫シリーズを全て集めると闇の住人であるギズモと同格になります。そして夜を視ることのできる彼らは、天敵である狩人を追う立場に転じます》
そんな説明が闇夜の案内者からもたらされる。以前は「意味分かんない」と文句ばかり言っていたけど、最近の俺は不可思議にして幻想的な雰囲気を楽しんでもいる。
「あ、斑鳩だー。へえ、こうして見るとプロっぽい動きだな。昨日の同時作戦の映像だろ?」
クイクイと指で合図を送ってくるのは俺の弟子、斑鳩だろう。闇色の防具を身につけており表情は見えないが、犬みたいな雰囲気と小柄な身体は間違えようがない。
「ええ、別チームの藤崎君たちが地下潜入していたときの映像です。毎度のことながら極秘事項ですよ」
「ふうん、すると撮っているのは自衛隊か。昨日は長丁場だったし、さすがにあいつらと合流して食事会はできなかったな」
そう言うとテーブルに置いていたコンビニ袋を、若林がズイと寄せてきた。
「たまにはコンビニ飯も悪くありませんよ。闇夜の灯火を通じて後藤さんも見ていたと思いますが……恐らくはエギアナと会敵するまででしょうね」
まあね、と答えつつ袋からおむすびを取り出す。ツナマヨ、それに昆布の具を選び、バリッとビニールを剥く。疲れ果てているので、ちょっとは食ってから寝たほうがいいだろう。
あんぐと噛みついているあいだも完全装備をした一隊は黙々と進軍する。
どこから見ても異様な光景だ。うねうねと伸びる洞穴は全面がガラスのようなもので覆われており、また大人が三名ほど手をつないでスキップできるくらいの広さがある。まるで大蛇に呑まれたようだと彼らは思ったことだろう。足場が滑るらしく一行は慎重に進んでいた。
「作戦は至ってシンプルです。暗視カメラは設置済みですので、C-4爆薬……いわゆるプラスチック爆弾を彼らが運び、目覚めたモンスターから順番に自衛隊がリモート操作で起爆するというものです」
ふーん、噛むと甘ったるい味がするという噂のプラスチック爆弾か。
爆破については俺が半分冗談で言ったことなので、こうして作戦実行されている光景を見るのは変な感じだ。ぺろりと指についた海苔を舐めながらそう思う。
調達に時間がかかったのか時刻は間もなく夕方を迎える。夜になればモンスターが目覚めるので一刻の猶予もないのだろう。隊員たちは休むことなく前進し、藤崎と斑鳩のあとを追ってゆく。
「ん、そろそろか」
「ですね、能力者が突如として現れます」
目的地である広間に到達する間際、ダキンッ! という音を残して、火花らしきものをカメラが捕える。そこには既に盾を展開していた弟子たちがおり、下がれと合図を送っていた。
「作戦本部は大慌てでしたよ、このときは」
「だろうねー。これから爆破するぞってときに、こんなチャラい男が出てきたんだしさ」
「……チャラさは関係あります?」
あるだろう。普通にムカッとするし。
頬杖をつきながらそう言ったものの、見覚えのある優男風な顔には腹立たしさなどとっくに通り過ぎた感情を覚えている。
あいつらは藤崎と斑鳩を殺めかけた奴らだ。同じことをやり返したくて仕方ないが、俺には一切近づいて来ないというセコい奴らでもある。
しかしだな、自衛隊は訓練訓練また訓練と、アホかってくらい絶え間なく腕を磨いてきた連中揃いだ。手早く防弾盾を組み立てるや死角に入り、パシパシパシッと炸裂音を響かせる。
うーん、さすがはプロ。判断が早いし、いまのはたぶん様子見の射撃だ。直後、能力者どもが撃ち返してきたので、双方の弾が大量に行き交うことになった。
――パパアッ、パパパアアッ!
あー、うるっせえなー。映画くらいの小気味いい効果音をつけられないのかよ。しかしその文句は口から出てこない。死角にいるはずの隊員が頭部に大量の穴を開けられて、ボクサーからパンチを喰らったように壁面に叩きつけられたからだ。
本当に腹が立つよ。ズルして勝っておきながら笑い声を響かせるってのはさ。
みしっと俺の腕が鳴ったけど、若林はなにも指摘しなかった。
『撤退を開始する! 全員後退しろ!』
藤崎がそう叫び、撤退戦へと移行した。この状況だ。たった十メートル下がるだけで死者が出るという過酷さでありながら、しかしそれでも藤崎と斑鳩は盾を広げて隊員らをかばう。
そのとき、とん、と若林の指がモニターを叩いた。
「このときの撤退は後藤さんの指示ですか?」
「うん、被害が広がるだけだと思ったから」
そうそう、エギアナを殺してやろうと走り回っている最中だったけど、意思疎通を通じて指示したんだわ。
民間人が作戦行動を止めちゃうとかさ、越権行為どころじゃないと思うんだけど若林は「そうでしたか」と平然としていた。俺もそうで「まあ、いーか」くらいの軽い気持ちだったりする。
「構いませんよ。作戦本部には戦闘勘のある人は少ないですし」
「平和だもんね、日本って」
ですね、と苦笑された。といってもこれからはそうもいかないだろうけど。
対モンスターを想定した訓練がいまの主流だ。しかし対能力者となるとあまりにもデータが少ない。俺たち一派のことはある程度まで教えているが、あの物騒な連中について分かっていることはまだまだ少ないんだよね。
「こいつら、いいかげん潰すか。若林、捕虜の男を近いうちに使うぞ」
「馬佐良ですか。手配しておきます」
すうっと目を細めて剣呑な気配を発する俺に、そんな淡々とした若林の返事が届く。俺の不穏極まりない会話に驚きもしなかったのは、たぶんこいつなりに予測立てており、また腹を立てているのだろう。
せっかく能力に目覚めたのに、やっていることは完全なる敵対行為だ。俺だけでなく若林まで殺気を身にまとっており、スイートなはずの室内は冷え冷えとしていた。
さて、一方の隊員たちだ。
統率の取れた撤収により徐々に発砲音は減っていく。能力者たちは深追いを避けたいらしく、やがて辺りは静寂に包まれた。
しかし俺たちは身じろぎすることなく画面を見つめ続ける。
俺も闇夜の灯火を通じてある程度まで現場のことを分かっていたが、しかしここから先、撤退したあとのことはまったく知らない。白黒画面は複数台の暗視カメラによる映像に切り替わり、徐々に彼らの全貌を映し出す。
50名ほどの武装した連中がそこにおり、互いに軽口を叩きながらモンスターの眠る広間を歩いてゆく。
直後の映像を見て、俺は「ふうん」と言ったし、無意識に首の頸動脈を触れてもいた。
なんとなく平気かなと思っていたけど、ぜんぜんそんなことはない。身体中から脂汗が浮かんだし、ぐぐっと全身に力が込められていく。
「出たな、全身目玉野郎……!」
周囲よりもずっと黒い闇がそこにあり、ぬうっと唐突に現れた奴のことを俺はまだ忘れていない。
商店街で俺を刺して、まるでゴミを見るような目で立ち去ったあの男のことを。
布団にくるまって何日も部屋から出れないほど俺は怯えて、憔悴して、そして……わあああ゛ーーッ!という当時の悲鳴がまざまざと蘇る。
二百名規模の死傷者を出しておきながら発見できず、それ以来というもの生き残るための方法をずっと探し続けるハメになった。
慰めるでもなく声をかけるでもなく、じっと俺を観察しているのは若林だ。映像のことを知っており、恐らくは俺と因縁のある相手だとも知っていただろう。
テーブルのガラス板を叩き割りたい衝動に襲われながら、ふうっと俺は大きな息を吐く。意地でも平静を保ちたかったし、あんな奴なんかに負けてやるもんかって思うんだ。
張る必要もない意地だけどさ、俺だって大事にしたいものがあるんだ。だから汗で濡れていても、全身の産毛が逆立ってぞわぞわしていてもごく平然と話しかける。
「おーい、若林。いきなり大本命が出てきたぞ」
「……やはりこの男でしたか。恐らくですが東京に異変を持ち込んだ張本人でしょう」
全身に数え切れない目玉をつけた男は、のそりと歩みを進める。
辺りにある巨大な水晶には複数体のナッキージャムが眠っており、それと同じ数だけの目玉がぎろりと睨みつける。たった一挙動で変化が生じて、水晶は墨を垂らしたように変色していった。
ぼこぼこと水晶が膨らんで、羊水を破裂させたようにナッキージャムが姿を現す。尚も浸食が進んでいるのか全身目玉野郎に襲いかかることもできず悶え苦しみ、ズシンと両ひざをつき、そして頭を垂れた。
一瞬だけ見えたのは、心臓の位置に突き刺さった極彩色のナイフだ。とぽんと音を立てて消えてゆく様子に、ふとこう思う。
あれに似ているな。
隷属に。
俺がエギアナにしたことと本質的なところで近いだろうが、あちらは強制的な合意だと感じられる。
ビクビクと痙攣するモンスターの様子を眺めつつ、ぼそりと俺は呟いた。
「へえ、あれが我が軍門に下れってやつか。案外と雨竜の素質は高いかもしれないな。終末を生き抜くという意味でさ」
ひとり言のようにそう呟く。
かつて俺に言った「軍門」という言葉、そして雨竜の見せたモンスターを操る超常的な力を思い出したのだが、不思議と勘がピタリと当たっている気がする。そう思った。
現れたときと同じように、能力者の集団は闇の中に消えてゆく。複数体のナッキージャムをつき従わせて。




