65.エギア殲滅戦①
雨竜の持つ最大の武器は観察眼だろう。
敵のすみずみを観察して深くまで感じ取り、そして決定的と思える一撃を放ちたがる。それは【果てなき探究者】という称号を得たことからも、彼女の個性として確立されていた。
スカートを風にはためかせながら彼女が歩むよりもずっと早く、前方から犬型の魔物が駆けてくる。それは接触までに数秒程度の時間しか無く、しかし雨竜にとっては情報で溢れかえるのを感じていた。
ぴくりと一瞬だけ私の後方を見たのは、恐らくは仲間が参戦したなどの変化があったのだろう。
後方から音もなく近づいて、隙を見て襲い掛かる。そんな姑息な算段を闇刈一文字を通じて感じとり、指先を舌で湿らせると狙撃用に残していた闇礫の剣をコンクリートに突き刺す。飛び散った破片に目もくれず、夜風に黒髪をたなびかせながら「ふうう」と息を吐いた。
状況としてはかなり厄介だ。頼みである後藤と早々に分断させられており、その救出手段をまだ考えついていない。あの囲みにどれだけの力があるのか調べなければならないし、いまはそんな猶予など無かった。
きゅりきゅりと刀を手首だけの力で弄び、そして飛びかかろうとする寸前の獣に対して「旋風」とつぶやくと、弧を描いて瞬間的に魔物の前脚を切り裂いた。じゃうっとコンクリートを滑る足音を残し、後方でもんどりうって倒れる音に耳も貸さず、そして一周して元の位置に辿りつくと闇礫の剣を空いている左手の指先に引っかけて地面から抜く。
――シュドッ! シュドッ! シュドッ!
即座に腰を落としての連射によって黒髪はふわりと舞いあがり、スカートをはためかせると暗闇に幾つかの獣の声が響いた。これで残弾数は21発となり、またとどめを刺し切れない犬どもが眼を光らせている。繊維状に組んだ外装は固く、一発程度では倒せない。
そう飛び道具に甘えることは出来ないと分かり、ふむと唸ってから腰をあげた。
瞳を閉じて、じっと待つことにした。いまは無用な体力を失いたくない。
クンッと釣竿のように剣先を向けて、地面を掻く音に集中する。
闇刈一文字を通じて浮かびあがるのは魔物の息づかいであり、うなじの毛がわずかに逆立つのを感じる。前後から挟まれて、ガチガチと火花を散らす牙を感じても、ただ「旋風」と雨竜はつぶやく。
弧を描いて地面を滑り、スケート選手のように傾いだ状態で地面に触れる。指先でコンクリートの感触を覚えてから、彼女は引き金を絞った。
ズドンと首元に衝撃を与えて、続けてドンドンドンと続けざまに横っ腹へ穴を開けていく。まともに食らった魔物が血反吐をぶちまけながら吹き飛んでいくのを見届けた。
当初からそうだったが、この弧を描く動きを気に入っている。あっという間に視界から消えて、また側面から襲いかかることができるからだ。先ほど後方から飛びかかったものの忽然と対象が消えてしまい、懸命に爪で掻いて速度を落としているあの魔物のような奴を。
シュア、と音を立てて下から上へと刀は跳ね上がる。
筋肉を断裂するわずかな手応えを残して、こちらを振り向こうとする頭だけがそのまま胴体から切り離される。どちっどちっと水っぽい音を立てて頭部は転がり、そして黒い煙とともに身体を弛緩させていく。
四肢から崩れ落ちていくその身体を盾にして、ふううと野太い呼吸をすると、刀を鞘に収めた腰だめの姿勢で雨竜は待つ。
とっ、ととっ、どどっ、と駆ける音が近づいてくるのを全身で感じながら。
それを一閃したのは、障害物を乗り越えるべく死骸を飛んだ瞬間だった。
頭から尻尾の先まで弧を描いて通り抜けてゆき、着地すら叶わずに崩れ落ちてバウンドしていく。
一筋の汗を流しながら、抜き身の刃に似た瞳を彼女は開く。
会社勤めをしているときには分からなかったが、こんな殺戮をしても心はまったく動じない。あるべきこと。すべきこと。そして成すべきこととして己に刻まれているのをただ感じる。
思えば指針のない生活をこれまでにしてきた。
なにをすべきか分からずに漠然と生きてきた。
息を吸い、食事をするだけで人間というのは生きていける。ただ、なぜ生きているのかという単純な問いかけに答えられる者はいなかった。
一度だけ、自殺を図ったことがある。生きているのか死んでいるのか分からなかった時期に。父親への不満が募り、爆発した直後のことだ。頭からつま先まで雨竜という人格を否定されて、やり場の無い怒りだけが満ちていた。
そんな昔のことを思い出しながら、雨竜の顔は青白い光に染まる。生み出されたのはステータス表であり、ざーっと大量の単語で埋め尽くされていた。
そのうちのひとつに指を向けたとき、唐突に、振りかざした闇礫の剣をコンクリートに突き刺す。ザキッと切っ先鋭くそれは突き刺さり、同時に魔物の悲鳴が辺りに轟く。音もなく近づいた相手に対して、脚を地面に縫いつけたのだ。
水晶玉ほどの黄金色の目が向けられて、瞬間的にそれを割る。魔物から見れば両断された視界に変わり、どろりと白い液体が垂れてゆき、視界は完全に失われただろう。
――ギョオオオオッ!!
絶叫が夜空を震わせており、夜風に髪をたなびかせながら地上を見下ろす。すると大量の人々が避難をしている最中だと気づいて、ここまで騒げばさすがに周囲も気づくわねと一人ごちる。
匂いを頼りに前脚で懸命に引っ掻いてこようとするが、そよ風程度しか届かない。そんな魔物に振り返ると、ビクンと確かにエギアの亜種は震えた。
刺すべき場所は最初から決まっている。すかんっと耳の穴に刀を突き刺して、極めて効率的に致命を誘った直後にまたも「旋風」とつぶやく。
飛びかかってきた数頭は仲間の死骸を噛み砕き、そんな奴らの背後をカツコツと落ち着いたブーツの音を鳴らしながら雨竜は刀を閃かせた。
「……刀身、血液、身の破滅」
意識せずに呟いて、その単語ごとに魔物が朽ちていく。耳の穴をひとつずつ正確に突き刺して、ワンショット・キル達成という夜の案内者からの言葉を3つほど脳裏に響かせながら。
どろりと手首まで垂れてきた血を眺めながら思う。
あのとき、ずっと昔に手首から流れ落ちた血は己を構築しているものだと感じた。そして勝ちか負けかというと、はっきり敗北だと悟った。
思い返せば、この二十年余りのあいだ、世の中は生きづらくて、どこに行っても息が詰まるように感じていたものだ。
しかし、ふと脳裏に浮かんだ人物によって気づく。
「先輩……」
あのときの呪縛を感じない。
肩の力がいつの間にか抜けていて、なぜか分からないけど最近はよく笑うようになった。じっと見られると恥ずかしいし、つい顔を背けてしまうけど、しばらく時間を置いて落ち着くと胸がじんわり温かくなっていることに気づく。
そして後藤という居場所を得たときに、はっきりと己が変わったのだと気づいた。
このとき雨竜は、己を構成するものがどんどん単純になっていくのを感じていた。
敵を倒して生き延びる。ただそれだけだ。
そこに善悪など存在ないし、悩んだり考えたりする必要などまったく無い。それはつまり彼女が常に知りたがっていた「生きる理由」そのものだろう。もう自殺などをする必要は無いし、ズズンと地響きを起こして降ってきた二体の巨人に意識を向けるべきだ。
きゅりきゅりと刀を宙に閃かせると真っ黒い血がコンクリートにみな落ちる。
対する巨人は両腕で地面を掴むと、揃ってその口をガパリと開いて見せてきた。あれはマズいかなと直感したとき、階下からガラスを突き破り、繊維状の糸を使って左右から数体ほどの兵隊が姿を現す。
ぱっぱっと遠くから響いた破裂音は、先ほどの巨人が発した何かだった。それは夜空に撒き散らされて、角度を変えると急激な速度で飛来する。
嫌な勘は当たったが、それよりもと雨竜の大きめの瞳はきょろりと真横に向けられた。そこには着地をしたばかりの人体型の魔物がおり、両腕からザキッと刃を生み出すところだった。
指先をそいつに向けながら、カツコツとブーツを鳴らしながら雨竜は歩み寄っていく。
なにをすべきか、どうすべきか、単純な思考を持ち合わせた彼女は、思うがままに行動する。
「あなた、私の軍門につきなさい……素材収集!」
これまでに倒した遺体から、無数の青白い粒子が雨竜の手に吸い寄せられていく。先ほど覚えたばかりの技能には素材を自動収集するための力があり、またそのまばゆさに魔物は視界を手で覆う。
直後、いくつかのことが同時に起こった。
まず十メートルほどの距離は一瞬で詰められて、心臓の位置に雨竜の刀がズドンと突き刺さった。
続けて青白い粒子は猛烈に角度を変えて、雨竜の刀に吸い寄せられてゆく。
最後に夜空から飛来した無数の棒状のものが、マンションの屋上を穴だらけに変えていった。
――ドドドドドッ!!
破裂した粉塵によって視界は埋め尽くされて、曲剣を構えた魔物たちは次々とそのなかへ身を投じていく。
視界がまったく効かないなかでありながら、幾つかの火花、そして鋼の打ち合う音が響く。ガンッ、ザキッ、ずしゃあと立て続けにそれは起こり、それからガギギギギッ!という人体ではありえない連続的な斬撃音が耳に聞こえてくる。
ザギギッ、ザギギギッ、とそれは尚も続いて、連続的な火花によって粉塵のなかで魔物を切り裂く様子を浮かび上がらせる。
どふっ、と粉塵を貫いて姿を現れたのは、先ほどとはまるで異なる青色で全身を染めた魔物だった。肩を穴だらけにさせており、心臓の位置には半ばから折れた雨竜の刀が残されている。そこから血管を浸食するように青色で全身を染めていた。
遅れて粉塵が風に流されると、そこには四肢を断裂させられた人体型の魔物がおり、ずちっ、どちゃっと一斉に倒れ伏してゆく。
「……素材収集」
そのとき感情の乏しい、けれどはっきりとした声が屋上に響いた。
青染めの魔物の背から現れたのは雨竜であり、その手には折れてしまって鍔と柄だけが残されたものを握っている。ゴオオと巨人らが息を吸っているなかで、青白い粒子は刀に触れてその形を取り戻させた。
「つ……ッ!」
眉間に皺を浮かべて、雨竜は腹部に手を置いた。
数本ほど貫かれたらしく鮮血を広げており、構わずにその手で顔をグイと拭く。そして大きめの瞳は巨人らに向けられた。
やってやろうじゃありませんか、先輩。
そう顔に血を塗りながら雨竜は思うのだ。
無理だろうと何だろうとこじ開けてやります。
切っ先を地面に触れそうなほど下げて、コオと再び冷たい夜気を肺いっぱいに吸う。そして唇を動かして何かを告げると、双刀使いの魔物は一度大きく跳躍をしてみせて、真下のコンクリートをドドオッと力任せに穴をあけた。
階下の動きを見る余裕などない。
雨竜は懐から手袋を取り出すとそれを噛み、左手にギチギチと装着する。そうして片膝を地面につけると、踏ん張った姿勢でカシシシシッ!と闇礫の盾を展開させてゆく。
今夜の戦いにおいて、後藤から預けられた2つめの装備だ。
「来いッ!」
雨竜らしからぬ獰猛な声で吠えると、二体の巨人は同時に無数の弾を吐き出した。
これは繊維を棒状に固めたものだ。長さは10センチと短く、けれど一定の速度を得ると空気抵抗を受けて5つに分離する。
高い貫通力を持っており、さらには突き刺さった瞬間に周囲に巻きついて、しっかり足場を固定してから螺旋状に回転をして相手を穴らだらけにする。
――ババッ、バババンッ!
無数の炸裂音を響かせて、ずずっと雨竜は押し戻された。
絶え間のない連続的な貫通攻撃を受けており、また盾にまとわりつく繊維によって重さは一気に跳ね上がる。
ぐううっと奥歯を噛みながら、伸ばした脚で地面を踏んで持ちこたえる。膨らんでゆく筋肉によってストッキングは裂かれてゆき。ぶつんと音を立てて穴があいた。
厚さ3センチもの鉄板と同じ強度をもちながら、手首にいくつかの矢が突き刺さる。勘だけでのけぞると目玉のあった位置に切っ先の鋭い矢が現れる。
周囲はぐずぐずの穴だらけにされてゆき、タバコのヤニに似た不快な臭いで満ちていく。
その攻防のさなか、ドズンと階下が揺れた。
ドズン、ドズズンとその衝撃音はなおも続き、ぎょろりと巨人の目玉は足元に向く。
壁を突き破り、無理やりに近づいて来ている。そうと気づいた瞬間に、ガギギギギッ!という連続的な斬撃音がすぐ足元で響いた。
それはコンクリートを破壊して、双刀を振りかぶった体勢で青色の魔物が身を表すという戦場の変化を起こす。
魔物らが視線を向けあうその空白の瞬間、ぎゅっと地面を踏んだ瞬間に独楽のように激烈な速度で回転をし始めた。
その刃は巨人の胴体を薙いでゆき、秒ごとに両断をしようとしていた。
「ッ!?」
魔物が驚愕の顔を浮かべているさなか、盾を解いた雨竜は全力で走る。
腕に数本の矢が刺さっていても構わずに、前傾姿勢でぐんぐん速度を増してゆく。防御の全てを放棄しているため、耳元で風がびょうびょう唸るほどの速度になりつつある。
その彼女の脳裏に、そっと響く声があった。
《 称号、【夜獣を使役する者】の称号を獲得しました。これはエギア装備をしているときに限り発動できます 》
ふうん、とつぶやきながら刀を後方に下げた姿勢を取る。
興味と好奇心をくすぐる称号ではあるが、いまはまだ戦闘のなかに身を置くべきだろう。そう考えた雨竜は、夜空に気合の声を響かせた。
「エイ゛ィッ!!」
下から上への一刀は、青染めの魔物の頭部を掴んでしのいでいた巨人の腕を切断し、直後に回転数を増した双刀がギュリギュリと腹部を輪切りにしていく。
そうしてサポートを済ませると、辺りに撒き散らされる血に構うことなく、素材を吸って巨大化した闇刈一文字を雨竜は掴む。
考えと行動をもっともっと単純に。
そう胸中でつぶやくと、こうあるべきだと思うがままに柄を握りしめて、どりりっと有機的な音を立てて刀は二本に分裂した。
主人を守るように立つ青染めの魔物に対し、ハーーッと獣のような息をしてから雨竜は双刀をずしゃあと構えた。
無論、そんな連携をされては残る一体の巨人など、弾を当てることもできずに切り刻まれてしまうだろう。
ばあっと屋上から大量の真っ黒い血が流れ落ちた。




