64.エギア追跡戦③
ピッと携帯電話を鳴らし、幾つかある連絡先のうちひとつを押す。
このスマホも長いこと使っており、物の扱いも雑なので液晶画面はヒビ割れている。もう3年目になるけれど愛着があるわけじゃないんだ。ほら、あと数カ月でモンスターが暴れ狂う時期を迎えるし、もう買い替えても仕方ないだろう?
コール音を数回ほど夜空に響かせると、すぐに相手は出た。
「ああ、若林。前に言っていたやつとこれから戦う。大変そうだからさ、今から言う地域の緊急避難、それと自衛隊を動かしてくれ。場所は……」
そう手短に用件だけを伝えて電話を切った。
深夜の住宅街は人けがなく、静かな気配が満ちている。
そこへ「うじゅる」という音がした。タケノコみたいにアスファルトに穴を開け、俺を取り囲むようにしているのはたぶん敵が領域を広げているのだと思う。
植物型のモンスター、エギアは本来の姿を取り戻そうとしていた。成体となり、俺の周囲をぐるりと囲んで逃げ道をふさごうとしているんだ。
ふすーと息を吐く。
息が白く染まって、その向こうには白い目玉が光っている。
さっき電話で伝えた「大変そうだから」と言ったのは、少しだけ意地を張っていたと思う。
エギアの目は夜空に光る北極星みたいに小さくて、なにをしでかすのか予想もつかない。
柄にもなく「今夜、死ぬかも」なんて思う。というか毎日ひっそりとそう思っている。いつなにが起こるかなんて分からないし、俺だけじゃなくって誰が死んでもおかしくない。
モンスター退治なんて怖いし臭いし逃げ出したいのは以前と何にも変わってなくて、でも負けん気だけが強くなる。
『先輩、配置につきました』
おつかれちゃん、と胸の奥で思う。
でもいくら嫌だろうと黒髪の可愛い後輩が見ていたら、これは楽勝な戦いなんだぜと演じてやりたいんだ。全部俺の予想通りで、手の上で転がしていて、わははと笑いながら戦闘狂の顔つきで敵に致命的なダメージを与えてやりたい。
そう思いながら、手にした闇刈ノ剣を力強く握る。胸にべっとりと張りついた嫌な感情は、ベッと地面に唾を吐き出してさっさと忘れた。
「まったくさー、もういい加減にしてくんないかなー。俺にあと何人、元人間を始末させる気だよー。法改正待ったなしじゃん」
ごふぉ、というくぐもった音はたぶんあいつの笑い声だ。
嫌で嫌でたまらないが、こいつは人語を理解している。たくさん人を喰って学習し、着々と分身を生み出していく存在なんだ。現れた瞬間に斃せなかったら、成長してこうなるぞと暗に伝えている気配があった。
分かってるさ、モンスターは見つけ次第つぶせってことだろ? ちゃんと俺はそうしているぞ。そう、見つけ次第ブッつぶす。ちょうどいま、俺がそうするように。
ジャンパーを放ると全身の筋肉がミチミチと鳴り始める。
剣術士をレベル4まで解放させたからであり、人智を超えた力、そして剣術の本質というものが宿るのを感じた。
そしてつい先ほど生み出したばかりの剣を握りしめる。ぎしぃっとグリップが鳴って、俺と呼応するように刀身を蠢かせるのが見えた。
戦闘態勢を感じ取ったのだろう。ぐるりと囲っていた闇だまりから、二体の大男が生み出された。それはかろうじて人体の身体を模しており、厚すぎる筋肉の束が全身を覆っているものだった。
ズシ、ズシ、と足音を響かせて、左右から挟みこもうとしてくる。しかしその相手をするよりも先に、俺は通話で呼びかけていた。
「雨竜、試しに本体を撃ってみてくれ」
――シュドッ!
どうしてですかなどと悠長なことなど聞きもせず、間髪入れず弾丸が撃ち放たれた。先ほど雨竜に貸した闇礫の剣による狙撃であり、また彼女自身は建物の屋上に潜伏しているはずだ。
キュド、と空中で弾ける音がしたそれは、俺を取り囲んでいる闇だまりからの防衛策だった。蜘蛛の巣状に衝撃を散らしており、やはり逃げ道をとっくに失っているんだなと他人事のように眺めながら思った。
じゃあ攻撃と殲滅に専念しましょうか。
ん、いつも暴れてばかりだって? いやいや、俺は頭を使うほうが好きなんだ。座っているだけで美味しい思いをできるしさ。
だけど悲しいことにこの世界は、頭を使うよりも暴れたほうがいい方向に転がるんだよ。ほんとだぞ?
ぐんっと腕を振りかぶってくるモンスターは、俺をぺちゃんこにしたかったんだと思う。少々面倒なのはこいつらの拳が大きくて、かわすのに二歩ほど動かなければならないことだろう。
ゴキンとやつらの拳同士が当たり、挟まれた状態でゴッゴッゴッ、と尚も飽きることなく拳同士の衝突は繰り返される。気分はプレス工場に入り込んでしまったネズミか何かであり、息を乱さず正確に動く様もまるで機械みたいだった。
面倒でも鎧を着てくるべきだったかな。
でもあれって目立つし太ももが全部見えちゃうし、人前だとなんか恥ずかしいんだよね。まあ死ぬよりはずっとマシなんだろうけどさ。
などと悠長に考えながら、ガツッという衝撃音と共に踊る火花をじっと見る。まばたきする間もない戦闘に俺はだんだん慣れてきて、意識せず剣を閃かせることさえ覚えつつある。
硬質な手ごたえと共に、ズッ、と手首に埋め込むと繊維状の断面を見せた。しかしそれ以上踏み込むことなく剣を引き抜くと、生み出したばかりの剣をじっと睨む。
「こいつウネウネ勝手に動くんだけど」
『先輩、闇刈シリーズは持ち主と敵の意識を読みます。しっかり集中して剣の声を聞いてください』
へえ、そういうものなんだ。ちょっと気持ち悪いお誘いですね。
ちょっと怖いなーと思うのはさ、同族から生み出された剣だというのに、斬りたくて斬りたくてたまらない意思が伝わってくることなんだ。間違いないけど、これって呪われてるアイテムだと思うよ。
「でもまあ物は試しだから、とりあえずやってみないとね」
よーし、じゃあ好きなだけやってごらん。
ちゅっと柄頭に口づけをすると、闇刈ノ剣の思うがままに暴れさせることにした。
そら来た、空から振ってくるような大質量の拳だぞ。
ずどんとアスファルトに穴を開けさせて、即座に腰だめの一刀を抜き放つ。それは肘の関節を狙ったものであり、ぷつんと筋を断ち切ると、びょうびょうと剣を薙いで手首や腕の関節に切れ込みをいれていく。
うーん早い、要求が早いよ。
膝の筋肉を爆発させるような力を放ち、俊足も使わずに奴の肩に俺は乗る。バボボッと剣らしからぬ音を立て、両の首筋を切断したときに、背骨をヘシ折る勢いでもう一体の拳が迫りくる。
えー、これにカウンター? マジっすか。
とんっと迫りくる拳に触れると、俺の身体は宙を舞う。ものすごい勢いで奴の腕が足元を流れていくし、ぐんぐん迫りくるのは醜い顔みたいな塊であり、足元を一度だけ蹴ると俺は十字に切り裂いた。
ぶしゃっと舞うのは真っ黒い血であり、オオオと背後から聞こえるのは悲鳴だろう。
しかし俺はまったく止まる気が無くって「やったか」なんて呟かずに、着地しざまに今度は奴の膝関節を断ち切っていた。すかさず後方に向かっての俊足――にはさすがの俺も大粒の冷汗を流しながらも――先の奴のふところに入り込むや、勢いをそのままにびょうびょうと剣を薙ぐ。
どぱっと弾けた。
わずか数秒の攻防にも関わらず、エギアの生み出した巨人らは真っ黒い血を四肢から流し、そしてアスファルトに膝を立てることもかなわず崩れ落ちる。
生まれたての闇刈ノ剣は残忍だと思ったよ。それは奴らの頭骨をまるでスイカみたいにすかんっと貫いて、即殺を果たしてみせたからだ。
もう一度剣を振ると、刀身についていた血は全て地面に流れ落ちた。そんなときに呆然とした声が耳に響く。
『せ、先輩っ? 覚えが早すぎませんか!?』
「えー、雨竜に言われたくはないなぁ……素材収集!』
会話の途中にそう俺は叫ぶ。
青白い弧を描いて迫りくるものは、倒した魔物らの生み出した素材だ。
いつか高級品になるだろうそれは、普段なら戦闘を終えてからのお楽しみにしている。しかし周囲から生み出された8体もの魔物を見ることなく、そして手ではなく剣を捧げて素材を飲みこませる。
もう決めた。やっちゃうよ。
今日は初お目見えのこいつを好き勝手にさせて、どんな性能があるかをきっちりと調べてやる。例えばこういう風に、ぼこおっと剣を膨らませたりとかさ。
雨竜は以前からエギアの素材を欲しがっていた。それはきっとこんな答えがあったからだと思う。
刃渡りは俺の身長とさほど変わらない大きさに膨らみ、大剣と呼んでも差し支えのない姿に変わる。己自身の強化。それが闇刈シリーズ最大の特性だ。
新たに生み出された魔物は計8体。
前方がブ厚い大型の盾を構え、後方には長くて太い槍らしきものを手にしている。さながら騎士隊のようであり、ここが現代日本であることを一瞬だけ忘れた。
ずしゃあと並ぶ槍の穂先に構っている時間なんてここにはない。
分かってるさ、殺したいんだろ? あの鈍くさいものがお前を止められると信じているなんて許せないよな? だったらさ、全部ブッ壊しちゃおうよ。そのあとでざまあみろって笑おうぜ。
呼応するように太ももの筋肉を膨れ上がらせると、大剣を肩に担いだ俺は大きく息を吸った。
◆
――どずずんッ!
突如、空から飛来してきたものは建物に大きなヒビ割れを起こす。
コンクリートの割れた煙から飛び出してきたのは長い黒髪をたなびかせる雨竜であり、肩からの受け身を取るとすぐさま住宅の屋上を駆けだした。
数歩でトップスピードとなり、冷たい瞳を向けた先には四肢を広げた魔物がいる。それは狼に似た形状をしており、たてがみから触手を波打たせながら黄金色の瞳で睨みつけてくる。
それは満月のなか、ゴオオと大きな声で鳴いた。
太い前脚で地面を引っ掻いて迫りくるのだが、それよりも先に気になることがある。
いくらなんでも静かすぎる。このマンションの人たちが一斉に目を覚まして電気を点けるかと思いきや、まるで廃墟のように静まり返ったままだ。
どどっ、どどっ、と音を立てて駆けてくる速度は驚くほど速いのだが、その対処よりも先に技能のひとつである【探知】の領域を広げていく。するとモニター表示される地域マップにおびただしい数の光源が記された。
――計82体!?
ぞわりと悪寒が走った。エギアはこの夜だけで82人を喰らっており、これまでの道中で斃した数を差し引くと3桁に迫る勢いだ。
となるとバラバラに散りながら数を増やし、またここに集結した可能性が極めて高い。そして追い詰めたと思っていたはずが、実は誘い込まれていたという可能性も急上昇している。
あの状態の後藤であればサポートの必要もないだろうと判断し、待機地点から離れつつ、すぐさま通話で呼びかける。
「藤崎君! すぐにこの探知情報を若林さんに報告して!」
返答を聞く余裕もない。
すぐ背後から呼吸音が聞こえており、首筋にぞわりと奔る悪寒を頼りに「疾風!」と叫ぶ。ジャッと弧を描いてコンクリートの上を滑り、そうして噛みつきをやりすごしながら腰から闇刈一文字を引き抜く。
月光に刃を光らせるそれを手にして、冷たい夜気を肺いっぱいに吸い込んでゆく。息吹という雨竜が好んで使う、一時的身体強化の技能だ。
ぎしっと太ももを覆う黒タイツを膨らませて、刃から雨竜の全身までオーラが満ちた。




