63.エギア追跡戦②
すーっと息を吸い、ゆるゆると吐く。
俺みたいな「戦闘イコール健康的な運動」とか思っている人間はさ、ちょっと肩の力を抜いたほうがいいんだよね。にやっと不敵な笑みを浮かべたり、そういう恰好つけをしておくと頭が良さそうに思われそうだし。
なので手斧を肩に担いで、相手が立ち上がるのを俺はじっと見る。
これはただの喧嘩じゃないし、相手だって人間じゃない。
パーカーにぶちぶちと穴を開けて、黒い繊維状のものが身体を膨れ上がらせてゆく通り、あいつはモンスターだ。街灯の下でそいつは白い歯を見せて、にいいっと笑う。
なんか知らんけど、エギアって笑うんだよねー。けっこう前に、山のなかで会ったときも「ぐははー」って笑ってたし。
「エギアー、なんか楽しいことあったー?」
なので俺も笑顔を浮かべて、るんるんとスキップするくらいの気軽さで近づいていく。まるでお友達みたいな口調だったけど、本質はまるで逆だ。互いに本気で殺したがっている。
そいつは街灯の下で腕の筋肉を膨れ上がらせて、丸太みたいな太さに変えつつあった。
振りかぶった拳は、いわゆるテレフォンパンチ。「じゃあいくよー」と言っているくらいの溜めがあり、こっちも「うん分かったー」って反撃の準備を整えられる。
脚をガニ股にさせて、やや窮屈に折り畳みながらキュンッと革ズボンを鳴らしながらのハイキック。そいつの腕と行き交う形で虚空を奔り、モンスターは髪の毛を、そして俺は筋だらけの首に叩き込む。
――ずどんッ!
手ごたえ……いや、足ごたえは「タイヤ」だ。密度がぎっしりしていて、跳ねのけられるような黒いアレね。見事に決まったってのに、ぐらりと揺れるような可愛げもなく反対側の腕を振りかざしてくる。
がずんっ!と左腕のカウンター。
俺もさぁ、お前のことだいぶ覚えたから「やったか」なんて思わんのよね。あえて言うとしたら「よーし、どんどん来い!」だ。
ごッ! ごずッ! どずんッ!
いくらクソみたいに頑丈なやつでも、顎、顎、顎、と延々とカウンターを入れられ続けたら混乱するよ。だって俺みたいに腰がきゅっとした一般人の女相手にさ、なんにもできないんだもん。笑っちゃうよね。
おいおい、頼むよ。なんで笑うのをやめたんだ? さっきまで楽しそうだっただろ? 笑顔だ、笑顔、笑顔があれば世界が平和になるんだよ。
――ガアアアッッ!!
「笑えっつってんだろがテメエ!」
ぐしゃりと拳の途中まで手斧が食い込み、真っ黒い血が辺りに舞う。
生意気なことに痛覚があるのか「グウッ!」と拳を握ってたたらを踏むそいつに、俺はスタスタ無造作に間合いを詰めていく。
あ、ちょっと怖いと思われたかもしれん。ビクッとそいつは震えて、飛びのこうとする。あのね、追うほうがずっと楽なんだし、それでなくてもこっちは疾走持ちだよ?
ぎゅっとアスファルトに革靴を食い込ませて、力学をそのまま拳に乗せてブチかます。顎から脳天へと衝撃は伝わり、真っ黒い血飛沫が街灯に映し出される。
そして俺は伸ばした腕をゆっくりと捻る。逆時計回りに少しずつ。かちっ、かちんっと関節ごとの部品が鳴って、手甲に刻まれたラインが真っすぐになった。
――シュドオッ!
指の引っかかりを引くと、普段よりも大きな音を立てて闇礫の弾丸が吐き出され、宙を舞うエギアの顔面部分を撃ち抜いた。ダメージは脳まで達したらしく後頭部から血を流し、遅れて地面に落ちると「んんんん゛ーーッ!」と顔を押さえながらくぐもった悲鳴をそいつはあげた。
今のはお前と違って優秀な素材、ギズモシリーズで作った手甲だ。動きやすいし頑丈だし、こういうちょっとワクワクする面白いギミックまでついている。おもちゃ屋さんに並んでいたら「買っちゃおうかなー」と考えるくらいだ。
それに引き換えお前はなんだ。ちょっとウネウネするくらいだし、なんかこう……役に立たないんだ。せめて倒したときに「やったあ!」とジャンプできるくらいの素材を俺によこすんだ。
「まあいーや、なんか知らんけど雨竜が欲しがってたし」
正義の味方ってのはさ、倒し方にも美学があると思うんだ。
間違ってもうずくまる奴を相手に、手斧をガスガスと叩き込んだりしない。近くに座り込んでいたサラリーマンなんて「ヒイイッ!」って悲鳴をあげちゃってるしさ。
返り血もあるし、服も汚れるから俺だって嫌なんだ。クリーニング屋さんにもできるなら行きたくない。本当なら遠くから闇礫の弾丸を一方的に浴びせて楽しみたいんだ。
でもさ、分かるだろ?
貴重なギズモの弾丸は有限で、残り数がそんなに無いんだ。なら、そこいらのホームセンターで薪割り用の斧を買ったほうが早いだろ? 一万円も出せば上等なのが手に入るしさ。
ちょっとした運動をやり終えた俺は、立ち上がって「ふーっ」と息を吐く。
いまならもう「やったか」と言っても平気だろう。エギアはもうピクリとも動かないし、タール状の血液をアスファルトに広げているんだし。
「やっぱ駄目だな。どう見たって惨殺現場だ。今度から俺も美学ってやつを取り入れてみるかー」
おっと、そんな悠長にしている場合じゃない。
近くでは相変わらず会社員が腰を抜かしているし、それよりも雨竜が「本体」を探しに裏路地に駆けて行ってしまっている。まあ前者は無視だな、大人だし。
慌てず騒がず駆けながら素材収集を実行すると、青白い流星のような軌跡から追いかけられる。ぽかんと見つめてくる会社員を置き去りに、素材を握りしめて路地裏に入り込んだ。
雨竜との距離は三百メートルに達している。
さっきの戦闘時間は5分とかかっておらず、それにしては距離が開きすぎていないことを疑問に思う。
ぱっと視界に映ったのは、玉のような汗をしたたらせる雨竜だった。
「あれ、戦闘中?」
「二体やりました。恐らく本体と思えるものを追跡中です」
ひゅう、やるう。言い訳しておくとさっきのは普通の手斧だったし、別に負けたわけじゃないから。というかほとんど素手だった? まあいいや。
「やっぱ武器作るかー。しゃあない、剣でおなしゃす」
握りしめていたままだった素材が、じょわああっと白煙をあげる。普段なら熱くて耐えられないけど、いまは小手をつけてるから割と平気。というかいま「あちちっ!」とか言って手をブンブンしたらアホでしょ。
ずるぅーっと伸びるのは真っすぐの刀身で、長さは1メートルほどある。色はやっぱり真っ黒で、ぼこぼこと繊維状の模様が刻まれていた。
ひょっとして和風なのかなと思うのは、暗闇のなかで「闇」という漢字一文字が赤く光りながら刻まれていくことだろうか。
あのさ、なんで漢字を知ってんの?
《 この地の文化的な影響を受けております。分かりやすさを優先していると推測します 》
へえー、真面目だなぁ。
夜の案内者の言葉を聞きながら、雨竜の位置を知らせる光源に近づいていく。陸上選手も驚くくらいの全力疾走でありながら、さほど息が乱れないのはやっぱり能力値補正のおかげだろうね。
「先輩っ! そっちに行きました!」
「なぬっ!」
唐突な大声に、十字路を曲がりかけた俺はすかさず側面に飛ぶ。なにか嫌な感じがしたし、それでも判断が遅いくらいだったと思う。
機関銃のように細かなツタが固い地面を次々と貫いてゆき、ドドドという音が俺を追ってくる。
後方を見る余裕もなく、ガードレールを蹴って身体を一回転させながら車の影にもぐりこむ。いやいや、これじゃあ盾にもならん。4WDの頑丈そうな車の側面から次々とツタが貫通してくるんだ。
「おおっとおーー!」
尻もちをついていた俺は、後ろにぐるんと回って距離を取る。あれは初めて見る技であり、遅れて闘争本能というべきか、アドレナリンが身体中をドッと駆け巡るのを感じた。
暗がりから飛び出すと、そいつの姿をようやく見ることができた。
なるほどねと思うのは、異なるモンスターの「成体」を見たことがあるからだ。ギズモと呼ばれるそれはそれは優秀な素材を落とすあいつは、レベル20を迎えた段階で大きく容姿を変えていた。
「お前も成体になったってことかよ」
うじゃうじゃとまとわりつく大量の黒いツタ。
中央に立つのはかろうじて人型と分かるもので、ぼうっと感情の見えない目を光らせている。首だってあるのかどうかも分からないほど太いし、車を貫通させたツタを一瞬で戻すのも異様に早い。
今夜のエギア退治を始めて、4体目にして当たりと出くわしたってわけだ。
遠くからウーウーと聞こえてくるのは消防隊のサイレンだろうか。だけどこの事態を救えるとは俺には思えなかった。




