61.おしっこ色の素材
確かにね、素材は凄いんだぞって俺は言った。
こんな小さなやつがだよ? ちょっとむにゃむにゃ念じるだけで、剣とか盾とかになるんだもん。そこいらの手品師だってビックリするさ。
連中のそんな驚いた顔が面白くて、つい調子に乗っちゃったかもしれないな。素材も完全に独占状態だし、技能だってレベルがバンバン上がる。こんなのウハウハになるって。
でも優秀な研究者たちは、俺と全然違う視点で見ていたんだ。
物理法則とかそういうのを完全に無視して、ふわりと浮いて合体する闇礫の盾。
持ち主の意思を読み取って、ざわりと動く闇狩シリーズ。
その他にも色々あるし、どれもこれも物理学者を唸らせる代物ぞろいだ。元となるモンスターだって不可思議の塊だしさ。そりゃあビックリするよ。
ずっと知識を溜め込んでいる学者たちは飛びついた。
ザリガニみたいにうじゃうじゃ釣れた。
美味い美味いと食べて、もっと餌が欲しいとつぶらな瞳で見上げてくる。でもそいつらが生み出そうとしているのは、普通の物じゃなかったんだ。
「…………」
分厚いガラスを挟んだ研究室に、エギアの触手を義手みたいに装着してゆく様子が見える。こんなのを見ると、もうなんか「笑うしか無いな」って感じだ。
「ふーん、またエロくない触手が生まれてしまったか」
「は? なにか言いました?」
いいや、と俺は首を横に振った。人というのはな、冗談を聞き逃されてもう一度言わなきゃいけないのは苦痛を伴うんだぜ。
そっとガラスから離れ、それから黒髪を揺らす雨竜の後を追う。
どの研究内容も派手なものばかりなのに、歩いている連中はごく普通の恰好で、明るい休憩所では珈琲や紅茶を飲みながら談笑している姿もあった。来たるべく終末と明後日くらい異なる楽しそうな景色だ。
「Aさん、飲み物の好みはありますか?」
「いや別に。それよりも所長さん、昨日のナッキージャムについては何か分かりました?」
休憩への呼びかけに俺は応じなかった。
視界の端っこでは平行して藤崎らの様子が映っており、そっちでは着々と爆破作戦が進められているからな。
せっせと積まれているのは自衛隊で活躍しているC-4爆弾で、最早俺なんかの説明もいらないくらい一般的だ。それをせっせと新宿の地下に積んでたら休む気になんてなれないって。
参ったな、さっきは冗談半分で言ったのに。生真面目さだけが売りの連中が、まさか本当にやるとは思わなかった。いつの間に専守防衛の精神は消えちまったんだろうな。あ、俺が焚きつけたせいか。
ちらりと雨竜を見ると、彼女の大きめの瞳もこちらを見る。
この場でそれに気づいているのは俺たちだけで……いや、スマホの振動に気づいて若林が去ってゆく。あいつにもすぐ伝えられそうだ。
そのとき少し驚いた。
ピピッ、という音が脳裏に響いたんだ。
『ザッ――先輩、この日本で爆弾設置なんて可能なんですか?』
ああ、うん、それ以前になに今の。高度な腹話術かなにかを見せられた気分なんだけど。
「どうやったの?」
そう答えても不思議そうな顔をするのは所長さんで、俺たちの顔を交互に見てから「素材に手を加えたわけではなく、元からそのような機能があったのでしょうね」と見当はずれのことを言ってくる。いや、そっちも重要だし、むしろこの状況で一番重要かもしれない。
と、そのとき携帯電話を片手に走ってくる奴がいた。
「後藤さん、あと2時間で爆破作戦が決行されるそうです!」
あぁーーっ! 本名出すなっつってんだろがアッ!
爆破なんてさっき知ったというか今もこの目で見てるし……、ああー、もういいよ、後藤って呼べよ! 好きにしろ!
俺はひとことも言わずにキレた。
かちゃりとビーカーを手に取った。
そこには透明の液体が入っており、おしっこみたいな色をしている。
これがナッキージャムの吐き出した代物らしい。それを聞いて思い出すのは、あの数秒で固めて作り出した銃だろう。現代兵器というのは技術の塊で、見ただけで再現できるわけがない。
「それを実際にやっちまったんだ。こりゃあ科学者どもが放っておかないぞー」
にやっと笑い、ビーカーを棚に戻す。
錠がつけられてゆく様子は物々しく、貴重なサンプルだと物語る。
そして視線を戻すとビニールで覆われた部屋の中央に、どどんとナッキージャムの遺体が寝そべっていた。うーん、デカい。
「後藤さん、大丈夫ですか? まだ顔色が悪いようですが」
「ン、まあへーき、だいじょぶ」
そう気づかいながら近づいてくる若林を、俺は手で制した。
ナッキージャムは俺が溶かしたせいで頭の半分くらい無くなっているし、マスクをつけないと異臭が凄い。そして俺は嗅覚までスキル上昇してしまっているので、さっきは入室した途端に卒倒したんだ。
ったく、昨日の晩からずっと悪臭に苦しんでるじゃんか。嗅覚スキルは勝手に上がってしまうので、いつか犬並みになるかもしれない。もう最悪ですね。
かつこつとブーツを鳴らして近づいてゆくと、モンスターというよりは動物みたいだなと思う。
大体5メートルくらいの体長と、それを支える極太の骨。肌は真っ白。体液も真っ白。ちびちびと生えた毛が妙にリアリティがあって、一瞬だけ「こういう生物が地球にいたのか」と思ってしまう。
「……標本と素材、どっちが欲しい?」
そう尋ねると所長さんによる通訳が挟まれて、日米の研究員らは揃って複雑な顔をした。
新種であるモンスターの死骸だ。どれだけの有用性があるか分からないと上から言われているだろう。しかし俺の素材収集によって得られる産物は、先ほど所内を見て回った通り極めて有用だと彼らは知っている。
はい、と手をあげたのはゴーグルの向こうに青い目を覗かせる女性だった。
「私は加工することを勧めます。新しい死骸は間もなく手に入るし、次のステップに研究を進めたいです」
もうすぐ手に入るというのは、新宿地下のことを指しているのだろう。
そして女性の一言で皆はそれぞれ頷く。その様子を見るに、彼女は周囲から一目置かれているのかもしれない。
病原菌対策として防護服で全身を包んでおり、表情は分からないが小柄な人だと思う。
「じゃあそうしよう。俺もそのほうが良いと思うよ。いつだってここに来れるわけじゃないからさ」
寝たりご飯食べたり、ニートって忙しいしさ。
そういうわけで手を伸ばして素材収集を実行する。
ついでのように技能レベルの上がるアナウンスが脳裏に響いて、ラッキーと口ずさんだ。いや、こいつは俺が倒したんだし役得というわけでもないか。
すぐに「ぼこん」とナッキーの巨体が揺れる。
ボロボロに朽ちていく印象に変わり、そして見る間に体積を失ってゆく。
おお、と後ろで呻いている連中は俺の技能を初めて見たのだろう。
どおうと空気が弾けて辺りのビニールを揺らす。
流星と似た放物線を描いてくるそれに手を伸ばすと、吸い込まれるように収まった。体温に近しい熱と、カチャッとガラス的な音が響く。
どれどれと開いた手のひらに、皆は頭を寄せて覗き込んだ。
「おー、半透明だ。おしっこ色なのは、あいつが吐いた液体と同じだな」
多面体のサイコロみたいな奴が、ごろっと輝いていた。まるで宝石のようであり、全部で9個とまずまずだ。どうぞと差し出すと研究者らはひとつずつ丁寧に指でつまみ、蛍光灯の明かりに透かしたりしていた。
ガイド君、これで新しく作れる装備とかある?
《 核を入手すれば衝撃吸収に特化した防具を作成可能です 》
へえー、衝撃吸収か。戦ってたときも銃を跳ねのけるくらいの服を着てたからな、こいつら。
新しい装備に興味ある?と無言で隣を見ると、こくっと雨竜から頷かれた。
『ザッ――あれだけの防弾性がある装備は、これから必須ではないですか?』
「……あのさ、お前のその声どっから出してんの? なんか宇宙人と会話してるみたいなんだけど」
思わずそう答えたけど、もちろんただの独り言になってしまい周囲から不思議そうな目で見られちゃったよ。くっそ。
さて、問題は核の入手とやらだ。
立入証を胸につけ、窓の青空を見あげながら考える。
もちろんテーブルに乗せたのはご当地カレーであり、防衛省に来たからには食さずに帰れない。もちろん仲間が爆弾を設置している最中であろうとも、だ。
はぐりっと雨竜がひとくち食べて、わずかに頬を緩ませた。
「ん、甘いですね。これくらいの方が私は好きです」
「ほんとだ、甘ぁーい。小学生くらいのとき、こういうの食ったよー」
目にまぶしい白米と、お野菜たっぷりのカレールー。和え物と野菜、それにパックのジュースもついてるのに昭和並みの安さだなんてたまんないね。
本日は豚肉の日らしく、噛むとじんわりお肉の甘さが出てくる。とろとろの玉ねぎまで味が染みてて、柔らかくて優しい味わい。うーん、スプーンが止まらんって。
ちなみに俺は、白米とカレーを最初に混ぜちゃう派。ご飯が余ったーとか途中で焦らなくて良いし、最後まで美味しくパクパク食べれるしさ。
ふと、俺と同じくらいのペースで雨竜が食っていることに気づいた。
「雨竜も最近は食べる量が増えてきたんじゃないか?」
「あ、そうですね。肉体労働が増えたせいだと思います。体重はあまり変わりませんが」
その発言は「ほーん」と眉を逆立てる女性もいるだろうな。まあ俺も一部を除いて引き締まってるし、あんまり気にしないけど。というか一番のダイエットは運動だからな。
と、遅れてやってきた若林は、トレイを手に近づいてくる。雨竜がバッグをどかすと、その席に腰を下ろした。
「おっと、ぺろっと二人とも行きましたね。ここはお替り自由らしいですよ」
まじか、と俺たちは顔をあげた。
390円という尋常じゃない安さで、それをやってしまうのか。そりゃあ確かに見学客が後を絶たないはずだ。俺だって近所に住んでたら毎日通っても構わない。
「行こう行こう、お替りしよう」
「ですね。口当たりが優しいからたくさん食べられます」
そそくさと雨竜もついてきて、俺たちはカレーの山盛りをいただいた。やったぜ。
ずずっと茶を飲んで、しばし呆ける。
窓から見える空はだんだん色彩を変えてゆき、夕方に変わりつつあった。
時計を見ると思っていたよりも長い時間を過ごしていたと気づく。防衛省という物々しい響きをしてはいるが、中は普通というか人が過ごしやすい空間になっているらしい。
ちなみにさっきの素材は半分ほど彼らに渡し、残りは俺のお給料代わりにされている。何度も何度も現金を勧められたけどさ、そのうち金なんて役立たなくなるかもだし、装備の強化を考えると素材のほうがずっと大事だ。
そして、俺は思ったままのことを口にする。
「今夜の出現予測は、計18箇所。あと逃げられたナッキーとエギアの集団を合わせて、たぶん30体弱か」
「昨夜逃したナッキージャムは藤崎君たちが押さえているから、問題はエギアですね。近くの巡回を強めますが、市民への公表は難しいと判断されました」
ノートパソコンを開いてそう言う彼に「難しいという判断、ねぇ」と俺は苦い顔をする。どこに出現するか分からない以上、一帯を避難させるのは無理と判断したのだろう。同じ立場なら俺もそうするが、現場を見たらそんな言葉は口にできない。
「じゃ、俺と雨竜は巡回組だな。できればすぐに駆けつけられる応援が欲しいかも」
ちらりと雨竜の瞳がこちらを見る。
ただし先ほどのような思念は飛ばさずに、疑念混じりの瞳をしていた。
分かるよ、言いたいことは。一番早く動かせるのは空軍だけど、彼らには制約がつきまとう。許可した領域でしか火器を使用できず、さりとて今回のゲリラ的なモンスターを相手にするには必ずと言って良いほど領域外にあたる。
「……聞くだけ聞いてみましょう」
彼らの背中を押してやりたい。
ここで動かすことは無理だろう。しかし声を伝えておけば、もしもあのとき出動できていれば被害をふせげたというのに、という後悔には繋げられる。そんなのただの可能性に過ぎないが、不自由極まりない軍隊という枠組みを取っ払ってやりたい。
そういう意味で、若林の言葉に俺は頷いた。
ぎこっと椅子を引いて立ち上がる。
食事をしたら運動するものだというのは、先ほど俺が口にしたセリフだ。
たらふく食ったぶん、きっちり仕事をしましょうか。そう言葉にせず語りかけると、二人の男女は頷いた。
では諸君、楽しい巡回任務の始まりだ。




