60.眠る魔物と新生研究チーム
それはある種、異様な光景だった。
人は洞穴のような自然が生み出した地形に訪れると、少なからず心を打たれる。
しかしこの場合、照明器具によって映し出された光景に、藤崎と斑鳩はぞわあっと悪寒を覚えた。
「なんだ、こりゃ……」
均された……いや、溶かされた地面を指先で撫でる。土や岩などの感触ではなく、つるっとしたものだ。プラスチックの板に近しい。地面は真っすぐ向こうにまで伸びており、恐らく端まで50メートルほどあるだろう。
「おい見てみろ、剥き出しの壁じゃないぞ。何かでコーティングされている」
同行している者の声を背に受けて、藤崎はゆっくりと視線を持ち上げてゆく。
天井も理解しづらいほど高い。バッテリーに繋いだ照明器具により照らされるのは、土を溶かしたようなもの、そして手の届く高さまでは地面と同様にプラスチック状のもので覆われている。どこか甘ったるい匂いがして吐きそうだ。
がらんとした空間は、奇妙なまでに画一的でもある。模様も無く、また段差も無い。
そして立ち上がり、藤崎と斑鳩は吊り下げていた剣に手を伸ばす。
広間の中央には青白く反射するものがあり、背後に向けて「来るな」と合図をした。
闇礫シリーズは優秀で、持ち主の意思を読んで形状を変える。剣術士を開放すると、装甲はミシミシと膨れ上がる。常軌を逸しているのは彼らもまた同様であり、同行者らは見えない迫力に押されて一歩だけ引いた。
「師匠、聞こえますか?」
そう誰もいない空間に向けて話すのは、何かしらの無線機に向けてだろうか。しかしここは地下百メートルほどの位置にあり、どのような無線も届かないはず。そのような表情を同行者らは浮かべた。
東京は……いや、この日本に何が起きているのだろう。
それに答えられる者は、今まで同様に誰もいない。
ただそこにある物を見て、自分たちで判断をして乗り越えるしかない。
「モンスターを発見。恐らくナッキージャムです。水晶のようなもので覆われており、眠っているのか、ぴくりとも動きません」
豪胆にも大した警戒もせずに二人は歩き、その何者かに向けて報告をする。師匠という暗号名は聞かされていない。恐らく地上班に向けたものでは無いだろう。
同行者のうち1人は、遅れてカメラの機材を肩に乗せて本格的な録画も始めた。
モンスター、ナッキージャムは広間の中央で重なりあうよう眠りについていた。青白く反射する水晶じみたもので覆われており、今はその目を閉じている。
これを昨夜、一体だけ討伐した。死骸を研究機関で調べている最中だろうが、戦死者一名という報告に「被害が少なくて良かった」と誰しもが思った。それは人の死を軽んじているわけではなく、モンスターの凶悪さを知っている者の体感だ。
しかしここは軍備に乏しい。
もしアレが動き始めたら、地上まで逃げ延びられるだろうか。とてもそうは思えない。
「は? カメラを仕掛けておいて、こいつが動き始めたら同時に爆破!? 何を言っているんですか。都心の地下ですよ、そんなこと出来るわけありませんって!」
藤崎の大声に、周囲の者たちは我に返った。
聞くところによると、この魔物らは夜間にのみ活動するらしい。それ以外の時間は、恐らくこうして水晶のなかでやり過ごすのだろう。
誰と話しているかは分からないが、モンスター退治という意味では確かに効率的だとも思う。今までだって出現予測地帯に軍備を敷き、目覚めと同時に瞬殺してきたのだ。
しかし、と一同は顔を見合わせる。
この地下空洞は見た通りだがとても広い。もし崩落した場合、地上に一切被害が出ないのだろうか。
そんなのもちろん決まっている。これまで同様に「答えられる者はいない」だ。
専門家の意見を聞く時間はない。
放っておけばあと数時間で目覚めて暴れだす。
それも単体ではなく、複数体だ。この地下を見るだけで、何かをしでかしそうな予感がひしひしとする。
ごくっと息を飲んだ隊員は、恐る恐る口を開く。
「私は爆破に賛成だ。幸い、地上までの距離があり過ぎる。崩落したってたかが知れているだろう」
「おい、こんなの現場判断でどうにかできるものじゃないぞ。まずは上に報告だ。どうすべきかという提案はそのときにしよう」
その隊員らの声に振り返った藤崎は、少しだけ驚いた顔をしていた。師匠からの思いつきに近しい提案を、真剣な顔で考えている様子なのだから彼の心境も分かるだろう。
なるほどと思うのは、彼らはこれまで戦いを共にしていた連中ということだ。席の確保にばかり無心する政治家連中とは違い、いかに守り、いかに倒し、そしていかに生き残るかをずーっと考えている。ずーっとだ。飯のときも風呂のときも、眠りにつくときだってあのモンスターのことを忘れることは決してない。
「地上に引っ張り出せないか?」
「うーん、バラせれば行けると思うが、そのための機材がな……あれを調べたいなら研究者をこっちに呼んだ方が早いぞ」
「いや、頑丈な檻に入れられたらと思ったんだ。生きた標本にできる」
「閉じ込める、爆破、その他に意見は無いか。時間は限られている。無いならどちらかの案で行くぞ」
そのような会話をする様子に、現場判断にもほどがあると藤崎は驚いた。
いや、実際のところもうこれしか無い。時間も無いし、外との連絡も途絶えている。無線機のアンテナ設置も間に合わないだろう。
いや、これが後藤の育てた元刑事たちか。
今では魔物退治を専門としており、資格を得れば武器も与えられる。
特殊訓練の経験は浅くとも、思考を止めず、柔軟な発想を求めている姿は上の連中にとって頼もしく見えるだろう。何よりもあの前向きさが良い。
呆気にとられた藤崎の様子に、年配の西岡という男はニヤッと笑う。
「さっきの指示は後藤だろう? あいつの適当な言い方に騙されるなよ。時間も無いし機材も無い。あるのはモンスターを吹き飛ばせる火薬くらいだ」
どんと拳で胸を叩かれて、同時に活を入れられた思いをする。彼がかつて後藤という女性に藤崎と斑鳩を紹介した人物だ。
闇礫シリーズの防具の内側で、たらりと藤崎は汗を流す。
「西岡さん、師匠の影響を受けてます?」
「いや、手斧を持って襲いかかるような奴の影響は受けたくないな」
ですよね、と互いにくぐもった笑いをした。
だけどもし、もしもだ。武器が手斧しか無かったら、ここにいる連中は皆、迷うことなく手斧を掴むだろう。
爆破作戦が決行されるのは、それから数時間後のことだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
さて、防衛省内部である。
立ち並ぶ庁舎は、いずれも金を投じられたと分かる作りをしており、また歴史を感じさせる古さがある。
少し前までは一般公開もしていたらしいけど、昨今のモンスター騒ぎを受けた連日の出動対応によって中止したとか何とか聞かされている。
「でも、さすがに一般公開したところで情報漏洩まではしないんじゃないか?」
そう言いながら自動ドアを通り抜けてゆく。
ここは技術開発をするための施設だと聞いており、雨竜と一緒に周囲をきょろきょろと見回す。
若林は慣れた様子で先導をして、エレベータのスイッチを押した。
「今回はそういう備えも必要だと思いますよ」
「ん、どういう意味?」
答えを聞く前に、ぽーんと音が鳴って扉が開く。
そこは長い廊下で、私服の者たちが歩き回っている。ちらほらと外国の人も混じっていて、しばし俺は黙ったまま歩く。
当たり前だけどあちこちから英語が聞こえてくるし、何を話してるんだかぜんぜん分からない。
えーと、なんか知らない間に国際化してない?
ちょっとドキドキしていると、こちらに気がついて声をかけてくる人がいた。
「Aさん、お久しぶりですかね。以前の研究所でもお世話になりました」
「あ、所長さん。やっと知っている顔の人がいてくれて安心しましたよー」
やや頼りない頭髪をした所長さんも、ははと笑う。そして周囲を見回してから、また見つめてくる。
「確かにだいぶ変わりましたね。ですが、規模はさらに広がるでしょう。ああ、こちらが若林さんの言っていたお客さんですね。男ばかりのむさ苦しい場所ですが、お二人が来てくれて華やかになるでしょう。では案内しますのでこちらに」
以前見かけたときよりも、所長さんは落ち着いている風だった。何日寝ていないのか分からないくらいの形相だったのに、今では通り過ぎる外国の人と英語で挨拶までしている。人員補充によって時間的な余裕もできたのだろう。
てくてく歩いて行くと、ガラス越しに研究している様子も見える。
思わず二度見をしたのは、ふわっと鉄の塊が浮いていた光景だ。コード類も何もついておらず、研究員たちは計器を調べながら記録をつけてゆく。
淡々としている割りに、鉄の塊が宙で静止している光景は異様だ。現実味が無くて二度見するしかないって。
「あれはギズモの素材を使用しています。反重力と呼んで良いのかはまだ分かりませんが、重量を相殺する力があります。しかし反作用を加えるためのエネルギーは必要ありません。その有益さは私が言うまでも無いでしょう」
そう教えてくれたけど……これってもうSFの世界やん。
もしかしたら宇宙に出ることだって楽ちんになるかもしれない。ああ、いや、もっとちゃんと考えよう。いま聞いた「有益」という言葉を吟味してみよう。
例えばだ。この世界の機械や兵器というのは、全て重量によって形状が左右される。戦車があの形なのは、自重に耐えつつも速度を出すための構造をしているんだ。
つまり、重さを取り払うことで兵器としての形まで変わる。
今までずっと冗談だと笑っていた巨大ロボットだって、もしかしたら造れるようになるのかもしれない。
「流石にそこまでの素材は足りませんが……Aさん、次の部屋に行きましょう。いまの考えに近しいものがあります」
「おっと、行く行く、行きます! ほら雨竜、ぼうっとしてんなよ」
尚も研究室をじいっと見つめていた雨竜の手を取り、所長さんの後を追う。
隣の部屋には外国の人ばかり集まっていた。いずれも頭の良さそうな連中で、部屋の中央にある何かを組み立てつつある。
それは人型の何かであり、無数のコードが部屋中に散らばっており非常に物々しい。
「端的に言うとパワードスーツ……の原型です。いくつものプランを同時並行で進めていますが、この研究室では対モンスター戦を重視しており、これまであった概念を打ち崩すような規格を次々と生み出そうとしています」
ふわーっという声を俺たちはあげた。
それが嬉しかったのだろう、所長さんはにっこりと子供みたいに笑って扉に手をかける。
「では実際に触ってみましょうか。Hello there……」
振り返る一同は当然のことアメリカンな連中で、ハイと陽気に返事をしてくる。それから所長が何かを伝えると、一同はぎょっとした。
早口な会話に混じるのは「エース」と「ウリュウ」という単語であり、彼らの好奇心に満ちた目が一斉に向けられる。
「しょ、所長さん、いま何て伝えたんです?」
「彼らは非常に頭の良い子供みたいな連中でしてね、ファンタジーでエキサイティングな戦いに熱中するような連中なんです」
そして我先と差し出される右手に、俺たちは呆気にとられながらも握手した。
えー、なんでなんで。どうしてこいつら「ヒャッハー」とか「ファ○キン」言わないの。どう見たってみんな気の良さそうな連中だし、モヒカンになる気配もない。
ちょっと俺の考えていた終末世界と違うことになるのかも。
そんなことを俺は考えていた。




