59.雨上がりには雨竜とタンデムを
ニートの朝は早い。
ずっと前にそんなことを言ったような気がする。
だが、あれは嘘だ。嘘なんだ。なぜなら起きた時刻は午後の2時であり、言わずと知れた大寝坊である。これではニート失格である。寝グセもひどい。
テーブルに置いといたスマホが微振動しているのを眺めつつも、出たら怒られそうな予感がひしひしとする。
うん、もういいや、研究所に行くって約束してたけど諦めよう。
シャワーでも浴びよっかなーと立ち上がるのと、ガチャンと家の鍵が開くのは同時だった。
ビクーッとしている俺の目の前で、玄関のドアは開かれてゆく。
隙間から覗くのは冷たい瞳をした黒髪の女だった。気のせいかホラー映画じみた恐怖まで感じる。
「ふふ、ご存じでしたか、先輩。解錠というのも自動取得可能なスキルなんです。私はこれをレベル10まで上げています」
「お、おお、すごいけど犯罪だぞ、普通に」
上がっても?という表情をされたので、嫌々と首を振る。
だけど勝手に鍵を開けるような女が「そうですか、お邪魔しました」なんて大人しく帰るわけがない。ギギギと開かれてゆく迫力に、唾をごくんと飲みこんだ。
シャワーを浴びてすっきりした俺は、細身のジャージとズボン、それからブーツというメンズな恰好に着替える。
くあっと大きな欠伸をしたら、正座をした女から大きめの瞳でじっと見られていたことに気づく。あのさ、なんで俺が着替えるのをまるで気にしないの? 普通なら遠慮して外に出てるよ?
「先輩、ヘルメットはこんなので構わないですか?」
「うん、中古じゃなければ何でもいいよ。バイクに乗るなら自分のやつは持っておいたほうが良いし、邪魔なら俺の部屋に置いとけば良いからさ」
ちらっと見ると、薄くてコンパクトな形をしており、頭でっかちな印象になりにくそうなヘルメットだった。へえ、最近はこんなのがあるのかぁ。俺も欲しいなー。なんてじろじろと眺めた。
んで、玄関脇に置いといたメットの紐に指をかける。
こっちのやつは黒のビンテージ物で、顔から下が見えてるやつね。雨の日は額のゴーグルを下ろす感じ。
「んじゃ、行こっか。グローブはそのへんの使っていいぞ」
「分かりました。この辺りもあとで買い揃えておきます」
ずっと前、俺の部屋を見て「女性の部屋と思えない」とか言われた気がするけど、そんなものばかり買っていたらお前の部屋も似た感じになるかもね。などと思いながら、カンカンと階段を降りてゆく。
アスファルトは濡れてたけど、雨はもう止んでいる。掛けていたシートをどかすと大量の水が落ちてゆき、ズボンにもかかった。ちべたい。
どどう、とエンジンをかけると後ろに彼女が乗ってきた。前にドライブしたこともあるから、ちょっとは慣れてきた感じかな。遠慮せず抱きついて、小さな胸を当ててくる。うーん、あったかい。
「若林はもう着いてるかなー。あいつなんか言ってた?」
「ええ、遅れるのはいつものことだと諦めてました。それよりも若林さんのことを本名で呼ぶことにしたんですね。何かあったのですか?」
いや、なんも無いよ。元気を出させてやる意味でそう呼んだけど、今さら撤回できないくらい喜ばれちゃったからさ。
なんて受け答えをしながら走り出す。すぐに視界に写し出されたのは地域マップと雨竜の顔、それと路上で何か仕事をしているらしき男たちだった。
「おーす、おはよー」
『あ、おはようございます。師匠たちはバイクでお出かけですか』
「おはようございます。藤崎君がいるのは昨日の現場?」
そう雨竜は尋ねながら何かの操作をしたらしく、画面は藤崎と斑鳩の映る俯瞰視点に切り替わる。
えっと、なに今の。そんな便利な使い方ができたの?
『おお、すごいッスね。藤崎、俺たちが映ってるよ。ピースっ!』
『……お前のそういう軽さが本当に羨ましいよ。師匠、周りから変な目で見られますので手短に伝えますね』
だよね、俺だってそんな目で見られたくないし。
アクセル握って徐々に速度を上げながら視界に映る現場を見つめる。そこにはアスファルトに開けられた大きな穴があった。
『昨夜、ナッキージャムが逃亡した場所です。アスファルトが歪んでいたので掘ってみたところ、地下に空洞ができていました。どこまで伸びているか分からないので、これから調査を開始します』
へえ、と俺は呟く。
魔物は夜しか活動しないから平気だろうけど、何が潜んでいるか分からないので気持ち悪い。見た感じでは立って歩けるくらい広くて、多分それはナッキージャムの巨体によるものだと思う。
「無理すんなよ。あと音声は切るけど映像はつけっぱなしにしておくから、見られたくないときは切るように」
はい、と竹を割ったような素直な返事をされた。
こいつらは生意気で、そのぶん可愛いと思える連中だ。こう見えて正義のためなら命を張れるくらいの男気もあるしさ。
そう思っていると大きめの瞳がこちらを向いた。
「闇夜の灯火のシステムは便利ですね。バイクに乗っていても先輩と普通に会話もできますし」
「んー、そうだなー。便利だし高機能だし、もしもこの技術が一般化したら大繁盛しそうだ。ガイド君、映画とか見れないの?」
《 見れません。お近くのレンタル屋をご利用ください 》
ですよねー。生真面目な声で「レンタル屋」なんて言われたものだから、口を開けて笑ってしまったよ。
さーてと、モンスター素材を研究する施設、略してモン研に向かいますかね。
おんっとアクセルを吹かすと、風のように単車は直線道路を駆けた。
壁にかけられた「防衛省」という看板を見て、へえーと俺は驚いた。
正門にあたる入り口には検問所があり、その周囲にはマスコミ関係者っぽい奴らがちらほらと何人か見える。俺と雨竜みたいな二人組なんてどう見たってミーハーな観光客だろうし、見向きもされない。
そして正門の向こう側に見えるのは、テレビで何度か見たような気もしないでもない建物だ。どうだったかなー、ちゃんと覚えてないなー。
「先輩、想像していたよりも凄いところへ案内しようとしていませんか?」
「ああ、俺もそう思ってたよ。研究所を移したって聞いてたけど、あいつらとんでもない場所を選んだなー」
ジャージで来ちゃったけど平気かな。今日はバイク移動なので雨竜も大して変わらない恰好なんだし……うん、平気だ。
のしのし歩いてゆくと、警備員のおっさんからにこやかに手で止められた。
「はい、ごめんなさいね。立ち入りは禁止なんです。見学会も当面は予定していません」
「えーと、招待されたんだよ。後藤って名前を伝えてくれる?」
「後藤さん、ですか。どなたに聞けば宜しいのです?」
さあ、という顔をしたら警備のおじさんも困った顔をする。
追い払われたりせず、電話でしばらく掛け合ってくれたけど、どうやらうまく通じないらしい。親切なおじさんはさらに困った顔をして戻ってきた。
「特に後藤さんという来客は予定していないようで」
「あ、そうだったの。ごめんね、迷惑をかけちゃって。ありがとう」
じゃあ飯でも食って帰るかと思っていたころに、ばたばた走ってくる奴がいた。そいつはスーツ姿の見慣れた男で、おーいと手を振ってきたけど……。
やっとたどり着いた若林は、膝を押さえてハアハアと息を整える。それから汗の浮いた顔をこちらに向けた。
「Aさん、まさか正門から来るとは思いませんでしたよ」
「は、Aさん? あ、そっか、俺の偽名か!」
そうそう、そうだった。プライバシーを大事にしたかったから、皆の前では必ずそう呼べって俺が言ったんだ。なのに俺が本名を伝えてどうすんだって話で、そりゃあ警備のおじさんも困惑するって。
「え、つまりそちらの後藤さんが、Aさんでしたか。確かに偽名っぽいなと思ってましたけど、いやはや女性とは。ささ、お通りくださいAさん」
ぐっわ、いたたまれなさが半端ない!
エース、エース、と連呼をされて、なおかつ親切にされてしまうと顔が熱くなる。誰だ、その呼び名を考えた奴は!
「A先輩、顔が真っ赤ですね。昨夜はあんなに喜んでいたのに」
至近距離でまじまじと見上げてくるのはやめろ!
くっそ、これが俗にいうザマア展開か。まさか俺がその洗礼を浴びるとは思いもしなかったし、腹が立つなああーー!
ぶるぶると肩を震わせながら、俺はこう伝えてやった。
「ゆ、ゆとり君、さっさと案内してくれるかな? 俺がキレちまう前にさ」
「あの、僕の名前は若林……」
ぎろっと睨むと空気を察したのか青年は押し黙った。
同時刻、ライトを付けて藤崎、斑鳩らは地下に伸びる大穴の調査を開始する。同行する人員は小銃を携行する8名だった。
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