58.若林
書籍化対応のため、長らくお待たせして申し訳ありません。
棚に置いていた靴を履く。
振り返るとゆとり君だけが個室に残っており、ノートパソコンを閉じた姿勢のままじっと動かない。眉間に皺を刻むその表情は、先ほどの問題を整理しようと努めている風に見えた。
うーん、思いつめてんなー。まあ、こいつは責任感のある奴だからな。というか俺くらいかもしれない、のんびりしてるのはさ。
なんて思っていたら階段の方から声をかけられた。
「師匠ー、行かないんですかー?」
「おう、すぐに行くから外で待っててくれ」
はーいと返事をするイガ栗頭を見て、あいつも警察関係者だけど俺と同類かなーと思う。体育会系というか、目の前のことに全力集中するタイプなんだよね。だからそれ以外の目に見えないことはあまり気にしない。え、脳筋? ちがうちがう、もっとこう知的でクールな感じだよ。
トイレから戻って来た雨竜は、たぶんもう少し違っていて興味や好奇心が原動力だ。熱中できるものをいつも求めていて、だからこのふざけたゲームみたいなシステムを誰より早く理解したがる。俺もそうだけど、なんだかんだ常識に囚われない奴は強いよ。
頬にかかった黒髪を指ですくいながら、まじまじと雨竜が見つめてきた。
「先輩、忘れ物ですか?」
「うん、なんでもないから先に行ってて」
こくっと雨竜は頷いて、背を向けて歩いていく。
だけど、ゆとり君は違うんだ。
政府との仲介役を引き受けており、今日の働きを見るだけで分かるけど俺たちが困らないよう調整をしてくれている。
俺の持つ「魔物の出現予測」というのは、もう絶対に手離せない情報だ。俺が上の人間だったら何が何でも手元に置いておきたいし、間違いなく情報源を拘束したがる。そして原理を解き明かそうとするだろう。
なのにこれだけ自由にさせているのは、ゆとり君と刑事たちの手腕だ。
もう一度眺めると、ゆとり君は重い腰をようやくあげるところだった。ふすんと溜息を漏らすと、やっと俺が待っていることに気づく。
ゆとり君は、謝るでもなく、笑うでもなく俺をじっと見た。
「後藤さん、どう思います?」
「ぜんぜんエロくない触手、エギアが増えた。それも人と同じ速度でバラバラに動いていた。なら考えつくのは限られているだろうな」
目が合った途端、懸念していた胸の内を代わりに明かしてやる。頭のなかはモンスターのことで一杯だったんだろうねぇ。
んでだ、こいつが求めているのは慰めの言葉なんかじゃない。より正確な情報、ないしは動物の勘みたいな予測だろう。なので俺はショックを与える意味で、まったく違うことを答えてやる。
「あと半年も経たないうちに、現代兵器が通用しない魔物が出る」
「……は?」
「そういう予言があったんだ。というよりもこれは予測だな。今のペースで進めばきっとそうなる」
冗談と思われかけたので、俺は柄にもなく真面目な顔をした。普段へらへらしてるとさ、こういうときに効くんだよ。たまーに見えるからパンツに需要があるようにさ。
「だから、さっきの事故は些細なことだ。これからもっと大変になる。これは前にも言ったけど、だから能力者をどれだけこちら側に抱えられるかというのは大事なんだ」
今はいい。自衛隊連中が頑張ってくれるからな。
でも俺なんてたったレベル15の女だ。それでもナッキージャム戦で決定打になる戦力を持っているし、これからまだまだレベルが上がる。
視線を戻すと、ゆとり君はまた新たな問題を抱えてしまったという表情だ。しゃあない、活を入れてやるか。
「この半年後にヤバくなるっていう情報は、今のところ雨竜くらいにしか教えてない。だって教えたところで失笑されるかパニックを誘うだけだろ? でもお前は違う。違うんだ。俺が自由になれるよう調整しているように、大きな問題があっても正しく解決しようとする」
パンと肩を叩きながら、普段より真剣な目で見上げる。
「なんだかんだ、お前には期待しているんだ。頑張れよ、若林」
そう言うと、カッと男の目に生気が戻る。あまりの変化にびっくりしたし、おぞぞっと背中に寒気が走るのをどうにか堪える。
え、ちょっと待って。いま本名を言っただけだよね。むしろ今までが悪かっただけで、マイナスからゼロになっただけよ?
「後藤さん、任せてください、頑張ります!」
「う、うん、ほどほどにね」
ごめんね、大事なシーンなのに若干引いた。いやでもさぁ、これはみんな引くんじゃない? でも空気的にそんなこと言えないから、はぁーあと溜息をしながら話題を戻すことにした。
「んー、エギアは寄生するタイプだ。相手が熊だろうと人間だろうと気にしない。今までも現場判断でなあなあにしていたけどさ、元とはいえ人を撃って良い法律なんて作れないじゃん」
だけど、と俺は上着に袖を通しながら言葉を挟む。
「その対処を考えるのは上の連中だ。さっきの情報はそのまま上に教えてやれ。必要があれば俺を呼べ」
「……っ、はい!」
ん、やっと前向きな顔になったかな。
これからうじゃうじゃモンスターが出てくるんだ。細かいことを気にしても仕方ないし、すべきことはたくさんある。なので俺はにっこりと笑いかけて、とても大事なものを手渡した。
「はい、レシート。美味しかったよ、ごちそうさま」
「……はい」
声がちっせえな!
その分の仕事はしたんだから別に良いだろ? 日帰り銭湯に行ったり、洋服を買ってもらったり、ご飯を奢ってもらったりしたけど……って、デートかよ! あぁー、だからか。ひと仕事したぜーって感じが全然しないのは。
外に出るともう空は白んでいて、くあーっと欠伸が勝手に出てくる。うーわ、股のあたりが寒っ! 冷気がごく普通に入り込んでくる!
スカートって本当に欠陥品だよなーとか思っていると、目の前に自転車を手にする男性が現れた。
「あ、夷隅さん。折角来てくれたのに、あんまり話ができなくて悪かったね」
「いや、今夜は礼を言いたいだけだったから構わない。君たち、昨夜は応援に駆けつけてくれて助かった。おかげで隊員の無念を晴らせたし、被害を拡大せずに済んだ。そして俺も酒を引っかけてから我が家へ帰れる」
丸刈りで強面の夷隅さんはそう言って頭を下げてきた。軍人らしい武骨な人だけど、気さくで話しやすい雰囲気もある。
握手をひとつ交わすと、彼は自転車にまたがって去ってゆく。そして思い出したように振り返ってきた。
「ではまた機会があれば現場で、エース殿」
「飲酒運転は禁止されてんだぞー」
いけね、という顔をして夷隅さんはそのまま走り去って行った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
がちゃっと自室に帰り、そのまま真っすぐベッドまで歩いてバタンと倒れる。
うーん、飲み過ぎた、じゃなくってモンスター退治が大変で大変で疲れたぜ。なーに、そんなに心配をしなくても、愛と地球と平和のためなら俺はウオオと叫んで特攻するさ。華麗にな。
「あー、歯をみがかなきゃ。っと、その前に俺もモンスター情報を見ておくか。ガイド君、よろしく」
《 時系列に沿って魔物の出現予測情報を展開します 》
独り言を漏らすと頭のなかで夜の案内者の声、そしてCGっぽい立体地図が表示されてゆく。
しゃーこしゃーこと歯を磨きながら地図に浮かび上がる光源を眺めていると、出現数は18箇所と昨夜よりも格段に増しており、また東京都という枠を飛び越えるのも出始めている。素材は欲しいがさすがに遠すぎるし、そういうときのための軍隊だ。
「ンー、増えたね。敵がというよりも、こちらの対応できる数が」
政府というのは強力で、また自衛隊を動かしているため広範囲をサポートできる。ちょっと前に、焼肉屋さんのトイレで脂汗をだらだら流して泣きそうになってたなんて信じらんないね。人間の成長って凄い。
そしてモンスターというのは生体という餌を欲しがるので、人のいない山奥にはほとんど出現しない。そういう意味で人の密集した都心に現れやすいのかな。
んで、肝心なのはこれだ。
実質的に軍を動かしているのは俺だろう。今であればモンスターが出ないエリアを伝えても強襲してくれるに違いない。そういう意味で情報ってのは本当に強い。それを握る俺に、もしも何かあれば死ぬ気で守ろうとするだろうしな。
まあ、いまは「軍隊出動ボタン」を持っているだけで構わんよ。手駒が増えたことに満足しつつ、東京を中心とした地図をじいっと見る。
「潜伏してるエギアの情報とかある?」
《 出現情報以外、魔物の動きは探れません。追跡については恐らく雨竜に特性があると思われます。追跡に成功すれば地図情報を闇夜の灯火内で共有できます 》
ふむ、技能ポイントの消費無しで敵情報を探ろうとしたけど、やっぱ駄目か。
モンスターの位置がすぐに分かるのは大きなアドバンテージだし俺も欲しいけど、ポイント制なんだしチームで協力し合わないとな。ただでさえ生産みたいな戦闘と関係ない技能をもってるんだしさ。
がららーと口をすすぎ、ぺっと洗面所に吐き出す。そして鏡に写る俺の顔は、いつもより険しく見えた。
あとは他の能力者、それも全身目玉野郎の軍門に下った連中どもだ。
今は空自を動かして現場の上空サポートを徹底的にしているから、そう簡単に妨害はしてこないと思う。蜂の巣にされたければ別だけどさ。
以前の戦いを見る限り、俺の弟子を潰すこと、そして自衛隊の持つ武器が一番の目的だったと思う。厄介なのは俺の位置情報が特定されていることだろう。でなければ不意打ちをかけられるってのに。
「かけたいなぁ、不意打ち」
ぼそっとそう呟くと、眠気に抗いながら俺の頭は回り始める。
警察に拘留されている能力者、あいつが仲間に位置情報を提供している。殺すか黙らせれば安心できるが、そうするのは勿体ない。敵勢力の情報源だし、もし寝返らすことに成功したら面白いことになる。
「うんうん、そういう感じで行こうかなー。といっても警察から協力を求められないと近づけないけどさ」
くあっと大きな欠伸をひとつして、やっとの思いで寝床に潜り込む。布団は少しひんやりしてて、火照った身体に気持ち良い。
「シャワーはいいや。起きたら浴びよ」
しばらくじっとしていると、だんだん布団が温かくなっていく。考えることをひとつずつ止めてゆき、身体の力を抜いて、呼吸もゆっくりと落ち着かせてゆく。
こういう眠りにつくために準備する時間が昔っから好きだった。
明日も忙しくなるんだしさ。
おやすみなさーーい。




