57.闇にまぎれる者
すみません、長らくお待たせいたしました。
バララという重低音が第七避難区域の夜空に響いていた。
見あげればそこにはヘリコプターの黒い影があり、機体から照射ライトが降りそそぐ。それをまぶしそうに見上げる男性は灰色の作業着と帽子を身につけており、頑固そうな皺を強調している。
「主任!」
そう呼びかけてくる者もまた同じ作業服を着ており、胸には「東亰重機」のロゴがついている。
戦前からある企業のため知名度は高く、しかし古い社風によって世界との競争に敗れてしまい、ひっそりと傾きつつある企業だ。もうCMを打つ余裕も無いので、このままひっそりと消えてゆくはずだった。
ヘリコプターからの照射ライトだけでなく、多くの機材によって辺り一帯は深夜とは思えないほど明るく照らされている。それを浴びる2人は帽子の濃い影を落としていた。
主任と呼ばれた彼は、走り寄ってくる眼鏡をかけた若者に顔を向ける。
「どうだ、なにか分かったか?」
「それが……やっぱり今夜から新種が出始めたらしくて、ギズモ、エギアのモンスターが現れるかはまだ不明だそうです」
ふうむと唸りながら年配の者は顎をさする。
彼の見上げる先には大きな建造物があった。周囲を覆う壁は物々しく、どこか近づきがたい印象がある。
ぶううん、というモーターの発電音が辺りに響いており、半径100メートルもの封鎖をしていなければ近隣住宅に多大な迷惑をかけたに違いない。
「これを今さらどかせと言われても無理だぞ。設置にさえ半日をかけたんだ」
「ええ、上も諦めていました。もしここでも新種の大型モンスターが現れたら……」
そう言いながら彼もまた建造物を見あげる。
四方を覆う鋼鉄の壁は高さ3メートルほどあって、またその周囲には無数の電線が交差をしており物々しさに拍車をかけている。
主任と呼ばれた者は、ごりっと頭を掻きながら溜息混じりに呟く。
「そのときは投じた金と時間がパアになる瞬間を特等席で眺められる。超望遠レンズ越しのマスコミよりもずっとな。唯一の救いは私たちの金では無いということだ」
「ええ、はあ、そのときは残念ですがアメリカからの援助も打ち切りでしょう」
だよなぁ、と主任は再びボヤいた。
これはギズモないしはエギアなどの個体であれば、おそらく生け捕りにできる代物だ。壁の囲いは半径10メートルに達しており、過去の魔物出現の予測精度を見て決められたサイズでもある。
そのため新種のことなど考慮しておらず、もしもそいつが現れたらどのような惨事を招くかは分からない。
「まったく変な時代になったもんだ。そろそろ引退を考えていた時期に、漫画みたいなモンスターが出てくるなんて」
「またまた、やめてくださいよ。主任は上からも期待されているじゃないですか」
「期待? へっ、あんな言葉は真に受けるなよ。年を食った私にはちょうど良かったんだ。そこそこの知識と実績があって、失敗したらすぐに首を切れる。退職金をたっぷり減らしてからな」
その彼の言葉に若者は顔を曇らせる。
実際、この仕事は断る者ばかりだった。何が起きるか分からないし、失敗したリスクばかりがつきまとう。国からの依頼の下請けの下請けの……と数えだしたらキリがない。だからこその弱小企業なのだ。
「ではなぜこんな仕事を受けたのですか?」
「ああ、成功をしたら私の退職金がたっぷり増えるからだ。どうだ、なかなか割りの良い賭けだろう」
そう言って肩をすくめる仕草に、若者はしばし考えてから「確かに」と頷く。分の悪い賭けに出るような者ではないし、きっとこれは彼なりのジョークだと思ったのだ。
彼は冗談めかしてそう言ったが、実際のところ海外からの投資が増え始めている。それも馬鹿にならない金額でだ。
まだまだ世の中にはモンスターを馬鹿らしいと言う者は多い。しかし、お金になるのならまったく考え方は変わってしまう。中小企業を中心に、本腰を入れ始めるところも幾つか出始めているのだから、彼の言った通り「よく分からない世の中」になってきた。
「だが、もし大型の奴が出てきたとしても漫画みたいにボカーンとは行かないぞ。これは強度を増した電流柵みたいなものだから、もし強引に壊されたらすぐにショートをする。そうなった瞬間、中の『箱』にモンスターを収めるのもまず無理だ」
ですねと傍らの若者は頷く。
そもそもどのような理屈で予測地点を立てているのかはまったくの不明であり、それは国内外を問わず大きな疑問とされている。
ただ、彼らは技術者なのでそこまで深く考えなくても良い。あくまで作業を全うできれば良いのだ。
「いつも規格外ばかりですね、モンスターという存在は。私たちの常識を易々と破壊する」
「だからこそ学者が食いつく。何が起こるか分かっている実験ほどつまらないものは無いからな。ひょっとしたらこれだって、彼らにとってはたまらない状況かもしれんぞ」
そう淡々と呟きながら帽子をより目深にかぶる。その表情は険しく、元からこのようなリスクなど考えていたと分かるものだった。
「もしものときは諦めるが、ともかく元々の目標が現れたときのために準備だけはしておこう。せっかく封鎖までして、住民に迷惑をかけているんだ」
「分かりました。それと即時の実験中止ができるよう他の者たちに声をかけてきます」
よろしくなと彼に声をかけて、彼は再び壁を見あげる。
出現を告げるカウントダウンが響くのは、それからすぐのことだった。
上空を旋回するヘリコプターは対モンスター用ではなく、マスコミを警戒してのものだ。
異常な状況なのは誰しもが分かっている。いくら情報を抑えても市民からの関心は尚も高く、それどころか日に日に高まり続けている。押さえつけるのも我慢の限界に近づきつつあった。
我慢の限界というのは、空自とマスコミの双方にとってだ。
そんな苛立ちを表すように地上へライトは降りそそぎ、いまだに何者かも分からない存在が現れるのを待つ。
やがてカウントがゼロを迎えたとき、うじゅると地上に闇だまりが生まれた。
『固有名称、エギアを確認!』
おお、という声があちこちから洩れる。
エギアというのは植物タイプの魔物であり、固体の内側に入り込んで操るという特性がある。
これならば施設は破壊されないし、捕獲任務を継続することもできる。そういう意味で彼らは呑気にも笑顔を見せていた。しかし、もしもこの場に後藤がいたら「そういうのはフラグって言うんだぞ」と、彼らとは種類の異なる笑顔を見せたに違いない。結果どうなるかは……しばし眺めていれば分かるだろう。
さて、大型の電流柵にはいくつかの機能があった。
昨日までに発現していた蜂の巣のようなタイプのギズモ、そして今回のエギア、どちらにも対応できるようにしてあるのだ。
先ほどの主任は淡々とした口調で無線機に声をかける。
「プランBを始めろ」
「プランB、実行します。電圧負荷、開始!」
ウゥゥーーン! というモーター音が響き、パチッと青白い火花を放つ。
対するモンスターはというと、うじゃうじゃとツタをのたうちながら体積を増やしてゆく。最初は雑草くらいだったものが、まばたきをする間に大きくなってゆく。まるで植物の成長を早回しで見ているようだ。
壁の頂点にはそれぞれ白いプラグに似たものがつけられている。それがバチチと青白いスパークを生むと、周囲の空気は変わる。
きっと電子レンジに閉じ込められた気分だったろう。エギアは小さく「ギィ」と鳴いたが電気の音に遮られて誰の耳にも届かない。諦めたように彼は移動を開始した。
しかし進もうにも地面は高熱となっており、鉄板に触れると己の身体は白煙をあげる。
狂ったようにガサガサと移動をするが、あらゆる方向が同じ状況だ。あとはもう後方にある「箱」に入ってやり過ごすしかない。
極めてノイズの多いモニター画面を通じて、その様子をたくさんの者たちが覗き込んでいた。
「うーん、躊躇しているみたいですね。箱に入るのを嫌がっている」
「これはただ知性があるだけではないな。動物的な勘でもあるのかもしれん。木村君、出力を上げてみてくれ」
1音階ほど電気の音は高まり、じりじりとエギアは「箱」に向けて後退を始めた。
思惑通りに進んでおり、眺めていた技術者たちは再び笑みを見せる。
「『箱』に入らなければどの道くたばるだけです。我々は選択肢をひとつしか用意していないのですから」
「おっ、なかなか良い傾向だ。『箱』を何度も見ている。選択肢とやらを吟味しているのだろう」
2つの選択肢がいま目の前にある。
片方は焼失して滅びる道。実に分かりやすい。
そしてもう片方は「箱」に収まって厳重な警護のもと移送され、海外でたくさんの実験をされてから平和賞とか化学賞とか何だかよく分からない勲章に変わる道だ。
もちろん後者であればたくさんの人を喜ばせるが、どちらを選ぶかはモンスターだろう。
さて、その結果は――……。
エギアは弱い固体だと思われている。
植物のような形状をしており直接的な火力を持っていないからだ。絞めつけられて殺された者は何人もいるが、それさえも銃の使用を許可されてから被害をほぼゼロに抑えている。
しかも生まれたてのレベル1であれば、脅威度はがくんと落ちる。そこいらを走っているバイクのほうがずっと怖いくらいだ。
だが、ここで思わぬことが起きた。
奴はぴょんと鉄板の上に乗ったのだ。
当然のように全身は火にまみれ、黒い葉の先からゆっくりと舐めるように炎は広がってゆく。まさか己から死を選ぶとは、などと技術者たちは目を剥いて驚いた。
せっかく金と人材をかけたというのに、魔物一匹を倒すだけでは割に合わない。己の将来像をそれぞれ想像していた彼らはがっかりし、一部の者はため息も隠さなかった。
しかし決して最悪ではない。
捕獲できずともこのような設置型施設は、出現場所の決まっているモンスター相手には有効なのだ。試行錯誤こそ人類の持つ力であり、やがては実を結ぶだろう。
その比較的穏やかな諦めの雰囲気が一変した。
なかなか燃え尽きないのだ。
業火に呑まれながらもエギアは反りのある鉄壁をよじ登り、強い電流を浴びて尚も進む。
黒い煤のような姿に変わってゆき、そして鉄柵の頂上で不可思議な行動を取った。全身のツタを伸ばして幾何学的な模様を作り、そして想像を絶する電流を浴びてもピタリと静止をして動かない。
もはやモニターを覗き込む必要は無く、技術者たちはその光景を呆然と眺めていた。
あの行動にどんな意味があるのだろう。その疑問はきっと誰であろうと答えられない。やがてエギアの全身は煤そのものとなり、ざあっと全身を散らす。
風に乗って飛んでゆく姿を、彼らはしばし無言で見上げていた。
実験は成功だったのか、失敗だったのか。
それに答えられる者は一人もいなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
集まった皆それぞれで「どうすんのコレ」という視線を周囲に向けた。
役職はてんでバラバラだし、俺なんて無職だ。でも皆の目はテーブルの端っこでうたた寝しかけていた雨竜に集まる。
「? なんですか?」
「あのエギアがどうなったか、ちょっと探知してくんない?」
はあ、と気の無い返事をしながら雨竜は姿勢を正す。傍らに立てかけていた刀を持ち……って、どこの武士だよお前は。一瞬、暗殺されかけてる坂本さんを思い浮かべたじゃん。
雨竜は「探知の範囲に入っているかは分かりませんが」という前置きを踏まえて刀身を抜く。座りながらの抜刀は居合術に似た雰囲気があり、そして剣術指南を受けていると分かるしなやかな動作だった。
また同時に俺、そして藤崎と斑鳩にしか見えないものも表示される。立体的な地図とでも言うのかな。夜の案内者の機能を彼女は使いこなし始めてるんだ。え、俺は活用しないのかだって? まあ道に困ったときでもあればちゃんと使うよ。
すると、食い散らかした皿の上に広がった地図に、ぽつんと赤い点が浮かぶ。普段見る出現予測とは異なり……。
「なんか、動いてねーか?」
「魔物を表しているのなら、この4つの光源は……」
ピピッという電子音が鳴ると同時に、点の上に文字が描かれる。それはいずれも「Egia」という見慣れぬ英単語であり、俺たちは少しばかり黙りこくる。
うーん、最悪だ。手をこまねいている間というか何というか、風呂入って飯食ってるあいだにエギアがちょっと増えちゃった。1体が4体になり、そして光源はスウッと薄れて消えてゆく。
その理由は、東の空がゆっくりと明るくなってゆく時刻、朝を迎えたからだろう。
見つけたら瞬殺すべきモンスターが、今夜だけで数体ほど紛れ込んでしまったのは失態だ。ああ、俺じゃなくってこいつらがだよ。可愛いは正義って言葉もあるし、超絶美少女の俺は何が起ころうと無罪だ。
なので、先ほどの「どうすんの?」という視線は、自然とゆとり君に集まった。事態の重さにようやく気づいた彼は、久しぶりに冷汗を流す表情をしていた。




