56.夜の会合
「後藤さん」
館内着の姿で過ごしていた俺は、そう背後から呼ばれて振り返る。すると廊下の先には紙袋を手にする男がいた。
ちょうど雨竜に風呂上がりの牛乳の美味しさ、素晴らしさというものを力説していたのだが、珈琲牛乳こそ至高にして究極という態度を決して崩さなかった。くっそ。
「あー、ゆとり君。なにその紙袋?」
「さっき用意をした替えの服です。この時間までやっている古着屋のものですから、趣味に合わなくても返品はお断りですよ」
なんで服? とか思ったけど、そういやそうだ。俺がさっきまで着てたのは酸っぱクサい服(?)になってるんだった。
風呂に入ってようやく落ち着けたってのに、また同じ思いはしたくない。あんなのがこれ以上続いたらトラウマとして皆の脳裏に刻まれちゃう。
「いいよいいよ、別に。というか凄い助かる。幾らだった?」
「たぶん経費で落ちますから気にしないでください」
そう言って手渡されながら、ゆとり君は口の端に笑みを浮かべていた。靴まで入っていたらしくズシッと重いが……なんだろな、その表情は。ちょっと変というか場に合っていない違和感があって、俺の頭にクエスチョンマークが浮く。
んー、これ以上、車に匂いを移されずに済んで清々しているとか?
「まあいいや、それより現場の方はどうだった?」
「それは後で伝えましょう。とりあえず今夜の出現予測への対応は終わったので、雨竜君も時間が合えば一緒に食事でも」
「あ、行きます。明日は会社を休みますので」
おいおい、平然と休みにしちゃったよ、この子ったら。公務であれば休んでも平気らしいけど、あんまり夜更かし癖をつけちゃうと良くないんだよ。え、俺? 俺は別にいいんだよ。だって大人だしニートだもん。いくら夜更かしをしても許される職業だからな。
俺と同じ館内着を身につけていた雨竜は、まだ乾ききっていない髪を横に束ねている。
その感情をあまり表に出さない瞳が天井を見上げた。館内に営業時間終了の音楽が鳴り始めたんだ。あのちょっとだけ寂しくなるやつね。
「じゃ、さっさと着替えようぜ。ゆとり君、さっきの服は車のトランクとかに入れて平気?」
「………………別に構いませんよ」
おほぉ、スッゲー憎たらしい声を出しやがった!
よし決めた、ビニール袋なんかに入れないで素のまま、ありのままの自然体で放り込んでやる。何日かトランクを開けるたびに暗い表情をすればいいさ! ばーか!
なんて思っていたのだが、数分後、さあっと顔を青ざめるのは俺だった。
更衣室で手に広げた衣服は、膝から下が真横に切れていたのだ。しかも股の部分が無い。え、なにこれ。洋服としてちゃんと機能してる? 壊れてるんじゃない?
「す、カー、と?」
そう呆然と呟くと、雨竜は黒タイツを履きながら大きめな瞳をこちらに向けてくる。
相変わらずの無表情さなんだけど、なぜかじっと興味津々の視線が注がれている気がしてならない。
こくっとひとつ頷いてから雨竜は唇を開いた。
「それしか無かったのでしょうね。仕方ありません、営業時間が終わってしまいそうですから早く着てください」
「え、えーー? あるだろう、古着屋ならズボンなんて山ほどさぁ! んもー、なんでわざわざこんなのを買ったんだよーー!」
ああ、これだ。さっきあいつが「にやっ」という変な表情をしていた理由は。
日ごろのウサを晴らしたいのか悪臭への報復なのか、とんでもない代物を用意しやがった。抗いたくともさっきまでの服はこの距離からでも目に染みるくらいだし、営業時間もあとちょっと。
「っかーー、死ねよ! 知ってるか、あいつ初めて魔物を見たときに『ひゃあ!』って女みたいな悲鳴を上げてたんだぞ」
などと言いながらそそくさと履いてゆく。ひゃー、このスカスカ感がほんと頼りない。しかも長袖のニットとかさぁ、縦の縞々線のせいで立体感があって……マジであいつの趣味どうなってんだよ。
「なんだこれ、女装してる気になってきたじゃんか」
「は? 先輩、とりあえず服に負けないよう口紅だけはしておきましょう」
おいやめろ、これ以上俺に恥をかかせるな!
つっても雨竜って本当に人の話を聞かないから、むにっと頬を押さえられて……もう好きにしたらどうッスか?
はぁーあ、おっかしいなー、これでも魔物だか怪人だかをやっつけて、それなりに人助けをしてるはずなんだけどなー。
むぃーと唇を塗りたくられながら、俺は呆れ果てた。
からっとふすまを開けて、黒髪の藤崎、それからイガ栗頭の斑鳩が顔を覗かせた。2人とも背中に鞄を背負っており、背もそんなに高くないから学生みたいだ。
それを迎えるのは仏頂面の俺であり、スカートだろうが気にせず座敷で足を崩していた。
「おつかれー、何か飲むー?」
「はアっ、後藤、さんっ!?」
ぽかーんとされた。いや違うよ、ぜんぜん違う。よくある「男みたいな奴がおめかしして美人になった」とかじゃないから。もっとこう「なんでこんなところにAV女優が?」という表情だから。山盛りの乳をニットで強調をされてるのが俺の視界にまで入ってくるからね。
突っ立っている2人を見かねて、ゆとり君が声をかけた。
「とりあえず今夜の映像を映すから、2人は現場にいて気がついたところを教えてくれるかな?」
「は、はいっ! その、これは若林さんが?」
こくりと頷き返す彼に、藤崎と斑鳩はグッと親指を立てた。マジで死ねよ、てめえら!
上着をハンガーにひっかけながら2人は個室を物珍しそうに眺めていた。俺としては本日二度目の飲み屋であり、また無料でお食事にありつける素晴らしい場だ。嫌なのはこの窮屈な服くらいかな。
「もういいから、さっさと魔物どもの映像を流そうぜ」
「そうしましょうか。今夜の出現は7箇所。後藤さんが合流をしたのは新宿区青梅街道沿いの第四避難区域でした」
彼がノートパソコンを操作すると、ビルの屋上から映された夜間の様子が映される。暗視カメラらしく白黒の映像で、その中央にずんぐりとした図体のナッキージャムが浮き出てくる。アスファルトに影が広がって、そこからずるっと手品みたいにさ。
出現予測をされているこいつらは、いつだって人類から待ち伏せされるところからスタートだ。しかし集中砲火を浴びても怯む様子はなく、赤くて丸い目玉でぎょろりと周囲を眺め、防弾性のある黒いラバー状の布で全身を覆ってゆく。
ちょうどそのときお盆を手にした店員さんがやってきて、それぞれに酒が配られてゆく。つまみは刺身や焼き鳥、あとはそれぞれが好きなものを頼むことにする。
やっぱり美味しいなーと思うのは秋の定番、ほっけだ。脂が乗っていて肉厚だし、口に放り込むとぎゅっと旨味が溢れてくる。うひょう、おいしー!
「あー、ご飯と納豆が食いたくなるなー。んで、俺たちが映ってないけど、これはどこのエリアなの?」
「後藤さんが対応をした直後の第五避難区域です。それと先ほど藤崎君と斑鳩君が任務についた第六区域もこれから連続で流します」
ふたつの映像はほとんど同じものだった。集中砲火を浴びるナッキーは、現れたときと同様にアスファルトのなかにズズズと沈んでゆく。ただし今度は黒い水たまりのような跡を残しており、しばらく様子を探ってから自衛隊員が用心をしながら近寄ってゆく。
「……ゆとり君、この映像だれから貰ったの?」
「撮影班を用意していますが、もちろん閲覧権限は皆さんにありませんよ。ナッキージャムは雨竜君の言っていた通り、現れると同時に地中へもぐりました。そのため区域の解放をしておらず、明るい時間に調査および駆除をする手はずです」
ふーん、と頬杖をしながら俺は唸る。
地下ねえ。現れてすぐに倒せなかったのは初めてだったし、時計を見れば時刻は深夜を通り過ぎている。
あのさ、あいつらっていつも夜に来るけど、昼間になったらどうなんの?
《 基本的には活動を停止いたします。自然物に近しい姿となりますが、意思によって動くことは可能です。しかしその場合、大幅な能力制限が課されます 》
へえ、夜までじっとしてやり過ごすわけか。
その夜の案内者からの言葉に、俺だけじゃなくて雨竜、藤崎、斑鳩も分かったような分からないような顔をする。
映像もそうだけど、こいつらに夜の案内者の利用制限はしてないんだよね。そのうち何かあれば考えるけど、今のところは出現予測情報を雨竜に対応してもらったりと楽な道を選んでいる。
「なら昼間の様子もちゃんと確認しときたいな。でも研究所の様子も気になるか。分担するとしたら、みんなはどっちに行きたい?」
そう尋ねると雨竜と藤崎が視線を合わせた。相方の斑鳩は「どちらでも良いっス」という表情で食事を再開する様子だ。
「そうですね、雨竜さんは探知に強いので現場向きだと思いますが、素材の質を見るには後藤さんが不可欠です。現場から何かあったら報告で良いんじゃないですかね?」
「ん、そうしよっか。藤崎はそういう判断が早くて良いねー。取り次ぎはいつものようにゆとり君プロデュースでおなしゃす」
了解と言うように彼は笑みを返し、ノートパソコンに向き合った。残された俺たちはもちろん美味しいほっけや焼鳥を楽しむ時間だ。
最近はこういう夜の会合が増えてきた気がするな。気楽な場だし、ただ会話してるだけで面倒なはずの物事も簡単に進んでくれるしさ。
もうひとつの利点が、普通なら接点を持てない者との出会いかもしれない。
「お、ここかー。なんだなんだ、お客さんを待ってもくれないのか」
がらりとふすまを開けた男は、実戦慣れをしていると分かる顔つきをしていた。身体も引き締まっており、ごく普通のトレーナーが逆に似合わない。きっと彼に合う衣服は軍用のものくらいだろう。
その姿を見て、俺はグラスを置いて立ち上がる。
「やあ、こんばんは。はじめましてだね、夷隅隊長さん」
なに、俺だってスカートとニットがどうしようもないほど似合わない奴だ。どちらかというと無理したAV女優みたいなのだから、にやっと不敵に笑って手を差し出すくらいがちょうど良い。
「お噂はかねがね、エース殿」
目深にかぶった帽子を脱いで、彼もまた凄みのある笑みを返した。
握手を交わす彼は先ほどまで現場を務めていた男、自衛隊で陸曹長の階級にある夷隅さんだ。
うーん、でかいし手もゴツい。どこのプロレスラーだって感じだね。
「へぇ、聞いていたのと大違いだ。普段はそんな可愛らしい恰好をしてたなんてな」
「うっせーよ、ボケ。これは俺じゃなくってあそこの男の趣味だ。ほら、見るからに隠れオタクって感じだろ?」
むっすうと不機嫌そうな顔をして、初対面なのに口調まで崩したのは夷隅さんの現場慣れした雰囲気のせいだと思う。魔物相手に実戦慣れをしているのはお互い様ってやつでさ、身分や立場は違うけど「まあ大丈夫かな」と思ったんだ。案の定、にやっと笑ってるしさ。
その男は靴を脱いで座敷にあがると、ノートパソコンを操作している青年に顔を向ける。
「それで、第七区域でやらかしたんだって? 公安の奴らは何か言っていたか?」
「やらかしたって何だ、ゆとり? そういやさっきの映像でも第七区域は見せていなかったな」
「うっ、耳が早いですね。できるだけ伏せておきたかったのですが……」
いやあ、この面子が揃っていたら隠すなんて無理だろう。
どすんと隣に腰を下ろして、優ぁーしく肩を抱いてやる。それから酒臭い息を吐き出した。
じゃあ、ゆとり君から詳しく聞き出すとしましょうかね。




