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55.源泉かけ流しの湯

 さて、酸っぱい匂いのする俺だったが、なんと鎧を脱いだら匂いがさらにキツくなった。

 目に染みますと雨竜から真顔でそう言われ、だよねえ、俺も臭いもんと真顔で返す。


 一番大変なのは、さっきからハンドルを握ったまま無言のゆとり君だろう。いつもは落ち着いてる感じなんだけど、前にフロントガラスを破壊してからというもの車に関してだけはちょっとだけうるさい。本当に面倒くさい男だよ。


「後藤さん、窓を閉めないでください」


 後部座席の開閉ボタンを押しかけた俺は「へーへー」とおざなりな返事をした。もう寒いってのに風がビュウビュウ窓から入って来るし……なんスかこれ。後藤ちゃんの一夜干しでも作りたいの?

 ついさっきまではエースだの何だの持てはやされていたってのに、今じゃあ生ごみ扱いですわ。


「あーもー、はやくお風呂入りたいよー。ゆとり君、あとどれくらいかかるの?」

「板橋区だからすぐですよ。長く乗って欲しくないのは僕の方ですし」


 ぼそっと何かひどいこと呟きやがったぞ、こいつ!

 ゆとり君も最初のころは可愛げもあったのに、日に日に生意気になってきたしさー。

 そもそもこんなに臭いのは俺のせいじゃない。ナッキージャムなる新種が出て、緊急出動の要請を受けたのだ。そいつを瞬殺するために全力全開の溶解液放射アシッド・レインを放ったのだから、このようにいまだかつてない臭さとなってしまった。


 実際、被害を最小限に抑えたことで俺たちの評価は上がった。これからはさらに期待されるし、今夜みたいな要請も入るだろう。

 そう、こんなふざけた態度をしているが、俺の貢献度はかなり高いのだ。それは魔物の正確な出現情報から始まって、俺にしかできない素材の加工、未知のモンスターの攻略方法を提供するなどと多岐に渡っている。

 だからもっとチヤホヤされて持てはやされるべきなんだ。


 なあ、そうだろう雨竜?

 そう隣に視線を向けると後輩は真顔で鼻をつまんでいやがった。おまけに限界まで俺との距離を開けているし……やるせない、やるせないぜ雨竜ちゃん。


「へっ、よく分かったぜ。お前たちの考えってやつがな」

「ちょっ、窓を閉めないでくださいって僕は言いましたよね!」


 急に声を裏返しちゃってどうしたの? 頭の病気?

 うん、言ったね。確かに言った。だけど応じるかどうかは俺次第なんだぜえ、げははーーっ!


 もうっと車内に立ち込める悪臭――じゃなくって乙女の香ばしさに、2人の「んんん゛ーーっ!」という悲鳴が響き渡った。くっそ、俺まで目が染みて……んんん゛ーーっ、こんなのヤダー! もっとファンタジーな感じになりたいよおーー!


 俺からの叱咤激励が効いたのか車は板橋区をひた走り、目的の場所へ辿り着くのはすぐだった。




 ばたんっとドアを閉じて、俺は「おー」と歓声をあげた。

 駐車場の先には和風の小奇麗な建物があって、提灯がぼんやりと「さやの湯処」という看板を照らしている。昭和風の家屋とか、ぐねぐねした松の木まで飾ってるとかさあ、なんか凄いね!


「へーー、いいじゃん、いいじゃん。おしゃれじゃん。どうしたの、ここ?」

「西岡さんから経費で落とす許可をもらったので、事前にお二人の好きそうな日帰り温泉宿を調べておいたんです。こういう場所で構いませんか?」


 もっちろん構いませんよ!

 すごいなあ、経費ってすごいなあ。こんな場所に無料で来れちゃうんだー。税金を払っている皆さんごめんなさいね、うふふ。

 などと浮かれながら雨竜と一緒にふらふらと宿に吸い込まれてゆく。


 これでも一応とスーパー銭湯らしく、サウナや露天風呂、マッサージやお食事処もある。ちょっと高級感があるなーと思うのは純和風の庭園まで用意されていることか。

 面倒くさい会計とかはゆとり君に任せて、気ままに館内マップを覗き込む。だって店員さんにまで臭い思いをさせられないし。


「おい見てみろ雨竜、岩盤浴があるってよ!」

「ちょ、ちょっと、手を引かないでください。へえ、ふうん、源泉かけ流し……。先輩、あとでこの露天風呂に行ってみません?」

「もちろん行くに決まってるじゃん。うぐいす色のにごり湯かぁー、いいなぁー」


 ぴっと指をさす雨竜に、もちろんと俺も頷く。

 遅い時間なので人もまばらだし、なかなかに趣のある施設だ。きゃいきゃいとはしゃいでしまうのは仕方ない。


 匂いに慣れたらしい雨竜も豪華な館内施設に瞳をきらきらさせているし、お気に召したと一目で分かる。

 ゆっくり楽しんで来てくださいと言う彼の言葉を受けて、俺らはぶんぶん手を振りながら奥に向かった。


「まずは内風呂だなー。さっさとこの匂いを落としたいしさ」


 最近では一日の締めとして銭湯のお世話になっているので、更衣室に入るなり俺と雨竜は手慣れた感じでためらいもなく服を脱いでゆく。

 女同士で恥じらってどうすんだって話だし、くっさい衣服ごと脱衣カゴに放り投げちまおうぜ。


 湿ったタイルをぺたぺた踏みながらガラス戸に向かってゆく。

 ふと雨竜は何かに気づいたのか、ほっそりとした指先を案内板に向けた。


「あまりゆっくりとしていられませんね。閉館まで1時間だそうです」

「えぇーっ! なんだよあいつ、ゆっくり楽しんで来いとか言ってたくせにさあ。さては俺たちがのんびりし過ぎないような店を選びやがったな」

「若林さんは、ああ見えてやり手ですよ。知っていましたか、次の出現場所はこの施設のそばなんです」


 そうなのー? と俺は微妙な顔をしながら戸を開ける。もうっとした湿気に包まれて肌寒さは無くなった。やはり遅い時間とあって俺たちの独占状態なので、気兼ねなくこのまま話しもできそうだ。

 なので風呂用の椅子にべたんっと座り、桶に湯を張ってからタオルを泡立ててゆく。


「そういえば雨竜も魔物の出現情報を見れるんだっけ。毎朝の定時報告とか問題無い?」

「ええ、通勤途中に済ませてます。最近は専用のアプリを使って、場所と時刻を打ち込むだけだからすぐ終わりますよ」


 へえー、そうなんだーと答えながら、ざぼーっとシャワーを頭から浴びてゆく。

 よく見たらこいつも多少は身体が鍛えられているらしく、腕や肩に筋肉が浮かんでいる。前は痩せぎすな印象だったけど、レベルアップに伴って全体的な厚みが増してきた感じだ。


「ってことは藤崎と斑鳩もそこの出現予測の場所にいるのかな。おーい、藤崎、聞こえるかー?」

『はい、藤崎で……っ!? ちょっ、どっ、なんっ……!』


 青い画面がブンと浮かびあがり、一瞬だけ完全武装をした藤崎が見えたけど、すぐにぶつんっと画面が消えてしまう。

 ひょいとモニターを覗き込んでいた雨竜と顔を見合わせて、まあ気にせずに髪を再び洗い始めた。

 これは俺たちの知らないことだが、冷静な藤崎らしからぬドジを現場で連発したらしい。


「ふうん、やっぱ現場の近くで待機しているっぽいな。じゃあ問題が起きたら呼び出されるだろうし、俺たちはのんびり休むかー」

「そうですね。少なくとも露天風呂を味わうまでは出たくありませんし」


 ありゃ、雨竜も露天の魅力を覚えちゃったか。こいつと色んな銭湯に行っているせいか、だんだん前より贅沢になってきてるんだよな。

 いや、たぶん俺もそうだ。会社勤めしているころより伸び伸び過ごせているし、モンスターを好きなだけブン殴れるので楽しかったりする。

 ふと思うのは、以前とはまた周囲の対応が変わってきたことだ。


「素材集めであちこち回るより、こうやって緊急呼び出しされるケースが増えるかもな。いくら準備をしても事故は起こるから、何かあったときのフォローのほうが向こうにとっては有難いんじゃないか?」


 そういうものですかと考えるように雨竜は天井を見あげ、それから真っ白い素肌に湯をかけ流す。桶を置くカコンという音が辺りに響いた。


「私としては現場云々よりもナッキージャムの素材が気になります。見ましたか、あの弾をはじいた防具を。おまけに先輩の酸を浴びても溶けていませんでした」


 そうなんだよねー。強さとしては「まあまあ」だったけど、素材の意味では大注目だ。

 透明な液体で火器を再現したし、身を包む防護服も弾丸を防ぐほどの効果があった。あれを見たら研究所の連中も興奮して眠れないだろうな。


「明日あたり研究所に行ってみるわ。たぶん向こうも来て欲しいだろうしさ」

「わた、私も行きたい、行きたいです! 若林さんに言って公務にすれば、会社も休めるでしょうし!」


 ぺたんと両手をタイルについて、泡まみれの雨竜が近づいてきた。

 ああー、こいつの知的好奇心は病気レベルで半端ないからなー。すごい必死な顔をしているし、肩を掴んで「ねえねえ」と揺すってくるしで、なんだかすっごく面倒臭い。


「……なんなの? 会社つまんないの?」

「え? ええ、もちろんつまらないですよ。ですが、つまらないことを覚えるのも仕事だって先輩が言ってましたから通っています」


 そんなこと言ったっけ? 言ったかなぁー、覚えてないな。

 じろりと冷たい瞳を向けられて、とりあえず「言ったかも」と頷いておいた。うん、言ったわ。間違いない。


「まあいいや。どうせ駄目だって言っても恨まれるだけだしさ。じゃあ明日はお昼に集合な」

「ふふっ、やった! 公然と国家機密の中枢、魔物の研究所に入れるだなんて! ああ、楽しみで今夜は眠れなさそうです」


 おーい、雨竜ちゃん、素っ裸でガッツポーズしてたら風邪をひきますよ。




 さて、女たるもの「スーパージェットバス」という名の湯船があったら、それを試さないわけにはいかない。邪魔する者などいない時間帯ならば尚更だ。


 もうっと漂う湯気には、ほんの少し塩素っぽい匂いがする。そして俺は泡だらけの湯に、ゆっくりと素足を入れてゆく。

 足裏に感じるのは湯の濁流で、洗濯機のように湯がかき混ぜられているのでちょっとだけくすぐったい。


「お、お、おお……っ!」


 いやはや、これは本当に洗濯機だ。勢いがすごいので、金属パイプの手すりに掴まりながら腰まで湯に入れてゆく。

 だけど面白くって、ぼこぼことした猛烈な泡の感触と、その泡自体に浮力があるものだから伸ばした足はぷかりと浮かぶ。


「なんだこれ、勝手におっぱいが揺れるぞっ! くすぐってぇーー!」


 腰のあたりにゴーッと湯が当たるからさ、こそばゆいのなんの。

 にやにやしながら湯に揉まれていると、素っ裸の雨竜から見下ろされていた。


「先輩の匂いも完全に洗い流されそうですね」


 ああ、やっぱり傍目から見ても洗濯機状態だったかー。なら今の俺にはちょうどぴったりの湯船かもな。

 おいでおいでと手を振っても、タオルを片手に握りしめたまま雨竜は動かない。


「それよりも先輩、早く露天風呂に行きましょう。今なら独占ですよ」

「こっちだって独占だよ。後で行くから先に浸かってたら?」


 そう言うと、むっすと唇を不機嫌そうな形にする。

 しばらくうろうろ歩き回った雨竜は、一分後、俺の隣に浸かってた。ゴーッと湯に揉まれているが、びっくりするほど無表情なので絵的に変な感じになっている。


「……おっぱいが揺れません」

「は? なんだって? そんなことよりも、備蓄とレベルアップがだいぶ順調だから、そろそろサバイバルの練習をしておきたいんだ。雨竜はそういうの興味ある?」


 そう尋ねると、大きめの瞳がこちらを向いた。黒髪を頭の上で束ねており、頬に髪を張りつかせている。


「そういうのって、どういうのです?」

「山を歩いて野外キャンプをして料理をしてお酒を飲むやつ」


 そう答えてもちゃんと想像できなかったらしく、雨竜の眉間に皺が浮いた。

 これは夜の案内者ガイダンスの予想だが、そう遠くないうちに日本は立てこもり用の施設を作り始めるらしい。つまり物資の調達ないしは自給自足のできない者から倒れてゆく事態が予測されている。


 もちろん敵は殲滅するつもりだし素材は残らず独占をするつもりだ。

 順風満帆でハッピーエンドを迎えられたら嬉しいけど、そうも行かなかった場合は面倒になる。レベルや素材集め以外にも、今のうちに生き残るためサバイバルの知識をつけておきたい。


 などと伝えてゆくと、だんだん現実味を帯びてきたのか雨竜は上半身を湯から起こす。それから窓の外に指を向けた。


「そろそろ露天に行きましょう。私は知らないことを覚えたいんです。うぐいす色の源泉かけ流しも、生き残るための知識も」


 分かった分かったと俺はうなずいて、うるさくて仕方ない後輩と歩いてゆく。

 ぺたぺた素足で窓沿いを進むとやはり空には綺麗な星空が広がっており、冴え冴えとした三日月も覗いている。

 外への戸をくぐると、ひんやりとした夜気に包まれて、それが火照った身体に気持ち良い。


 肺の奥までたくさんの空気を吸い、それから尻を向けて歩いてゆく後輩を追った。


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『気ままに東京サバイブ②』は、11月29日発売です!
(イラスト:巖本英利先生)

表紙&口絵

コミカライズもコミックPASH!様にて11/27に掲載予定です。
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