52.ナッキージャム②
少しだけ寒いかなあ。
はあと息を吐くと少しだけ白いけど、鎧のおかげでそんなに気になるほどでもない。
あんまり季節感なんて考えずに生きてきたけど、夜の時間が伸びてくるのは感じてた。夜というのは魔物の動き出す時間だ。少し前は違ったけど今はそうなった。危険地域から人は遠ざかり、世間もだんだん慣れてきて、だから辺りに人けはまるで無い。
「だいぶ冷えてきましたね」
そう話しかけてくる女性も、ちょっと前まで大した会話もしない関係だった。いや、今のも別に大した会話じゃないか。
夜のように真っ黒な髪をした雨竜は、どこか以前とは雰囲気を変えつつあるように俺の目からは見える。
例えば抜き身の刀を手にし、その刀身を絶えず脈動させている姿とかな。先端は何かを探しているのか、うねうねと黒いツタのようなものを揺らしてるし、どう見たって普通の女じゃない。だけど背後にはごく普通の雑居ビルがあって、それがなんだか不思議だなと思う。
返事もしない俺へ怪訝そうに眉をひそめ、それからふっと赤い唇をほころばせた。
「先輩、そういう小学生みたいな恰好も似合いますね。冬でもそんな姿の子を見かけます」
「だれが小学生やねん。これは短パンじゃねえ、ホットパンツって言うんだよ」
ぺーんと尻を叩きながら叫ぶのと、どどおと近くの車が縦に飛ぶのは同時だった。それは何度か地面でバウンドをし、火花を散らしながら地球に優しくない粗大ごみと化す。
「……今のは俺が尻を叩いたからじゃないぞ」
まじまじと雨竜は俺を見て何かを言いかけたとき、ざわあと彼女の刀身が大きく蠢いた。来ます、なんて言われる前から分かるって、そんな前フリをされたらさ。
すかさず俊足を使用すると、周囲の光景はブレる。街灯は間延びをし、先ほどあった装甲車の天井に降り立つガコンという音が響く。
「あ、やべ、雨竜を忘れてた」
置いてかれた!というショックそうな顔をする彼女に気づいて、再び天井を駆ける。飛び出せば……そこは夜の空だ。びょうびょうと鳴る風は耳に響き、炎上しはじめる車とアスファルトが目に映り、その先にはラバー状の真っ黒な衣服を身につける何者かがいた。
ぱっと見は、二本足の猪か鯨といったところか。
大きな腕をしており、対照的に足を折りたたんでいて地面に尻がつきそうだ。光沢のある滑らかな外装は、どこか俺たちの装備とは根本的に異なる気がした。
うーん、デカい。外国人のお相撲さんよりもずっとデカい。真っすぐ立ったら5メートルくらいになるのかね。
なんて悠長に観察していられるのは、雨竜への攻撃を食い止めようとする者がいるおかげだ。
――だんっ、ととっ!
華麗なるフットワークで雨竜を背中から抱いて、ちょうど燃え上がった車から遠ざける。おかげで周囲は明るくなり、ついでに駐車禁止区域という道交法を守らなかった奴を罰せられる。大変だろうけど、また最初っからローンを組もうぜ。
たたっとアスファルトに着地をすると、入れ違いで2人の男が駆けてゆく。ちょっと生意気そうな黒髪の奴が藤崎という奴で、そいつは顔をこちらに向けると口元のマスクを指でグイと剥いだ。
「師匠! こいつ普通じゃないですよ!」
ええー、普通のモンスターってどんな奴だよ。分かんないけど、巨大魚とかそういうやつ? そんなのだったら俺だって仲良く記念撮影してバズっちゃうよ?
どうやら二人は先に到着をしており、しばらく戦い続けていたらしい。背が小さくて栗みたいな頭をした奴まで振り返ってきた。
「だから、ヤバいんスよ! こいつ全然武器が効かな……~~~ッ!」
ぶうんとカギ爪のような二本の指先が虚空を貫いてゆく。なんとかジャムとやらの攻撃は遅いが、その代わりにリーチがあった。対する斑鳩はというと、小さいからこその機動力がある奴なんだぜ。
汗をしたたらせながら、たんっとアスファルトを蹴る。その回転を生かして宙で身をひるがえすと、それと同時に藤崎もまた地面を蹴っていた。
こいつらがちょっと面白いなと思うのは、幼馴染という特性なのか何なのか、意図や意思がピタリと合うことだと思う。
ゾキんッ!と、怪物の肘を上下からまったくの逆回転で切り裂いたのは、さすがは同調なる力だ。一度死んでまで身につけた技だからこそ、レベルに合わない強さがある。えっへっへ、さすがは俺が師匠をしているだけはある。
しかし相手は先ほど聞いたとおりのモンスター級だ。断つことが出来たのはごく一部であり、「いてて、切られちゃったよー」という素振りで肘をゴシゴシさすると、黒い粒子を残して穴は完全にふさがった。
顔まで覆っているので、そいつの表情はあんまり分からない。豚とよく似た鼻があって、クン、クンクンと辺りの匂いを嗅いでいる。
そして、反対側の手には迷彩柄をした者をムンズ握っていた。力の無い手足や出血を見る限り、もう生きてはいないだろう。
んーー、俺みたいな継続治癒持ち?
《 固体名、ナッキージャム。別名、好事家 。生息する個体数が少ないことから資料は不足していますが、細々と地中に身を潜めて生きる魔物です。危険度はそう高くないという報告があります 》
そう無機質で男か女か分からない声が脳裏に響く。こいつは夜の案内者という存在で、いまこの場にいる四人がそれを聞いていたりする。
正体が何なのか分からないし、どうして俺に宿ったかも正確には分からない。もしも国のお偉いさんから「それって何なの?」と尋ねられても「さあ」としか答えられんよ。だって知らない世界からやってきた奴で、姿も形も無いんだもん。
あのモンスターや夜の案内者、それに俺たちを強化する技能、どこかに隠れて出て来ない能力者たち、闇夜の灯火、死者を蘇生させる力とか何とか、なんもかんも俺には分からない。いや、この日本がこれからどうなるかさえ、今となればもう誰にも分からない。
だからこそ雨竜を地面に下ろした俺は、ばっと両手を開いて見せた。
「ウェルカム東京! よくこんな狭くて何も無い国に来たなあ! 短い滞在時間だろうけど、ぜひアイラブ東京と叫びながら帰ってくれよ!」
そう大きくて明るい声を出すと、モンスターだけでなく遮蔽物に身を隠す自衛隊員らも注目をした。
かつこつと上げ底付きのブーツでゆっくりと歩きながら、何をしでかすか分からない笑みを俺は心がける。いやもちろん、こんな表情や雰囲気はただの気分だよ。
というよりも、俺の国に来てまで主役づらをされるのは、ちょっとばかり腹が立つんだ。お前たちは雑魚なんだと早く思い知らせてやりたくてたまらない。
俺の周りには分からないことが一杯ある。
バキバキと上腕の筋肉を膨らませるナッキージャムを眺めながら、俺はそんなことを思う。
分からないことで一杯だけど、ひとつだけ分かったことがある。
人間とモンスター。たぶん今は生き残るために戦っている最中であり、これからずっと、何が何でも勝ち続けなければならないんだ。
それは俺だけの力では足りないし、全員協力をしてくれとは思わない。だが、勝つためならば俺は何でも使うし利用もする。
「たとえばこういう風にな、っと」
丸太のような腕をぎりっぎりでかわし、人差し指をそいつに向ける。背後からもの凄い轟音が聞こえてきたし、ぶわっと脂汗が浮かぶけど気にしないぞ。
引き金を絞るように指を動かすと、シュパッという音を立てて爪が飛ぶ。そいつはそのまま防護服で覆っていない鼻の穴に吸い込まれて、かすかに突き刺さる音がした。
じゅわああーーっ!
もうもうと上がる白煙は酸性と分かる酸っぱい匂いをしており、たまらず「ん゛ん゛ん゛ーーっ!」とナッキージャムはべたんと鼻を押さえて唸る。
えへへ、そいつはゴミ虫みたいなモンスターを再利用したやつなんだ。安心しろよ。もうすぐお前もちゃーんと人類のために再利用してやるからなあ。
いやもうほんと「ちょっと待って」と言う風に半身になられるとさ、ニヤニヤしてたまらんって。
俊足を2歩ぶんだけ消費して、たたんっと奴の膝に乗る。すぐさま剣……じゃなくって右脚をぐわっと持ち上げた。
なーんかさあ、こいつの場合、打撃のほうが通る気がしない? 弾とか剣は防ぐらしいし、ちょっとだけ試してみたい気分。
奴の指はマグカップぐらいの太さがあって、構わずそれごとズドンと喰らわせる。数本ほどへし折って、衝撃はそのまま頭部にまで達して奴はのけぞった。
「なんか変な感触だなぁー……うん?」
ちょっとだけ気になったのは、左手でムンズと掴んでいる自衛隊だ。もちろん大量の出血を見るまでもなく彼は殉職しているのだが、こんな変な女から襲われているというのに手離そうともしない。後生大事にお人形を手にしているみたいな感じ。
んんーー…………なんで?
と、そのとき「へんっ、へんっ」という変わった音が頭上から響く。どうやら奴は鼻がくすぐったいのか、今すぐにクシャミをしたいらしい。そうと気づいたときには「ヘブシンッッ!」という、周囲のシャッターが一斉にたわむほどの盛大なクシャミをした。
きったねえな、このゴミモンスターが! 鼻の穴に花粉を山ほど詰め込んでやろうか、などと文句を言いながら俺はアスファルトに尻から落ちた。
「んぎゃっ! ぐうー、尻がいでえー……ん?」
その直後、マスクをはがすようにナッキージャムは口元の覆いをはがし、嘔吐するような前傾姿勢となる。そして髭の生えた丸まった口をぽっかりと開けて……どろぉぉーーっと何かを吐き出した。
それはアスファルトに落ちてゆき、透明で粘着質な水たまりを広げてゆくが……えぇーーっ、なにしてんのコイツ! 水あめみたいで甘ったるい匂いがして気持ち悪いんだけど! 尻もちしたまま、ずざざあっと後ずさりしちゃうレベル。
うわあ、あ、あーー、もう本当に蕁麻疹が出るほど気持ち悪いなこのクソモンスターどもは! さっさと素材よこせやボケえ!
さて、一方のちょっと変わった現役OL雨竜はというと、戦いに加わるでもなく己の黒刀をじっと見つめていた。
周囲は徐々に戦闘の激しさを増してゆくが、しかし真冬のように冷たい瞳は変わらない。彼女の視線の先には、ざわざわと黒いツタのようなものが刀身を流れており、尖った刃先にまでそれが続いている。
「…………」
その先、流れてゆく黒い粒子はさらに向こうにある夜空まで続いている気がしてならない。
この刀の名は闇刈一文字と言い、魔界に生息する植物エギアから生み出されたものだ。
異なる世界において呪われた品と断定され、破棄されていることなど彼女は知らない。まさか遥かな次元をまたいで「果てなき探究者」なる称号に目覚めるなどとは、恐らく魔界の植物でさえ思いもしなかっただろう。
いや、もしかしたらここが始まりなのかもしれない。
雨竜の持つ異様なまでの知識欲、探究欲によって、徐々にその真価が現れようとしている。じいいと見つめる瞳の先で、誰もがまだ知らない力は目覚めてゆく。
「ふふ、あと2体……いえ、あと5体は欲しいわね。あなたのお友達が」
そう語りかけるのだが、なぜか相手はどこにも見当たらない。やや遠巻きに青白い顔色をした藤崎が、心配そうに彼女を眺めているくらいだ。
何か掴めたものがあったのだろうか。
きゅ、と雨竜は刀を翻して、迷うことなくそれを地面に突き刺す。
柄を脇に挟んで、ぐっぐっと体重を預けてさらにアスファルトの奥へと埋め込んでゆく姿は、どこか異質なものだと周囲の目からは映る。
そうして戦いの火ぶたは落とされて、人口34.7万、延べ面積18.2キロ平方メートルに及ぶ新宿区の壊滅は始まった。




