49.楽しい合コン①
「こんばんはーー!」
爽やかに笑いかけてきたのは、席にずらっと座るスーツ姿の男たち。この4体はモンスターではないので、残念ながら討伐は許されない。
社会人になりたてと思わしき真新しいスーツ。顔は普通なのに髪型だけはしっかり丁寧に整えているノリは大学生に近しい。
「こんばんは、初めましてーー」
彼らを迎え撃つのは対面に座る女性たちであり、こちらもこちらで就業中とは打って変わって「きゃるん」という擬音が似合うほど猫を被っている。アクセサリーもお化粧も整っており、まさに万全の臨戦態勢だろう。
そんな彼らを眺める瞳は、長いまつ毛で飾られていた。整った目鼻立ちには品があって、背の低さと大きな瞳によって少女めいた雰囲気もある。真っすぐの黒髪と華奢な身体つきも、その魅力をさらに高めていた。
しかしいま、台無しになるほど不機嫌そうに顔を歪めている。いや、彼女は普段から表情に乏しく、人によっては睨まれていると感じるほどらしい。もちろん先ほどの明るい挨拶にはたった一人だけ加わらなかった。
「はあ……」
そうあからさまに嫌そうな溜息をする。人を正しく認識できないという欠点があるため、ひととおり状況を把握するまでに時間がかかるのだ。
これはいわゆる「合コン」なるもので、非常に下らないものだと思っている。かけた労力に見合わない分析結果となり、先ほどのため息が出てしまった。もちろん一斉に交わされる祝杯のコールにも、冷たい瞳を向けるだけで微動だにしない。
そんな様子を見かねたのか、一人の女性が話しかけてくる。
「雨竜ちゃん、ごめんねぇ。急用で抜けた人がいて、どうしても人数が足りなかったの」
両手の指先を合わせて、そう申し訳なさそうな顔をする人がいた。雨竜と同じ職場の人ではあるものの、まだちゃんと名前も覚えていない。
「……助けて欲しいと言ったのは、まさかこれのことですか?」
そうなのー、と髪の毛を亜麻色に染めた女性は「言ってなかったっけ?」という表情をする。
優しく笑いかけてはいるものの、表面だけの笑顔というのはすぐに分かる。化粧直しの時間さえ与えず、また端っこの席に配置させているのは「出しゃばるんじゃねーぞ」と告げているのだろう。
しかし男性というのは極めて単純な生き物でもある。目鼻立ちの整った雨竜は周囲からやや浮いており、それが視線を引き寄せる。
姿勢正しくまた清潔感の漂う異性など、普段の生活ではあまりお目にかかれない。そのため不機嫌そうなトゲトゲしい気配を漂わせていても、彼らを遠ざけるには至らなかった。
「…………」
いつも口数の少ない雨竜だが、今夜はさらに少ない。安い料理と安い酒、そして徐々にテンションを高めてゆく彼らがいては不機嫌になるのは仕方ない。
会話の流れも分からないし、笑うポイントも分からない。そもそも笑ったほうが良いのかも分からない。だから窮屈な思いを彼女はしていた。
「…………」
コップを傾けると、からんと氷が鳴った。
酔うのは嫌いではないが、人前で飲みたいなどとは思わない。あれはもっとリラックスするためのものであり、誰かと一緒に味わうものではないと思うのだ。
しかし、ふと思う。
少し前の自分なら、こんな気持ちにならなかったのでは、と。
後藤、そして新人の斑鳩君と藤崎君。気がついたら彼ら彼女らの顔や声をしっかりと認識していて、まるでモノクロ映画のなかに鮮やかな花が咲いたように感じている。
そう、あれは凄かった。感動したと言っても構わない。
人を認識するって、あんなに凄いことだなんて思わなかった。すぐ近くで後藤は無邪気に笑うし、その眩しさにつられてつい私も笑ってしまう。一緒に泣いてしまったし、皆と抱き合ったりもした。当時を思い出すと、いまだって胸が熱くなる思いだ。
あんなのを知ってしまったら、もっと期待をするに決まっているじゃない。などとわずかに頬を膨らませながら、雨竜はアイスティーのストローを吸った。
そう、モンスターが現れるのと同時に、己の世界もまためぐるましく変わった。
誰にも言っていないけれど、毎朝、期待で胸をどきどきさせながら目覚めている。
友達と待ち合わせをするなんて想像もしなかったし、自慢の武器を見せ合ったり、モンスターの攻略について話したり、見たことも聞いたこともないものばかりが出てくるとは思いもしなかった。好奇心がどんどん高まってしまい、これでも眠るときは一苦労なのだ。
――ああ、楽しいな。こんな日が来るだなんて思いもしなかった。
彼らを思い出してわずかな笑みを浮かべたのだが、それは一瞬で消え去った。すぐ目の前に男が腰を下ろしたからだ。
「やあ、雨竜ちゃん、だっけ? 元気ないみたいだけど、どうしたの?」
「…………」
べったりと肩に触れてくるような声を聞き、自然と眉間のあいだへ皺が生まれる。
ウィスキーグラスを手にした彼は、もちろん初めて聞く声だ。その割には馴れ馴れしく、不快感がゆっくりと高まってゆくのを感じた。
彼らの会話には驚くほど好奇心が沸かないし、きっとそれが自分の行動原理なのだと思う。
人を認識できないし、興味ないことが出来ない。それは普通の者であれば社会生活に支障があっただろう。
しかし、今の雨竜はさほど困っていない。興味のあるものがたくさんあって、楽しみを見出しているからだ。
あれやこれやと男は自慢話をするが耳には一切入らず、安い酒の味だけが舌に残る。そのため早々に酒を頼むことは諦めた。
幸いなことに支払いは男性たちがしてくれるらしい。あとは黙っていてくれたら良いのだが、などと雨竜は思う。
男女の営みというのは種を残す意味で重要なのは知っている。しかし今のところ興味が無いのだから仕方ない。
それよりもと視線を横に向けると、壁掛けテレビにはモンスターについて語り合う専門家らが映っていた。モンスター出現というのは大々的な事件なので、このような場にも情報源として設置する店が増えてきたらしい。
まずはこの下らない場にいる唯一の利点、「女性は無料」なるものを活かすとしよう。
届けられたミートソースの生パスタを咀嚼し、ぺろりと唇の端を舐めながらテレビの会話に集中し始めた。
あれが初めて日本に出現してから一か月ほど経った。
これまでに2度ほど奴らは大規模な活動をしており、いずれも満月の時期だった。そのような状況であろうとも彼らは合コンをするし、気分次第ではより深い関係になりたがる。改めて人間とはたくましい生物だと思う。
さて、自称専門家は数え切れないほどいるが、話題はだいたい3つに分けられる。
モンスターはなぜ現れたのか。
何を目的にしているのか。
そしてこれからどうなるのか、という点だ。
いずれも答えなど導き出せないが、それらしい説得力のあるもので締めくくる。
血を映さない派手な映像で目をひきつけ、そして重要な情報を隙間に混ぜてゆく。
刑事の知り合いに聞いた話だが、あれは情報を刷り込むというテクニックらしい。注意というのは興味を引いてからでなければ大した効果が無いそうだ。
紅茶をストローで吸い、やや大きめの瞳を瞬かせる。
そこには鎧を着た女性の姿が映っており、すぐ隣には黒髪を伸ばした女性もいる。かなり遠方から映しているらしく、周囲に火災も発生しているため精度は低い。しかし見る者が見れば後藤、そして雨竜だと気づくだろう。
モンスターを相手に女性が第一線で戦うというのは、さすがに目立つ。女性に戦わせるだなんて、などと政府を批判する声もあれば、何者なのか知りたくて堪らない者もまた多い。
一番大変なのは、彼女らの面倒を見ている若林という青年だろう。後藤もそこまで正体を隠す気が無いため、代わりに色々と手を回しているそうだ。
などと考えていたときに、テレビを遮るように男の顔が現れた。
「雨竜ちゃんってすごく可愛いね。ちょー俺の好みだけどさ、やっぱ彼氏とかいるの? もしいないんなら、立候補してもいい?」
ぴっと親指を己に向けている様子へ、雨竜の表情はさらに無表情なものへ変わる。
普通であれば笑顔でやり過ごすべきだが、雨竜にとっては興味の無い相手にはとことん興味が無い。ちらりと彼を眺め、そしてナプキンで唇をぬぐってから口を開く。
「この状況でセックスをしたがるだなんて、すごい余裕ね。感心するわ」
きわどい発言を受けて、がたんっと男は中腰になった。
周囲から一斉に視線を浴びる雨竜だが、そんなもの微塵にも気にしない彼女は「お替りをお願いします」と店員に皿を差し出す。
最近はどうも燃費が悪いというか、夜間の活動が増えてきたせいで消費カロリーが多い。
それは一緒にいる者たちのせいでもある。後藤を筆頭に、新しいメンバーである男性らもよく食べるため、ついつい釣られてしまうのだ。
目の前の男性もようやくショックから立ち直ったらしく、ぎこちない笑顔を取り戻して再び口を開く。
「い、いやぁ、可愛いのに凄いこと言うんだね。びっくりしちゃったよ。ほら、みんな固まっ……って、なんで俺を見てんだよ、そんなんじゃねーって!」
どうだかなー、と同僚らはあからさまな疑惑の表情を浮かべる。そして「お前の顔がエロいせいだ」「このセクハラ顔」などと騒ぎ立てられ、場は再び盛り上がってゆく。
にぎやかな雰囲気のおかげで男は調子を取り戻し、不意打ちのように雨竜へ顔を寄せる。そして周囲に聞かれないくらいの声で囁きかけた。
「雨竜ちゃん、そっちに興味深々だった? 俺、かなり自信あるよ」
それを聞いた瞬間、雨竜の瞳は氷よりも冷たいものに変わる。
モンスター出現時のように周囲の気温は下がり、ただのOLなどとは思えない雰囲気に男は冷たい汗を流す。
表情を見る限り、恐らく彼女は「この下らない場を破壊してやりたい」などと思っているに違いない。しかしその考えは後藤なる粗野な女性とあまりにも近しいためか、追い払うようにふるふると頭を振る。
その代わり取り出したのは携帯電話であり、周囲の目など気にもせず何者かへ電話をかけた。
「……はい、はい、無料らしいです。ご近所ですからぜひ来てください」
そうして何者かと会話をした彼女は「これで良し」と満足したように、ピッと電源を切る。
この賑やかな合コンの場に、一体なにを呼び出したのか。その疑問はあと十分ほどで分かるだろう。
自分で破壊できないのなら、破壊できる人を呼べば良いじゃない。
などと雨竜はつぶやいた。




