44.命を燃やせ②
深夜4:00前、都内住宅街――……。
夜露で湿った屋根には複数名の影が見える。
じり、と縁に立つのは近代的な装備をする男性だった。暗視スコープ付きの自動小銃でのぞき込み、警察関係者と分かるロゴをプロテクターに刻んでいる。
もう一名も隣に控え、同様に銃口を路地に向けていた。
この住宅地は高台にあり、深夜になっても都内の輝きを一望できる。しかしこの一角だけは停電をおこしたように照明を落としている。
店はシャッターを閉め、道路には車一台どころか路肩に停めた車さえ見当たらない。シンと辺りは静まりかえり、計16名の武装した者たちが同じ方向を睨んでいる。
その様子を眺めていた藤崎は、ふと背後を振り返る。都心の明かりはいつも通りの光景で、魔物なる存在が現れる前と何ら変わらない。
この一角だけがおかしくて、他の人たちは楽しく過ごし、また眠りについている。まるで世間から取り残されたみたいだ、と藤崎は思う。
彼にしてみれば人生を左右するほどの貧乏くじを引かされた思いだった。
『魔物出現予測まで残り30秒。各自、駆除の手順を間違えるなよ』
そう無線の声を受け、藤崎、斑鳩は表情を引き締める。
手にした武器、夜のような色をした剣は師匠に造ってもらったものだ。研究機関に貯蔵された素材は、魔物を討つための武器として生まれ変わった。どのような理屈なのかは研究者どころか本人さえも知らないと言う。
しかし頼もしい武器だと感じるのは確かで、ぎうと力強く握りしめた。
先ほどの連絡で聞こえて来た「駆除の手順」とは至極簡単な内容だ。
暗視スコープで観測をし、まず魔物のタイプを調査する。移動する恐れのあるエギアであればすぐさま蜂の巣とし、逆に「巣」を張る性質を持つギズモであれば藤崎、斑鳩の出番だ。
その理由として、上層部は出来るだけ実弾の使用数を減らしたいと考えている。市民の不安感を煽りたくないし、そもそも国内で武器を扱うのは法律の面で非常に厄介なのだ。
魔物退治ができたとしても、党を解散させられるハメになりかねない。
だから後藤、雨竜、そして新人の能力者である藤崎と斑鳩は期待されている。これから人員が増せば、新たな対抗策として本格的に組まれる可能性だってある。
ただし難しいのは先に挙げた2名、後藤と雨竜が「ほぼ民間人」という点だろう。既に手離せない状況になっており、さりとて関係者だと公にも出来ない。困ったあげく「現場にたまたま入ってきた人」として扱われているらしい。
ひどい話だとボヤきながら、藤崎は喉元の装甲をわずかに緩める。移動車両で感じた息苦しさは今も変わらず、ぐるりと視線を現場へ戻す。
「もしかしたら俺が警察側を指揮するようになるかもしれない」
そう根拠もなく藤崎はひとり言を漏らした。
ここ連日の出勤によって、レベルは5まで上がっている。隣に立つ斑鳩は直感的であり、思わぬ戦闘力を見せつけるものの、冷静に状況を判断できる知性を師匠は求めている。
必ず二人組にさせているのも、機動隊連中と絡むようにしているのも、将来的な配置を見越していると考えて良さそうだ。
「あの人は、ああ見えて狸だからなぁ」
グイと口元に覆いをつけながら、そう漏らす。
「師匠のこと? 狸ってよりかは――妖怪?」
「ははっ、違いない。だけど絶対、本人には言うなよ。もしそんなことを言ったら誕生日も聞き出せないぞ」
たらりと斑鳩は冷汗を流し、それから発言をごまかすように頭部まで装甲で覆ってゆく。
頭から足の先まで闇礫シリーズに包まれて、めき、みし、と身体が膨れ上がってゆく。剣術士を開放したことで、常人を大きく超えた力を感じる瞬間だ。
「夜明けも近いな。早いとこ魔物を始末して、師匠と合流しよう」
「ああ、そうだな」
その斑鳩の返事に、笑みを浮かべる己がいた。
数日過ごして分かったが、彼女らと一緒に仕事をするほうがずっと楽しかった。機動隊相手も気さくで良い人たちだが、後藤と雨竜のやりとりを聞いているだけで緊張感も薄れる。
その後の食事会も賑やかで、あの輪にまた戻りたいと感じたのだ。少なくともこの息苦しさからは解放されるだろう。
「時間だ」
かちりと秒針は0の位置を示し、無線連絡を静かに待つ。
街灯の降りそそぐ路地まで50メートルの距離があって、そこに魔物が出てくるらしい。やがて周囲に闇色の風が舞い、うじゅると嫌な音をひとつ立てる。
『ッザ――……ギズモを確認』
ノイズ交じりの無線を受け、藤崎と斑鳩は一歩を進む。
手筈通り2人の剣で倒し、周辺地域への被害を最小限にする。生まれたてであれば当然レベル1であり、互いに二度くらい切りつけるだけで終わるはずだ。
「藤崎、斑鳩、行きます」
『Kエリアの駆除を開始。各自、状況から目を離すな』
剣術士を開放している彼らは、わずか数歩でトップスピードに乗る。びょうびょうと耳元を風が流れてゆき、頭上や周囲からいくつもの視線が向けられていると感じる。
正面には電柱にべったりと張りつく「巣」があって、数匹の虫が飛翔し始めるのが見えた。
「高さがある。届くか?」
「勢いをつけて蹴れば平気」
頼もしい返事に頷き返し、再び藤崎は加速をし……始めたところで異音に気づいた。
がん、ごっ、ごっ、と響くのは頭上であり、それは民家の屋根だった。走りながら音の出どころを見あげると、遅れて何かが降ってくる。
黒くて金属質の何か――銃だ。
なぜあそこから銃が降ってくるのかと疑問に思い、再び見上げると今度は人が降ってきた。それは機動隊の制服に身を包んでおり、胸元をべったりと赤黒く染めた様子に目を見開く。
「なんっ……! 上で何かが起きているぞ!」
足を緩めながら慌ててそう叫ぶ。
ギズモは照明などの明かりで興奮する性質があるため周囲は暗い。飛び交う無線の声は、状況をなかなか掴めない混乱を伝えてくるかのようだ。
《 武装兵が倒されました。ギズモのレベルが上昇します 》
夜の案内者の声にまたもや驚かされる。
目の前でビクンと震えたのは先ほど降ってきた機動隊員であり、その頭部をギズモがうじゃうじゃとたかっていた。
そのおぞましさに足は鈍り――代わりに斑鳩が弾丸のように飛び出す。
「お、お、おおお……っ!」
気迫を剣先に乗せ、飛翔をした斑鳩は電柱を蹴り、真上へと方向を変える。あの機動隊員は救えないと判断をし、師の言いつけ通り「巣」を狙っているのだ。
これがあいつの強いところだ、と再び駆けながら藤崎は思う。攻撃すべき場所、タイミングを本能で嗅ぎ取る。それは本来あった彼の個性であり、師匠でさえ「面白いじゃん」と褒めた能力だ。
ズズ……と体積を増してゆく「巣」に、黒刃が唸りをあげて迫る。
しかし直前に斑鳩は電柱を蹴って、真横へと飛んだ。
――パパッ! パパパアッ!
粉塵と火花が元いた場所を舞い、藤崎はようやく離脱の意図を知った。信じられないし、考えたくも無いのだが、またも屋根から落ちてくる隊員を見て叫ぶ。
「何者かから撃たれている! 応戦しろ!」
『鈴木ッ! おまえの後ろだッ!』
『うッ、おっ、おおオオーーッ!!』
くぐもった発砲音と、連続的な閃光が屋根の上を染める。
先ほどの師匠の言葉を思い出し、怪しい集団に気づいた藤崎は、すぐさま行動に移した。
「斑鳩っ、物陰に潜め! 弾丸を使う! 師匠、ギズモ出現と同時に能力者らしき者が現れました!」
『……わかった、これから向かう。可能ならギズモを沈めて撤退、無理なら今すぐに後退だ』
了解!と互いに叫ぶ。
それから同時に身を乗り出して、黒剣の先端を夜空に向けた。
――シュドッ! シュドッ!
剣の背に沿って吐き出された弾丸は、ギズモの生体そのままに具現化をする。火花を散らし、宙に放たれた一瞬でトゲを広げ、猛烈な回転力と飛翔力を見せつける。
クロス状に撃ち込まれた「巣」はぶるんと震え、防衛本能が無数の兵隊を生み出した。弾丸とまったく同じ性能を持ち、知覚した2人めがけて降りそそぐ。
「おわっ、うわわっ!」
「斑鳩、盾を使え! こいつらは直線的な動きだから対処しやすい!」
シュカカカッ!と瞬時に部品を組み合わせ、ギズモらの猛烈な破裂音を響かせながらそう叫ぶ。
遅れて盾を生んだ相方を見て、ほっと安堵の息をする。頭上を見あげれば尚も機動隊らは何者かと抗戦をしており、悲鳴じみた無線を響かせていた。
「ぐっ、うっ、重いぃーー……っ!」
しかしそちらを気にする余裕は無い。巣を傷つけられたギズモらが狂ったように降りそそぐのだ。
このまま数を減らせば討伐もしやすくなるだろう。だがそれよりも早く倒せる方法がある。直剣をアスファルトに置くと、藤崎は無線機に唾を飛ばす。
「作戦変更、すぐにギズモの巣を銃で撃て! こちらは妨害を受けており……」
そう指示をしかけた瞬間、バシャンと電柱の上にある街灯が撃たれた。
降りそそぐ破片をわずかに見あげ、今のはたまたまだったろうかと思考をめぐらせる。
いや、先ほど落ちてきた2名は暗視スコープの装備者だった。つまりは最初からこれが目的なのだ。敵の目的はまだ分からないが、魔物の「巣」に機動隊らを集め、そしてこの瞬間に目を潰された。
《 武装兵が倒されました。ギズモのレベルが上昇します 》
ぶわりと汗が浮かぶ。
戦う前に感じていた息苦しさ、窮屈さはこれだった。敵はこちらへの対処法を練っており、その戦場でいま戦っている。いや、戦わされている。
そう彼が危惧した通り、戦況は悪化の一途だった。屋根に身を潜めながら移動を繰り返す相手は、闇の中でも異様なまでの命中精度を見せつける。
混乱に拍車をかけたのは他でもない、魔物だ。暗闇のなか悠々と飛ぶギズモらは、勇猛果敢な機動隊であっても夜を心底恐れるほど装甲に穴を開けてくる。
「まさか能力者が魔物を助けているとでも言うのか!? 何を考えているんだ、あいつらは!!」
戸惑い、そして激しい怒りによって声が喉を震わせた。
ぎりっと奥歯を噛みしめて、すぐさま撤退すべきかを思い悩む。だが、もしそんなことをしたらあの渋谷事変のように「巣」が成体を迎える可能性だってある。まさに時限爆弾のカウントダウンを眺めている心境だ。
「どうする、藤崎! 師匠の言った通り撤退をするのか!?」
「待て、待ってくれ! あのとき師匠は、到着するまでの時間を言わなかった……つまり、間に合わないくらい離れていたんじゃないか?」
あれだけ負けん気の強い人だ。間に合うならきっと「持ちこたえろ」と言ったに違いない。
もしそうなら最悪だ。ビデオで検証した限り、成体を迎えたギズモは生命を求めて動き出す。今は半径100メートルを封鎖しているが、その範囲外に向かってしまう可能性が極めて高い。
本部への応援を求める機動隊が、ヘルメット越しに撃ち抜かれるのを見ながら思い悩む。カカンッと乾いた音を響かせ、頭部と顎から血を吹き出させる様子をどこか冷静に眺める自分がいた。
――今夜、ここで死ぬかもしれない。
ギズモは既にこちらと同じレベル5を迎えている。冷静に考えると死ぬ可能性がかなり高い。己だけでなく、生涯のライバルと誓い合った幼馴染までもが。
しかしそれでも藤崎は、思い切り剣を握りしめる。指の隙間から血が垂れてゆこうと構わずに。
「ッ……! いッ……! 斑鳩、もしも師匠だったら、この場から逃げると思うか?」
「まさか。どんなに最悪な状況でも、最高の一手を指してくる」
だよな、と互いに伏せた状態で笑みを浮かべ合う。
彼が言った通り状況としては最悪だ。銃撃を受けるなど想定をしていなかった為に裏をつかれ、今も屋根からはガラガラと無数の薬莢が降ってくる。
しかしそれでも身体の内側から燃え上がるものがあった。
それは何だと尋ねられても、きっと何も答えられない。だけどそういう時がある。男ならば誰しもが持つ、負けられない戦いへ望む決意なんだ。
ごうと風に髪をたなびかせ、2人の男らが立ち上がった。
「やるぞ、斑鳩。魔物、能力者の優先度で斃す。俺たちのすることに逃亡は無い」
「ぶっ殺そう、藤崎。僕らがこれまで培った剣術は、この日のためにあった」
意識せず、忠誠を誓う騎士のように剣を捧げる。脳裏に浮かぶのは互いにまったく同じ人物であり、瞳までもギンと鋼のように輝きを増す。
切っ先鋭い黒剣に負けぬほど凄みのある笑みを浮かべ、これから決闘でもするかのよう互いに剣を向けあう。
その意図も、その意思も、声に出さずとも通じ合う。なぜかここから先は言葉さえも不要と思えるほど、高揚する己自身を感じていた。
《 称号、同調を得ました。これは藤崎、斑鳩の両名に付与されます 》
かはっと笑った。容姿も性格もまったく異なるというのに、昔から双子のようだと言われ続けてきた。その称号には今まで生きてきた年数が凝縮されていると思えたのだ。
そんな彼らを冷ややかに見下ろす長髪の男性がいた。
能力者として目覚め、またこの日本を新世界と呼ぶ者。かつて後藤と対峙をし、危険人物だと互いに断定しあった仲だ。
軽薄な笑みはそのままに、静かな声で話しかける。気がつけば周囲の銃撃はすでに止んでおり、ひとつの戦いが終わったことを告げていた。
「お前たちだな、あの女の手がけている兵士とやらは。そう睨まれても困る。こちらとしては手飼いの犬が増える前に、対処をしておく必要があるのだよ」
同時にそれぞれの背後から靴音が響く。全身をぶ厚い鎧で包む屈強な男、そして肩に大剣を担いだ者だ。
彼ら能力者たちの話は聞いている。もう一人の新顔は、恐らく逃亡の際に車を運転した者だろう。
しかし、ふいと顔を逸らすと、藤崎と斑鳩は互いに歩み始める。藤崎は下段へ、斑鳩は上段へと闇色の剣を構え、型も体形もまるで異なるというのに鏡合わせを見るようだった。
「なんだ、こいつらは。聞こえていないのか……?」
「っへ、あのクソ女と同じように頭からっぽなんだろ。無駄に回復されるのも面倒だ。お前の剣で、さっさと脚を切断するぞ」
大男の言葉に無言でうなずき返すと、猫背のまま大剣をかついで走り出す。髪は背までの長さがあり、面覆いから三白眼を覗かせている。
しなやかな筋肉をしていると分かる動きで、どどっ、どどっ、と肉食獣めいた動きで駆けてきた。
しかし藤崎らは一瞥もくれず、放たれた矢のように駆け続ける。
やがて交差をする瞬間、夜気が刀身に渦を巻き、獣のような相貌で、野太い男の声を放った。
「う、お、お、おおお……ッ!」
「あ、あ、あああーー……ッ!」
その気迫を感じ取ったように、後藤の生み出した鎧はメキメキと膨れ上がる。互いに互いへ斬りかかるよう闇礫の剣が閃くと、その場にあった建造物、ギズモの土台であった電信柱を真横へ割り……直後に二人の脚が左右から叩きつけられる。
――ぐしゃあっ!
無数に飛ぶ破片を見て、これが彼らの狙いだったと屋上の男はようやく気づく。
それはつまり、破壊の困難さを生み出している「高さ」を潰し、かつこちらに向けて倒れてくる様子に……!
「なにっ、俺を狙っている!?」
電線を引きちぎり、斜めに傾げてゆく建造物。迷いなく、タタタと駆けてくる姿を見てそう叫んだ。
機動隊から奪った銃で迎撃をしようにも、道中にあるレベル5もの「巣」の向こう側だ。
彼ら能力者もまた敵として認識されており、できるだけ魔物からの怒りを最小限に抑えたい。その葛藤がトリガーを引けない要因となった。
ここからだ。ここから死闘が始まる。




