42.鋼鉄の花
オッケーと了承サインを送ると、チビのイガ栗坊主は勢いよく起き上がった。それから両のこぶしを握り、気合十分な声を響かせる。
「よぉぉっし、やるぞおお!!」
「威勢がいいなー。吹き飛ばされないよう注意するんだぜ、坊主」
「おいおい、こいつらは非番なんだから怪我はさせるなよ?」
馬鹿だなあ、西岡さんは。俺は大人だし、経済力皆無なニートなんだからちゃーんと弁えてるって。分かってる分かってる、この年齢なら喉への突きも解禁なんだってな。
にやっと笑い返すと西岡さんは可哀そうなものを見るように、イガ栗坊主に向けて溜息を吐いていた。
「おっし、やるかー」
「そろって女に負けたら笑いものだ。負けるなよ、斑鳩」
あんだと、てめえ。雨竜に負けたくせして偉そうだな。そう思い、じろりと睨みつけると、藤崎なる若者もにらみ返してくる。
負けん気が強いのは嫌いじゃないなーとか思いながら竹刀を拾い上げる。
いつものと違って軽いしスカスカだし、持った感じが頼りない。そういやお遊び用だったか、と口端に笑みを浮かべつつ正面を向く。
すると闘志を燃え上がらせる男が一人、俺を見ていた。
それを眺め、ちょっとだけ反省をする。
お遊びと考えてたけれど、ピリと張り詰める空気は本物だ。あいつは本気でこちらを倒そうとしている。だったら礼儀の意味でも応えてやらないといけない。でないと相手に失礼だ。
もちろん剣術士は解放しない。ズルになってしまうし、そもそもの目的はこいつの適性を見ることだからな。
俺は防具もつけないってのに恐怖そのものだったらしく、イガ栗君は冷汗を流し、強張った笑みを見せる。
「す、すごい、オーラが漫画みたいに見えるっス! ほ、本気で行きまスからね!」
「え? なに言ってんだお前、ちゃんと目の掃除してんのか?」
おっさんから防具についてとやかく言われないのは、それなりに信用されているのだろう。こちらは剣術士なのだし剣道への礼儀は最低限で構わない。
軽く頭を下げ、そして西岡さんから「始めぃ!」と号令を送られる。
藤崎なる男が「静」であるなら、イガ栗は「動」だった。
タタタと流星のように床を蹴り、しかし身体の軸がそうブレていないのは面白い。などと楽しんでいたら、ぬうっと首元に竹刀の先端が現れた。
おっと、早いし伸びる。
へえと感心しながら上半身の動きだけでかわし、相手の動きをじいっと観察する。型から外れまくっているけど、こいつは一体どこの流派だ。
意識せず、カウンターとして電光石火の一撃を、竹刀の根元に叩きつけていた。それは身体が勝手に反応したに過ぎず、ちょっと遅れてから俺は「あ、めーん。じゃなくって小手っぽい何か」と言葉を足す。
先端が大きくしなるほど叩きつけ、ずざあと奴は板張りの床を滑った。
きっと腕がビリビリ痺れているだろう。険しい顔を一瞬だけ見せたのだが、イガ栗は予想以上にタフだった。
虚をついて駄目ならという風に、キュキュッと床を鳴らして前後への体重移動を繰り返す。
いくら動いても軸がブレないのは面白い。礼儀に反しようが何だろうが直感を選ぶタイプか。実に俺好みだ。
しかし床にポタリと血が滴った瞬間、「それまでっ!」と力強い号令が送られた。
なんだそりゃと俺は肩透かしを受けたのだが、駆け寄る藤崎を眺め、ようやく理解をした。小手を外されると、そこには裂傷があって鮮血を流していたのだ。先の一刀によって既に負傷をしていたらしい。
びっくりして声が出ない。
こんなに脆いのか、という思いだった。
俺はここまで簡単に怪我をさせてしまうのか。
垂れた血は他でもない俺が振るった竹刀によるもので、大した考えもないものだった。
それはとても暴力的なものと感じたし、面白半分に扱って良かったのかと自問自答をし始める。
だけど、肩にどんと当てられたのは西岡さんの拳だった。見上げた彼の顔は、怒るでもなく笑いもせず、ただ静かに話しかけてきた。
「鍛えてやれ。いつかお前が満足するくらいに」
「わかっ、た」
思わずという風に頷いた。
心に深く入り込んでくる声だったし、それこそが一番の詫びになると思ったんだ。
うん、決めた。鍛えてやる。俺のためとかそういう打算的なことじゃなくって、それが良いと思ったからそうする。胸にしっくり来るものがあって再び俺は頷いた。
近づいてゆくと、彼は痛そうに指先を震わせながらも見上げてくる。
しかし瞳には恐怖心など写っておらず、はるかな頂を見るかのようだ。まぶしい思いをしながら、すっと彼の目の前に腰を下ろす。
「……実は俺には癒しの力があってな、イガ栗坊主の傷なんて簡単に治っちゃうんだぜ」
「本当っスか! ぜひ見せてください!」
――斑鳩 新、レベル2。
伸ばされた手を掴むと、そんな情報を夜の案内者は教えてくれる。ステータスやスキルなんてほとんど空白で、しかし貪欲に能力向上へ努めると分かる眼差しをしている。
片や藤井は友人を怪我されたせいか警戒心を持っており、冷静にこちらを見定めようとしている。幼馴染のわりに両極端ではあるが、どちらも正しく、良い姿だと俺には感じられた。
しゅうと煙を残し、彼の怪我は癒える。
尊敬と驚き、そして畏怖。見開いた2人の目は大きく異なっていたが、それから見上げてくる顔つきはどちらも同じだった。
強くなりたい。
職務や仕事などの為ではなく、男として。
そう分かる表情がなんとなく嬉しい。じゃあやってやろうじゃん、俺たちでモンスター退治ってやつをさ。なんて思っちゃう。
「これからは俺が師匠だ。精錬に努め、市民を守れ」
「「はいっ!」」
竹を割ったような清々しい声に、俺は久しぶりにまったく邪気の無い笑みを浮かべた。
後で聞いた話だけどさ、それが可愛かったんだと。2人とも妙に頬が赤いと思ったら、そんなことを考えていたらしい。
ケッ、馬鹿だなーとしか思わない。けどさ、なんかちょっと嬉しいなーとは思ったよ。
当たり前かもしれないけど、藤井と斑鳩はどちらも剣術士を選んだ。剣道をやってたんだし、雨竜みたいに刀じゃないの?とは思うものの、師と同じ流派を選びたかったらしい。
それから何故か俺の誕生日を聞き出し、いつか花を贈るつもりだったとか。
なんで花? 食えないじゃん、とか思うけど、ぴったりのプレゼント品が思いつかなかったんだって。
馬鹿だなー、サバイバルナイフとかで良かったのに。
なんて思っていたよ。
視界がゆっくりと戻ってきた。
朝日が差し込み、埃っぽい匂いを嗅ぎとる。
バタバタ響くヘリコプターの音がうるさくて、周囲から誰かが必死に話しかけていても気づけない。そんな俺は朝日がとてもまぶしくて、うろんな瞳で地面を見下ろした。
大量の瓦礫のなか、そこには確かに弟子たちがおり、背骨まで見えるほどの裂傷を負っていた。震える指先には血がついてて、こいつらのものだとすぐに分かる。
――あれ、なんだこれ?
おかしいぞ、ずっと前のことだったのについさっきみたいに感じるし、なんだかさ、花を持って来てくれそうな気がしたんだよ。俺に似合う花なんて分からないけど。
可愛い奴らだと思ったよ。弟だか何だか分からないけど、そんな感じだと思ったし。まだレベルもちょっとしか上がってないから、思い切り鍛えてやろうと考えてた。
何かを求めて探すよう、指先をそっと伸ばす。
上腕や背中に浴びせられた弾痕と、砕かれた全身の関節。調べるまでもなく、これは人為的なものだ。
だけど2人の目つきは激戦を物語るほど険しいもので、最後まで市民を守り、決して諦めなかったのだと分かる。俺の言葉を守り抜き、戦い抜いた彼らをどう思えば良いのか。
握られた剣は互いに根元から折れ、傷はそのまま背骨に達している。この切れ味からして魔物のものじゃない。あいつらは引き裂いたり貫いたり、もっともっと原始的な技を使うんだ。
こんな風に、こいつらを簡単に殺せたりなんてしない。まだ小さいけど男気のある奴らだったんだ。
あちこちで迷彩服を着た者たちが号令を送っている。服装からして自衛隊かもしれない。ようやく都知事が災害として認めたんだ。
――後藤、お前はこれからの世界にとって極めて危険だと分かった。いずれ排除をする。
フラッシュバックのように蘇る言葉。
それを聞いたのは俺が初めて能力者と戦った日のことだった。
「じゃあ俺を相手にしろよ、カスどもが……」
「先輩、先輩っ、しっかりして下さい!」
すがりついてくる雨竜にも耳を貸さず、俺は血を流すまで、ぎゅうと硬く手を握りしめる。
すごく叫びたかった。ヘリコプターがうるさかったし、全てを消し去りたかった。
でもきっと、そんなひどい状況でも弟子たちは成し遂げたんだ。
見つめる先には羽化が目前に迫るほど大きな「巣」があり、2つの剣がそこに突き刺さっていた。
根元から断ち切られ、ヒビ割れたその剣は朝露を浴びてきらりと輝く。
それを見て、涙が頬を流れてった。




