41.藤崎と斑鳩
やや表情の乏しい雨竜だが、じっとハンバーガーを見つめながら食べる様子は、たぶんお気に召したのだろう。
しかしその咀嚼をぴたっと止める。
怪訝さを示すよう眉はおかしな形に曲がり、そっと唇から摘まみ出したのは……ピクルスだった。
「おい、ちょっと待て。ピクルスはハンバーガー界における名脇役だぞ。探偵アニメにおける全身黒タイツと同じくらい重要だ。分かったらさっさとそいつを食え」
ポテトフライを持ったまま、ビッと俺は人差し指を向ける。無駄に格好つけたポーズで。
そう言いたくなる俺の気持ちもわかるだろう。
牛丼に紅生姜、寿司にはガリ、そしてハンバーガーにはピクルスだ。そんなの俺らが産まれるずっと前から決まってる。いいからほれ、黙って世間の常識ってやつを噛み締めろや。
「…………」
猫みたいな瞳をぷいっと逸らし、もっくもっくとハンバーガーを食し始めやがったよ、このアマは。
俺はアレだぞ、先輩だし年上だし、恐ろしいモンスターも笑顔で狩れる女だよ? 大体さ、言わないようにしてたけど、いっつもおまえ楽してレベルアップしてんじゃねーか。ずるいんだよ、色々と!
「先輩、なんでキュウリにうるさいんですか?」
キューリじゃねーよ、ピクルスだよ! 水分しか無いくせに、青くさい野菜と一緒にすんな!
あん? なんだゆとり君、居た堪れない目で俺を見やがって。
「後藤さん。ほとんどの国で、ピクルスといえばキュウリですよ。あれは酢漬けの製法であって、ピクルスという野菜じゃないんです」
えっ? あっ、そっ……そんくらい知ってらあ! 引っ掛け問題だよ、今のは! 昔っから俺はキュウリが大好きで……チックショおおおおーー!
などと先輩らしい余裕ある対応をしているうち、目的地の警察署へご到着だ。バタッ、バタンッとドアを閉じ、俺らは税金が生み出した地に降りる。
つっても地元からちょっと離れた程度の場所だし、大きめの敷地と建物をしているくらいで普通の場所だ。こうして見上げると灰色の建物ってのは威圧感があるなーとか思う。
ロッカーの並ぶ薄暗い廊下を歩き、通された先は武道場だった。
内装を見る限り、近所の小学生に剣道とか教えているのかもしれない。
ぴかぴかに磨かれたフローリングから、かすかにワックスの香りが漂う。小学校の体育館を思い出し、ちょっとだけ懐かしい思いを俺はした。
俺たちが入室すると先客の者たちは話をやめ、肩を並べて歩いてくる。
ゆとり君は簡単な挨拶を済ませ、俺たちにくるりと振り返った。
「こちらは藤崎君と斑鳩君。どっちも同期なんだっけ」
「はい、小学生のころから剣道をやってる仲です」
「っス、永遠のライバルっス!」
彼らは若手に入るらしく、どちらも年は俺とそう変わらない。非番とあって私服だけど、こちらをじーーっと見つめてくる熱視線は……なんか嫌だ。
そのイガ栗坊主の髪をした方はちょっと背が低く、熱血というかスポーツ大好きって感じだな。もう片方は背が高く、生真面目そうな顔つきをしている。
なんとなく触りたくなって、イガ栗頭をわしっと俺は掴んだ。
「で、どっちも目覚めたんだって? それっていつ?」
「はあ、一週間くらい前の夜ですかね。お前はどうだ?」
「藤崎と同じっス。なんか急に力が漲ってきて、やってやるぞおお、ってなったっス!」
わしわし頭を触っていると、上目遣いでそいつは元気よく答える。なんだろな、すごく触り心地がいい。しゅぱって感じがクセになりそうだ。
などと思っていた時に、がらがら戸が開く。そこには武術をやっていそうな体格の良い男性がおり、こちらに片手をあげてきた。
「よう、後藤。相変わらず元気そうだな。体調はすっかり戻ったか」
「まあね、西岡さん。今日は非番……じゃなさそうだ。スーツ姿が似合ってるよ」
見ての通りだと肩をすくめられ、後ろからもう一人、あの洗剤ブチ撒け作戦を思いついた男性も入館をする。たしか薄木さんって言ったかな。
この人は痩せてて眼鏡をつけてるし威厳はあんまり無い。だけど西岡さんは別だ。先ほどの2名もビッと背筋を整える。
まあ、そんなのは完全無視して俺はイガ栗頭を触ってるけどさ。
「それで、これから能力者かどうかを調べるけどさ、俺みたいな部外者が適当にやっていいの?」
「構わんだろ、どうせ何ひとつとして解析なんて出来ていないんだ。そうだと決めたらそれで決定だ」
あからさまに不機嫌そうな顔をし、どすんと西岡さんは壁際にあぐらをかく。
忙しい身であっても、能力の有無について調べるのには興味があるらしい。そりゃそうか。もし俺が同じ立場だったとしても無視なんてできない。
不機嫌な彼の心情を代弁するよう、薄木さんは困った笑みを浮かべながら口を開く。
「ひどい状況だよ。上の人たちは質問しかして来ない。どうなっているんだ、何なんだ、ってね。だから地域警察への指示もすごく面倒で、わざわざ上を通してから……」
「薄木ぃ、身内の恥をわざわざ晒さんでいいッ! 後藤、準備ができたら始めてくれ」
おっと、ご機嫌斜めだなー。こりゃよっぽど上とやりあってんな。
無理もないと思うのは、たぶん俺という存在のせいだ。彼らにだけ魔物の出現情報を伝えているせいで、結果的に特別視されている。
こうして公然と協力者Aが現れたってのに、身内以外に誰も招いていないのは俺を隠したかったんだろう。いや、守ろうとしてくれてんのかな。
ありがたいけどさ、もっと互いに利用しあっても良いと思うんだけどね。
まあいいや。ぽんとイガ栗頭を叩いて、それから俺はひとつ提案をした。
「そこにいる子、雨竜も調べる対象に加わえていい?」
ひっそりと気配もなく壁際に立っていたせいか、2人はそこで初めて彼女に気づいたらしい。互いに会釈をしあい、それからこちらに疑わしげな視線を向けてくる。
すかさずゆとり君が耳打ちをすると、西岡さんはパクパクと口を開閉した。
もちろん、青年2人も同じような表情をしていたよ。
胴着を身につけ、手ぬぐいで頭を包むと、雨竜はどこか様になっていた。
特に聞いてはいないが、幼少のころ武道をたしなんていたかもしれない。そう感じるほど凛とした雰囲気を発している。
姿勢正しく正座をし、向かいあう青年らに向けて静かな瞳を向けていた。
「藤崎、雨竜、前へッ!」
はい、と男女の凛々しい声が放たれる。
面かぶとの紐を結び、竹刀を片手に立ちあがり、そして互いに礼をする。
ここから見ても頭ひとつぶん雨竜は低く、対する藤崎とやらは闘志を表すよう唇を引き結ぶ。するとピリとした空気で館内は包まれた。
「始めぃッ!」
西岡さんの号令のもと、2人は互いに竹刀の先を揺らす。牽制と威嚇、それから読み合いが始まった。
「本当にこれで審査出来るのかい?」
そう隣に座る薄木さんから囁かれたが、もちろんこんなので能力者かどうかなんて分かりっこない。
だけどこれまでの経験で俺が知ったのは、己が持つ個性によって強さの方向性も変わるということだ。レベル1とか2とか、そんな数字だけでは計り知れないものがある。
なので、先にこいつらの個性を確かめたかった。だから薄木さんに瞳で笑い返しながらも、彼らの動きからは目を離さない。
と、彼らの戦いも変化が訪れる。
えい、おう、と互いに気合を発し、牽制からの一歩を男は踏み込んだ。
「ッホオオウッ!」
青年は気迫の乗った良い声を響かせる。ド素人の俺まで格好いいなと思う声だ。
しかし真っすぐに振り下ろされた一撃に、パウと雨竜は竹刀の腹ではたく。わずかに藤崎は目を見張り、それから雨竜の竹刀が振り下ろされ……る前に、すかさず青年は距離を埋める。
体と体をぶつけ合う、ごつっ、と鈍い音が辺りに響いた。
――藤崎 進 レベル2。
ガイド君の力を借りると、俺にはそんな情報を知ることが出来る。
うーん、出たね。魔物を倒すことで力を得た者のお出ましだ。もしも雨竜がいなければ、俺はもっと驚いていただろう。
しかし称賛なんてせず、盛大なヤジを飛ばす。
「藤井! 女だからって力加減すんじゃねえ、本気でブチ当たれ!」
「藤井じゃない、藤崎ですよ! オオウッ、オウッ!!」
それに応えるよう鍔迫り合いを仕掛け、だが雨竜は下がらない。いや下げられないと言い表すべきか。小さな外見と異なり、どっしりした構えは彼女の芯の強さを見るようだ。
刀のように瞳をすっと細める表情は、この一秒一秒で相手をどう仕留めるべきか考えているだろう。
戦いというのは集中力をガリガリと削られる。体格差もあって体力まで削られれば尚更だ。しかしそれに対応できるか否かで己の強さというものは決まる。
きゅきゅ、とフローリングが鳴った。
力をいなされたのだと、ぐらっと傾いたところで藤崎は気づき、目を見張る。ようやく雨竜の姿を捉えたとき、極めて直線の一刀はすでに振り下ろされていた。
「エイイイェイッ!」
おお……と館内にため息が漏れる。力を力で制し、また力を技で崩してからの理想的な面だ。
振り下ろしの速さもあって、青年はわずかに足をヨロめかせていた。恐らくは経験者であるほど、今のレベルの高さを知っただろう。
――雨竜 千草 レベル7。
職業:刀術士レベル3。
あれだけ狙撃の腕を持っていながら、彼女が選んだのはそれだった。
だけど本人が決めたことなので、俺は絶対に反対なんてしない。彼女は刀を愛し、そして己の個性を信じてつかみ取ったのだ。
ぺこりと頭を下げ、振り返る雨竜はこちらへわずかな笑みを向けてきた。
しかし強い。レベル差はあれど、刀術士を解放していないというのに内容として圧勝だ。これまでの経験、そして戦闘勘によるものだろう。うーん、やるなぁ。
じゃあもう一人も見てみるか……などと思っていると、そいつは元気よく手をあげてきた。
「Aさんとの試合を希望しまス! お願いしまス!」
おっと、指名されちゃった。威勢が良いというか、元気いっぱいだなこいつは。だったら少しだけ本気を出してあげようか。ほんのちょびっとだけね。




