36.異なる能力者④
ぎし、めき、と身体がひとまわりほど大きくなるのを感じていた。それは目の錯覚などではなく、剣術士の職を開放したからだ。
そして周囲には俺を取り囲む男たちがいる。か弱い女性の身としては、今すぐにでもボコにして全身血まみれの四つん這いにさせたい所だが、残念ながら話はそう単純じゃない。
謎の集団との交渉は早々に決裂してしまい……って、そもそもちゃんと交渉してねえや。
たったいま、ぎりぎりと腕をねじっている筋肉野郎は能力者集団の一人だし、たとえアホでバカな間抜け野郎だとしても、このまま怪我をさせたらどうなるか分からない。報復という意味で。
けど、それもちょっと楽しそうだなぁーとか思っちゃう。だって正面の優男は「君にそんな度胸なんて無いさ」なーんて余裕面してるし、ちょっとくらい驚かせてあげたいじゃん?
日本は恐ろしく平和なので、たまにはそんなサプライズも良いだろう。なので、ぎしっとねじ上げるとプロテイン野郎はピイッと鳥のように泣いて爪先立ちをする。どこの定規だよってくらい姿勢の良いその姿へ、つい俺の唇はほころぶ。おほほ、面白いなこの山崎君ったら。
「~~~ッ! ふうっ、ふううっ! やめえッ!」
「んだよ、うるせえな。毎朝ちゃんとプロテイン飲んでんのかあ?」
にっこりと優しく笑いかけたつもりだけど、ひょっとしたら怖かったかもね。目玉を見開いて、山崎君とやらは魔物を間近で見たような顔をしてた。
チキ、と鞘から刀身を覗かせる雨竜もまた、手に入れたばかりの力を試したくて仕方なさそうだ。先ほど取得した息吹なるものか、すううと彼女は息を吸う。その冷たい闘志を感じて優男の視線はさ迷い始める。
「後藤さん、そこの刀を持った人も、やめておいた方がいい。我々の力をまだ知らないはずだ」
「あん? どうせこいつみたいに大した集団じゃないだろ? 始まったばっかで、まだまだこれからなんだしさ。つまり、潰すなら今だ」
どうにか場を落ち着かせようとする優男だったが、こちらはとっくに火がついている。そしてこいつらは薪だ。自主的に離れてゆかなければ、決してもう止められない。
薪を舐めるように炎は広がり、パチパチと火の粉が舞い始めるのを、ここにいる全員で感じていた。
いいねぇ、このピリッとした空気。たまんないね。
「……交換条件だ。山崎さんを離してくれたら、後藤さんの居場所と名前を知った理由を話しても構わない」
「うん、もちろんそれは後でちゃんと聞くわ。コンビニで筆記用具をお前らに買いに行かせた後で、なっ!」
言い終わり際、筋肉野郎の腹部をどすんと膝で貫く。まるでガードのできない姿勢のアホは、げええと身体を「く」の字にして呻く。撒き散らされる唾、そして逆流した胃液を見て青年の口端は引きつった。
もうどっちが悪役か分っかんねえな。だけどこの手の交渉ごとってのは厄介でさ、相手からの要求を呑むとそれが力関係になっちまう。だから肝心なのは、金輪際あいつからの提案を飲まないことだ。
交渉人みたいな相手には、それが一番の対策だと思うよ。こっちは正義の味方でも淑女でもないんだし、お行儀の良さなんてクソの役にも立たないんだよね。
「これだから学のない女は……仕方ない、やるぞ馬佐良」
「ああ」
どうやら本当に荒事にはしたくなかったらしい顔色で、優男と俺の後方にいた馬佐良なる黒髪の男は動き出す。
狙いは大方予想していた通り、優男はこちらへと、それから黒髪は雨竜へと迫りくる。まずは筋肉野郎を開放させ、雨竜を人質にしちゃおうぜって腹だ。堅実というかそれしか手は無いだろうな。俺だってそうする。
しかしそいつらの手にすっと現れた得物を見て、俺は瞳を細めた。つい先ほどまで手ぶらだったのに、銀色に輝く刀身はまるで手品を見るようだ。わずかに視線を後方へ送ると、黒髪の手にもまた短刀らしきものがあった。
構えとしても様になっている。そこいらの道場へ通っている奴らよりずっと上で、無駄のない動きで剣先は下から上へと薙いでゆく。もちろん、途中にあった俺の頭は横へずらしてある。
んー、どっから武器を出したんだこいつらは。
そう悩むと同時に、背後でも動きがある。殺し屋かよってくらい足音を立てずに黒髪が迫り、ぎゅんと雨竜は側面へ回り込んだのだ。目にも追えぬその速度へ、男は目を見開いた。
これが恐らくは疾風なるスキルだろう。俺の持つ俊足とは異なり、弧を描くような移動をするらしい。
「エイイッ!」
そして居合切りを披露するかのように、女子らしからぬ気合を雨竜は放つ。傷つけることなど気にもかけないその刀は、すんでのところで短刀が受け、ぎゃりりと滑りながら火花を散らす。
それは顔色を変えた男の顔を映し、勢いを削ぎきれぬと黒髪は瞬時に判断したらしい。短刀の腹で無理やりに上へ軌道をずらすと、ごきんと刀らしからぬ音が公園に響いた。
「……こいつ、疾いッ!」
たたらを踏み、男はそう漏らす。突進の勢いは完全に消され、早々に人質へするのを諦める様子だった。
やりますなぁ雨竜ちゃん。刀が好きみたいだったし、元から剣道でもやってたのかな。だけどちょっと怖いなーと思うのは迷いがまったく無いことだ。今のは普通に人を殺せる技だったし、それどころかチッと舌打ちしてんだもん。こんなOLどこにいるんスか。
実際のところは雨竜がレベル7、黒髪はレベル9とやや負けている。
しかし今の攻撃でたじろいだのは、レベル以上の力を相手が感じたのだ。きっと先ほど行使した息吹に秘密があるに違いない。これは俺の勘だけど、一時的な能力向上じゃないかな?
「…………」
しかし雨竜はというと、すうっと冷たい瞳を手元へ移してゆく。興味の対象が変わったと言い表すべきか、いんいんと震える刀をじっと眺めていた。
刀身に刻まれているのは唐草模様が近しいと思う。そのエギアの触手を連想させる柄が、気のせいかぞろりと動く。そして雨竜は満足したよう、ふっくらと柔らかそうな唇をほころばせた。
「闇刈一文字――そういう意味でしたか」
雨竜は何かを掴んだのだろう。構えなおした刀は、先ほどから確実に姿を変えた。例えばその、ぞろりと動いた黒い影だ。のたうつ蛇の如くそれは刀身の背に沿って進み、うねうねと蠢き始める。
堪らないのは今にも試し斬りをされようとする黒髪の男だ。表情の乏しい男だったが冷や汗を垂らし、怪しい女から一歩だけ退く。
それを見て、切っ先を向けた雨竜は距離を詰めてゆく。
能力の分からない武器に気押される男。そしてOL界においてぶっちぎりに怪しい女。そいつらはわずか数秒後、寂れた公園へ荒々しい金属音を鳴り響かせた。
もちろんね、俺もボーっとしてないよ。剣の軌道には必ず筋肉野郎が入るよう調整をしているし、やりづらそうな優男へ蹴りを放ったりしてる。
だけどこんな体勢じゃ当たらないし、ぎしっと腕の骨が鳴って、筋肉野郎が女みたいな声をあげただけだった。
「うーん、こんな姿勢じゃ殴れないなー。山崎君はどう思う?」
「いっでででぇ……ッ! クソアマあッ、覚えてろよッ! あそこの馬佐良は追跡者だ。くくっ、どこに隠れようと居場所を必ず突き止めて……ギャッ!」
「おう、言ってみろよ。俺がなんだって? なにをするんだ? 一体どんな楽しいハプニングを起こしちゃう気だ?」
「~~……ッ!」
がつんがつん遠慮なく顔を殴ってゆくと、そいつの顔はみるみる鼻血で染まってゆく。この筋肉野郎は今までもこれからも暴力で人を苦しめる、たぶん。だから世のため人のため、嫌でも俺はこらしめないと駄目なんだ、暴力で。
しかし、その追跡者の能力とやらがファミレスまで追って来た理由か。すると俺の寝床まで知られちゃってるな、これ。そりゃ名前も割れるわ。だって表札に後藤って大きく書いてあるもん。
これからずっと気ままに過ごしたいし、いっそのこと始末しちゃおうかなぁ。
ふと頬に風を感じて身をかがめると、すぐ上を剣先が通り抜けていった。この優男、顔を傷つける気満々だな。変な趣味でも持ってんじゃねえか?
やはり見ないまま蹴りを繰り出すと、今度こそ手ごたえ――足ごたえ? まあいいや、優男は脇腹を押さえて数歩ぶん後ずさる。
「当たっちゃったかー。ごめんね、痛かった? あれ、山崎君の腕、いつの間にか曲がってない?」
「ふっ、へへへ、この俺を舐めやがって……武装庫!」
そう筋肉野郎は不敵に笑うと、薄暗い公園でスキルを行使した。
すると周囲にはおかしな光景が広がる。CGっぽいと言うのかな。青白く輝く棚が円を描いて生まれて行ったんだけど、それがなんだかファンタジーな景色でちょっとだけ胸がドキドキする。
試しに装備品へ手を伸ばしてみると、すかっと気持ち良いくらい空振りをし、ポリゴンが欠けたように粒子が舞う。
えぇー、どうなってるのこれぇー。すごく不思議なんだけどぉー。すごいなぁー、所有者以外は触れないのかー。
「山崎さん、いま助けるから大人しく……」
「うるせえ、全部てめえのせいだろが! 最初から痛めつけておきゃあ良かったんだ! もう命令なんて知ったことじゃねぇ。今すぐこいつを半殺しにして、朝までたっぷりと楽しませてもらう!」
いいなー、このスキル欲しいなーと眺めていたら、今度は優男と山崎君が口喧嘩を始めちゃったよ。
しかしほんと駄目だな、こいつ。やっぱ筋肉だけの馬鹿は使えないわ。べらべら情報を漏らしちゃうとかさ。だから俺みたいな女に弱みを握られちゃうんだよ。
「ふーん、命令かぁ。大方それが穏便にしたがってた理由なんだろうね。でさあ、その命令をした奴はどうして動かないの? ねえねえ、なんで? もしかして全身目玉野郎は、動きたくても動けない、とか?」
「…………」
本当に面倒臭い女だ、という視線を向けられて俺はにっこりと笑ってやった。弱みってのはさ、がっしり掴んでから、相手が泣くまでしゃぶり尽くさないと駄目よね。
この瞬間、俺たちの立場は同列になった。もちろん目玉野郎が動けない理由は分からないけど、それが分かれば今度こそ立場は入れ替わる。
そう考えているとまた異なる変化が起きた。掴んでいた感触が硬質なものへ変わり、怪訝に思いながら視線を向けると、大男は硬質な鎧を着込みつつあったんだ。
青白く半透明な線が身体を覆い、徐々に具現化してゆく様子はやはりCGに近しい。それをこの目で直に見ているのだからお得感が凄い。このスキルは絶対に覚えるぞ、と思えるくらい。
同時に「なるほどね」と呟きながら手を離す。
ようやく解放されたそいつは、四つん這いになりながらぜいぜいと仰ぐ。おえっと血まみれの唾を吐いてるけど、きったねえな。ここは子供の遊び場だぞ。
ねじ曲がった腕から白煙をあげているのは、傷の修復を急いでいるのだろう。ただちょっと、これから戦うにしてはみっともない姿だ。
さーて、これで残り少ない疑問は解消されたぞ。
先ほど大学生どもが揃って武器を手にしたのは、この武装庫なるスキルの恩恵だろう。馬鹿なこいつみたいに堂々と展開せず、気取られないよう最小限の動きで出したのだ。
そしてまた新たに生まれた疑問は、この武器や鎧をどうしてるんだって所か。素材となる魔物は独占しているから、俺みたいに生産はしていなそうだ。
「おい、この装備はどっから調達してんだ? ネット販売でもしてんのか?」
「後藤さん、生産なんて前時代の代物だよ。癖がありすぎて満足に使えない。しかしこちらが手に出来るものは能力向上を中心としている。だからそこの山崎も、あまり舐めないほうがいい」
急に饒舌になった優男は、ひょっとしたら俺の意識を集中させたかったのかもしれない。不敵に笑ったのは勝利を確信したかもしれない。
だがこちらもにやりと笑い返すと、猛獣のような突進をしてくる筋肉野郎の顔面へ、思い切り膝を突き刺した。




