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33.異なる能力者

 東京都内某所――……。

 それは通り魔事件の起きた3日後、深夜に差し掛かる時間帯のことだった。



 はーーっ、はーーっ、はーーっ。


 そう荒い息を繰り返す男は、元は整った顔を不安げで頼りない形に歪めていた。背はひょろりと高く、年は二十歳そこそこといったところか。

 疲労によってぐらりと身体は傾げ、コンクリートの壁にもたれかかる。ズズと身体は落ちてゆき、気づけば硬い階段に座り込んでいた。


「俺じゃなぃ……俺は悪くない……」


 ブツブツとそう漏らし、荒い息を整えるまで男はしばらくの時間を要する。硬くにぎりしめた手には短銃があり、紐を半ばからぷつんと断ち切っている。


 鼻を刺激する火薬の匂いを嗅ぎながら、無機質に降りそそぐ街灯を男は見上げた。

 頭のなかで響く声は先ほどからずっと続いている。それはレベルアップだとか耐性だとか同族殺しという称号だとか、良いのか悪いのか理解しかねる内容だった。


 いや、悪いに決まっている。

 目の前には人が倒れており、今もだくだくと地面に血を広げているのだ。しかも紺色の制服と、この国で最も手を出してはいけない部類の相手だと分かる。それを殺めてしまった。


 汗だくの額を袖でグイと拭く。

 じっとりとした汗をとめどなく流していたが、やがて彼は落ち着きを取り戻す。それは過大すぎるストレスへの耐性がついた恩恵だったが彼には気づけない。いや、この場合はストレス云々ではなく現実逃避が近しいか。

 ふと、先ほどの声を思い出して男は怪訝そうな声を漏らす。


「さっき、レベルアップって聞こえなかったか……?」


 ようやく冷静さを取り戻すと、彼は覚えたてのステータス画面を開く。そこに表示される数字は、朝方見たとき確か「1」だったはずだが今は「2」に変化をしている。おお、と彼は呻いた。


「これで上がるのかー! はは、やった。朝からずっと魔物を探し回ってたのに」


 一変して歓喜の表情をしたが、それはどこか狂気をにじませている。

 簡単だった。人を殺すのは驚くほど簡単で、映画みたいに口をふさいでナイフを奥深くまで刺すだけで済む。

 そしてあっさりと訪れた念願のレベルアップには興奮を隠せない。青白く光る画面にはさらなる成長……職業選択可能という案内をされていたのだ。

 男はごっくと喉を鳴らした。


狙撃士アサルト……これを選ぼう。クソ、指が震えて……!」


 血まみれの指をズボンでごしごしと拭き、それから画面をタッチする。ぱっぱっと展開されるのは強さをどのように拡張してゆくか決める技能一覧のように彼の目には映る。

 レベルアップ、そして職の取得による変化は劇的でもあった。肩に食い込む背負いカバンは軽くなり、疲れ果てた身体には気力がみなぎってくる。


 倒れたまま動かない警官を眺め、そしてまた技能一覧へと視線は戻る。その表情は先ほどよりも落ち着いており、ぎっしりと表示されるスキルの中から何かを探し始めていた。

 やがてひとつの単語の上で、彼の指はぴたりと止まる。


「――あった、これだ。同調エコーズ。聞いていた通りだ」


 そう漏らし、すぐに彼は初めてのスキルを習得した。

 耳に聞こえてくるのは同志として目覚めた者たちの声、そして何者かによる導きの声だった。


 一歩だけ彼はこの世界の「先」に辿り着いたと悟り、うっとりと満ち足りた笑みを浮かべる。先ほどのアレも間違ってなどいない。正しいことなのだと彼は理解したらしい。

 彼は立ちあがり、そしてしっかりとした足取りで裏路地へ消えていった。




 ほんの3日ほど前、通り魔事件のあった日に彼は新宿にいた。

 それは異常だった。その光景は、今までの価値観と世界観が全てひっくり返るほど衝撃的だった。本屋から出てきたその目の前で、巨大な狼が5人くらいの頭をまとめてがぶりと喰っていたのだから当然か。


「…………は?」


 ぼけっと見ている暇もない。辺りは血の匂いで溢れかえり、吐き気をもよおして口元を押さえる。しかし戻したりはせず、思わずという風に彼は「はは」と笑った。


 ずっと下らないと思っていた者たちが瞬きする間に死んでゆく。それは異常すぎる光景ではあるものの、胸がスッとしたのを今でも覚えている。

 太りきった身体、化粧だらけの女、お高いスーツやバッグを持った者たちが捕食されてゆくのは実に爽快だった。

 溢れかえる悲鳴に腰が抜けたわけじゃない。もっとその光景を見たかったんだ。


 こんな話がある。

 群れを作る臆病な鹿だが、時折おかしな行動をするらしい。それは捕食者である狼などにあえて近づき、命懸けの逃走劇を誘うというものだ。

 あまりに平和過ぎると、鹿は本能を失わないためにあえて危険へ近づくのだという説もある。それと近しい思い……失われていた本能がズズと目覚めてゆくのを彼は感じた。


 気づけば周囲にはもう誰もおらず、彼だけが取り残されていた。誰も立っていない歩行者天国というのは、違和感だけでなく爽快感もあった。

 人がいないとこんなにも、だだっ広いものなのか。まるで家具もなにもない新居を見るようだ、などと思う。

 そして視線を戻すと目の前には忽然と、見知らぬ男が立っている。


 ごっくと喉を鳴らし、その男を見あげた。

 目玉の模様がたくさんついたフードを着ており、輪郭は絵の具を水に溶かしたように曖昧だ。だけどそこから覗く髪は真綿のように白く、その下にある歪な笑みからは言葉が漏れる。


「我に下るか、死ぬかを選べ」


 その端的な問いかけの意味は分からない。だけど無視をしたら人生の終わりバッドエンドだというのはすぐに理解できる。

 彼は視線をぐるぐると周囲にさ迷わせ、赤く染まった男の腕、それとピンク色の短刀をじっと眺めてから決意をする。


「く、くだりま……あふっ!」


 からからになっていた口で答えかけ、しかしドスンと心臓に突き立ったナイフに唖然とする。

 それは根元まで食い込み、じわりと赤い染みを広げてゆく。じわじわとシャツは浸食されてゆき、遅れて身体が痙攣をし始めるなか、どうにか視線を持ち上げる。


 にたり、と笑うそれはひどく悪魔と酷似していた。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 ぱさりとテーブルに載せられたのは、まだ大学生らしき青年の顔だった。


「ふーん、これが警官殺しの犯人かぁ」

「彼と接触をする予定だった二名が倒れましたが、あくまで容疑者です。西岡さんから伝えて構わないと許可を受けましたけど、不謹慎ながら今はそれどころじゃないですからね。今も別チームはモンスターと格闘中ですよ」


 ふーん、と興味なさそうに俺は答える。

 警官殺しってのは、俺がしょっぴかれた時に聞かされた……じゃない、俺が無理やりに聞き出した案件なんだ。あれからずいぶん日も経ってるし、捜査は難航してると思う。


 その容疑者とやらの写真を手に持ち、じっと眺める。

 茶髪のロン毛、それと人や世間を小馬鹿にしたようなタレ目……うーん、どっかで見たことあるなー、この軽薄そうな顔。なんて記憶をさぐっていたら奥多摩あたりで声をかけてきた奴とよく似てた。

 なので店員から珈琲を受け取っていた彼に教えてやる。


「こいつ、このあいだ見たよ」

「ッ! あっちッ! あぁ、オーダーしたスーツが……じゃなくて、それは本当ですか!」


 うわ、こいつオーダーしてんのかよ。気持ち悪ぃ。引くわー。

 なあ雨竜、そんな男とかどう思う? なんて横に問いかけると、ぱちっと大きな瞳が瞬きをする。


「え、先輩、まさかオーダーをしないんですか?」

「しねえよ! その辺の田中だか鈴木だかの店で、ぱっと買ってお終いだよ!」


 っかーー! なんだこのボンボンズは! 大事な大事なお給料をちょっとだけ高級な布に変えてんのか! 

 ああ、そういや俺のスーツは血まみれになってゴミに放り投げたんだっけ……。あれと一緒に俺の社会人生活も終わったんだったな。


「なら安物で良かったじゃないですか」

「安物って言うなよ! あれだって別に安いわけじゃ……あっと、悪い悪い、確かにこいつを見たけどさ、もうどこにいるかなんて分からないよ。そういや隣の運転席にもう一人いたかなぁ」


 なんて答えながら、意味もなくメニューを眺め始める。いくつか材料をもらったので、少しだけ頭を回転させたかったんだ。


 警官殺しをした奴は、能力者の可能性が極めて高いと俺は考えていた。あの超越者アザーなんていう奴から刺され、むくりと起き上がった奴だからな。

 これまで見たこともなかったが、あんな一般人っぽいナンパ師みたいな奴だったとは驚きだ。


 俺に声をかけてきたのは偶然だろうか、それとも分かっていたのだろうか。


 能力者の人数を考えると後者である可能性が非常に高い。しかし、ぶらっとツーリングに出た俺にどうして近づけた? そして先ほどあった狙撃、あれとは関係あるだろうか?


 常識で考えたら、単車で移動をする俺を見つけるなんてまず無理だ。

 しかし非常識なものがいまこの世界には存在してしまっている。例えばスキルなどがそうだ。常識では決してできないことが出来てしまう。


「いや、もう一つあったか。超越者アザー……っと、ただのひとりごとだ。気にすんな」


 怪訝そうに二人から見つめられてしまった。一人暮らしを長くしていると、つい口から出てしまうな。

 まあいい、情報を得るスキル、あるいは第三者の協力によって俺を見つけた可能性はあると理解した。問題は同一人物かどうかだ。ナンパした奴と銃をぶっ放した奴。


 俺の怒りを買った奴かどうかは本人に聞くのが一番だ。

 どうやって会うかだって? 決まってんだろ、こっちに興味を持っているなら勝手に出て来るさ。


 そう思いながら今夜のディナーはハンバーグに決めた。


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