31.エギア③
――ゴッ、ゴハッ、ゴバハハハッ!!
唐突に響く轟音……いや、野太い笑い声に目を剥いた。
こいつ笑いやがったよ。だけどな、こちとらお前みたいなモンスターを討伐しに来たんだ。そう簡単に舐められるわけにはいかねえっての。
やめときゃいいのにと理性から囁かれるなか、俺は対抗するよう一歩前に進んだ。
「わーーっははは! 馬っ鹿野郎、この俺がビビるわけ無えだろが! ああッ!?」
さっき逃げたことは忘れ、こちらも歯を剥き出しにして笑ってやった。魔物相手にガハハと笑い合うのは地球で初めてだったろうよ。だけどその後、唐突に拳を振りあい、クロスカウンターで打ち抜いたのも初めてだったと思う。
バキッ、バコオッ!
おおよそ拳とは思えぬ音を立て、鼻への連続したカウンターが決まる。
手ごたえとしては「タイヤ」だ。車とかバイクについているアレな。新しい装備、小手を装備してなけりゃ手首がイカれてたと思う。
ああ、剣? ついさっき調子に乗って、地面に放り投げちまったよ。
《 称号:突進する者を獲得しました 》
《 職業リストに武闘士が加わりました 》
ぞりりと頬に裂傷を負いながら、へっと俺は笑う。なんだそのアホっぽい称号は。おまけにそんな職業なんてぜってー選ばねーし。
だけどちょっとだけ分かってきたよ。この小手の使い場所ってやつをさ。
ゴオオ!と大気を震わせ、吠えてきた瞬間に狙いすました「爪」を放つ。シュトッ、と口内に刺さった瞬間、そいつの吠え声は悲鳴に変わった。
――ギャオッ、ギョエエエッ!
いやこれは悲鳴じゃなくて絶叫だな。だって喉の奥で溶解液がたっぷりと注がれてんだもん。顔面を押さえて一歩退く様子に、のしのしと俺は歩む。
「おう、こら、クマ公。ここはお前の縄張りか? だったらさっさとかかって来いよ、美少女なんかに負けんじゃねーぞ」
あん、美しい女性も少女も見当たらないだって? いい度胸じゃねえかよ。
ガッ! ゴドオ! と気持ちよくパンチが決まり始める。もちろん俺みたいな奴の打撃なんて高が知れている。人間相手の喧嘩しかしたこと無いし、骨と筋肉の量は段違いだからな。
だけど殴られる度に喉の奥からジャバジャバ溶解液が出てくる。噛みつこうとしたらまた「爪」で痛い目に合うだろうってこいつも分かってんだ。
「こらこら、腰が引けてるじゃ……ん?」
きょろりと後方に視線を向ける。気のせいか、何か聞こえた気がしたんだ。それが妙に気になって周囲を探るが、特に何も……。
――パウッ、ずどんっ!
げうっ、と声が漏れた。背中へ食い込む衝撃は、肺がからっぱになるほどだった。ミシリと骨が鳴り、わずかに宙へと身体は浮く。
なんだこれ、と驚く間もない。正面から全身を締めつけてきたのは、剛毛の生えたエギアだったからだ。
――ゴオオオッッ!
「なんだとオオオッ!」
至近距離から湯気まみれの牙を見て、ぶわりと汗が噴き出てくる。
ベアハッグとはこのことだ。突き刺さる爪、そして人間とは比べようもない筋力で相手を羽交い絞めにする。いやしかし、さっきの攻撃は何だ。後方から撃たれたように感じたが……まさか、狙撃なのか!?
がぶり、と肩を噛まれて激痛が、そして半身にしびれを感じる。力任せに振り回され、バリリッという皮の裂ける音が妙に生々しい。そして鎖骨から腹へと垂れてゆく温かいものは、きっと己の血だ。
「~~~ッ!!」
まずい、まずいまずい、いや、無いことはない。手が無いわけがない。だって剣を放って構わないと判断するくらい、俺は攻撃手段を残していたんだ。
「この残り半分となった溶解液放射をなあ!」
またも熊ちゃんは絶叫だ。甘くて美味しそうな果実にかぶりついた瞬間、じゅわっと溶解液が出てきたんだから、そりゃたまらんって。
「はっははは! たらふく食えよ。おらっ、逃げんじゃねえ。お前がママになるんだよッ!」
メキメキと俺の筋肉が膨れ上がってゆく。奴の後ろ首を押さえつける、俗にいう逆スリーパーホールドだ。あ、そんな技なんて無いか。
ともかく、げええ!と奴は悲鳴をあげ、狂ったよう腕を振り回す。多少傷つけられたが、さっき作ったばかりの鎧は特別製のオーダーメイドだ。そう簡単に壊れはしない。
そのように戦闘狂の顔つきをしているが、俺の内面はもちろん冷静だ。必死に周囲へ向けて聴力を働かせ、弾丸の射出元を探している。
さっきのは狙撃だ。間違えようがない。そして背中に残る激痛は、一点ではなく面として感じた。撃たれた経験なんて無いから分からない。分からないがこれは散弾な気がした。
《 索敵レベル1を獲得しました 》
身動きのできない今、集中射撃を受ければどうなるか分からない。今は熊が自発的に動き回っているのがせめてもの救いだ。こらこら、もっとちゃんと飲めって。仕方ねえな。優しい俺が残りの目玉に「爪」を使ってやるからさ。ぷしゅっとな。
ギャアアアアア!
びぐん、と奴は痙攣をする。再び狂ったよう暴れまわってくれたが、しかし今度は激痛がヤバい。ぶちぶちと筋繊維を破壊されてゆくのは、今にも気絶してしまいそうだ。
痛み耐性のスキルは更新されても、傷口がふさがるわけじゃない。そして継続治療を使いたくても、牙が刺さっている最中ではどうしようも無い。
理想はこいつを倒した瞬間、影に隠れて治療をすることだろう。しかしこれまで冷静に機会をうかがっていた奴が、そんな隙を逃すだろうかと思考はぐるぐると回る。
生命力を削られた今こそ、最も俺を倒しやすい好機だからだ。
――シュドッ!
うっ、ついに来た、狙撃だ!
反射的に、ぐんっと下半身を持ち上げて奴の首を脚で挟む。それから渾身の力で一気に絞め上げた。標的の的として小さくなろうとしたのであり、いい加減こいつをブッ殺したくて堪らなかったんだ。
「死ねよてめえコラアッ! もう一回笑ってみろ! 俺が笑えって言ってんだろがアアアッ!!」
太ももの筋肉は膨れ上がり、ベキッベキッと鈍い破裂音が内側から響く。それでもう立っていられくなったらしい。ぐらーっとエギアは巨体を斜めにしてゆく。
しかし地面にズズンと押しつぶされる瞬間、聞こえて来たのは遙か後方の大木が「ベキッ!」と破砕される音だった。おまけに先ほどの射出音がした方角へ顔を向けると、そこに思わぬ人物がいた。
俺が放っていた闇礫の剣を構え、連続射出をする……。
「雨竜?」
「こんばんは、大変そうですね」
シュド、シュド、と弾丸は闇夜の木々に向けて放たれる。しかし狙う先は常に変化をしており、何かを狙っている節がある。
すると、かすかに黒い影が斜面の上に見えた。距離としてざっと60、70メートル。雨竜の持つ闇礫の剣の有効射程距離外だ。
引っくり返ったまま状況を確認し、さかさまに見える彼女へ小首を傾げる。
「どうしてここにいんの?」
「はあ、ギズモ狩りに誘ったのは先輩ですよね。タクシーで来たに決まっているじゃないですか。私の知っている河原でしたし、出現場所の情報は私にも共有され……あ、そちらにとどめを刺して構いませんか?」
うん、と頷く前にエギアの頭部に穴が空く。ピンポイントで耳穴を狙い、撃ち抜いたのだ。
でもさ、ドキッとするからやめてくんない? もうちょっと下に俺の手足があるの見えなかった?
熊の口から生臭く、どろっとした血と触手が垂れてきた。そのとき頭のなかに声が響く。
《 格上に勝利し、後藤のチャレンジが成功しました。ポイントと経験値にボーナスが与えられます 》
《 後藤のレベルが12に上昇しました! 》
《 雨竜がワンショット・キルに成功しました。ポイントと経験値に多大なボーナスが与えられます 》
《 雨竜のレベルが5に上昇しました! 》
《 雨竜のレベルが6に上昇しました! 》
《 雨竜のレベルが7に上昇しました! 》
こっ、こいつもゆとり教育かよ。最後にちらっと撃ったくらいでバカスカとレベルを上げやがって!
いやそんなことよりもと俺は熊の上あごを掴み、力任せに引き上げる。ぬぽっと牙が抜け、湯気がわずかに漂った。激痛もあるし出血もあるが、すぐさま巨体の後ろへ回り込む。
「どうだ、相手は見えたか?」
「先輩に見えなければ私には無理です。音を頼りに撃っただけですから」
ざざっと雨竜も木の陰に移動をし、そう告げてきた。
俺の血をじっと眺め、まだ平気だと判断をしたのか再び闇夜に瞳を向ける。
「逃げられました。追跡を始めますか?」
「いや、こういう場所では土地勘の無いほうが負ける。武器も玉も少ない。こっちも撤収だ――素材収集!」
至近距離でスキルを行使すると、ごろろっと手のなかに素材が溢れる。ずしりと重い木の実と呼ぶべきか。ギズモとはまた異なる素材のようだ。
大ぶりの実を拾い上げ、残りは雨竜に持たせて俺たちは山を後にした。
いや、危なかった。たまたま鎧が出来ていなかったら、どう転がっていたか分からない。
継続治療で回復をしながら、俺はじっくりと考え始める。新しいモンスターの対策について。それから俺を狙った奴についてだ。
見てろよ、手を出したことを絶対に後悔させてやる。
そう暗い笑みを、俺はひっそりと浮かべた。




