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30.エギア②

 困った困った、困ったぞ。

 いや、山へ逃げこんだ魔物を追うのは、そこまで苦じゃなかった。だって地面にたくさんの黒い染みを残していたからな。

 問題はこのプーンと漂う悪臭で、追跡している身としては鼻が曲がりそうで困ってる。


《 嗅覚レベルが2に上昇しました 》


 またかよお前、今だけはそのスキルアップをやめろ!

 確かに匂いを嗅いで後を追ってるけどさ、犬みたいに嗅覚が強くなったらこの悪臭がさらに……お゛っえ゛っ! 思わずエヅくほどキツい!


 はーー、だめだこれ。絶対に後でサウナに行く。それでフルーツ牛乳を飲んで、ぐっすり布団で寝るんだ。

 もうほんと自動で覚えるスキルってクソ。追跡時間が長ければ長いほど悪臭で苦しむ身体にされるとかほんっとバランスがおかしい。


「まあ逃がさないで済むのは助かるけどさー……」


 そうボヤき、さっさと終わらせたい俺は歩調を早めた。

 周囲はすっかり闇に包まれており、暗視能力が無ければ追跡は難しかったと思う。これにはたぶん光を増幅させる効果があるんじゃないかな。ひょっとしたら猫のように瞳孔を変えているかもしれない。

 月明かりが照らす先に、点々と黒い染みの跡が続いているのをじっと睨む。


 あいつのレベルは幾つだろう。

 ゴミ虫たるギズモはレベル1から始まっていたが、それと比べると生まれたてなのに強かった。

 厄介なのはあの繊維状の造りだと思う。筋肉の塊みたいで、俺でさえ引きちぎるのは無理だった。いや、剣術士ソードマンを開放すれば行けたか? けど一般人はどっちにしろアウトだ。


 攻撃手段としては「締めつけ」という地味さだったが、人を殺せる力は十分以上に備わっている。しかし気になるのはガイド君の言っていた「計り知れない」という言葉だ。それにどのような意味があるのか……。


 はっと気づいたとき、明るい場所に出た。

 いや違う、森がちょうど途絶えており、月明かりが降り注いでいたらしい。

 思わず立ち止まったのは、そこに何かがいた気がしたんだ。


「………」


 気のせいだったか? いや違う。いた。周囲より一段と黒い奴がいた。

 だけど俺の思っていたような奴じゃなくって、二本足で立つ姿だった。


 ――ン゛オオ゛ーーッ!


 その吠え声は、わずかに思考を空白にさせた。

 おいおい、冗談だろ。山を歩いていたら出ちゃったよ。マジもんの熊さんが。

 俺の知っている熊さんって、もうちょっと臆病で小柄で、ごろんごろんしてる奴なんだ。けど全然そうじゃなくって、口から泡を吐き、頬が切れるんじゃないかってくらい牙を剥きだしにしていた。


 おしっこしたい。そう思いながら熊を見ると、何か様子がおかしいと気づいた。頭が異様に大きくなって、ぞろぞろと何かが這っていたんだ。

 さっきのは威嚇の吠え声じゃなくって、耳やら鼻やらからモンスターが入り込み、狂ったよう悲鳴をあげていたと気づく。


 それは肌がぞわっとするくらい気持ち悪い光景だった。だって、中にどんどん入り込んで、頭が膨らんでくんだもん。こんなの軽くホラーだっての!


 どっすん!


 地響きが起きそうなほどの体重で前脚を下ろし、そいつはゆっくりと俺を向く。どうやら乗っ取りが完了したらしい。

 もちろんどう見ても普通の熊さんなんかじゃない。だって頭が膨らんでるし、耳の穴でウネウネ蠢いてるんだもん。


「そっ、剣術士ソードマンレベル4解放」


《 剣術士を開放しました 》


 みちみちと全身の筋肉が溢れてくる感覚に、ちょっとだけ安心をする。

 そして同時に理解をした。先ほどの「計り知れない」と言われたのはこれだ。相手を取り込んで、己の身体として使うという魔物なんだ。


 だけどこっちの強化など気にしない動きで、どっす、どっす、と機敏に駆けてくる。もうこの時点で人間よりずっと早いと分かった。

 だから慌てず騒がず、俺は俊足ヘイストを効かせ、ダッと逃げた! 


 ん? 熊を相手に背を向けて逃げたらダメだって? わかっとるわそのくらい! あんなに速攻で走って来られたら誰でも逃げるわボケナスが!


《 恐怖耐性が上昇しました 》


 おぉーー、怖いよぉーー! だって食べ物だあーって目をしてんだもん。あのでっかい手に掴まれたら、ボリボリ齧られるに決まってるもん!

 どうしよ、どうしよ、一歩ごとに俊足ヘイストの残量は減っちゃうし、なんか知らんけどあいつめっちゃ足が速い! というか息が聞こえるくらい近いっ!


 ゴォーーッッ!


 すぐ後ろに生臭い息を感じ、勘に任せて横へ飛ぶ。すると入れ替わるようズシンと熊は木に激突をし、信じられないことに根っこごと倒れていった。

 はい笑えません。だって、ぶうんと首の後ろを爪が通り過ぎたんだもん。


 冗談じゃねえぞこの熊鍋野郎! ホゥホゥとかフクロウみたいに可愛く鳴くもんだろが、ツキノワグマってのはさ! あと斜面に弱いって話はどこいった。


「……いや、どこに逃げんだって話だ。こんなの連れてよ」


 ずざーと斜面を横滑りし、もう一歩、俊足ヘイストを使って側面へ。だけど野性の獣ってのは早々に側面を取れないもんだ。鼻面をこちらへ向け、ゴオオと唸りながら後ろ脚を滑らせる。


 そのわずかな時間、黒剣を持った俺は素早く一歩を踏み込んだ。切っ先は狙い通り目玉に食い込み、しかし頭骨の厚さのせいでそれ以上には食い込めない。

 ゴリッという感触に構わず、引き金を引いた。


 ――シュドッ!


 振り上げられた腕を眺めつつ、吐き出された弾丸バレットは火花を散らしながら進み、頭骨を舐めるようにしてゾリゾリと頭部に裂傷をもたらす。


 ぶうん! ぶん!


 機敏に迫る爪を、かいくぐって避ける。もし肌に触れたりしたら、そこから先は全て抉られるだろう。おっかないし、腕がでかいから避けづらい。

 でもさ、ちょっと頭のでかい熊なんかに負けてられんだろ。これからたぶんでっかいモンスターも来るだろうしさ。

 逃げるのは完全に勝てないって分かってからだ。そんとき考えようぜ。


 ふぅぅーーと息を吐く。

 それから再び振られた腕を避け、カウンターとして剣先は斜めに剛毛を裂く。反対側から振られた腕にも繰り返すと、奴の胸はクロス状の傷口を生んだ。


「かってぇ。剛毛に油がついてるせいかな……ん?」


 立ち上がったそいつは、ベキベキとおかしな音を鳴らし始めた。

 これにどんな意味がある? そう思いながら眺めていると、後に続く光景もまた奇妙だった。頭部の質量は首から下へと降りてゆき、ごきん、ごきんと両腕をたくましくさせる。背筋を伸ばすとより人体へ近づき、背丈もまた増してゆく。


 ツキノワグマ。うろ覚えの知識だけど、確か立ち上がっても人間より小さいと聞いた記憶がある。たしか世界には8種類しか熊がいないとか……ああ、これはいらん豆知識だ。

 しかしこいつは俺の背丈をとうに越えており、ミシミシと尚も体積を増している。


《 エギア、レベル14への上昇が確認されました 》


 そう聞こえたのは、きっと奴の準備……いや乗っ取りが完了したのだろう。

 最初は頭脳を、そして次に肉体を手中にする。そうして初めてエギアなる魔物は本性を現す。

 地上において強者である獣を奴は選び、この俺と戦う気なのだ。そう理解をした。


 しかし戦闘勘を刃のように研ぎ澄ませてゆく俺は、遠くからじっと眺める存在には気づけなかった。

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『気ままに東京サバイブ②』は、11月29日発売です!
(イラスト:巖本英利先生)

表紙&口絵

コミカライズもコミックPASH!様にて11/27に掲載予定です。
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