29.エギア①
暗いなか、ライトもつけずに川の上流に向かって歩いていた。ここは23区外にある河原で、遠くには人家の明かりが見えている。
「んー、家の明かりって寂しい気持ちになるな」
どうしてこんな場所を歩いているかというと、魔物の出現予測があったからだ。最近だとこんな僻地まで出現場所が広がりつつある。
まったく、物騒な時代になったもんだ。
ツーリングがてら来たは良いが、すんごい寂しい思いをしてる。だって真っ暗だし人がいないんだもん。おまけに風も冷たくなってきたしさー
でも都内の方って人がゴミゴミしてるからあんまり出動したくないんだ。最近は騒がしいし、こんなコスプレ姿なんて披露できないからさ。
「いや、コスプレ姿で川を歩いている方が変か? もうちょい平和が乱れてくれるとなー、気軽に魔物退治できるんだけど」
などと物騒なことを呟いてしまう。
魔物退治がもっと普通になって、俺以外の能力者が目立ってくれたらいいのにと願うばかりだ。そうしたら普通のファッションになる……のかなぁ。
時計を見ると夜の9時。先ほど鎧を作ったばかりで素材切れの身としては、これから狩って貯め込んでおきたい。
そのときブルルと携帯電話が鳴った。
「あい、後藤です」
「西岡だ。各地の状況を確認しているが、そちらはどうだ」
「もうすぐ出現ポイントに着くかなー。西岡さんのチームもずっと夜勤で大変だね」
「それは仕方ない。言っておくが、お前の戦いを見た者たちはみんなそうだぞ。変な話だが、以前よりも充実した顔つきの者が多い」
なんだそりゃ。ああいや、ちょっとだけ言ってることが分かるかな。少なくとも俺は脱サラしてからのほうが充実してるしさ。
「世界がちょっと変わったね。事情聴取の日、俺が言った意味は分かった?」
「ああ、あれか。分かったよ、喜んで良いのかは分からんがな。それと以前に言っていた『能力者』について気になる情報がある。興味があればだが、若林を送るから近いうちに来てくれ。お前の意見が聞きたい」
んーー、と俺はしばし悩む。
どれだけこちらにとって興味があるか。動くのはそれ次第だ。あまりほいほいと協力をし過ぎても良い結果にならないだろうし、共存ってのは難しいんだ。
なのでひとつだけ質問をした。
「へー、どういう風に気になるの?」
「署内でそれらしき者が出た。巣の退治を担当していた者のうち2名だ」
ほう、と俺は言葉を漏らす。つまりは、ついに出てきたらしい。魔物を退治することによって変化をした者たちが。
他でもない西岡さんがそう言うならば、雨竜と同じように「目覚めた」可能性が非常に高い。そのあたりの信用度は、悪いがゆとり君よりずっと上だ。
手短に「近いうち行く」とだけ伝え、スマホを切った。
それから歩みをぴたりと止める。
すぐ後方から、ぞろろ、という変な音が聞こえたんだ。
そよ風から頬を撫でられているせいか、夜の河原はどこか寂しい。人の気配がどこにも無いからだと思う。
ゆっくりと振り返る。気のせいかいつものモンスターと違う気配を感じたんだ。それはたぶん漂ってくる匂いのせいだと思う。
タールのように粘っこく、それでいて「キキキ」と小さな笑い声まで聞こえてくる。
なにモンスターのくせに笑ってんだてめえ。塩をぶっかけるぞ。
近づいてゆくと、河原の一点から溢れている何かがあった。泉のようにこんこんと。真っ黒い繊維状の何かが質量を徐々に増している。
葉や茎があるから植物に近しいのだと思う。色は完全に真っ黒で、そのぶん周囲の草木からも浮いていた。
「なんだこれ、気持ちわりぃ」
だけど魔物が生まれる瞬間を見るのは初めてなので、好奇心もムクムクと芽生えてゆく。ピッピッとスマホを操作し、録画モードにしてからじっくりと撮影を始めた。
「えー、時刻は夜の9時です。場所はあきる野市。ご覧の通り周囲は自然に包まれており、先ほどはキャンプ場も見かけました」
意味もなく実況をし始めると、ちょっと楽しくなってきた。そりゃそうか。たぶん人類が初めてお目にする光景だ。もしも動画サイトに上げたらアクセス数は計り知れない。
「これは一体なんでしょうか。ちょっと棒で突いてみますね。あ、あ-……見てください。植物の成長を早送りにしている感じです。大変です、棒に絡みついてきました」
自分で言っておいて「何が大変やねん」と吹き出しそうになった。
なんだこれ、ちょっと楽しいぞ。ぐいーと棒に絡みついて、うんせうんせと上ってくるし。はー、なんか知らんがドキドキするー。
やっぱり蜂の巣みたいなギズモとは違う。となると新種のモンスターかもしれない。
ねえねえガイド君、こいつの名前はなんて言うの?
《 エギアと呼ばれる主に魔界の危険地帯に生息する植物です。その力は計り知れません 》
はかりしれ……え? いまなんて言った?
などと変な顔をした瞬間、どうふ!と黒い植物が津波のように押し寄せてくる。
おぶえっ、ちょっと待て、ちょっと待て! ざわざわ全身にまとわりついてくるう! んぎゃああ、気持ち悪っ、気持ち悪いーーっ!
ごめんなさいごめんなさい、興味本位で棒で突いてごめんなさい。だから目玉とか口とか狙って、入って来ようとするのホントやめて! もっとちゃんとモンスター退治をさせて!
などと必死に謝っても聞いてくれるわけもなく、顔面と耳を必死に押さえながら「んん゛ーーっ!」と俺はくぐもった悲鳴をあげる。
どれほどの質量がまとわりついたのか。真っ暗で何も見えないが、あまりの重さにどすんと膝をつかされる。
重いぃぃー……っ! なんだ、これえっ! 関節がギシギシするっ!
身体にまとわりつくと、ぎゅっと筋肉の繊維みたいになって押さえつけてくるんだ。それから「顔を覆っている両手をどかせや」と言わんばかりに力を入れられると、ようやく心臓がうるさいくらいに鳴り始めた。
こっ、こいつ、かなりの力があるぞ! 実況なんてしてる場合じゃなかった!
いやそんなの常識として知ってたけどさ! 台風の日にちょっと田んぼを見てくるってレベルで……ぎゃああ、脇から入って来たあああ!
「こン……のぉ……ッ!」
みちみちぃーっと太もものツタを引きちぎり、必死に俺は起き上がる。そして川があると思える場所へ、流れる音を頼りに一歩ずつ進む。
けど無理だ。地面に向かってツタが刺さり、そこに座れと引っ張って来たんだ。
力と力の綱引きは、やがて結果が表れる。再び両ひざをつかされた俺は、ふしぃーーっと熱した息をたまらず吐き出した。
けっこーやばい。なにがヤバいって、この距離でさっき覚えた技を本当に使って良いのか分からないんだ。ほら、さっきのあれ。溶解液がどうのってやつで……けどもう息も出来ない。もう無理だ。やるっきゃない。
――溶解液放射!
鎧のもつスキルを行使した瞬間、じゅおっ!と耳元で何かが溶ける音がした。
つい先ほど覚えたこの技は、半径3メートルほどを焼く溶解液だ。強敵だったギズモの親玉を倒したことで手に入れたのだが、今だけはこれほど心強い技は無い。
身体に流れる液体は、ぬるっとした湯のようだった。酸っぱい匂いに包まれながらも、どうやら俺に害は無いらしく安堵をした。もしかしたら、こいつと一緒に溶けてた可能性もあったからな。
だけど最悪なことに変わりはない。べたべたの温かい湯みたいなのが、全身を流れてゆくってのは本当に気持ち悪いんだ。なので力を振り絞り、俺は吠えた。
「ブッ、コロ、スッ!!」
ブチブチィッ!と力任せに引きちぎると、エギアなる魔物は悲鳴を上げる。キャィィーーというガラスに爪を立てたような声だった。
およそ1分ほどで溶解液を止めた。拘束する感じが無くなったからだ。
うずくまった姿勢の俺はようやく自由になり、強張った両手をそろそろと離してゆく。震える指には溶けかけの植物が何本もあり、だらんと力なく垂れていた。
あー、「抜け毛がごっそりあって驚愕しました」みたいな構図になってるわ。ひどい。本当にひどい。モンスターと戦う爽快感がまるっきりゼロだ。
ハー、ヒーと深呼吸を繰り返し、どすんと尻もちをつく。それからようやく気がついた。エギアなる魔物が、山に向けてガササっと逃げてゆくのを。
おほお、マジか。黒い塊がウネウネして進んでやがるぞ。
「今度のは好きに移動できるタイプなのか。山に逃げられたら面倒だろうが! クソッ!」
いや、そもそも動き回れない魔物のほうが少ない気がする。ギズモがたまたま「巣」という性質を持っていただけだ。
そう思い直し、急いで俺は後を追った。




