22.あの日からの情勢①
むんっと鏡の前でマッスルポーズをすると、そこには女性にしては鍛えられている姿が写ってた。
水滴の垂れてる黒髪は頬にぺったり張りついており、その奥には二重の瞳と意思の強そうな眉が見える。ピアス穴が無いのは自分でもちょっと不思議だ。なんとなく嫌だったのもあるけど、そもそも飾りたくなるピアスが無い。
「んんーー?」
眉間に皺を寄せ、尚もマッスルポーズを継続する。最近はどうも肉体労働が多くって、身体が引き締まったような気がしないでもない。だけど胸はそう変わらない……というより大胸筋に支えられて形が良くなったか?
まあいいや。
このあいだ剣術士を覚えたら、むっきむきの身体になったけど今は大丈夫みたい。いや筋肉があるのは別に良いんだよ。かっけーし。だけど外に着ていく服が少なくなるから困ってたんだ。
穴だらけにされた腹も傷はすっかり癒えており、うっすらとピンク色の肌が残っているくらいだ。弾痕だらけの身体へならずに済んで、ほっとしている。
「いや、古傷だらけってのも悪くないか。だけどさすがになぁ、銭湯とか行きづらくなっちゃうし」
などと呟きながらバスタオルを手に取ると、一人暮らしの特権を生かしてそのまま全裸で戸を開けた。
すると相も変わらずごちゃっとした部屋が待っている。サバイバルグッズや水、食料といった備蓄から道具まで溢れており、かつ机には剣まで立てかけてあるしね。
どう見ても女の部屋じゃないけど、実はそれなりに気に入ってたりする。別に足の踏み場が無いわけじゃないしさ。
リクライニング付きの椅子に腰かけると、雨続きで気温は低く、ひんやりとした冷たさが尻に伝わる。気にもせず、誰もいない部屋に向けて話しかけた。
「ガイド君、またステータス画面を見せてくれる?」
ヴンっという音と共に、四角い画面が浮き上がる。これはSFの世界とかじゃなくって、俺にしか見えないもの……なんて言うとさらにSF感が上がっちゃうな。
だけど表示されているのは「レベル」とか「技能」とか、そういうゲームっぽいやつだ。どういう原理なのかは丸っきり分からん。
「それよりも……えーと、これか」
職業欄を選択すると、そこには剣術士という項目に「一時無効」と書かれており、文字は灰色へ変わってる。
こうやって機能をオフにするとマッスルボディでは無くなるらしい。なるほどねー。
ちなみに先ほど話しかけた相手はガイド君と言って、俺の面倒を色々と見てくれる便利な奴だ。
《 夜の案内者です。魔物討伐をする者をサポートしております 》
そうそう、ドライでちょっと中二病をわずらっている奴だ。こいつの姿を見たことは無いし、男か女かも分からない声が俺にだけ聞こえる。だけど高機能だし便利だし、過去には命を救われたこともあった。
などと考えていたら、ピンポーンとベルが鳴る。
はいはーいと玄関に向かって歩き出し……てから踵を返す。あっぶねー、素っ裸だったよ。一人暮らしをしてるとそういう自己管理がだらしなくなって困るなぁ。あやうく変なもんを見せるとこだった。
がちゃっと扉を開くと、そこにはビニール傘を持ったスーツ姿の青年がいた。そういや今日は雨だったかと空を見あげ、それから視線を戻すと俺とそう変わらない年齢の男は慌てて顔を反らしてた。
「ごっ、後藤さんっ、服っ、服を着てください!」
「あん? なに言ってんだ。ズボンは履いてるし、上だってちゃんとタオルで隠してんだろ」
「そういう所ですよ! そういう所が女性として駄目なんです! 僕がおごるから、そこの喫茶店で待ち合わせをしよう!」
ひゃっはー、タダ飯だぁ!
なぜか俺に駄目出しをしたそいつは、雨だってのに背を向けて走っていく。ああ見えて刑事に就いているのだから、それなりに優秀なんだろう。けれど草食系というか男らしくないというか、たぶん俺よりも女の要素を持っている気がする。
ちなみにあいつの名前は……名前……やべ、完全に忘れた。ゆとり君っていつも呼んでるから、そう覚えておけば問題無い。
くあーと欠伸混じりの伸びをしてから、俺はその場の衣服を着始める。それからベッド脇のスマホが振動しているのに気づいて「ん?」と視線を向けた。
ちりんちりん。
傘を置き、喫茶店の戸をくぐると軽快に鈴が鳴る。
こじんまりとした店内を見渡すと、先ほどの青年が片手をあげてきた。まだ早い時間、さらには平日とあってお客さんの姿はない。
すぐ近所だけどあんまり来ないのは、単純に値段のせいだ。おしゃれイコール高いって図式が俺にはあるんだよ。
ぎっと椅子に手をかけ、腰を下ろすと先ほどより落ちついた顔のゆとり君が会釈をする。広げたノートパソコンには東京都心よりの地図、それから表みたいなものが表示されていた。
「早速ですけど、今夜の予定を聞きましょうか」
「その前に……ナポリタンとオレンジジュース、それから食後のデザートをお願い」
店員さんにそう伝え、それからようやく彼の職務を手伝ってやる。
ちなみに俺は先ほどのガイド君の力を借りることで魔物が現れる場所、そして時刻を知ることが出来る。この青年の上には西岡さんという人がいて、俺にとっては昔からの馴染みだ。なのでどちらかの人物に限って「魔物出現予測」を伝えているわけだ。
だからこれは日課みたいなもんで、ゆとり君は地図とにらめっこをして表を埋めてゆく。
最初は公衆電話でタレコミとかの方法も考えたけどさー、こっちの方が絶対に楽だって。ぽんぽん口で言うだけで済むんだし、「確認のためまた最初から言ってください」なんて言われたら切れるだろ? おまけに湯気だつナポリタンの皿が無料で運ばれてくるしさ。うへへ、美味そうー。
「こことここは俺がやるわ。場所と時間が近いし」
「どちらも住宅地から離れたところですね。出現数は7か所と、やはりあの日から落ち着いていますが……うーん」
フォークの先で画面をつついて討伐地域を伝えると、なぜかゆとり君は渋った顔をする。じいっと見つめていると頭を掻いて、仕方なさそうに口を開く。
うんうん、何も言わずとも伝わるのは良いことだ。もしも俺が情報を出し渋ったりしたら、そっちのほうが面倒だと思ったんだろう。
「口外はしないでくださいね。この間の渋谷事変から始まったのですが……」
そう話しかけたところで、ちりんちりんとベルが再び鳴る。店に入ってきたのは黒髪を伸ばした女性で、傘をたたむとこちらに瞳を向けてくる。
「……有休です」
「たしか雨竜って新人だったよね。もう有休がもらえてるの?」
ぷいと顔を反らされた。こいつ絶対にサボりだわ。
だろ、ゆとり君?と視線を向けると、彼は同意をするわけでもなく「どうして雨竜君がここに?」という視線を返してくる。なので「うるせえな、ナポリタンのお替りください!」と俺は紳士的な返答をする。
ぺこりと頭をさげてから雨竜は隣に座り、それからさも当然という風にメニューを手に取った。そんな彼女にフォークを向けて、俺は簡単に説明をする。
「さっき電話がかかってきたんだ。遊びに行きますって」
「違います、この間の事件について詳細を伺いに行きますと伝えました。若林さん、先日は色々と手助けをしていただいてありがとうございました」
ああ、そういえばそんな名前だったか。しばらくしたらまた忘れるだろうけど。
礼儀正しく深々と頭を下げた雨竜に、若……えーと……ゆとり君は慌てる表情をした。
「い、いやそんな……後藤さんと雨竜君の温度差ってすごいですね」
うるっせえ男だなこいつはよおおお! がたがた言わずに大盛りナポリタンを持ってこいや!
そのように女子力のかけらもない俺は、テーブルをどんと叩いた。




