【SS】ハネムーン・サマー
ノベル4巻前日譚ですが、単品でも読める仕様の短編です。新婚旅行前に浮かれる話です。
季節は夏。まばゆく輝く太陽が主役の、夏である。
詳細は割愛させていただくが、私、フィリミナ・フォン・ランセントは、このたび、嬉し恥ずかし新婚旅行に、夫であるエギエディルズ・フォン・ランセントとともに、二週間後、旅立つ運びと相成った。
新婚旅行。ハネムーンだ。
実際は姫様からの命令による、王宮筆頭魔法使いである夫の仕事のついで、ただの出張に私がおまけとしてついていくだけのちょっとした小旅行に過ぎないことは解っている。
とはいえ、本来であれば王とを離れることなど決して許されない夫とともに、国内屈指のリゾートアイランドであるニッビエラータ島を訪れることが許されるだなんて、これはもう浮かれずにいろ、というほうが無理な話だ。
話に聞いただけである碧い海、白い砂浜、おいしいご飯にそれから、それから……と、楽しい想像は尽きることはない。
「ふふ、ランセント夫人ったら。お顔が緩んでおいでですよ」
「あ、あら、わたくしったら、つい……。お見苦しいところをお見せしました」
「見苦しいだなんて! 旦那様との蜜月に心踊らせるのは乙女として当然の権利でございますわ。私めにそのお手伝いを許してくださいましたこと、重ねて御礼申し上げます」
「……ありがとうございます」
「ええ、私こそ。さ、これでようございましょう。大変お似合いですわ。ぜひエギエディルズ様に見せてさしあげてくださいませ」
したり顔で何度も頷きながらそっと背中を押してくれるのは、私の実家であるアディナ家が昔から懇意にしている仕立屋の主であるご婦人である。
彼女の手を借りて、私はその嬉し恥ずかし新婚旅行のためのドレスを急遽仕立てることになったのだ。
普段は自宅に招くご婦人に、今日は自ら仕立屋の店舗に直接おもむき、こうして最後の仕上げをしてもらっている。
姿見に映る私が身にまとうのは、ストライプの走るリボンが首と腰を飾る、ハイネックかつノースリーブのイブニングドレスだ。
胸元は涼しげなレースがあしらわれ、うっすらと肌が透けるのがいかにも夏らしく、かついやらしくはない色っぽさを感じさせる。
「本当に、つくづく見事な意匠でいらっしゃいますこと。先だってお仕立てしたブルーのドレスが朝日に輝く海辺の花なれば、こちらは星明かりに映える夜の花にございましょう。エギエディルズ様の審美眼には、本業である私どもも顔負けですね」
うっとりとした様子で頷きながら真珠のネックレスを重ねてくれるご婦人に、なんと返してよいものがいまいち解らず、曖昧に笑って返すより他はない。
そう、新婚旅行のために仕立ててもらったこのドレス、実は一着目ではない。
つい先日、ご婦人のおっしゃる通り、ブルーのドレスも仕立ててもらっている。
その際も、話を聞きつけた母と乳母がそれはそれは楽しそうに生地から選ぼうとしてくれたのだけれど、最終的に決め手となったのは夫の意見であり、結果として普段の私がめったに着ないような鮮やかなブルーのドレスができあがった。
話はそれで終わるかと思いきや、そうはならなかった。
何を思ったか、我が夫、エギエディルズ・フォン・ランセントは、「夜会用にも一着必要だろう」だなんて言い出したのである。
はい、その結果がこちらのイブニングドレスでございます。
生地からデザイン、それから髪飾りや手袋などなどそのほか小物まで、私が口を挾む間もなくあっという間に決めてしまい、今日に至るというわけだ。
「さ、ランセント夫人。カーテンを開けますよ。エギエディルズ様、奥方のご準備が整いましたわ」
ご婦人がタッセルを引くと、試着室のカーテンがするすると左右に開かれていく。
なんとなく緊張してしまう。それともこれは、気恥ずかしさ、というやつか。
我知らずごくりと息をのみつつ、いよいよ開かれたカーテンにそっと両手を添える。
「お待たせいたしました、エディ。……どう、ですか?」
緊張、気恥ずかしさ、それから不安とひとさじの期待。
そんなものをごちゃまぜにして、小さく笑って少しばかり小首を傾けてみる。
カーテンの向こうの椅子に腰掛けている我が夫と、ばちりと目が合った。
頭のてっぺんから足のつま先まで、じぃ、と、しっかりばっちり、一つとして漏れがないように、とてでも言いたげに、視線がスライドしていく。
それ以上は何を言うでもなく、ただただ美しい男が、私を観察している。
……いや、いやいやいや、あの、あのですね、旦那様?
「あの、エディ?」
――――こくり。
「え」
――――こくり、こくり。
――――こくこくこく、こくり。
「エディ?」
――――――――――こく、り。
しきりにこくこくと頷いていた男は、最後に深く、ダメ押しのようにもう一つ頷いた。
そして彼は、その視線を私のとなりで誇らしげに微笑んでいた仕立屋のご婦人へと移動させ、そして。
「よくやってくれた。見事なものだ」
「いいえ、そのような。すべて、エギエディルズ様の審美眼のたまものにございますわ」
二人そろってサムズアップでもしかねない、そんな勢いで夫とご婦人はこれまた深く頷き合った。
ご婦人は初めて出会った際には、男の“純黒”と呼ばれる黒髪にあれだけおびえていたというのに、今となってはこれである。
それもこれもあれもこれもすべて、先だってのブルーのドレスを仕立てる際に、この男のセンスが自らのそれと大いに重なる部分があり、細部に渡って口を挟んでくる内容もまた確かな意図が感じられるそれであったことが、いたく職人としての彼女のプライドをくすぐるものであったから、ということらしい。
「私も負けてはいられません……! 幼い頃からフィリミナ様、いえ、ランセント夫人の装いを飾ってきたこの私、腕の見せ所でございます!」と拳を振るわせていたあの姿はいまだ記憶に新しい。
そんなご婦人と我が夫、ここに来てさらに通じ合っている。
一応この場の主役は私のはずなのだけれど、その私が蚊帳の外になっている気がするのは気のせいではない。
いやでも、そうか。
似合っている、と、思ってくれたのか。
先ほどまで感じていた不安と期待が、じわじわと純粋な歓喜、そして改めて気恥ずかしさに塗り替えられていく。
「エディのお見立てですもの。わたくしにいっとう似合うに決まっておりますわ」
なんて、なんとも傲慢な冗談まで口から飛び出してしまう。
ふふふ、とついつい笑みをこぼしながら、そっと裾を持ち上げてみせると、また深く男は頷いて、そのまま立ち上がりざまに私の腰に手を回してそっと自らのほうへと引き寄せてくれた。
「ああ、俺の夏の夜の夢の主役はお前しかいない
「あらお上手」
「まあ夏の夜だけで満足する気はないがな」
「……本当にお上手ですこと」
「事実だ」
「ふふふ、わたくし、これから身も心ももっと忙しくなってしまいますね」
「不満か?」
「まさか」
たわいもない言葉遊びが、こんなにも楽しい。
寄り添い合ってくすくすと笑い合っていると、ごほん、と一つ咳払いが聞こえてきた。はっと息を呑んでそちらを見遣れば、顔を赤らめたご婦人が苦笑を浮かべていた。
「夫婦仲がよろしいのは大変結構なことではございますが。そんなお二方にもう一つ、ご提案させていただいてもよろしいでしょうか?」
…………しまった、つい。
浮かれついでに、つい、そう、ついついやらかしてしまった。
ぶわっと顔が熱くなるのを感じて身を離そうとしても、がっちり腰を固定されてそれは叶わない。
すっかり真っ赤になっているであろう顔で男をにらみ上げても、どこ吹く風の様子で男は、ご婦人に誘われて私ごと、テーブルに備え付けのソファーへと腰を下ろした。
力で敵うわけもなく私もまたそのまま座ることになり、この上なく密着した状態に慌てる私などなんのその。
おいこら、世の中にはTPOという言葉があるんだぞ。
いや、この世界にはないかもしれないが、それでも時間、場所、場合という概念はあるだろう。
すっかり忘れていた私に言える台詞ではないけれど、今ここでそれを思い出さないでなんとする、ちょっと、あの、旦那様!
あわあわあせあせとなんとか抗おうとする私の批難の視線を完全にスルーして、男は「提案とは?」とテーブルを挟んで反対側の椅子に座ったご婦人を促した。
によによと微笑ましげに私達の無言のやりとりを見守りつつ、それ以上突っ込むことはやめたご婦人は、テーブルの裏の棚から、ひらりと一枚の紙を取り出した。
吸い寄せられるように、テーブルの上に広げられたそれをのぞき込んだ私はぱちりと大きくまばたきをして、反対に男は静かに瞳をすがめる。
「あら!」
「……これは」
「近頃、特に南方の保養地で話題の、『水着』と呼ばれる、水遊びに特化した衣装のデザイン画にございます。本日のために、勝手ながらご用意させていただきました」
どこか得意げにそう説明してくれたご婦人が示す紙の上に描かれているのは、『フィリミナ』ではなく、『私』の記憶の中にしまわれていた、『水着』そのものだ。
私の面差しによく似た女性は、ハイネックのホワイトトップスに、愛らしいピンクのロングパレオ、それから普段使いのものよりもつば広の白の帽子をかぶり、南国の花飾りと真珠のブレスレットがアクセントに加えられている。
そしてとなりの男の面差しによく似た男性は、夏らしいビタミンオレンジのハーフパンツ。上半身は前開きのネイビーの、それこそ『前』で言うパーカーのようなジャケットに、遊び心を加えるサングラスを頭の上に乗せている。
「我が国ではまだまだ肌をさらす文化について後進的ではございますが、徐々に保養地では流行り始めておりますの。ニッビエラータでしたら、このようなものも一つ用意しておくとなかなか便利ではないかと思いまして」
いかがです? と誇らしげに両手でそれぞれのデザイン画を示してくれるご婦人は、職人であると同時に、やり手の商人の顔をしていた。
まさか『こちら』でもこのような形の『水着』を目にすることになるとは思ってもみなかった私は「はあ……」と毒にも薬にもならない相づちを打つしかない。
今後この男と海に出かける機会なんてそうそうないだろうし、となると今回限りとなる旅行のためにわざわざ水着を用意するだなんてもったいなさすぎる気がする。
この仕立屋さんは、腕は確かだけれども、その分もお値段もそれなりに張るのだから。
ううん、でも、でも。
「あのエディ。こちら、お願いしてもよろしいですか?」
新婚旅行で夫と水着を新調して、できたらこっそり海遊び、だなんて。
そんなこと、考えてもみなかったし、叶うはずもないと思っていた。一回きりのためにとは確かにもったいないけれど、それもまた思い出になるのなら。
この水着を取り出して、楽しい思い出に浸れるのなら。
そのためならば、決して無駄遣いではないのではないか、なんて思ってしまう。
あと普通にこの男の水着姿が見たいです。サングラスまでだなんてそんな、とてもおもしろ……失礼、とても素敵な装い、この機会を逃したら一生得られないチャンスである。
というわけで、めったにできないおねだりを、ここでしてみよう。
「ね、エディ、たまには……」
「却下だ」
「ですよね」
即座に一刀両断された。
まあ解っていたので驚くことでもないが、それでももう少し悩んでくれてもいいのではないだろうか。
眉尻を下げていかにもしょんぼりする私から、ツン、と男は顔を背けてしまう。
「却下だ。絶対に駄目だ。こんなにも肌をさらすのを甘んじて受け入れられるはずがないだろう」
「それはそうかもしれませんが、一生に一度くらいいいではありませんか。エディが嫌だとおっしゃるなら、わたくしの分だけでも、その」
「ちょっと待て、誰が俺の話をした」
「え」
「俺が許可できないのは、お前の話だ」
「ええ?」
おや? 思っていたのと話が違う。
そう感じたのは私だけではなかったらしく、男はようやく私のほうを向いて、じろりとそのままにらみ付けてきた。
その視線が、ちら、と、私の胸元から腹部へと走ったのを見て、「なるほど」とすぐに合点がいった。
「わたくしの傷のことでしたら、どうかお気になさらず。このデザインならばちょうど隠れる範囲であると、あなたもご存じの通りですわ。背中の痕についても、前身頃と同じような意匠にお願いしたら問題な……」
「違う」
「えええ?」
「どんな形であろうと、水着はだめだ。なしだ。却下だ。俺はこれほどまでに自分以外の存在にお前の肌をみせてやるほど心が広くない」
「…………」
あ、はい、さようでございましたか。
そう言おうとして、失敗した。
代わりにおかしなうめき声を上げてしまいそうになったから、それをごまかすために両手で口を押さえて、今度は私が顔を背ける。
子供の時はちっとも子供らしくなかったくせに、成長した今になって今更こんなにも子供のようなことを言うこの男は、こんなにも仕方がなくて、こんなにもかわいい。
くそう、悔しい。
結局私が白旗を上げて、敗北を認めるより他はないのだ。
でも、でも、でも。せっかくなのに、と思ってしまう気持ちは、まだまだ捨てがたくて、私もまた『仕方がなくて』。
姫様は今回のニッビエラータ島への出張について「新婚旅行だとでも思って」とおっしゃったけれど、実際はそういうわけにもいかないことは解っている。
あくまでも男は仕事で向かうだけで、私はそのおまけ。
それでもなお、“新婚旅行”という魅惑的な響きを諦められず、一つでも思い出を増やそうとする私は、こんなにもわがままになれたのかと自分でも驚いてしまう。
着る予定はなくても作ってもらうだけは駄目だろうか、とまで思ってしまう私の頭は、気付けば下へと向かって、どんどんうつむいてしまう。
やがて耳朶を打った深い溜息に、びくりと声無く肩を震わせれば、そっと私のあごに男の手があてがわれて、そして、それから。
「……解った。悪かった」
くい、とあごを持ち上げられて、まなじりにかすめるように男の唇が触れる。
想定外の口づけに、にじんでいたわけでもない涙が音を立てて引っ込んだ。
てぃ、てぃーぴーおー……! と、唖然と固まる私を後目に、男はそのまままなざしを、事の次第を決して口を挟むことなく見守っていてくれたご婦人へと向けた。
「彼女に、もう一着ドレスを。サマードレスと呼ばれるものが望ましいな。色は……そうだな、白がいい。白一色では禁色となるから、夏の花……そうだ、せっかくだ。ひまわりを飾ろう。それこそ、数え切れないほどにな」
「まあ! それは素敵でございますこと。詳しく拝聴させていただきますわ」
男が謡うように告げた言葉に、ぎらりとご婦人の瞳が輝いた。
新たな紙を取り出した彼女が、さらさらとまずは簡単な女性像を描き、その上さらに男が続ける内容の通りのドレスを重ねて描いていく。
え、え、え、と困惑する私を置いてきぼりにして、あっという間に紙の上に、夏を満喫する女性の姿が完成してしまう。
『彼女』は、白のドレスをまとっていた。
きちんと胸元を覆うホルターネックの上半身はシンプルに、けれど可憐さを忘れないレースが重ねられている。
アンダーバストから大きくゆったりと広がるスカートには、まず腰に大きなひまわりが、そしてそれ以下の部分にはいくつもの小さなそれが散りばめられ、つば広の帽子とお揃いだ。
肩から手にかけてはむきだしになっているけれど、その腕を夏の日差しから優しく守ってくれるのは、透ける素材で作られるのであろう、たっぷりとしたショールである。
これを身にまとって海辺を歩いたらさぞかし、と思われるような、本当に素敵なサマードレスが、そこにあった――――って。
「あの、エディ、わたくし、そんなつもりじゃ……!」
「俺の収入はお前が最もよく知っているだろう。不満ならばもっと装飾を……そうだな、たとえばひまわりの中心を宝石にするか。魔宝石よりも、普通に半貴石のほうが映えそうだな。できるか?」
「もちろんにございます」
「そういう! ことじゃ! ございません!!」
じゃあどういうことだと言わんばかりのきょとん顔を二人そろってしてくれるけれど、あの、二人とも、解っていてやっているなこれ。
先ほどのしょんぼりがまったく違う意味でのがっくりに変わるのを感じながら、もう、と私は唇をとがらせた。
「そういうおねだりがしたいわけではないのです。ただ、あなたとの思い出のよすがになるものは、なるべく多いほうがいいなと、ただそう思っただけで」
「解っている」
「でしたら」
「解っているとも。俺とて同じ気持ちだ。とはいえ水着は看過できないからな、これは俺のわがままだ」
その言い方はずるい。
反論できずに口を続く私に、さらに男は、かつていつか見たいと私が願った子供のような顔で、追撃の『おねだり』を仕掛けてくるのだ。
「俺にお前を、着飾らせてくれないか? どうやら俺も、今回ばかりはかなり浮かれているらしい」
「…………………………ずるいひと」
結局そういうこととなり、仕立屋のご婦人はにっこり笑顔で「ごちそうさまにございます」と頭を下げてくれたのであった。
今からそろってこの調子では、ニッビエラータ島ではどうなることか。
楽しみ半分、恐ろしさ半分。それでもなお期待を重ねて、私達は『新婚旅行』に旅立ったのである。
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特典情報など詳しくは活動報告にて。
何卒よろしくお願いいたします。




