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魔法使いの婚約者  作者: 中村朱里
おまけ

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ツイッターSS詰め合わせ

ツイッターにて呟いたSSの詰め合わせです。時系列はぐちゃぐちゃで繋がってません。募集させていただいたリクエスト(締め切り済み)への回答だったり、診断メーカーさんへの回答だったり。つまみ食い感覚で読んでいただけたら幸いです。

【お題:束縛】時系列は妻編からしばらく経過した頃合いです。


「……うそ」


思わず零した呟きが自分のものではないようだった。呆然とした、信じられないとでも言いたげな――いいや実際問題として〝信じたくない〟の一言に尽きる現状に対する呟きである。

私の視線は、自らの左手の薬指に釘付けだ。いつもそこにあるはずの、シンプルな銀のリングは、今はそこにない。

どこで外したのか。はたまた、落としたのか。思い当たる節はない。何であるにしろ、早く見つけなくてはならない、その一言に私の心は集約される。そうと決まれば、まずは……そうだ、台所。台所から探そう。そう心に決めて、いざ、台所へと向かおうとしたのはよかったの、だけれど。


「フィリミナ?」


けれどそういう時に限って、本日休暇のこの男は私の前に現れてくれやがるのである。頼むから空気を読んでくれないだろうか。いつもは無駄に鋭いくせにどうしてこういう時に限って……いや、言うまい。それよりも今は、どうやってこの場を乗り切るかだ。


「あら、エディ。どうなさいまして?」


とりあえず父譲りのお得意仮面スマイルを顔に貼り付け、小首を傾げてみせる。そんな私の仕草に、ほんのわずかに眦を細めた男もまた、その首を傾げてみせた。私がしてもなんてことのない仕草だというのに、この男がすると、それだけで絵になるから不思議な……ことはないな、この美貌ならむしろ納得である。


「それは俺の台詞だ。廊下の真ん中で立ち止まって、どうしたんだ?」


さも訝しげな様子の男に対し、言葉に詰まってしまう。言えない。言えるはずがない。まさか他ならぬこの私が、セルヴェル青年との一件の詫びの代わりにとこの男に望んだ、揃いの指輪を失くしました、なんて、絶対に言えない。

なんとかごまかそうと言葉を探す私をしばし見つめていた男は、やがて何故か、その唇の端をつりあげた。


「まさかとは思うが……何か失くしたか? それも、俺に言えないようなものを」

「っ!?」


何故それを。硬直する私の左手を、男の手が掴み、そのまま顔の高さまで持ち上げる。これはまずい。だがその手を振り払おうにも、もう遅かった。本来そこにあるべき銀のリングがないことをしかと確認した男は、無言で私を見下ろした。男の無言が息苦しくて、言い訳もできず目をそらす私は左手から力を抜く。その時だった。


「……痛ぁっ!?」


がぶりと。そりゃもうがぶりと。

目の前の男は私の左手に、思い切り歯を立ててくれやがったのである。悲鳴を上げて左手を振りほどきそちらを見遣れば、器用にも薬指に刻まれた紅い歯型。


「な、ななななん…っ!?」


なんてことをしてくれやがるのかと言いたくても言葉にできない私を見下ろし、男はその白皙の美貌に、それはそれは美しい笑みを浮かべてみせた。


「指輪の代わりだ。見つかるまで、毎日つけてやるからな」

「~~~~っ!?!?」

「不満ならお前も指輪の代わりを俺に同じものをつけるか?」

「そそそそそそそんなこと、でき、で、できる訳がないでしょう!」

「そうか?」


それは残念だ、といけしゃあしゃあと言い放ち、再び私の左手を持ち上げて、薬指に自らがつけた歯型に、これ見よがしにそっと口付ける男に、私は今度こそ完全に言葉を失った。

顔色? それはもちろん、歯型よりも色濃い真っ赤である。

そうして、この男が私に『指輪の代わり』をつけ続けた期間は、その日から三日間続いた。その間私は必死になって指輪を探す羽目になったことは言うまでもないことだろう。

指輪をはめているとき以上に左手薬指が気になって仕方がなくて、あの男の存在の大きさを思い知らされ、誰かに見咎められるのがあまりにも恥ずかしくて外出もできなかった。

やがてその三日目の夜、男の魔法によって指輪は無事発見されたのだが、よく考えてみなくても最初からそうしてくれればよかったのにそうしてくれなかった男に、私はもう文句を言うこともできなかったのであった。

とりあえず、二度と失くすものかと心に誓ったとは、これまたやはり言うまでもないことなのである。




【クリスマスっぽいもののようなそうでないような】妻編後の冬の一幕。


しんしんと真白い雪が降り積もる。暗い空から舞い落ちてくるそれは、まるで花弁か、はたまた羽毛のようにも見える。音もなく積もり続ける雪に果てはなく、じっと窓の外を眺めていると、そのまま空に落ちていってしまいそうな錯覚すら覚えるから不思議なものだ。


「今年の雪の精霊は随分と働き者さんだこと」

「今年はやってくるのが例年より遅かったからな。その分張り切っているんだろう」

「まあエディ。いらしたのですか?」


突然背後から聞こえてきた声に思わずそう言って振り返れば、そこでは男性的とも女性的とも言える、あるいはそのどちらでもないとも言えるような、中性的という言葉が正に相応しい白皙の美貌の男が、むっとしたように眉をひそめてこちらを見つめていた。


「いたら悪いか?」


なら退散するが、と、不機嫌そうに続ける男に私は思わず笑ってしまう。余計にこの男の機嫌を損ねてしまうであろうことは容易に想像できたけれど、一度吹き出してしまったらもう抑えきれない。

くすくすと声を上げて笑うと、案の定、ますます男の眉間に刻まれたしわが深くなる。そのしわを、手を伸ばして指先でトンとつつき、私はいつもと同じ微笑みを浮かべてみせた。


「もう、子供のようなことを仰らないでくださいな。せっかくの『うたた寝招く初瑞花』ですのに。女神様の眠りを妨げてはいけませんよ」

「誰のせいだ」

「あら、わたくしのせいですか?」

「……そうは、言っていない」


沈黙の後に、諦めたように吐き出された言葉に私は更にころころと笑った。まったく、私の夫はつくづくかわいいひとである。

今日は本来であれば休日ではない。けれど、急遽国を挙げての休日となった。それは本日、今年初めての雪が降ったためだ。いわゆる初雪の日が、この国では『うたた寝招く初瑞花の節』と呼ばれている。

この国の守護神である女神は春を司る。かの女神は冬の間は眠りにつくのだが、その眠りの始まりを告げるのが初雪なのだ。

初雪を観測したその日、我がヴァルゲントゥム聖王国の国民は、誰もが我らが女神の眠りを妨げないよう、家に篭って家族を始めとした大切な人と静かに過ごすのが習わしである。

『前』の世界で言うクリスマスに、若干似ているかもしれない。まあ『前』の私の生国である日本においてはこんな風に静かに過ごす人は少数で、大抵がお祭り騒ぎだったから、一概にそうとも言い切れないけれど。


「ふふ、意地悪を言ってごめんなさい、エディ。ホットワインを用意してありますの。ここはひとつ、一緒に雪見酒など……」


いかがでしょうか、と続けようとして、失敗した。

くしゅんっと吐き出したくしゃみによって台詞は最後まで言い切れず、そればかりかすーっと足元からせり上がってきた冬の冷たさにぶるりと身体が震え上がる。

こ、これは、ずっと窓辺にいたのが仇となったか。思わず肩からずり落ちていたショールをたくし上げて自分の身体を抱き締める。


「いやだわ、風邪を引いてしまいそう。エディ、あなたも気を付けてくだ」


さいね、と続けるはずだった私の口は、そのまま閉じられた。それまで無言を保っていた男が、前触れなく私を引き寄せ、その腕の中に私を閉じ込めたからだ。

ふわりと全身を包むぬくもりに抗うことなどできるはずもなく、大人しく男の腕の中に収まったまま、男の美貌を間近から見上げる。


「これでも風邪を引きそうか?」


私の視線をしかと捕らえて、わずかに笑みを浮かべて問いかけられたその質問に、私もつられて笑ってしまった。


「……いいえ。おかげさまで風邪の方が逃げていってくれそうです」

「それは何よりだ」


額をこつりとぶつけあって笑い合う。窓の外で雪は未だ降り続いている。きっと外は凍てつくような寒さだろう。けれどこの男の腕の中はこんなにも暖かい。それをひとりじめできる私は、きっと大層贅沢者であるに違いない。

来年も、その先も、ずっとこんな風に今日という日を過ごせていけたらいいのにと思いながら、私は目を閉じて男の胸に?を寄せた。




【お題:これだから油断ならない】エディが王宮筆頭魔法使いになってから。婚約期間中の一幕。


フィリミナ・ヴィア・アディナ。

彼女のことを説明するにあたって、最も適切な表現とは、おそらくは『魔道書司官アディナ家の第一息女』という回答が最も相応しいのであろうということを、エギエディルズはよく解っている。よく解っているのだがしかし、それが『最も好ましい回答』であるか否かと問われれば話は別だ。

エギエディルズにとって彼女は『婚約者』である。誰の、とは言うまでもない。この自分、『エギエディルズ・フォン・ランセントの婚約者』だ。世間の目を通して表現するならば、『王宮筆頭魔法使いの婚約者』という方が相応しいのかもしれないが、エギエディルズにとってより好ましいのは前者である。フィリミナには、エギエディルズが背負っている肩書きに対する婚約者ではなく、エギエディルズ自身の婚約者であってほしかった。

……本音を言えば、婚約者という肩書きなんて一刻も早く蹴飛ばして、『妻』という肩書きを背負ってほしいと思っている。アディナ家の息女ではなく、ランセント家の若き女主人、つまりはエギエディルズの妻になってほしくて仕方がなかった。

だがいくらエギエディルズがそれを望めども、周囲の思惑はエギエディルズにフィリミナを娶ることを許してはくれない。

結局、エギエディルズがフィリミナに背負わせることになった肩書きは宙に浮いたまま、彼女を縛り付けるばかりとなっている。

何も言わないフィリミナを、早く解放してやるべきなのかもしれないと。そう思ったことがなかった訳ではない。本当はいつだってその思いは暗く、そして重苦しくエギエディルズに付きまとっている。

けれど、それでもエギエディルズはフィリミナを手放せない。そのことを、いつもいつだってエギエディルズは思い知らされているばかりなのだ。


「……エディ? あの、大丈夫ですか?」


そっと気遣わしげにかけられた声音に、エギエディルズはその長く濃く生え揃う睫毛をひとたび瞬かせた。自分が思考に耽り切っていたことに、遅れて気付かされる。

今日は忙しい仕事の合間を縫って久々にアディナ家にやってこれた――正確には、フィリミナに逢いにこれたというのに、これでは何のためにやってきたか解ったものではない。

だが、非常に遺憾にも、それを素直にフィリミナに伝えられるようなかわいげなど持ち合わせていないエギエディルズはちらりとその朝焼け色の瞳を、正面に座ってこちらを見つめているフィリミナに向け、低く「何がだ」と問い返すことしかできない。

歴戦の騎士すら震え上がるようなエギエディルズの視線と声音にも、フィリミナは臆する様子など一切見せなかった。ただ困ったように小首を傾げ、エギエディルズの手元へと視線を落とした。


「その手にお持ちになっている書状です。休暇にも関わらず我が家にお持ちになったということは、急を要する大切な内容なのでは? それなのに、そんな風にくしゃくしゃにしてしまってよろしいのですか?」

「…………」


穏やかな指摘に、エギエディルズは初めて、自らが持っていた最近始めたばかりと新たな研究にまつわる報告書を、ぐしゃりと握り締めていたことに気が付いた。数少ない自分の休暇、それもアディナ家に訪れることができるだけの余裕がある休暇が取れたことにほっと安堵していた昨夜、ランセント家に急遽届けられた書状だった。

自身の仕事柄、休みなどあってないようなものだとは理解していたが、それでもこのタイミングでなくてもいいだろうと盛大に舌打ちさせられたものである。

結局こうしてアディナ家にまで持ち込む羽目になり、フィリミナとお茶をする、という体を取りながらも実質仕事をしているに違いない状況に、フィリミナはやはり文句ひとつ言わない。

「本当にお忙しいのですね」と感心しているのか呆れているのか判断つきかねる様子で呟き、文句を言うどころか「無理していらっしゃらなくてもよろしいのですよ?」と、エギエディルズの気も知らないで心底気遣わしげに眉尻を下げてくるのだからエギエディルズはもう「気にするな」と言うことしかできなかった。嫌味で言ってくる方がどれだけマシかと思わされた。閑話休題。

それはそれとして、そのエギエディルズの手元にある、しわの寄ってしまったその報告書。無言でエギエディルズがその紙面を指で弾けば、あっという間に報告書はしわひとつない、ピンと伸びた美しい姿を取り戻す。

「まあ」とフィリミナが驚きの声を上げ、エギエディルズの顔を、瞳を丸くして見つめた。


「お見事ですこと」

「大した魔法じゃない。紙の繊維を修復しただけだ」

「……然様ですか」


それはそれは、とフィリミナはころころと笑い、そして「あ」と何かを思い出したらしく小さく声を上げる。エギエディルズが視線でその先を促せば、フィリミナはテーブルの上にまとめて置いてあったアディナ家宛ての手紙の中から一通の手紙を取り出した。

魔道書司官という家業柄、個人的な依頼などの手紙が寄せられることが多いアディナ家だが、その中でも今フィリミナが取り出したのは、彼女の父宛てでも弟宛てでもなく、彼女自身に宛てられたものらしい。

らしい、というのは、その薄縹の封筒に書かれた宛名が思い切り液体により滲んでおり、フィリミナ・ヴィア・アディナという文字が非常に読みにくくなっていたためだ。


「エディ、その魔法で、このお手紙を元に戻すことは可能でしょうか?」


これでは開封することもできなくて、と困ったように続けるフィリミナに、エギエディルズはひとつ頷く。しわが寄ってしまった書状に対する魔法とはまた少し術式は変わるが、エギエディルズにとっては難しいことではない。


「無論可能だが……酷い有様だな。一体どうしたんだ?」

「二日ほど前に届いたのですけれど、わたくしが受け取る前に、誤ってフェルナンがお茶をこぼしてしまいまして。乾かしてはみたのですが、くっついてしまってどうしたものかと悩んでおりましたの」

「……ほう?」


フィリミナの口から出てきた、彼女をいっそ崇拝する勢いで愛する彼女の弟の名前に、エギエディルズは何やら嫌な予感がした。

あの弟とて、次代の魔道書司官として魔法言語……ひいては『文字』というものに携わる者だ。そんなあの青年が、『文字』が連ねられた手紙、それも愛する姉に宛てられた手紙に、迂闊にも茶をこぼす真似などするだろうか。

エギエディルズの知るあの弟ならば、答えは否だ。ぞわぞわと背中を這い上がってくる嫌な予感に、再び報告書をぐしゃりと握り締めそうなる衝動を堪えながら、努めて冷静に、エギエディルズは口を開いた。


「それは生憎だったな。それで、誰からの手紙なんだ?」

「わたくしの友人であるご令嬢のお兄様からです。先日招かれたお茶会で偶然お会いしまして。読書が趣味でいらっしゃるということで、お勧めの本を教えてくださると仰ってくださいましたの。おそらくはこのお手紙はそれに関するものだと思うのですが、目を通す前にこの有様でして。でも、今日エディにお会いできてよかったですわ。これでお返事も書けるというものです。……エディ? どうなさいました?」


ことりとフィリミナが不思議そうに首を傾げるが、エギエディルズは答えなかった。その代わりに、無言で手を伸ばし、半ば奪うようにしてフィリミナの手から手紙を受け取る。

いつもよりも乱暴なエギエディルズの仕草に驚いたのか、フィリミナの瞳がぱちぱちと瞬いた。それを無視して、エギエディルズはフィリミナの手紙を指で弾く。


――――その瞬間、音を立てて手紙か燃え上がった。


「きゃっ!? エ、エディ!? な、何を……!?」


小さく悲鳴を上げて、呆然とエギエディルズの顔を見遣るフィリミナに、エギエディルズはフンと鼻を鳴らした。


「悪いな。失敗した」

「し、失敗?」

「ああ、失敗だ」


いけしゃあしゃあと言い放つエギエディルズをそのまま呆然と見つめていたフィリミナだったが、やがてガタンッ!と勢いよく椅子から立ち上がる。

エギエディルズが〝失敗〟したことに腹を立てたか。だがエギエディルズに後悔はない。むしろよくやったと自分を褒めてやりたい。

何がお勧めの本だ。そんなもの、手紙なんてまどろっこしい方法を使わなくても、いくらだって自分が直接教えるのに。

どこの誰とも知らぬ男からの秋波にフィリミナが気付かないのは、今回のようなあの弟による鉄壁の防御のおかげか。だとしたら少しは感謝してやってもいい。あの弟はそんなエギエディルズの感謝など「そんなものいるか!」と蹴り返してくるのだろうが。

さて、フィリミナはそんなエギエディルズに対しどう出るか。「今日はお帰りくださいな」と睨み付けてくるのだろうか。そう言われても仕方のないことをした自覚はあるので、今日ばかりは大人しく引き上げるか――と、エギエディルズは内心で嘆息する。だが、フィリミナの反応は、エギエディルズが予想したようなものではなかった。


「エディ、失礼しますね」


椅子から立ち上がり、身を乗り出したフィリミナが、エギエディルズの手を取った。突然のことに固まるエギエディルズを後目に、フィリミナはエギエディルズのからっぽになった手をまじまじと見つめ、何度も確かめるように触れ、そしてほうと安堵の息を漏らす。


「ああ、よかった。火傷はされていないようですね。お疲れのようでしたら、どうかご無理はなさらないでくださいまし。先日いただいた疲労回復の薬草茶を淹れ……エディ? もしや痛みでも?」

「…………違う。そうじゃない。……すまなかった」

「え? いえ、お手紙のことは残念でしたけれど、改めてわたくしから謝罪のお手紙を出せば済むことですもの。どうかお気になさらないで……エディ?」


ぎゅっとエギエディルズによって掴まれた手にフィリミナが戸惑ったように首を傾げるが、エギエディルズはその手を離すことはできなかった。エディ、と続けて声をかけられても、何も言えない。言えるはずがない。

ただエギエディルズは心の底から、一刻も早くフィリミナと結婚したいと、そう思い知らされるのだった。




【幼少期のクリスマスっぽいもののようなそうでないような】


それは、いつものように、気付けばいわゆる〝幼馴染〟と呼ぶに相応しい関係になっていた少年……もといエギエディルズ・フォン・ランセントと一緒に、居間で魔導書を読んでいた時のことだった。

常であれば羨ましそうに、というかむしろ恨めしそうに少年を睨み付け、私達の間に事あるごとに割り込んでこようとする私のかわいい弟、フェルナン・ヴィア・アディナは午後のお昼寝タイム真っ最中。それをいいことに、私と少年はお茶と焼き菓子を片手にして、魔導書のページを捲りあっていたのである。

今の季節は冬であり、中庭のベンチで読書するには風が少々どころではなく冷たすぎる。そのためこの季節は、赤々と炎が燃える暖炉により暖められた部屋で読書するのが暗黙の了解だった。

お互いに何かを言うでもなく、黙々と真剣に魔導書を読む姿は、八歳ほどの少年少女にはいささか不釣り合いなそれかもしれない。現に両親や乳母、少年の養父であるランセントのおじさまには「おやおや」「あらあら」「まあまあ」とでも言いたげに何度も苦笑されている。

私も、少年も、子供らしくない子供なのだろう。可愛げがない、と言うべきか。けれどそんな私達を温かく見守ってくれる彼らにはつくづく頭の下がる思いである。

今日も今日とて読書にいそしむ私達を、「子供らしく外で遊んでいらっしゃい」と追い出すでもなく私達のやりたいようにやらせてくれるこのアディナ家の女主人たる母に感謝していると、ふいに隣に座っていた少年が、魔導書に落としていた視線を持ち上げて、窓の方を見遣った。


「エディ?」


どうかしたのだろうかとその視線を追いかけて窓の外を見た私は、思わず目を瞬かせた。膝の上に置いておいた魔導書を閉じてソファーに移動させるが早いか、小走りで窓に駆け寄り、その窓を大きく開け放つ。


「まあ、雪! 雪ですよ、エディ!」


冷たい風が吹き込んでくるのにも構わず、振り返りざまに私はそう声を大きくした。

暗い空からはらはらと降ってくる白く冷たい六花の花弁に、思わず顔が綻ぶ。精神年齢を考慮すると、私のこの行動はあまりにも年甲斐がないと言われてしまうものだろうが、何せ今の私の肉体年齢はぴっちぴちの八歳児。少しくらいはしゃいだって、誰に咎められることもないだろう。

窓を開け放したまま、絶え間なく降る雪を見つめていると、ソファーに座ったまま私の様子を見つめていた少年もまた魔導書を閉じ、私の隣までやってきた。少年の朝焼け色の瞳がじっと私を見つめてくる。浮き立つ心のままにその瞳を見つめ返し、私はふふふと笑った。


「今年の初瑞花ですね。エディ、よく気付かれましたね」

「……精霊が、ざわついたから」

「あら、精霊さんもエディに早く教えたくてはしゃいでしまったのかしら」


初雪を観測したその日を、この世界では『うたた寝招く初瑞花の節』と呼ぶ。春を司る女神が眠りに就くその日を意味する時候の言葉だ。この日は誰もが皆、女神の眠りを妨げないよう、家で静かに過ごすのが習わしである。国立図書館に出仕している父も、すぐに帰ってくることだろう。

ああ、そうだ。早く帰宅なさるのは、父ばかりではない。


「ランセントのおじさまも、もうすぐエディのお迎えにいらっしゃるのでしょうね」


この少年の養父である、黒蓮宮に王宮付魔法使いとして出仕しているかの御仁も、いつもより早く仕事を切り上げて、我が家にこの少年を迎えにいらっしゃることだろう。

けれどそんな私の言葉に、少年は淡々と口を開いた。


「養父上は忙しい。そう簡単に俺のことを迎えには来られないだろう」

「そうでもないと思いますわ。だってランセントのおじさまはとっても優秀な魔法使い様ですもの。お仕事なんてちょちょいのちょいでお片付けして、あなたのことをお迎えにいらっしゃるに決まってます」

「…………」


私の反論に、少年は無表情のまま何も答えなかった。反論してこないということは、おそらくはこの子もランセントのおじさまが何を犠牲にしても自分のことをいち早く迎えにくるであろうことが解っているのだろう。当然だ。私が羨ましくなるくらいに、ランセントのおじさまはこの子のことを愛し慈しみかわいがっている。お忙しいお方だけれど、今日ばかりはかわいい我が子を優先するに違いない。うたた寝招く初瑞花の節とはそれが許される大切な日なのだから。


「……俺のために、養父上が無理されることなんてないのに」

「おじさまはむしろ喜ばれると思いますけれど」

「それでも、神聖な日にわざわざ休んで『俺』と過ごすことなんてないと思う」


淡々と感情を読み取らせない声音で続ける少年に、私は眉尻を下げた。まったく、またこの子は気にしなくていいことを小難しく考えすぎて気にしまくっているようだ。きっと……というか確実に私よりもずっと頭がいいくせに、どうして解らないのだろう。ランセントのおじさまは、今日というこの日をここぞとばかりに有効活用してこの子を甘やかすに違いない。

ああもう、羨ましいったらない。どっちが、だって? もちろんランセントのおじさまとこの子、両方が羨ましいに決まっている。私だっておじさまと過ごしたいし、この子とも今日を過ごしたい。

……ああ、そうだ。いいことを思い付いた。


「あの、エディ」

「なんだ」

「もしよかったら、今夜はランセントのおじさまと一緒に、我が家に泊まっていかれませんか?」

「……!」


朝焼け色の瞳が大きく見開かれ、私の顔をまじまじと見つめた。私の言葉が随分と意外だったらしく、驚きに固まっている少年の柔い手を取って、私はにこにこと続ける。


「ね、そうしましょう? お父様とお母様とおじさまにお願いしましょう。二人でお願いしたら、きっと許してくださいますわ」

「で、も」

「今日は大切な人と過ごす日です。わたくしが一緒に過ごしたいと思うのは当たり前でしょう?」

「じゃあ、養父上にだけ泊まってもらえば……」

「エディ」


何をふざけたことを言っているのだ、この子は。

私の言葉が足りなかったのか? 確かにそうかもしれないけれど、でも悪いのは私だけではないだろう。わざと眉を釣り上げて、じろりと少年を睨み付ける。

らしくもなくたじろぐ少年の顔を間近から覗き込んで、私は続けた。


「おじさまだけではありません。わたくしは、あなたとも一緒に今日を過ごしたいのです。……だめですか?」


私の駄目押しに、朝焼け色の瞳があからさまにうろたえて、宙をさまよう。困らせているのは解っているけれど、撤回する気にはなれなかった。ごくり、と、少年の白い喉が大きく嚥下する。


「だ、め、じゃない」


――よし、言質は取った。

にっこりと笑みを深め、きゅっと少年の手を握る力を強くして、私はその手を引っ張った。


「ありがとうございます。ではまずはお母様のところへ行きましょう」

「……」


俯いてしまった少年の手を引きながら、部屋を後にする。

その後、窓を開け放したままにしていたことについて乳母からお小言をもらうことになったり、少年を迎えにいらしたランセントのおじさまに泊まっていってほしいと〝お願い〟したところ「素敵な提案だね」と抱き締めてもらったりしたことは、なかなかいい思い出になったと言えるだろう。




【年越しのようなそうでないような】エディが王宮筆頭魔法使いになってから。婚約期間中の一幕。



エルネスト・フォン・ランセントの息子、エギエディルズが魔法学院を卒業してから既にそれなりの月日が経過している。

卒業するなり王宮に召し上がられ、黒蓮宮に所属する王宮付魔法使いとなった息子は、早くもその優秀さに目を付けられ、忙しい日々を送っている。そう、それこそ、毎年記念すべき日とされる今日がもうすぐ終わろうとしている今この時も、常と変わらぬ仕事を押し付けられ……もとい、割り当てられ、わざわざ自宅であるランセント邸にその仕事を持ち帰らねばならぬほどに。

自室にこもりきりになり寝食を忘れて仕事に打ち込む息子の姿に、流石に心配になったエルネストがワインを片手にリビングまで連れ出したはいいものの、やはりエギエディルズの手には未だ今彼が携わっている研究にまつわる魔導書がある。時折思い出したようにワインを口に運びつつも、魔導書のページをめくる手を決して止めない息子に、エルネストは苦笑を禁じえない。


「エギエディルズ、少し休んだらどうだい?」

「いえ、大丈夫です」


取りつく島もない即答であった。紙面から視線を持ち上げることもなく言い切った息子の気持ちがどこにあるか、何のためにここまで必死になっているのかを知らない訳ではなかったが、この調子ではいずれ身体を壊してしまいかねない。

エルネストは苦笑まじりの溜息を吐き出し、ぱちんと指を弾く。途端にエギエディルズの手にあった魔導書がバタン!と大きく音を立てて閉じられた。

エギエディルズの朝焼け色の瞳が大きく瞬くのを後目に、エルネストはちょいちょい、と指先で宙を掻く。するとそれに引き寄せられるかのようにして魔導書は浮き上がり、そのままエルネストの手に収まった。


「……養父上」

「すまないね。今日くらいは私に付き合ってくれないかな」


どことなく批難がこもった、というよりは、不満げな、という方が相応しいであろう声音を吐き出してこちらを見つめてくる息子に、エルネストはひとつウインクをして、いつしか空になっていたエギエディルズのワイングラスにワインを注いだ。


「お前が忙しいのは解っているし、その忙しい状況がお前自身が望んだものだとは知っているけれどね。今日は『目覚め招く咲初めの節』だ。今日くらいはこの父とゆっくり過ごしてくれると嬉しいんだが、それは難しいことだろうか?」


『目覚め招く咲初めの節』とは、春の始まりを告げる時候の言葉だ。王宮の庭園で管理されている国花のつぼみが、その年初めて綻んだ日のことを言う。

万国共通の一年のはじまりももちろん一般的に普及し、それはそれで『一年のはじまり』とされているが、この『目覚め招く咲初めの節』は、それとはまた別の、この春の女神を守護神として祭るヴァルゲントゥム聖王国ならではの時候の節として古来より広く知れ渡っている。

冬の始まりを告げる『うたた寝招く初瑞花の節』と同様、今日という日も目覚めたばかりの女神の機嫌を損ねないよう家で静かに過ごすのが習わしだ。

エルネストもエギエディルズも、共に王宮付き魔法使いとして忙しい日々を送っているため、なかなかゆっくり親子らしいやりとりを交わすことは叶わない。だからこそ今日くらいは、というエルネストの要望に対し、エギエディルズは困ったようにうろうろと視線をさまよわせ、「……そんなことは、決してありません」と小さく続けた。その姿は、昔とちっとも変わらないとエルネストは思う。いくつになってもエギエディルズは、エルネストにとって大切でかわいい息子だ。

だからこそ余計に、一刻も早くこの息子のかねてからの望みが叶ってほしいとも思うのだ。


「お前を酒の席に誘った私が言うのも何だけれどね。今日くらい、フィリミナと過ごさなくてよかったのかい?」


今日は、誰にも邪魔されず大切な人と過ごすことが許される日だ。エギエディルズにとって誰よりも大切な、かつては少女であり、今は立派な淑女になった彼の幼馴染であり婚約者の名前を出すと、エギエディルズはぐっと言葉に詰まった。

そんなエギエディルズに追い打ちをかけるようなかわいそうな真似はなるべくしたくなかったが、ここで敢えてエルネストは心を鬼にすることにした。何せこの問題は、エギエディルズだけのものではないのだから。


「彼女はお前の婚約者だ。私のことなど放っておいて、アディナ家まで会いに行ってもよかったというのに」


きっとフィリミナも待っていただろうに、と暗に込めて続けると、エギエディルズの視線がその膝へと落ちる。彼の纒う雰囲気が明らかに暗くなったことに気付かないでいられるほどエルネストは鈍くはない。


「今日会えないことを、今の私の言葉で後悔しているのなら、まだ遅くはない。今すぐアディナ家に行ってフィリミナに会ってきなさい。フィリミナはきっと……」

「いいえ」


喜ぶだろう、と続けようとしたエルネストの言葉を遮るように、エギエディルズははっきりと言い切った。膝に落としていた視線が、エルネストの方へと持ち上げられる。その朝焼け色の瞳に迷いはない。誰にも侵せないに違いないと思わせられるような確固たる決意の光がそこには宿っていた。


「俺にはすべきことがあります。フィリミナを迎えに行くのならば、俺は誰にも文句を言わせない立場にならなくてはなりません。今度こそ、フィリミナを守るために。そのために今は、俺にできることすべてを、あらゆる手を使って成し遂げてみせます。だから、今日は会いには行けません。俺にはまだその資格がないらしいですから」


最後の方は実に忌々しげな、吐き捨てるような口調になっていたが、本人がそれに気付いているのかいないのか。

エギエディルズの言うことが、エルネストは解らない訳ではない。むしろよくよく理解している。

現状として、純黒の魔法使いと呼ばれつつも、結局は一介の王宮付き魔法使いでしかないエギエディルズは、立場上、自身の意思だけで婚姻を結ぶことは難しいだろう。エルネストもそうだった。今は亡き妻との結婚においては、それはもう七面倒くさい手間を取らされた。ただの黒持ちのエルネストですらそうだったのだから、純黒のエギエディルズに纏わりつくしがらみはその比ではないだろう。

だからこそエギエディルズはこんなにも必死になっている。あらゆる仕事をこなし、新たな研究成果を次々と打ち出し、少しずつ、けれど着実に自身の地盤を固めていっている。

その姿は見事なものだ。あらゆる憧憬や畏怖などものともせずに、エギエディルズは『麗しの純黒の魔法使い』の名を欲しいままにしている。

そんな優秀極まりない息子だが、だからこそエルネストは溜息を禁じ得ない。馬鹿な子だね。そうエルネストは思う。まったく、この頑固というか不器用なところは、一体誰に似たのだろう。今は亡き妻を思わせるその性質は、エルネストにとっては愛しいものでもあるけれど、同時に厄介なものでもある。そしてそれはきっと、エギエディルズの婚約者であるフィリミナにとっては、エルネストの感覚とは比べ物にならないくらい歯痒く感じられるものであるに違いない。

それでも、それをエルネストもフィリミナも、仕方のないことだと理解し、許してしまっている。もしかしたらそれがいけないのかもしれないが、エルネストが知る限り、エギエディルズが本当の意味で自身の望みを叶えるためには、これはきっとやはり仕方のないことなのだ。

エギエディルズが欲しいのは権力でも名声でもない。彼にはもっとずっと欲しくてやまないものがある。権力も名声も、その存在を得るために必要だから得ただけにすぎないのだ。それでもまだ足りないのだとあがきもがく息子に、エルネストは父として手助けしてやりたくなる。


「エギエディルズ、今から言うのは私の独り言だ。聞き流してくれて構わないよ」

「……?」


訝しげに首を傾げるエギエディルズから視線を外し、ワイングラスを唇に寄せる。


「今年度を以て、現王宮筆頭魔法使い殿が引退されるそうだ。まだ公にはされていないが、近く次代が選出されることだろう。今までは熟練……というか、まあ年嵩の者ばかりが選ばれてきたが、今回は陛下のご意向もあって、若手からも選出される機会が与えられるらしい。いやはや、時代は変わるものだ」


しみじみと遠い目をして呟くエルネストを見つめるエギエディルズの瞳が、大きく見開かれていく。それを見届けて、エルネストはにやりと唇の端をつり上げた。


「此度の咲初めで女神に立てる誓いは決まったかな?」


『目覚め招く咲初めの節』では、その年の目標や抱負を女神に誓いとして立てるのが習わしの一つだ。ちなみに今年のエルネストの誓いは、『息子の願いの応援と達成』である。

エルネストのそんな誓いなど知る由もないだろうに、エギエディルズは、エルネストの誓いが達成されるに違いないと思えるような不敵な笑みを浮かべ、深く頷いた。


「はい」

「それは結構。達成できるといいね」

「無論、必ずや」


エルネストの悪戯げな笑みに、エギエディルズはもう一度頷く。

それでこそ我が息子、と内心で拍手しつつ、エルネストはワインを口に運び、そして一つ、これだけは言っておかねばならないということを口にした。


「エギエディルズ。あまりレディを待たせるものではないよ」


ただでさえお前は待たせすぎなのだから、とは言わなくても伝わってしまったらしい。その待たせすぎている状況はエギエディルズにとっても不本意なものであるため、エギエディルズの美貌に苦いものが混じった。


「解っています」


いや、絶対にまったくお前は解っていないよ。とは思えどもエルネストは口に出して言うことはしなかった。

本当に解っているのなら、魔法学院に通っていた七年もの期間を手紙のやり取りだけで終わらせるはずがないし、今日だってエルネストのことなど放っておいていち早くフィリミナの元に馳せ参じたはずだ。それをしない、それができないエギエディルズは、やはり馬鹿で仕方のない、それでもかわいいエルネストの息子なのである。

こうして自分が甘やかすからフィリミナにも要らぬ心労をかけているのだろうが、こういうことは自分で気付かねば意味がないとエルネストは思っている。だからこそ一刻も早くエギエディルズには気付いてもらわねばならない。


「うん、早く孫の顔が見たいものだ」

「ッ!?」


エギエディルズが口に運んでいたワインを吹き出しかけ、それを全力で堪えたために思い切り噎せ返った。ごほごほと何度も咳き込みながら涙目になって自分を見つめてくるエギエディルズに、エルネストはにっこりと笑みを深めてみせる。


「おやおや、大丈夫かい?」


ハンカチを差し出せば、エギエディルズは大人しくそれを受け取って口元を拭った。その顔色は、咳き込みすぎたせいなのか、それともまた別の理由のせいなのか、あまりにも分かりやすく真っ赤に染まっている。

この顔をフィリミナにも見せてあげたいねとエルネストが内心で呟いたことは、エルネストだけの秘密である。




【エギフィリを書く中村朱里さんには「私らしくあるために」で始まって、「花は咲かない」で終わる物語を書いて欲しいです。可愛い話だと嬉しいです。】


私らしくあるために、私は日々心がけていることがある。

そもそも今の私は、『前』の世界における『私』と、『今』の世界における『私』が入り混じり融合した末に完成されたものであり、正直なところ私自身『私』とは何であるのか解らなくなることがあるくらいなのだから、今更『私らしく』も何もあったものではないのだろう。

だが、そんな私にも、これこそが『私らしく』であると胸を張って言うために、日々欠かさず力を入れていることがあるのだ。

それすなわち、おしゃれに関することだ。

肌の手入れに化粧、髪の梳き方に結い方、季節に合わせたドレス選び、以下エトセトラ。普段の地味な私を知る人々からは意外だと言われるかもしれないが、これでも私は私なりに、それなり以上に努力しているのである。

その理由は、私の夫であるあの男を見ていただければお解りいただけるだろう。

天が与えたもうた人外じみた美貌の持ち主であるあの男の隣に立つには、たとえそれがどれだけ苦し紛れの努力であったとしても、できうる限りの手は打つべきだ、というのが私の持論である。

少しでもあの男に相応しい女でありたいと思うのは、妻として当然の心理ではないか。

それなのにそんな私の涙ぐましい努力に気付かない…いいや、気付いている上で敢えてスルーしてくれやがるあの男は、何故か憮然とした表情でこう言うのだ。「お前はそのままでいい」と。

「そういう訳にはいきません。わたくしにも意地がありますわ」と言い返せば、あの男はやはり憮然としたまま、「お前の魅力など、俺だけが知っていればいい」だなんて、まるで子供のようなことを言い返してくるのである。

おかげさまで、未だにこの私、フィリミナ・フォン・ランセントの花は咲かない。




【エギフィリを書く中村朱里さんには「今日も空が青い」で始まり、「つまり私は恋をしている」で終わる物語を書いて欲しいです。】


今日も空が青い。高く遠くどこまでも晴れ渡る空の下、エギエディルズのその視線の先で、妻であるフィリミナが洗濯したばかりの真白いシーツを干そうと奮闘している。

今日はエギエディルズにとっては久々の休日だ。家事にかまけられるよりも、自分と過ごす時間を優先してほしい。そんな子供じみた我儘を胸に、「俺がやる」とエギエディルズはフィリミナに向かって自ら名乗りを上げたのだが、エギエディルズの本音を知ってか知らずか、フィリミナは「これはわたくしのお仕事です」と微笑んでさっさと洗濯物を運んでいってしまった。

結果として、エギエディルズは中庭のベンチに腰掛けて、その美貌になんとも不満げな表情を浮かべながら妻が洗濯物を干す姿を眺めていることしかできない。

エギエディルズがその気になれば、それこそ指一本動かすだけで風精と火精に命じて洗濯物を一瞬で乾かすことも可能なのだが、もし実行に移したが最後、フィリミナは眉を吊り上げてエギエディルズに説教を始めるのだろう。「なんでも魔法に頼るものではありません」と、王宮筆頭魔法使いに対する説教としては冗談でも笑えない説教を、彼女は大真面目に始めるに違いない。

結婚した当初はそれなりに手伝うことを許してくれていたくせに、気付けば彼女はエギエディルズの魔法にほとんど頼ろうとはしなくなっていた。

フィリミナのそういうところは、エギエディルズにとっては美点でもあり欠点でもある。

結局、いつだってフィリミナがエギエディルズの魔法を利用するのは、ほんの些細なことばかりなのだ。

もっと利用すればいいのに、と、何度エギエディルズは思ったことか。フィリミナにはその権利があるのに、彼女は基本的にそれを良しとしてくれないのだからエギエディルズとしてはまあ正直面白くない。

自分の魔法がフィリミナと過ごす時間のために使われるならば、エギエディルズとしてはなんの文句もない。けれど当の本人はそれを許してくれないのである。

いっそフィリミナの意思を無視して勝手に家事だのなんだのを片付けてやろうかとすら思う。エギエディルズにとってそれはたやすいことだ。

だができない。できるはずがない。

それこそが惚れた弱みという奴であり、つまり彼が恋をしているという事実のひとつの証明なのである。



【エギフィリを書く中村朱里さんには「幸せが逃げて行く気がした」で始まって、「もう振り返らないでね」で終わる物語を書いて欲しいです。季節を感じる話だと嬉しいです。】


倖せが逃げて行く気がした。まったく以てよろしくないことである。

そんなことは解っていたが、それでも込み上げてくる溜息は尽きることはない。ほう、と吐いた溜息は思いの外大きなもので、けれどその溜息は誰に聞きとがめられることもない。

倖せが逃げて行く、なんて。それは今が倖せであるからこそ言える話なのだ。そうとも、私は倖せである。悔しいことに、倖せなのである。その倖せの権化である存在は、今現在、私の膝に頭を乗せてなんとも呑気に寝息を立てている。

ここは屋敷の中のソファーではなく中庭のベンチであり、秋風が涼しいを通り越して冷たいと感じるようになった今日この頃。こんな季節の最中に外で眠りこけるなんて、この男、実は馬鹿なのではなかろうか。

いつだったか……確か結婚前に、私がアディナ邸の中庭のベンチで居眠りをしていた時には、まだ春の日差しが暖かな頃であったというのに、風邪をひきたいのかだのなんだのと苦言を呈してきたくせに、自分はこれなのだから始末に負えない。

まああの時は、この男は私にその肩とローブを貸してくれたし、私はそれが大層嬉しくてならなかったものだけれど。だからこそ私もこの男にショールや膝掛けをかけてあげたいと思うのだが、こんな風に膝を独占されていては身動きが取れない。

果たしてどうしたものか。そう私は、込み上げてくる溜息を今度こそなんとか噛み殺しながら、膝の上の白皙の美貌を見下ろした。

この男がこんなにも無防備な姿を晒す相手なんて私くらいなものなのだと解っているからこそこのまま膝を貸してあげたままでいてあげたいという気持ちも多いにあるが、このままでは本当に風邪を引いてしまうだろう。

……うむ、仕方がない。


「エディ、エディ。起きてくださいな。このままではお風邪を召してしまいますわ」


声をかけながらゆさゆさとその身体を揺すっても、男の反応は実に薄い。わずかに身動ぐばかりの夫の姿に、噛み殺しきれなかった溜息がこぼれた。

ここで甘やかしてはいけない。鬼にならねば、と心に決めて、その額を弾こうと指を立てたその時、私の手を男の手が掴んだ。


「エディ?どうなさいまして?」


朝焼け色の瞳を緩慢に瞬かせて、男はじっと私を見上げてくる。その両腕がじれったいほどゆっくりと持ち上げられ、私の顔に伸ばされた。


「エ、ディ?」


戸惑う私を他所に、じいと朝焼け色の瞳は茫洋とした光を宿したままだ。私のことを確かに見ているはずなのに、その心はまだ夢の中にあるようだった。


「エディ」

「――夢、を、みた」

「夢?」


それはどんな夢だったのかと私が問いかけるよりも先に、男は身体を起こして、そのまま私を抱きしめた。

いつのまにか秋風に冷え切っていた身体にぞくりとするけれど、だったら私の体温を分けてあげればいいだけの話だ。

そっと男の背中に腕を回して抱き返す。男は何も言わない。何も言う気がないのだろう。

けれどそれでいいと思うのだ。すべてを暴く必要なんてない。ただそばに居られるだけでいいのだから。


「ねえ、エディ。もうすぐ秋が去り、冬が来ます。そして春が来るのでしょう。その時まで、中庭での膝枕はお預けですね」

「室内ならいいのか?」

「ふふ、それはあなた次第です」


男の漆黒の髪を撫でて私は笑った。そうだ。いずれ秋は去り、冬が訪れ、春が芽吹く。繰り返す季節は一つとして同じものがない。たとえ過去がどんなものであったとしても。だってこの男と紡ぐ季節はいつだって、どんなものであったとしても、必ず尊いものであるのだから。

だから、ねえ、あなた。もう振り返らないで。




【エギフィリを書く中村朱里さんには「月の見えない夜だった」で始まり、「わからないままでいいよ」で終わる物語を書いて欲しいです。】


月の見えない夜だった。

星の瞬きばかりがやけに目立つ暗い空は、エギエディルズに、自分がまだ幼かった頃の記憶を呼び起こさせる。幾重にも張り巡らされた封印の中、ただ微かな魔力の瞬きだけが光源として認められる世界。あの狭く暗い世界の中で、ただ死んでいないだけだった自分。

孤独なんて知らなかった。最初からひとりだったのだから、寂しいという感覚なんて知るはずがないだろう。ひとりだけでは決して知り得るはずのない感情を教えてくれたのは、今腕の中で眠っている存在だった。

穏やかな寝息に耳を澄まし、微かな胸の動きに安堵する。優しいぬくもりを抱きしめていられるこの瞬間を、奇跡と言わずして何と言うのか、エギエディルズは知らない。

無意識のうちに腕に力が篭ってしまっていたらしく、腕の中でフィリミナが身動いだ。その睫毛が震え、眼差しが甘くとろける。


「……だいじょうぶ、ですよ、エディ」


その言葉に息を呑んだ。寝ぼけているのか。どういう意味で『大丈夫』などと口にしたのか。エギエディルズには解らなかった。フィリミナは知らないのに。知られたくなんてないのに。それなのに、腕の中で穏やかに、あたたかに、優しく微笑む彼女の甘やかな声音に聞き惚れる。その笑顔に見惚れてしまう。

エギエディルズが、その時、その瞬間、何を思ったかなんて、きっと誰にもわからないままでいいのだ。




【エギフィリを書く中村朱里さんには「少しだけ期待していた」で始まって、「答えはどこにもなかった」で終わる物語を書いて欲しいです。温かい話だと嬉しいです。】


少しだけ期待していた。なんて答えてくれるのか想像もできなくて、その答えが楽しみだった。

私の目の前では、私の夫である男がらしくもなく硬直している。「あなたはわたくしのどこを好きになってくださったのですか?」なんて、面倒くさい問いかけをした結果のその反応に、期待とともに若干の不安も募る。

先日姫様に「この男のどこがいいのか」と問いかけられ、私は「どこなのでしょう?」と心の底から首を傾げたものだ。我ながら酷い答えであったとは思うが、この男の無言の答えもまたなかなかに酷い気がする。


「ね、エディ。答えてくださいまし」


なんでもいいのだ。ほんの少しでいいから、言葉にしてほしかった。

それなのにこの男ときたら、私の額に無言で口付け、先程までのこの男以上に凍りついたように硬直する私に、にやりと笑いかけてくれるのである。「すべてを、と言ったら。お前は俺にどうしてくれる?」なんて、意地悪な質問まで付け足して。質問に質問で返してくるなんてずるい。あんまりだ。卑怯者め。

「どうしてくれる?」なんて。そんなの、爪先立ちになって男の唇に口付けを返すことくらいしかできない。それ以外に、答えはどこにもなかった。




【エギフィリを書く中村朱里さんには「届きそうで届かない何かがあった」で始まり、「信じてもいいですか」で終わる物語を書いて欲しいです。】


届きそうで届かない何かがあった。

あの子が魔法学院に行ってしまってから、もう六年。唯一の繋がりである手紙のやり取りは途切れることなく続いているけれど、どれだけ手紙を出しても、どれだけ手紙を受け取っても、届きそうで届かない何かの存在をいつだって感じていた。

私ももう十五歳。押しも押されぬレディとして恥ずかしくない年頃だ。

貴族の社交の場として欠かせない夜会にだってもう出席したこともあるし、そこで出会った貴族令嬢である同じ年頃のお嬢さん方が主催するお茶会にだって招かれたこともある。

私の周りは目まぐるしく変化していく。それなのに、あの子との関係は、手紙だけで繋がる細い一本の糸の姿のまま何も変わらない。

いくら待てども帰って来やしないあの子が帰ってしてくれるのは、きっと魔法学院を卒業してからになるのかもしれない。いつしかなんとなく、そう思うようになっていた。

あのエンジェルでフェアリーな容姿の男の子は、果たしてどんな成長を遂げているのだろうか。少だけ楽しみで、けれど、それ以上に不安もあって、私は手紙を読むたびに複雑な気持ちになる。

達筆な文字で紡がれる素っ気ない文章からだけでは何も解らない。私からの手紙の内容に対し一応触れてはくれているから、ちゃんと読んでくれてはいるらしいことを察するけれど、それだけだ。

私が手紙に込めた思いに、あの子はどこまで気付いていてくれているのか。……なんだかまったく気付かれていない気がする。私があの子の帰りをこんなにも待ち焦がれているなんて、きっと、考えてもみないのだろう。

ねえ、エディ。

「待っていてくれるか」と問いかけてくれたあなたの言葉を、私はまだ、信じてもいいですか。



届きそうで届かない何かがあった。

魔法学院に入学してから六年。その間に交わした手紙は既に数え切れないほどの数になっている。

エギエディルズにとって、その一通一通が、かけがえのない宝物だ。婚約者であるフィリミナの人柄を表すかのような柔らかな筆跡を、何度目で追いかけ、指でなぞったことだろう。

些細な内容ばかりの手紙を、いつだってエギエディルズは心待ちにしていた。だからこそ余計に、いつも返信には苦慮していた。何を書けば彼女を楽しませることができるのか解らず、普段魔法言語で書いている論文よりも、フィリミナへの手紙を書くのはもっとずっと難しく感じていた。

結果として味も素っ気もない内容になるばかりの手紙を、フィリミナは果たしてどんな思いで読んでくれているのだろう。彼女の元に本当に届けたい思いを綴ることもできずにいる手紙は、婚約者に送る手紙としてはてんで相応しくないものであるに違いない。それでも送らずにいられなかったのは、養父からフィリミナの話を聞かされているからだ。

十五歳になった彼女は、夜会や茶会に出席し、それなりに交友関係を築いているのだという。その背の傷の事情を知りながらも彼女に好意的に接する者は少なくなく、エギエディルズと彼女の婚約を知らぬ男から、アディナ家に婚約を申し込みを入れる者もいるのだとか。

初めてそれを聞いた時は正に血の気が引くような思いがした。彼女には俺がいる。そう声を大にして言いたかった。けれど言葉は声にはならず、結局エギエディルズは魔法学院から帰ることもできずに、ただただ手紙を送り続けることしかできずにいる。

そして脳裏の彼女に問うのだ。

「待っていてくれるか」という自分の問いに対し、「もちろんですわ」と頷いてくれたお前の笑顔を、未だ信じ続けることを許してくれるかと。




【エギフィリを書く中村朱里さんには「私は晴れの日が嫌いだった」で始まり、「明日はどこに行こうか」で終わる物語を書いて欲しいです。】


かつてのエギエディルズは晴れの日が嫌いだった。

誰かに向かってそれをはっきりと明言したことはなく、そのような素振りを見せたこともなかったため、エギエディルズが『晴れの日が嫌いである』と思っていたという事実を知る者はいない。おそらくはエギエディルズを誰よりも近くで見守り慈しんできた養父すら、その事実を知らないだろう。

エギエディルズが晴れの日を嫌っていた理由は非常に解りやすい。自らの純黒の髪は、晴れ渡る青空の下では非常に目立つからだ。自らが厭われる最大の理由である髪を目立たせる太陽のことを、どうして好きになれたというのだろう。

養父の手で封印の部屋から解放され、やっと諸手を挙げて太陽の下を歩けるようになった。だがそれを素直に喜ばしいと思うことはなかった。幼いエギエディルズはいつだって外套のフードを深く被り、太陽の光から逃れようとしていた。

そんなエギエディルズの、その目深に被るばかりであったフードを、いとも簡単に取り払ってくれた存在がいる。

事あるごとにフードを被ろうとするエギエディルズに、その存在は、「エギエディルズ様は、おひさまの下では天使さんになるのですね」とさも羨ましいと言いたげに笑ったのだ。

意味が解らず呆然とするエギエディルズをどう思ったのか、彼女はこう続けた。「エギエディルズ様の髪におひさまの光が反射して、天使さんの輪が浮かびますの。とっても素敵です」と。

彼女のその、他意も何もない、ただただ羨望と称賛が滲む声音に、エギエディルズは何も言い返せなかった。その代わり、彼女の前ではフードを被らなくなった。我ながら現金なものだったと今のエギエディルズは思う。

そしてそんな彼女の手を取って、エギエディルズは太陽の下に純黒の髪を晒してこうも思うのだ。もう陽の光を厭うことはないだろうと。この温かな手を繋いでいる限り、胸を張って太陽の下をどこまででも歩いていけると。

さあ、明日はどこへ行こうか。




【エギフィリを書く中村朱里さんには「平行線もいつかは交わるらしい」で始まり、「そっと立ち去るのです」で終わる物語を書いて欲しいです】


平行線もいつかは交わるらしい。そう言ったのは誰であったか。個人的な意見を述べさせてもらえれば、「いや、無理じゃないかな?」と苦笑することくらいしかできない。

私の目の前では、久々に我がアディナ邸にやってきた我が婚約者殿が、中庭のベンチでそれはもうすやすやと穏やかに寝息を立てていらっしゃる。ここ最近とみに忙しかったらしく、寝食を削って仕事に打ち込んでいるようだったと父から聞いているが、まさかこんなにも無防備な姿を晒してくれるほどお疲れとは思わなかった。

せっかく会えたのだから構ってください、なんて口が裂けても言えるはずがなく、結局このスリーピングビューティを見下ろしながら溜息を吐くばかりの私だ。

いつまで経っても進まない結婚話。正に私とこの男の関係は平行線のまま。離れることはないけれど、近づくこともできない距離。

それでいい、それだけで満足できるの。

そう自分に言い聞かせながら、眠る男にブランケットをかける。そして私は、男の髪に触れようとして伸ばした手をその寸前で止めて、自らの胸に引き寄せてから、男の眠りを妨げないように、そっと立ち去るのです。




【エギフィリを書く中村朱里さんには「幼い僕らは孤独だったね」で始まって、「君の名前を呼んだ」で終わる物語を書いて欲しいです。曖昧な話だと嬉しいです。】


幼いわたくし達は孤独でしたね。

――なーんて、そんな同意を求めることなど、私の隣で本を読むこの男に対して絶対にできることではない。それも当然だ。

純黒という稀有な存在として生まれついたこの男と、ただの一般人として生まれついた私に、そもそも共通点を求める方が間違っている。しかもその共通点が、『孤独』だなんて、どのツラを下げてそんなことが言えるというのだろう。

いくらランセントのお義父様から溢れんばかりの愛情を注がれ慈しまれ育てられてきたとしても、この男にはいつだって孤独が付きまとっているように私の目には映っていた。

そんなこの男の孤独が、家族を始めとした周囲の人々にも生まれもった立場にも恵まれて生きてきた私の孤独と同じであるはずがない。比べることすらおこがましい。

そもそも、私が抱えていたこの寂しさを、孤独と呼んでいいものか。異世界に転生した『私』は確かに満たされていたはずだ。先にも述べた通り、私は恵まれていたのだから。それでも寂しいと思ってしまう私はどれだけ贅沢者だったのだろう。思い返すだになんとも申し訳なくてならない。


「おい」

「はい?」


ふいに声をかけられて首を傾げてみせれば、朝焼け色の瞳がじっと私を見つめてきた。吸い込まれそうなその瞳を見つめ返せば、何やら物言いたげに男の薄い唇が小さく動き、そして結局何も音を発さないまま閉じられる。


「エディ? どうなさいまして?」


何故そんな不満そうな顔をされねばならぬのか。んん?と更に首を傾げると、男は一つ溜息を吐いた。深い、それはそれは深ぁい溜息である。


「それは俺の台詞だ」

「と、仰いますと?」

「ずっと俺の顔をじっと見つめ続けて。何か言いたいことがあるんじゃないのか?」

「あら……」


男の台詞から察するに、どうやら私はずっとこの男の顔を見ているばかりであったようだ。確かにこの男の顔はいくら見つめても見飽きない大変お美しいお顔であるが、いい加減見慣れた私が今更見惚れることもないと思っていたというのに。いやはや、私もまだまだであるということらしい。


「それで、何が言いたいんだ?」


男の問いかけに、私はにっこりと微笑みを返した。そっけないようでいて、確かに私に対する心配が見え隠れする、気遣いに溢れたその美声に、心が満たされていく。何が言いたいか、なんて。そんなのいつだって決まっている。私の孤独を癒してくれる最強の呪文。

ねえ、あなた。最強で最高の、唯一無二の呪文を今唱えましょう。


「ただあなたを呼びたくなっただけです、わたくしのかわいいエディ」


そして私は微笑みを深め、あなたの名前を呼んだ。




【エギフィリを書く中村朱里さんには「あの子が嫌い」で始まり、「あーあ、言っちゃった」で終わる物語を書いて欲しいです。】


あいつが嫌いだ。フェルナンはそう内心で呟くと同時に、人目もはばからず盛大に舌打ちをした。

基本的には人当たりがよく、他人に対して取り立てて悪意や害意を向けることはあまりないフェルナンが、『嫌いだ』と声を大にして言う相手などそうはいない。というか、そんな相手などたった一人しかいない。

あいつ、とはすなわち、フェルナンにとってこの上なく不本意ながらもいずれ――正確には、明日、フェルナンが愛し敬い尊んでやまない姉であるフィリミナ・ヴィア・アディナを奪っていく男、エギエディルズ・フォン・ランセントその人である。

明日は二人の結婚式だ。明日、姉はアディナ家を出て、ランセント家に嫁いでしまう。その事実は、フェルナンがどれだけ悔しく、歯痒く、腹立たしく、そして寂しく思おうとも、今更覆すことのできない決定事項である。

そう、誰が何を言おうとも、もう駄目なのだ。姉はフェルナンだけの姉ではなくなってしまうのだ。不幸な事故をきっかけにしてエギエディルズの婚約者となった姉に、フェルナンは何度「婚約なんて解消してしまいましょう」と進言したことか。エギエディルズが聞けば、いつもは無表情を保っているあのとんでもなく整ったお綺麗な顔を盛大に引きつらせるに違いないような熱弁を、姉の前で振るった。けれどその度に姉は困ったように笑うばかりで、決して自分から婚約を解消したいとは口にしなかった。フェルナンのどんな説得も懇願も無駄だった。

姉が一言でも「あなたの言う通りね」と言ってくれたら、フェルナンはどんな手を使ってでも二人の婚約を破棄させていたのに。けれど、それはできなかった。他ならぬ姉が望まなかったからだ。

フェルナンは知っている。姉が本当は、ずっとずっとあの男のことを待っていたことを。

いつだって待たされるばかりの姉の姿を見るのは苦しかった。姉上はどうしてそんなにもあの男のことを想うことができるのですかと問いかけたくなったことなど山とあるが、実際に音声にして問いかけたことはない。

何が悲しくて愛する姉から憎き男への想いを聞かされねばならないのか。冗談でも御免被る。

そして明日、その姉の望みが叶うのだ。いいや、姉ばかりの望みではない。あの男にとっては生涯をかけた望みだ。ようやく、と言いたいのはフェルナンではなく、本当は姉と、そしてあの男なのだろう。


「……あの野郎」


基本的には人当たりがよく、他人に対してそこまで悪意や害意を向けることはないフェルナンは、低い声で呟いた。

その発言は昔からお決まりの、結婚する新郎新婦の仲を不本意にも認めることになってしまう台詞であると解っていながら、それでも呟かずにはいられなかった。


「姉上を泣かせたらぶん殴ってやる」


あーあ、言ってしまった。




【エギフィリを書く中村朱里さんには「最果てまで行きたい」で始まり、「恋って偉大だ」で終わる物語を書いて欲しいです。】


最果てまで行きたい、と、かつてエルネストの息子はそう言った。それは幼い彼を引き取ったばかりの頃のことだ。

あまりにも生きることに対し無気力であるエルネストがエギエディルズと名付けた子供は、エルネストに何か望みは無いかと問いかけられたとき、そう答えた。魔法学院でも優秀な成績を修め、現在進行形で黒蓮宮において辣腕を振るっているエルネストだったが、その時の幼い我が子のその言葉に、あらゆる言葉を失ったことを一度たりとも忘れたことはない。

なんと寂しいことを言うのだろう。なんと悲しいことを言うのだろう。そう思わずにはいられなかった。

エギエディルズの言う『最果て』が、『誰もいないところ』であるということに気付かずいられるほど、エルネストは鈍くはなかった。この子の心は、未だあの生家の暗い牢の中にあるのかと、自らの無力を思い知らされた。

だからこそ、エルネストは懸命にエギエディルズに、『生きていること』というものを言い聞かせた。半ば意地になっていたなと現在のエルネストは思う。

幸いなことにかわいい息子はエルネストのことを受け入れてくれた。もっと言えば、エルネスト以外を受け入れようとはしなかった。

それなのに。


「まあお義父様、いらっしゃいませ。申し訳ありません、今ちょうどお茶菓子を切らしておりまして。どうしましょう、一から作っていたらお時間を頂戴することになってしまいますし、わたくし、すぐに買ってまいり……」

「待てフィリミナ。俺も行く」

「何を仰ってますの。あなたはお義父様とゆっくりなさっていてくださいな。久々の親子水入らずなのでしょう?」

「それは、そう、だが」


妻のごもっともな説得に、その美貌にそれでも納得がいっていないような不満げな表情を浮かべる息子の姿に、エルネストは笑みをこぼした。エルネスト以外を受け入れようとしなかった子供が今ではこれである。

きっと今、かつて子供であり、今は青年となったこの我が子にあの時と同じ問いかけをしたら、きっと彼はこう答えるだろう。「フィリミナと、いつまでも共に在りたい」と。なんて素敵な答えだろう。

ああまったく、恋というものは偉大である。

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