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魔法使いの婚約者  作者: 中村朱里
おまけ

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42/65

【SS】彼の口は誰のもの?

時系列としては妻編終了から少しばかり経過してからくらいです。

王宮勤めの魔法使いが集う黒蓮宮。その最奥に位置するエギエディルズの研究室は、近頃、今までに無い賑わいを見せていた。


「ウィドニコル様、エギエディルズ様はいつおいでになるのですか? そろそろお昼時でしょう、是非私とお食事して頂きたく思いまして」

「いいえ、わたくしと。当家の料理人に、とっておきの昼食を作らせましたの」

「あら、そんな冷えた食事よりも、温かい食事の方がいいに決まっていますわ。私は料理人を連れてきておりますから、すぐに用意させますとも」


何人もの貴族の令嬢が、研究室の扉の前で小鳥のように口々に囀っている。誰もが皆、その瞳をぎらぎらと輝かせて、一歩も退く様子がない。

そんな彼女達の前に、研究室の扉の前に立ち塞がるようにして立つ、エギエディルズの弟子であるウィドニコルは、顔に引きつった笑みを貼り付けつけつつ、内心で「誰か助けて!」と悲鳴を上げていた。

先日姫が催した夜会以来、こうして令嬢達が、たびたびエギエディルズの研究室にやってくるようになった。孤高の魔法使いの妻という座の魅力に、クレメンティーネ主催のくだんの夜会で、ようやく気付かされたらしい。

今更気付いたって遅すぎるのに、とウィドニコルは思うのだが、「あのアディナ家の娘風情よりも、当家の娘の方が」と考える輩は多いようだった。

黒蓮宮の、それも王宮筆頭魔法使いの研究室に事前の通達もなしにやってくることなど、そうそう許されることではない。本来であればここまで辿り着く前に、衛兵に見咎められて追い返されるのが関の山であるはずだ。

……だが、ここにいる令嬢達は皆、それが許されるだけの権力と地位を持ち合わせた家柄の令嬢達なのである。いくらエギエディルズの弟子であるとはいえ、元を正せば一平民に過ぎないウィドニコルが彼女達を追い返すことはできなかった。唯一できるのは、こうして扉の前で、彼女達の侵入を拒みつつ、今はここにいない師の帰りを、今か今かと待ちわびることくらいである。


――師匠、早く帰ってきてください……!


この研究室の主であるウィドニコルの師、エギエディルズは、現在、図書館へと向かっており、不在なのだ。エギエディルズ本人がいれば、ウィドニコルとてこんな苦労を背負わされることなどなかったのだろうが、これに関して言えばもう運が悪かったとしか言いようがない。

ウィドニコルの胸中の、悲痛な叫びを知ってか知らずか、彼の目の前で令嬢達は互いに牽制し合っている。その瞳に宿る光は、深窓の令嬢に相応しからぬ、肉食獣のそれである。ぶっちゃけ怖い。

焦らされに焦らされている令嬢達は、いい加減無理矢理研究室に押し入ってきてもおかしくはない。

そんな雰囲気の中で、最早限界か、とウィドニコルが天を仰ぎたくなったその時、玲瓏たる声が、さして大きな声量でもないはずであるというのに、不思議と大きくその場の空気を揺らした。


「――――何をしている?」

「師匠!」


その美声に、ほ、とウィドニコルは安堵の息を吐く。その視線の先で、人外じみた白皙の美貌を持つ王宮筆頭魔法使い、エギエディルズ・フォン・ランセントが立っていた。

先程まであれほど忙しなく、我こそはと口を動かしていた令嬢達は皆、まるで凍り付いたかのように固まっている。彼女らの視線は、一様にエギエディルズの顔に釘付けだ。

まあ当然だろうとウィドニコルは思う。ほぼ毎日見ているはずの自分でも、未だエギエディルズの美貌には、見惚れずにはいられないのだから。

エギエディルズは、ウィドニコルと、己を熱を帯びた目で注視する令嬢達を、朝焼け色の瞳で一瞥すると、至極緩慢な仕草で首を傾げてみせた。


「それで、皆様はどういうご用件でここに?」


その言葉に、はたと正気を取り戻した令嬢達が、我先にとエギエディルズに駆け寄っていく。


「わ、わたしと昼食を、と思いまして……!」

「いいえ、いいえ、是非私と!」

「皆様酷いわ、わたくしが最初でしたのに!」

「…………」


物言わぬエギエディルズの整った眉が、僅かに顰められる。気付けるものにしか気付けないその変化に、令嬢達が気付くはずもなく、冷や汗がウィドニコルの背筋を伝っていく。

頼むから諦めて帰ってください、と声無き声で願うウィドニコルの視線の先、エギエディルズの背後から、見知った女性が近付いてきたのは、そんな時だった。

ウィドニコルは思わず「あ」と声を上げる。その声に、エギエディルズと、彼を囲んでいた令嬢達が一斉に背後を振り返る。

一度に多人数の視線を受け止めた彼女……フィリミナ・フォン・ランセントは、臆することもなく、にっこりと穏やかに微笑んだ。


「あらあら。昼食を持ってきたのですけれど、わたくし、お邪魔してしまいましたかしら?」


フィリミナの手には、いつもと同じバスケットがある。そんな彼女を目にしたエギエディルズの変化は、それまでの無表情とどこかぴりぴりとした雰囲気が嘘であったかのように、劇的なものだった。それこそ、エギエディルズを深く知らない令嬢達ですら、気付かずにはいられない程に。


「いいや。ちょうど良かった。来い」

「エディ、ですが」

「いいから来いと言っているんだ」


有無を言わせないエギエディルズの言葉に、困ったような表情を浮かべつつ、フィリミナは凍り付いたように硬直している令嬢達の方を窺いながら、己の夫の横に並ぶ。

そんな妻からバスケットを受け取り、エギエディルズは、そうするのが当たり前のことであるかのように、ごく自然な仕草で、フィリミナの額に口付けた。



「――――!!」



声無き悲鳴を上げたのは、令嬢達か、ウィドニコルか、はたまたフィリミナであったのか。もしくはその全員であったのかもしれない。

フィリミナの顔色が、見る見るうちに薄紅色に染まっていく。その唇がはくはくと言葉を探すように音もなく喘ぐ。


「~~エ……ッ!」


エディ、と。フィリミナがやっとの思いで彼女だけが呼ぶことを許された夫の名を絞り出そうとしたところを、エギエディルズは指先で彼女の唇をそっと優しく抑える。たったそれだけのことで、エギエディルズはフィリミナの声を完璧に封じてしまった。

そうして、完全に言葉を失っている周囲の反応など物ともせず、エギエディルズは、令嬢達に向き直る。そうして、その美貌に、滅多に他者に見せることのない、艶やかで美しい、そして有無を言わせない笑みを浮かべてみせた。


「私にはこの通り、妻が用意してくれたものがありますので。どうぞ、お帰りはあちらです」


いっそ凄絶とすら評しても不思議ではないほどの迫力に溢れた笑みと共に放たれたその言葉に、逆らえる令嬢は、誰一人として存在しなかったという。

活動報告にお知らせを載せております。お時間ありましたら読んでやってくださると幸いです。

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