002
普段と全く変わらず、背筋を伸ばして楚々とした足取りで廊下を歩く藤宮さんに、俺は全身を縮こまらせながらおっかなびっくりと付き従う。
美少女委員長殿が全校レベルでどれほどの知名度なのかは知らないが、そもそも女の子と二人で歩くなんてありえないことなので、それだけで回りの視線が気になってしまうものなのです。気後れするというか。あ、栂坂さんにゴミ屑のように引きずられたのはノーカウントで。
自意識過剰なのは解ってる。それでも、周りの視線っていうのは怖い物だ。
「万軍が何おどおどしてるの。ゲームの中だと無駄に堂々としてるのに」
「ちょ、そんな大声で……ゲームの中の名前で呼ぶのはノーマナーだよ」
「ノーマナーなんて単語一番嫌いな癖にね」
振り返ってにっこりと笑う藤宮さんに、俺は首をすくめることしかできなかった。
VRゲームが市民権を得つつある今では、ゲームをやってることがバレるぐらいはどうということはないのかもしれない。だがそれは藤宮さんみたいにそれなりに健全なプレイをしている場合に限る。男の癖に可愛い女の子キャラを操ってはしゃいでいるなんてことがバレたら社会的死確定なのである。
それは委員長殿も解ってくれているのか、追求はそれまでだった。
階段を上る。
クラスルームのある4階を通り過ぎて、向かう先は、屋上へと出る扉だ。
美里高校の屋上は四方をフェンスで固めた上で開放されていて、良くあるような秘密の空間ではない。
開かれた扉の向こう、昼休みも後半にさしかかっているためか、人影はまばらだった。
良く晴れた初夏の青空が目に痛い。
入道雲の季節には未だ早い。雲一つ無く良く澄んだ青空。
銀剣の世界の青空も綺麗だけど、こう本当に綺麗な現実の景色には流石に敵わないなと思う。
「それで話って……何の用件なんだろう」
俺が青空に意識を向けていたのはほんの一瞬だったけれど、藤宮さんはしばらくの間、眩しそうに空を見上げていた。
「何か用件が無ければ四埜宮くんと話しちゃいけないのかな?」
こちらを向いてそんな、悪戯っぽく微笑む委員長殿。可能な限り平静を装おうとしたのに、顔が火照るのを自分でも感じてしまう。意地の悪いゲームの中の旧友の言い回しだとわかっていても、現実の女の子からそんな言葉を向けられては。
「四埜宮くんにとっては、現実と銀剣は全然別の世界なんだね。ユキの時は普通に接してくれるのに」
「そりゃ……あっちはゲームだし、女キャラだし……」
同じ自分には違いないのだけど、完全に同じ意識でいられるかといえばそれは違った。ゲームの中のユキはユキだし、現実の自分は自分。
「まあ私も少しゲームの中だと違うっていうのは自覚してるけれどね」
そんなことを言う藤宮さんに、少しばかり苦笑が浮かんだ。
優しい優等生な藤宮さんと、腹黒策士なレティシア。どちらかというとレティシアの方が本性なんじゃないかという気が最近してきていた。さっきのパン売り場でのやり口といい。
「ま、今日誘ったのはね」
そう、藤宮さんはゆっくりと歩くと、フェンスの際の段差になっているコンクリートの上に腰を預けた。かすかに吹く夏の風が栗色の柔らかい髪を揺らす。
「この間は、元は栂坂さんに端を発した話だから栂坂さんにお任せした方が良いかなと思って、全部任せたんだけど、それで、四埜宮くんがあんまりにもすっきりした顔で来るものだから、悔しくなっちゃって」
「裕真といい、なんでみんなすっきりすっきり言うんですかね」
もっと言いようがあるでしょう。賢者モードとか。なお悪いわ。
などと人には聞かせられないノリ突っ込みを頭の中で繰り広げているのを知るよしも無く、藤宮さんはにっこりと笑う。
その笑い方はレティシアのものだ。
「自覚ないのかなぁ? 本当に晴れやかな顔してるよ、四埜宮くん」
「あ……う、うん。その自覚はあまりないのですが……」
「たちが悪いね」
「はい……なんか……ごめんなさい」
そう頭を掻いた俺に、藤宮さんはふっと、笑みの色を変えた。
霞むような微笑み。少し寂しさの混じった……それもゲームの中だったけれど、見覚えのあるものだった。
「私だって力になりたかったのに。ずっと仲間だったのに、半年前も今も力になれないなんて、悲しかったからね」
そんな言葉にはっとした。
力になれないなんてことは、そんなことは全然無いのだ。いつだって仲間の言葉は優しく、暖かい。
自分の思っていること、伝えられずに居た自分こそ、駄目だというのに。
「えっと……そんなことないんだよ。みんないつも優しかったのに……その、俺が変な意地張ってただけで……」
だけど、やっぱり、上手く言葉には出来なくて。
「ユキの時はもっと饒舌なのにね、四埜宮くん」
「うぐ……」
なんと言われても、ユキと四埜宮悠木は少し違うのだ。ゲームの中みたいに振る舞えたら、どんなに良いだろう。
「でも……ありがとう。それに、私にもアドバイス出来ること一つ見つけちゃった」
「うん……?」
急にそんなことを言い出す藤宮さんに、俺は怪訝に首を傾げた。
「四埜宮くんは、私と話したことなんてほんと、すぐ忘れちゃうんだね。半年しか経ってないのに」
「あ、いや、ちょっと……」
そんなことを言われて慌てて、それから周囲を見回した。
クラスの人気の女子と懇意な会話をして、その上それを忘れたなんて、こう、なんだろう。袋だたきに遭う未来しか見えなかったが、幸いこちらの会話に聞き耳をたてているようなのは回りに居なかった。
「なんてね、ユキは半年前も何も言わなかったよ。ただ、みんなにもう迷惑かけないように、ソロでやってくって、そう言っただけ」
「あ……うん」
相変わらずこう藤宮さんにはひたすら手玉にとられてる感が否めない。
でも、こちらを見た藤宮さんの……レティシアの眼差しは透き通って、真剣だった。
「ユキは今やっている煽りプレイの元をやけくそだと思ってるみたいだけど、私はあの時、違う風に感じたんだよ」
「え?」
ぽかんとする。少し遅れてその意味を理解して、心臓が大きく鼓動を打つのを感じた。
カンナにも伝えた、その理由。
――俺は全てを敵にしたかったんだと思う。
誰とも無い、全てを。
確かに、自分でそう確認した。
「色んなものを敵にしたいっていうのは確かだろうね。でも、私が思ったのはね」
藤宮さんの唇が紡ぐ言葉に、俺は意識の全てを傾けた。
「……ああ、ユキは、『正義』と戦うつもりなんだって」
『正義』……?
急に飛び出した簡単で難しい台詞に、一瞬ぽかんとしてしまった俺に、藤宮さんはまた、いつものレティシアの底意地の悪い笑みを浮かべた。
「私が全部言っちゃったら意味がないからね。考えてみて、四埜宮くん」
「……うん」
正義……。
すぐにぴんと閃くものは無かったけれど、それは長らく一緒に戦ってきて、誰よりも信頼していた仲間の言葉。俺なんかよりずっとしっかりしていて頭の良かったレティシアの言葉。
きっと、大事な意味があるんだろうと思って、そっと、心の中にしまい込む。
藤宮さんはなんだかご機嫌に、身を翻してみせた。
チャイムが鳴る。午後の授業開始五分前の合図。
「さ、四埜宮くん、二人一緒に教室に戻ろうか」
「え、いや、ちょっと、それは」
一瞬の真摯な眼差しと言葉なんて嘘だったかのようにそんなことを言う委員長殿に、俺は慌てることしかできなかった。
また期間が開いてしまって申し訳ないですが、なんとか次話投稿です!




