004
―ブライマル自由都市連合 潟の都メルドバルド
澄宵月 15の日
メルドバルドはブライマル自由都市連合の北端に位置する都市だ。六ヵ国に分かたれたプレイヤー達が会することが可能なブライマルの中でも屈指の人気を有する街で、その人気は街の景観に拠るところが大きい。
海に点在する小島を繋ぐように築かれた街は、あたかも水の上に浮かんでいるかのようで、建物の軒先をかすめるようにして数え切れない交易船や渡し船が水路を行く。
特に夜ともなれば、船の掲げる灯火や家々から漏れ出す明かりが水面に反射して、幻灯の如き神秘的な光景を作り上げるのだった。
シルファリオンから、メルドバルドの入り口に当たる本島の港にやってきた俺は、NPCの漕ぐ渡し船を呼び止めて、行き先を告げた。
幸いなことに同乗人は居ない。わずかな時間だが1人の空間を得ることが出来て、全身の筋肉を弛緩させた。
穏やかな波が揺り籠のように体をゆする。現実の2時間で忙しなく空を一周する太陽は、水面の下に沈んだばかりだ。海の上にはBGMも無く、かき分けられる波の水音と、船体を軋ませる櫂の音。深くなりゆく宵闇に、ぽつり、ぽつり、灯火が灯り始める。
仮想現実のものとは思えない、幻想的で美しい光景にぼんやりと見とれる。
様々な色の魔法光で飾られた都市議会堂。
一際明るく火を焚いた大鐘楼。
そんな、遠くから眺める華やかな灯りに彩られたメルドバルドの街の景色は、ため息をつきたくなるほど綺麗で、それでいてどこか一抹の寂しさを覚えさせられた。
それは小さい頃に遠くから見た夜祭りの景色に、どこか似ていた。
遠くにある賑やかさ、どこかにある楽しい物語。ただ、それは今、自分のものではなくて、ただ今の自分は眺めていることしか出来なくて……。
……勿論、今覚えるそんな感情は、無意味な感傷にしか過ぎない。
賑やかな街の音が大きくなるにつれて、BGMがフェードインして、短い船旅は終わりを告げる。
小島の一つを占有して建てられた、煉瓦造りの小洒落た建物から伸びる桟橋に、渡し船は停まった。
軒には看板の代わりに大きな鹿の首の剥製。メルドバルドの鹿角亭と言えば、Wikiに無駄に丁寧に纏められた銀剣観光ガイドでも、おすすめ度高の酒場として取り上げられている。
曰く、夜景の美しさナンバーワン。料理もおしゃれ。デートにもってこい。
勝負に出るなら是非ここで!
……銀剣も多くのMMORPGがそうであるように、キャラクターの向こうに現実の人が居る以上、色恋沙汰の話は絶えない。クエストや狩りメインの他のVRMMOタイトルに比べればましなようだが、それでも、男女関係の揉め事でレギオンが解散したとかそういう話は日常茶飯事だ。
勿論現実でもそんな青春から縁遠い俺は、そういう素敵なシチュエーションには出会ったことがないわけで。あ、いや、キャラクターの性別を間違えたのが全ての敗因ですね、はい。良いんです、自キャラ可愛いんで……。
木戸をくぐると、橙の暖かい灯りに照らし上げられた店内は、確かにカップル比率が高いような気がした。なんとなく理由の無い気まずさを覚えながら辺りを見回して、賑やかに手を振る見慣れたポニーテールを見つける。
「ごめんね、遅くなっちゃって」
「ほんとだよー」
相変わらず柔らかい笑顔でフォローも何も無い一言を無慈悲に告げるのはレティシアだった。怒ってるならちゃんと怒った顔してくださいよ怖いから……。
その点カンナは解りやすい。空いていたネージュの隣に腰を下ろした俺に、冷めた半眼を送ってくる。
「なんで私の前に座るんですか」
「いや……ここしか空いてるところないんですけど」
「なんで椅子に座るんですか」
「あの、私何か悪いことしましたっけ……」
言ってることが無茶苦茶です。
ため息と一緒にカンナが無言で向けてきたパブリック表示のインフォメーションウィンドウには、公式の雑談フォーラムの一つの記事が映し出されていた。
何事かと思って覗き込む。タイムスタンプから今さっき立てられたばかりと思われるそのトピックのタイトルは、
『ユキっていうノーマナープレイヤー』
タイミング的にはほぼ間違いなく、さっきまでの戦争でやっつけたレギオン連中が立てたものだと思われた。余程最後の捨て台詞を腹に据えかねたんだろうか。
「あらあら、集合時間に遅れたと思ったら何楽しいことやってたのかな、ユキは」
「だからレティシアはその笑顔怖いって。ちょっと戦争長引いちゃって、その、申し訳ないとは思ってるんだけど、別に楽しいことやってたわけじゃ……」
「普通に戦争してた人がこんなトピック立てられるとは思えないんですけど」
「いやぁ……よくわからないけど、レギオンぐるみで狙ってくるクロバールの連中が居てさ」
「はい」
「踏むじゃん?」
「踏みません」
ばっさり斬って捨てられた。
「俺は狙ってきた奴らならやり返しても良いと思うけどな」
「流石ジークは話がわかるなぁ」
「やあね、男子って野蛮で」
「私、女の子ですけど」
思わず口走ってしまった瞬間に後悔したが、後悔先に立たずとはよく言った物で。
ちゃんと中身も女の子な3人から冷え切った眼差しを向けられて、俺は乾いた笑顔で誤魔化すしかできなかった。
「あ、はは……なんて冗談」
「その女子アピールは流石に無いかなぁ?」
「きも」
「兄様……」
「……はい」
カップル達が甘やかな言葉を囁きあうデートスポットで、何が悲しくて女の子3人から言葉責めを受けないとならないんですかね……俺はそういう趣味全くないんですけど。
「というわけで、ここはユキのおごりだからねー」
「何がというわけなのかよくわからないけれど、抵抗しても無駄っていうのはわかったよ……」
笑顔のレティシアにため息を返して、俺はテーブルの上のメニューをぺらぺらとめくった。
ゲームの中での食事、というのもVRインターフェースが発売されて以来、ゲームごとにアプローチが異なっていて面白いものの一つだと思う。
モンスターハントや、裁縫や料理といった生産が中心要素になるタイトルでは、ちゃんとゲーム内でも物を食べないとステータスに影響が出たりと、食事がゲームの主要素になっているものもあるらしい。
戦争中心の銀剣での食事は完全にサブ要素だ。街に一つはある酒場や宿屋に行けば、とりあえずはちゃんとした味の食べ物を出してくれるが、仲間との歓談の付け合わせにどうぞ、という程度の取扱だ。別にキャラクターを作ってから一度もゲーム内で食事をしていなかろうと、成長にもステータスにも何の影響も無かった。
食事と言っても当然電磁波によって作られた疑似感覚なので、それで現実の腹がふくれるわけでは無く、逆に現実で食事を取った後だと、ゲームの中でもそんな食べる気にはならない。
俺もネージュも、そして恐らく他のみんなも、夕食を済ませてからログインしているので、自然、目は肉や魚よりも、甘い物に目が行く。
2人でメニューを覗き込んで、真剣にあれがこれがと言葉を交わすレティシアとカンナの姿に、俺はこっそりジークと視線を交わして肩をすくめた。
「いいよね、ゲームの中の甘い物はお肉にならなくて」
「……何か言ったかな? ユキちゃん?」
「ごめんなさいなんでもないです」
……レティシア――藤宮さんに、カンナ――栂坂さんも、そんなカロリーだのなんだの気にする必要なんて全くないくらいちゃんと細っこいと思うんだけど、女心っていうのはVRで女キャラを演じようとも、永遠に解らないもののようだった。
NPCのウェイトレスさんに思い思いの飲み物と甘い物を注文して。
レティシアがぽんと手を鳴らして、場を仕切り直す。
「さて、それでは第一回カンナ救出作戦会議と行きましょうか」
誰だよ今週からは暇になるって言った人!
自分です。
というわけでまだ一週間一回のペース……話もまったりと進行していきます。




