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005

―クロバール共和国 首都 ディオファーラ

 雪華月 20の日


 足音を殺して、夜霧のクロバールの裏通りを進みながら。

 もう一度、自分の居る状況を振り返った。


 戦争の始まりとともに差し出された問い。

 それは、亡命クエストの一環だったのか。宣戦布告がなされ、ウェブフォーラムや外部サイトへのアクセスが封じられた今では確かめようもない。

 そして同じように問いかけられた仲間がいるのか、いたとして応じたのか。それを知るすべもなかった。


 ここは敵国の中心、ディオファーラ。

 

 わずかな足音を耳に捉えて、何に使われているとも知れない建物の壁に貼り付く。

 息をひそめてみれば……遠い足音だ。それも離れていく。

 

――――こんな緊張、現実でもしたことないな……。


 全身が酸素を欲している。息をひそめるどころか、止めていたことに気付いて、俺は深々と息を吸い込んだ。現実の体も息を止めていたのかも知れない。バイタル異常を検知されて強制ログアウトなんて目も当てられない。


 VRインターフェースを被って別れたのが、随分と昔のことのように感じられる。

 ログアウトすれば、みんな一緒の部屋に居るなんて、なんだか懐かしくてホームシックにかかりそうだ。


 独りの不安。

 敵国の不安。

 そしてこれから体感するゲーム内の時間での一ヶ月。


 押しつぶされそうになりながら、俺は拳を握りしめた。


 俺は、確かにあの問いかけに、応えたのだ。

 

 自分の選んだ結果だ。誰も恨みようが無い。

 

 夜霧の向こうに霞んで見えた景色と、進んできた道を照らし合わせて、今の居場所を想定する。

 俺が転移した場所は、おそらくディオファーラの中央広場付近だったはずだ。間近に見えた背の高い綺麗な建物、あれはクロバールの中央議事堂やらの政庁に間違い無い。


 そこから、ゆっくりと南に進んできた。

 ディオファーラを南北に貫く大通りは避け、わずかに東に寄った裏路地を縫うように。夜霧が濃くてわからないが、もう間も無く、南の城壁も射程内に入ってくるはずだった。


 カンナは無事で居るだろうか。

 独りでどこかに隠れているだろうか。それとも俺と同じように路地裏をスニーキングしているだろうか。

 ずっとソロプレイを貫いてきた俺よりも、カンナにはこの状況は堪えるかもしれないと思った。

 黒髪の少女はほんの少し前まで、クロバールの大手レギオンに所属していたのだ。戦争に行くにも、クエストをこなすにも何だかんだで同行者には事欠かず……独りということはなかったはず。

 ユミリアに居たとき……木立の下で所在なさげに座り込んでいる姿は、どこか寂しそうだった。


――――そんなこと言ったら、怒られるだけだろうけどさ。 


 周りの音に耳を澄まして、また歩き始めようとした、次の瞬間、俺の耳を一際大きな声が打った。


「居たぞっ!」


 全身を緊張させて、また壁にへばりつく。

 だが、その足音はまだ遠く、近づいてくるどころか足早に遠ざかっていく。


「――――っ!」


 それを悟った瞬間、俺は駆けだしていた。

 この街で追われている人がいるとしたら……俺側の人間であることは間違いが無い。

 


 ◇◆◇


「はぁっはぁっ……っ」


 迂闊だったという他が無い。

 宣戦布告のタイミングにあわせて、亡命クエストの申請を行った。特に気を使うでも無く、ディオファーラの中央広場の隅で。

 その瞬間、自分のステータスアイコン表示が、クロバールの人達にとって敵性に変わるなんて……思って見れば当たり前のことを、全く想定していなかった。


 全面戦争にあたってほとんどのプレイヤーはもう戦場に向かう準備に入っていたのと、今日のディオファーラが深い霧に覆われていたのは、まだ不幸中の幸いだったけれど。


 カンナは、民家と思しき建物の天窓の横に身をへたり込むように身を縮こまらせた。

 当たりは夜霧。街灯がおぼろげに光る様が、水面から海中を覗き込むように見えた。


 ここは、屋根の上だった。

 

――――なんとかと煙は高いところが好き……なんて。


 自虐的にそんなことを考えてしまう。

 周囲の人から驚きと、それから、どこか面白がるような視線を浴びせられたとき、自分は完全に恐慌を来してしまっていた。

 無我夢中でそこから逃げ出して、追いかけてくる足音に心臓を締め上げられながら。気付けば、屋根の上へと逃げ込んでいた。どこかの建物の中から登ったのか、それともひさしや街灯を足がかりに登ったのか、全く記憶に無かった。


 まだ口元に、震えが残る。自分の体を抱くように膝を抱え込んで。

 独りで逃げることが、周りから狩りの獲物に対するような視線を向けられることが、こんな風だなんて、思って見たことも無かった。


――――ユキは、いつもこんな風な……。


 そう、同級生の煽り屋のことを思い、唇を噛む。

 

――――必ず助けに行くから。


 そんな言葉まで思い出してしまって。自分の気弱さが不甲斐なかった。

 ユキは、今ごろアグノシアで戦争に向かい合おうとしているはずだ。アルモアまで助けに来てくれる、そう言ってくれた金色の髪の少女。だけど、そこまでは自分の足で辿り着かないとならない。


「居たぞっ!」

 

 夜霧の中に響き渡った声に肩をふるわせて立ち上がる。

 逃げないと。辺りを窺って行く道を定めようとした瞬間、天窓が音を立てて押し開かれた。


 とっさに飛び退く、そこに湧き出すように現れた、何人もの追っ手。


「どさくさに紛れて亡命なんて、そうは問屋が卸さないぜ。エルドールの裏切り者」


 そんな言葉を投げかけられて、唇を噛みしめる。

 気弱になるな、自分で決めたことなのに。そう言い聞かせて……それでも、膝が震えた。

 あの日も感じた、他人から敵意では無く、憎しみを向けられることが、こんなに怖いだなんて。


 戦場で敵対するのとは別の種類の敵意。


 自分はクロバールを裏切った。あの日、カンディアンゴルトで、自分の意志で聖堂騎士団(テンプルナイツ)と戦った。

 自分は誤っていたとも思わない。後悔もしていない。それなのに、怯えてしまうなんて。


 無意識に後ずさって、かかとが浮く感覚に、身を竦ませた。

 建物はそこで途切れていて……夜霧の海が広がっていた。隣の建物は離れ小島のように遠く、とても飛び移れる距離に無い。


 不滅の刃(デュランダーナ)を抜き放ち構える。青白く冴え渡る刃は、少しだけ気持ちを落ち着かせてくれたが、相手は10人に近い。とても一人で相手にできるとは思えなかった。


「年貢の納め時って奴?」

「それともログアウトでもして逃げるかい」


 そんな軽口を投げかけられて、苛立ちとも悔しさともつかない感情に胸の奥が沸き立った。


――――こんなところで……頑張ろうって言ったのに。待っているって約束したのに。


 目をぎゅっとつぶる。


 だけど、聞こえるはずの無い声が聞こえた。


「飛び降りろ! カンナ!」

 

 ゲームの中で、この一ヶ月ばかりで、一番聞いたかも知れない声。聞こえるはずの無い声。どう考えても幻聴だ。

 だけど、カンナは、声に引かれるままに、後ろざまに跳んだ。


狼の牙(ウォルフスファング)っ!」

 

 確かに聞こえた、スキルコール。

 体が浮く。いつだかも感じた自由落下。

 意識が遠のきそうになる感覚の中、だけど、自分の手を握って抱き寄せる、確かな体温を感じた。

 乱暴に引っ張られて、地面を派手にこすりながら着地した衝撃がやってくる。

 

 夜霧の中を必死に駆け出しながら、隣を走る少女を信じられない思いで、カンナは見やった。

 喉が詰まったように、声がでてこない。


「言ったでしょ……その、助けに行くって」

 

 

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