003
大体そんなこと俺が言い出せるはずがないのだ。
元々は雪乃が言い出したことだし、それを受け入れたのも俺ではないし。
だから、この状況は全くもって俺の責任では無く……。
「佳奈さん、ケチャップとウスターソースあります?」
「ありますけど……え、入れるんですか?」
「隠し味ですよ、入れないですか?」
見知らぬ台所で、見知った顔が、見知らぬ格好で、見知らぬことをしている。
言葉遊びのようなことを考えながら、俺は、エプロンを着けた妹と、栂坂さんの後ろ姿をぼんやりと見やっていた。
「裸エプロンが良かった?」
「何言い出しちゃってるの?」
俺が何を言った訳でもないはずなのに、台所から物凄い目で睨まれて肩を縮こまらせた。
ダイニングテーブルの向こうには、にこにこ微笑む藤宮さんの姿。
まだ日は高い時間帯だったけれど、17時には全面戦争が始まってしまう。それまでにしっかり銀剣にログインしておかないとならないわけで、公正なるジャンケンの結果、雪乃と栂坂さんは夕食の用意だ。俺と藤宮さんは、食後の片づけを仰せつかっている。
ここは、栂坂さんの家だ。ご両親はこの週末留守にしているらしい。そこに悪い雪乃が漬け込んで、まんまと24時間ログインするための環境を手に入れたというわけだった。
「なんかいいよね、こういうの。お泊り会?」
ほんわかと、しかし底知れない笑顔でそんなことを宣う藤宮さんを、俺は胡散臭いものを見る目でみやる。つい昨日、俺を締め上げて緊急参戦を果たした御仁である。
「女子はたまにそういうことするらしいですね。男子の俺にはわからないですけど」
「男子もやるっていうよー、四埜宮くん個人の問題では?」
「どうせ人間関係に深刻なエラーが発生してるよ、悪かったね」
元々は、クラスの中でも裕真としか付き合いが無かったような状況だったのだ。
それが、同級生、それも男女混合でお泊まり会をやるようにまでに……形だけ見れば、俺のコミュニケーション能力は格段に向上したというべきなのかもしれないけれど。
男女混合でお泊まり会。この字面、やばくない?
「何かろくでもないこと考えている顔していますよ」
どん、と若干あらっぽく目の前にお皿が置かれる。
良い匂いを立ち上らせるカレーライス、その湯気の向こうに、眉根をひそめた栂坂さんの顔があった。
「いや、別に……友達の家に泊まりで遊びに行くって言ったら、うちの親が大変嬉しいそうな顔をしたなぁって……」
「微妙にみんなが反応に困るような内輪の話するのやめなよ兄様……」
雪乃に呆れられて、頭を掻いた。まぁほんとに考えていたことがバレたら、栂坂さんに絞め殺されるので良いんですけどね。
机の上に食事の用意が整えられる。それに合わせたかのように、チャイムが鳴った。
「おう、飲み物買ってきたぞ」
インターフォン越しにコンビニの袋を掲げてみせる、裕真。
……結局、いつものメンバーが集ったと言うことなのだった。
いつものメンバーで、いつもの通り、いつも通りじゃ無い戦いに、挑む。
まだ明るい陽の降り注ぐベランダで、タブレットPCを眺めていた。
シャワーを借りた。まだ残る火照りを風で払いながら、ぼんやりと、考える。
「何浸ってるんですか、四埜宮くん?」
「別に浸っては……」
振り返って、ちょっと言葉につまった。
俺と同じように、というかみんなだけれど、これから始まる長い戦いに備えてシャワーを浴びた、髪を解いて眼鏡も外した栂坂さん。
瞳の色以外は、まるきりカンナそのものな、その姿に。
「……四埜宮くん?」
怪訝そうに首を傾げられて、俺は慌ててタブレットを取り落としかけてしまう。
「ととっ……!」
「何やってるんですか」
栂坂さんが上手いことキャッチしてくれて、ほっとするのも束の間。
「……随分、ディオファーラ近くの地図ですね」
「あ……うん」
「上手くいけば、ここまで攻め上る算段でも?」
「ん……まぁ」
みんなでカレーを頬張る傍ら、ダイニングテーブルの真ん中にこのタブレットを据えてアグノシアの防衛作戦の話をずっとしていた。栂坂さんがみんなと同じように作戦図を覗き込みながら、少しだけ遠くを見るような目をしていたのを、見てしまった。
だから……いや、でも、言えるはずが無かった。
カンナを助けに行くことを考えていたなんて。
もちろん、カンナが亡命を申請して、それを俺が助けに行くことは既定路線だ。
だけど、それはアグノシアとクロバールの戦争という大組の枠の中での話で……それに、ほんとにカンナをちゃんと助け出せるのか、きちんと考えることができていなかった。
――――だから……必ず助けに行くから! 絶対にカンナがアグノシアまで辿り着けるように。
栂坂さんは、俺のそんな約束を覚えて居るんだろうか。時折思い出したりするんだろうか。
横目に伺う。風に流された黒髪に隠れて、表情は見えなかった。
「頑張りましょうね、ユキ」
「うん……カンナ」




