表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
126/131

002

 ◇◆◇


「いよいよ明日だね」

「うん?」

「全面戦争だよ。ずっとその話してたのに」


 陽射しは既に傾いた、図書室の目立たない片隅のことだった。

 何を考えていたのだっけ。まるで一瞬だけ眠りに落ちて夢を見てしまったみたいに、意識に断絶があった。

 顔を上げれば、そこにはクラス委員長の姿。長い睫毛に彩られた綺麗な瞳、良く通った鼻梁に、艶やかな唇。目が合ってしまって、慌てて逸らす。


「何か?」

「なんでもない」

 

 ふんわりと微笑む藤宮さんに、ぱたぱたと手を振った。


 誰もが憧れるクラス委員長と、向かい合って二人きり。自分の置かれた今の状況には、未だに慣れなかった。


 それがゲームの中では数年来の付き合いの旧友とはいえ。


 二人で勉学に勤しむような風をして、机の上に広げられたのは、現実には存在しない場所の地図やら、現実にはまず居ないだろう人名の並ぶ組織図やら。

 

 そう、いよいよ明日には、アグノシアとクロバールの全面戦争が幕を開ける。

 アグノシアの作戦の最後の詰めを、俺――ユキと、藤宮さん――レティシアは行っていた。

 何日間にもわたって悩み抜き、ゲームの中でも外でも打ち合わせを重ね、ここまで来ている。だけど、作戦に果ては無い。考えれば考えるほど、何か見落としていることがあるのではと不安になる。


「昔もよくこうやって、話し合ったよねー」

「ゲームの中でだけど」


 藤宮さんが言うのは、まだ俺がレギオンマスターだった頃の話だ。なんとなくその頃の話をされると色んな古傷を撫でられるようで、居心地が悪かった。


万軍(ツァバオト)殿は、勝てると思っているのかな」

「だからもうその呼び名はやめてって」


 藤宮さんはそんな俺の反応も面白がっている風なのだからほんと、昔から性格が悪い。

 口の中で文句をいくつか呟いてから、俺はじっと考えて、それから首を横に振った。


「……どうだろうね、わからない」

「こういう時は、嘘でも勝てるよって言うものじゃない?」

「みんなの前でならそうかもしれないけどさ」

「それは、私は特別枠っていうことかな?」

「一緒に作戦考える相手に、隠し事したってしょうがないでしょ」

「……はー、これだからユキちゃんは」


 やれやれと肩をすくめられて、釈然としない気持ちになる。


「それで、自信の持てない理由は何なのかな?」

「だって戦力差五倍の相手だよ? ダヴー将軍だって勝てるかどうか」

「アウエルシュタットの戦いだって二倍だったもんねぇ」


 すんなりと戦史上の固有名詞に応答が返ってくるあたり、藤宮さんも大分染まっているみたいだった。ナポレオン時代の戦いである、イエナ・アウエルシュタットは用語集でかする程度の話だ。世界史の授業で取り扱うはずもない。藤宮さんが優等生であることとはもう別物の知識。


「まぁもう多分全力は尽くしたよ。あとは実際あたってみるしかない。戦いはその場の流れでなんとでも変わりうるしね」

「悩みすぎも良くないかぁ。そうだね、自分の進路でもこんなに悩まないかもねー」

「俺、まだ進路とか考えたこともない」

「いいんじゃないかなぁ、四埜宮くんの人生だし」

「凄く見捨てられた感のあるコメントですけど……」


 不満げに漏らすと、藤宮さんはくすくすと上品に笑った。


「今は私も、先の人生より何より、この戦いの行く末が気になるよ」

「そうだね……」


 窓ガラス越しに落ち行く陽を眺めた。もう一度陽が昇って、また落ちる頃、戦いが始まる。現実世界で言ったら、次に日が落ちるまでには、決着が付いている。

 その時に見る陽は、どんな風に見えるだろう。

 

「ユキは……思い残すことは無いかな?」

「何その、死を覚悟して戦いに赴くみたいな。ある意味間違っちゃいないけれど」


 俺が苦笑と一緒に聞き返すと、珍しく藤宮さんは、少し躊躇うような顔をした。


「だってこの戦いは、ユキにとってはさ……私にとっても、あの時、出来なかったことを、失敗したことをやり遂げようとする戦いに、なるんじゃないかな」


 そんなことを言われて、息がつまった。ユキ、と呼ばれていることもあまり気にならなかった。

 それは、きっと、間違い無く。


「そうだね。俺はあの時、ミハネを、大事なレギオンメンバーを守れなかった。みんなでずっと楽しくこのゲームを遊んでいたかったのに、そんな単純なことさえ、あの時は出来なかった」

「ユキはすぐ間違える。俺は、じゃなくて、俺達は、だよ。私もあの時何も出来なくて、ユキが居なくなって、誰よりも強いレギオンマスターになろうって決めたんだもの」


 同級生の少女の口から紡がれる、かつて願ったこと。

 伏し目がちの表情が、見とれるくらい綺麗だった。


「それで、ちゃんとなっちゃうんだからレティシアは凄いよ」

「だから、私はこの戦いに勝ちたいと思っているよ。誰よりも強いレギオンマスターであることを証明し続けるためにね」


 また、こちらを真っ直ぐに見つめてきた藤宮さんの瞳が、ゲームの中の蒼氷色に見えた。


「ユキは、この戦いでどんな願いを叶えるんだろう、そう思って」

「俺の願いは……」


 願いだなんて問われて、答えられる人がどれくらいいるんだろう。

 こうあったら、ああであったら良い。そんな願望は大小、誰だって持ち合わせているだろう。でも、藤宮さんの言う願いは、そんな小さな話じゃない。

 今この時、心の全てを賭して、叶えられたらと願う。そんな願い。


――――俺は、クロバールに勝って……それから……。


 ……もし、どちらかしか叶えられないとしたら、どちらを願う?


 口元を引き結んだ。

 

 そんな俺に、藤宮さんはふっと微笑んで、立ち上がった。


「さ、もう学校閉まっちゃうよ。今日はゆっくり寝て、明日に備えようね」

「あ、う、うん」


 慌てて立ち上がる、俺に、レティシアが呟く。


「間違えないでね、ユキ」


 何が正しくて、何が間違いなのかなんて、俺にはわからなかった。それが分かっていたら、人間誰も、間違いなんてしないはずだ。まるで、レティシアは答えを知っているみたいに。

 でも、俺が訊いたところで、教えてはくれないんだろう。実際レティシアにだってわかるはずがない。俺の答えは、俺が見つけるしかない。


 二人で、図書館を後にする。

 なんとなく、いつも、藤宮さんと並んで歩くのは気後れしてしまって、俺は半歩後ろを遅れて歩いた。


「そういえば、ちゃんと24時間ゲームに入ってられる環境、四埜宮くんは用意できてるの?」

「ああ、うん、なんとか」


 全面戦争のシステムは過酷だ。丸一日24時間、ゲームにログインし続ける必要がある。ゲーム内期間では一ヶ月。俺達学生が何より難儀するのが、24時間ゲームをやり続ける状況を整えることだった。


「雪乃ちゃんも一緒だし、大変だよね。まさか禁断の仲良し兄妹二人きり旅行の体とか……」

「何が禁断か知らないけれど、二人とも友達のうちに泊まりにいくことにしてるよ」

「ふーん……?」

 

 歩みを止めた藤宮さんがくるりと振り返り、花がほころぶように微笑む。


「それで、実際はどこに泊まるの?」

「……友達のうちだけど」

「だから誰のおうちなのかなーって」

「……えーと……」


 見た目は花な藤宮さんだったけれど、実質の所、俺は蛇にでもねめつけられている心持ちだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ