第二十四話 元没落令嬢は、懇願される
「戻りました」
ドアが開いた音がして、オーウェン様の声が聞こえる。
「おかえりなさいませ」
アミュレットリングを握りしめながら小走りで向かい、真ん中のカーテンを開けた。
「おや。お出迎えをありがとうございます」
柔らかな声も、優しい微笑みも、どこか幸せそうで。
とくんと心臓が動き、胸が温かくなる。
「オーウェン様、これ……お返しするのが遅くなってしまいました。申し訳ありません」
こわごわアミュレットリングを差し出すと、オーウェン様は穏やかに目を細めた。
「少しは役に立ちましたか?」
「はい。一人の夜、怖くてなかなか眠れなかったのですが、指輪のお守りのおかげで少し落ち着きました」
「それはよかった」
指輪を受け取ったオーウェン様は、右の人差し指に金色の指輪をはめる。
やはり持ち主のもとがいいのか、指にはめられた指輪はキラキラと輝いて見えた。
「大切なアミュレットなのに、ありがとうごさいます。お借りした指輪を見ていると、オーウェン様がそばにいてくださっているみたいで……すごく安心できたんです」
指輪を見つめながら、お礼を言う。
オーウェン様の手が、ぴくりと微かに動いた。
「あの、エステル」
「はい、なんでしょう?」
顔を上げて尋ねると、オーウェン様は、ほのかに顔を赤くさせて、困ったように笑った。
「僕を、煽ってます? 突然そんな可愛いことを言われたら、抱きしめたくなってしまいます」
「だっ……⁉」
思わぬ言葉に後ずさって距離をとり、うつむく。
告白の日のようにまたキスをされるのではないかと、動揺が止まらない。
顔を上げられず床を見つめ続けているうち、オーウェン様のブーツが一歩近づくのが見える。
どくんと心臓が跳ねて、私はまた縮こまった。
次第に顔が近づいてきて、強く目をつむる。
うるさいくらいに鼓動の音が耳につき、頭の中が真っ白になっていると、ひたいに一つキスを落とされた。
お、おでこ……?
告白の直後、あんなにぐいぐい迫ってきたオーウェン様が、おでこに?
一気に力が抜けて、おそるおそる顔を見つめる。
私から一歩離れたオーウェン様は、ふふっと楽しげに笑っていた。
「ここにされると思いました?」
自身の唇に人差し指をあてて微笑むオーウェン様に、内心むっとする。
同意もなしにあんなキスをされた過去があれば、そう思って当然だ。
「すみません、エステル。そんなに怒らないで。からかっているわけじゃないんです。ただ、約束が果たせなくなってしまいそうで」
「約束……? なんのことです?」
約束なんてしただろうか、と考えてみるけれど、少しも思い出せない。
答えを教えてほしくて視線を送っても、オーウェン様は困ったように笑うだけ。
「どうかそのまま忘れていてください。騎士のくせして、踏みとどまるので精一杯なんて、あまりにも堪え性がなく、情けないですから」
私の横髪に手をさしいれたオーウェン様は、すくうように髪を一撫でして微笑んだのだった。
◇
やがて同棲二日目の夜がやってきた。
昨日と同じようにトランプをして過ごし「おやすみなさい」と言い合って、それぞれのベッドに入る。
昨日より少しだけ慣れたこともあり、私たちは横になりながら、暗い部屋のなかで雑談をしていた。
たとえば、好きな食べ物のことや、仕事のこと。
おすすめの本についてだとか、行ってみたい国のこと。
そして、休日の過ごし方。
休日について話し始めたところで、ふと思い出す。
「オーウェン様、明日インテリアを買いに行きませんか、と書き置きに書かれていましたが」
「ああ、そうでした。週の真ん中はいつも休みでしたよね? もしよければデートでも、と」
デートという単語に動揺する。
暗闇で、しかも部屋がカーテンで区切られていてよかったと心底思う。
こんなふうに慌てている様子なんて、恥ずかしくて見せられない。
「インテリア、いいですね。明日は空いているので、ぜひご一緒したいです」
「よかった。それなら、いい雑貨店があるので行きましょう。他に欲しいものや行きたいところはありますか?」
オーウェン様に問いかけられて、小さく唸りながら考える。
「そうですね……私も指輪が欲しいです」
「指輪⁉ それって、いわゆる逆プロポー……」
「違います!」
とんでもない勘違いをされ、食い気味に返事をする。
カーテンの向こうから、くつくつ笑うのが聞こえ、からかわれたのだとわかる。
「そんなに強く逆プロポーズを否定しなくても。ですが、なんでまた指輪を? 見習いとはいえ、修道女は見える場所のアクセサリーはご法度ですよね?」
「指につけたいわけではないのです。アミュレットリングを見ると、心が落ち着いたので、お守り代わりに持っておきたいな、と」
また暗闇に笑い声が微かに響く。
今度はからかうようなものではなくて、どこかくすぐったさを感じるような柔らかな声だった。
「オーウェン様……?」
「いえ、神珠よりも頼りにしていただけたことが光栄で、嬉しいんです」
はっとして、息をのむ。
神珠とは、ナナリス教のシンボルがついた、首から下げる神具のこと。
修道女なら真っ先に、すがるべきものなのに、どうして私はアミュレットリングが欲しいなんて思ってしまったの?
「ねぇ、エステル。やっぱり修道女になるの、やめません?」
「え……?」
穏やかな声に耳を疑う。
修道女見習いの修行期間も、あと少し。
ずっと、ここまでやってきたのに、修道女になるのを……やめる?
ぐるぐると頭の中でオーウェン様の言葉がめぐる。
「エステル。貴女の不安が強いのなら、落ち着くまで僕がそばで寄り添います。過去を思い出してつらいときは、隣で貴女の手を握りましょう。だから……神ではなく、僕にすがってほしい。僕は、エステルに夢を叶えて欲しいし、心からの笑顔が見たいんです」
冷静で理知的なオーウェン様の情熱的な言葉に、頭がのぼせる。
嬉しいのか不安なのか、怖いのか安堵しているのか、様々な感情が入り乱れて、心の中がぐちゃぐちゃだ。
だけど、ここで修道女になるのを辞めたら、これまで教え育ててくれた司祭様やシスターカミラに失礼だし、迷惑もかかってしまう。
応援してくれた人たちにも申し訳がたたないし、ただでさえ自分の悪癖で周りに嫌な思いをさせている。
何より、子爵令嬢ではなくなった私が、さらに修道女見習いでもなくなってしまったら、いったい何の価値が残っているの……?
オーウェン様は寝返りを打ったのか、それとも身体を丸めたのか、隣でベッドが軋む音がする。
「エステル、どうかお願いです……。貴女が神に嫁いでしまい、一生奪い返せなくなるなんて、僕は耐えられそうにありません」




