第二十三話 元没落令嬢は、惹かれていく
はっとして目を開けると、すでにカーテンの隙間から朝日が射し込んでおり、慌てて飛び起きた。
いけない。このままでは朝のお祈りに遅刻してしまう!
昨日のうちに汲んでおいた水で顔を洗い、急いで着替えを済ませてベールをかぶる。
部屋を隔てるカーテンに手を伸ばしたところで、ふと昨日手を繋いでもらったことを思い出してしまい、心が落ち着かなくなった。
だけど、ずっと部屋から出ないわけにはいかない。
意を決して息を吸い込み、口を開く。
「オーウェン様、起きてらっしゃいます? 通っても大丈夫でしょうか?」
念のため小声で尋ねると「起きてますので、大丈夫ですよ」と返事があり、私はすぐに部屋を仕切るカーテンを開けた。
「……えっ?」
「おはようございます、エステル」
いつものように微笑むオーウェン様と目が合って、わけもわからず立ちつくす。
どうやら着替えの最中だったようで、オーウェン様はシャツの前ボタンをとめているところだった。
「ふ……服を着てください!」
この状態のどこが『大丈夫』なんだと、声を荒らげて視線をそらす。
一瞬だけ見えた、胸とお腹に動揺が止まらない。
上半身の一部分とはいえ、成人男性の素肌や筋肉を見ることなんてほとんどないし、こんな展開を予想していなかったからなおさらだ。
「服? 着てますが……」
動揺する私に、オーウェン様は不思議そうに尋ねる。本当にわけがわからない、といった様子だ。
オーウェン様は兵舎に住んでいて男所帯。一方で、私は聖職者の館での生活だから、おそらく感覚が違うのだろう。
「――っ、すみません、朝のお祈りに遅刻しそうなので、失礼します!」
赤くなっているであろう顔を見られないようにそそくさと部屋を出て、ドアに背をつけながら深く息を吐く。
私とはまるで違う、たくましい胸とお腹を鮮明に思い出してしまい、慌てて首を横に振った。
オーウェン様との同棲生活は、何もかも刺激が強すぎる……。
こんな調子であと六日も過ごせるのかしらと、頭を抱えた。
朝のドタバタのおかげで、お祈りも集中できないまま終わり、朝食を終えて部屋へと戻る。
オーウェン様は不在で、代わりに丸テーブルの上に書き置きが一枚残されていた。
『兵舎で朝食をとり、そのまま仕事に向かいます。昨日よりは早く帰って来られると思います。もし明日予定があいていたら、一緒にインテリア探しなどいかがでしょうか』
男性にしては、整った綺麗な字だ。
さっきまでは『刺激が強すぎる』と参っていたのに、お帰りが早そうだと知って思わず顔がほころぶ。
なんだかんだ言いつつ、オーウェン様のおそばにいれば大丈夫だと安心できるし、一緒にお話しをする時間が好きなのだ。
せっかくだし、朝のお見送りをしたかったな……なんて思いながら、書き置きにぼんやり視線を送る。
仕事に行ってきます。今日は早く帰ります、か。
これってなんだか……夫婦みたい。
ぼっと顔が熱くなるのを感じて胸がざわつき『何バカなことを夢見ているの』と深いため息をこぼした。
◇
どうやらオーウェン様の推理は当たっているようで、ストーカーはすっかり鳴りを潜めて、同棲以外はいつもの日々が戻ってきた。
「ありがとうございます、エステル様」
「お姉ちゃん、またね!」
面倒をみていた最後の一人と「またね」と手を振って別れる。
夕陽に照らされ、手を繋いで歩く母と子はとても幸せそうで、胸がきゅっと締めつけられる。
私にも、あんなときがあった。
あったはずなのに、次第にお母様から嫌われて疎まれて、駒みたいに扱われて。
何がいけなかったんだろう。
どうするのが正解だった?
もしも男に生まれていたら、私が上手に振る舞うことができたなら、お母様を傷つけることも悲しませることもなく、愛してもらえたの……?
答えの出ない問題をずっと自分に問いかけながら、一人寂しく家路についた。
しんと静まりかえった部屋は、夕陽の淡いオレンジ色に包まれている。
暗くなりゆく部屋はどこか物悲しくて、心も沈む。
私はどうして、こんなにも生きるのが下手なのだろう。
お母様を傷つけて狂わせて、伯爵様にも私の世話や教育というご迷惑をおかけして。
周りからは八方美人だと嫌われ、ストーカーにも粘着されるほど勘違いをさせてしまったなんて。
おまけにオーウェン様の優しさにすがりつくだけすがりついて、告白の返事もしないままなんて、ひどいにもほどがある。
こんな私と恋人同士になったらきっと、オーウェン様にも嫌な思いや悲しい思いをさせてしまう……。
下唇を噛み締めて視線を落とすと、勉強机の上に置かれた小箱がふと目についた。
きっと、昨日は同棲が始まったばかりで動揺し、頭がちゃんと回っていなかったのだろう。
一昨日の夜お借りしたあと小箱にしまっておいて、そのままになってしまっていた。
大切なものだから、早く返さなきゃ。
小箱を開けると、中にはオーウェン様からお借りしたままのアミュレットリングがあり、なくなっていなかったことに安堵の息を吐き出す。
確か、右の人差し指のリングだったっけ……。
さすがに指を通すのは憚られて、人差し指と指輪とを見比べる。
「大きな、手……」
指輪の大きさに驚きながら『私の手を包みこめるくらいだったものね』と、昨夜のことを思い出してしまい、思わずどくんと鼓動が跳ねたのだった。




