第二十二話 元没落令嬢は一日目の夜を迎える
トランプを終えて、いつものように順番でお風呂に入る。
シスターヴェールだけ脱いで部屋に戻ると、机の前で読書をしていたオーウェン様と視線が重なった。
「オーウェン様、本当にお風呂は最後でよかったのですか?」
男性や客人よりも先にお湯をいただくのは申し訳なくて、おそるおそる尋ねる。
必死に髪をタオルで乾かしてきたはずなのに、髪からぽたりと雫が垂れていく。
オーウェン様は、無言のまま私を見つめたあと、なぜか頭を抱えて突っ伏した。
「僕は仕事終わりですし、先に浴室をお借りして、聖職者の方々の身をけがすわけにはいきません。だから、いいんです」
顔も上げないまま話すオーウェン様に、首をかしげる。
「あの、ご気分が優れませんか……?」
「そうですね。少し頭を冷やしてきます」
すっくと立ち上がったオーウェン様は、私を見もせずにそのまま部屋を出ていってしまう。
ランプの灯りのせいか、オーウェン様の横顔は赤らみ、金色の瞳も熱っぽく揺らいでいるように見えて、動揺が止まらない。
混乱から立ちつくすことしかできず、オーウェン様が出ていった扉をただぼんやりと見つめ続けた。
◇
一人になると、なんとなく気まずくて、ぴっちりとカーテンを引いたのを確認し、灯りを消してベッドに潜り込む。
もう眠ってしまおうと思うのに、オーウェン様を意識しているせいなのか、それとも部屋のレイアウトが違っていて狭いせいなのか、気が高ぶって眠れそうにない。
布団を手繰り寄せて丸まっていると、扉が開く音がして、思わずぴくりと身体が跳ねた。
カーテンに、影絵のようにぼんやりとオーウェン様の姿がうつる。
髪を乾かすような仕草に、水を飲むような動作……何気ない動きなのに、どきどきと心臓が早鐘を打つ。
やがて、灯りが消えて、ギギッとベッドが軋む音が鳴り、オーウェン様の気配が近づく。
声にならない声を上げて頭を抱えた。
どうして私はこんなにも馬鹿なのだろう。
私のベッドもオーウェン様のベッドも中央のカーテンに横付けされている。
それはつまり、オーウェン様が真横で寝ているのとほぼ同義だ。
ベッド設置後からカーテンが引かれていて、子どもの頃と同じレイアウトだったから何も思わなかったのだけれど、ベッド間には十センチほどの隙間しかない。
寝返りを打ったのか、また微かに軋みの音がする。
今度は、布団をたぐり寄せるような気配がして、私は微動だにできないまま固まった。
いけない。オーウェン様の一挙一動を気にしだしたらきっと、私は眠れなくなってしまう。
頭まで布団をかぶって、なるべく心を無にして、静かに目を閉じる。
このまま眠れないのでは、なんて思っていたのだけれど、昨日ほとんど眠れなかったせいか一気に眠気が襲ってきて、次第にうとうとと、まどろんだ。
――エステル。
遠くから声がする。お母様の声だ。
――どうして言うことを聞けないのかしら?
――その男は、わたくしの許した男? 違うでしょう。貴女は、こんな可哀想なわたくしを捨てる気なのね。なんて親不孝な娘なの……! あんたなんか、あんたなんか……生まれてこなければ良かっ……
「エステル。大丈夫ですか? 起きてください、エステル」
慌てたような声がして飛び起きると、まだ部屋は暗く、ベッドの隣にカーテンが引かれていて、首をかしげた。
ああ、そうか。賭けに負けたから。
一人で納得をしていると、カーテンの向こうから不安げな声が聞こえてくる。
「どうしましたか? うなされているようでしたが……」
「すみません、悪夢を見てしまって……」
「無理もないです。過去も現在も、貴女の心はひどく傷ついていると思うので」
傷つく? 私の心が……?
私の至らなさに傷ついているのは、お母様だったし、ストーカーを呼び寄せているのも、私がこんな性格をしているからで自業自得。
自分が傷つく道理がない。
「大丈夫です。全部、自分がまいた種ですから」
心配いらないと伝えたかったのに、なぜか声が震えてしまう。これでは完全に逆効果だ。
「……少々、失礼します」
カーテンが下から少しだけたくし上げられて、オーウェン様の手が私の部屋に入ってくる。
「ええと……」
このままオーウェン様がこちら側にやってくるのかと思いきや、下を向いた片手と腕だけが所在なげに宙に浮いていた。
「叶うなら、震える貴女をこの腕で抱きしめたい。ですが、きっと無理な相談だと思うので……せめて、手だけでも握らせてくれませんか?」
「嫌なら、押し返して構いませんので」なんて付け足すオーウェン様はずるい。
私が人の頼みに『ノー』を言うのが不得意だと察しているはずなのに。
甘くて優しい言葉に、どくんどくんと拍動の音が耳につく。
カーテンから手と腕だけが出ている光景はなんだか不思議で面白いけれど、微かな月明かりに照らされるオーウェン様の手は、すっとしていて綺麗だ。
剣を握るからか、たくましさはあるけれど、しなやかでどこか骨ばっていて。
どういう行動をとるのが正解なのか、嫌われないためにはどうすればいいのか。
そんなことを考えるのも忘れ、弱い磁石のように私の手が浮いた手のひらに引き寄せられる。
この綺麗な手に、触れてみたいと思ったのだ。
トンと下から指先で優しく触れると、オーウェン様の手がピクリと震える。
思わず手を引っ込めようとしたところで、逃さないとばかりにベッドに押しつけられ、包みこまれた。
「――ッ」
どきりと胸が痛み、声にならない声が出る。
しばし互いに無言のままでいたのだけれど、やがて小さく息を吸う音がした。
「……震えてますね」
呟くようなオーウェン様の声に、顔の横に置かれた自分の手を見やると、本当に微かに震えていた。
悪夢のせいで、声だけじゃなくて、手までも震えていたのだろう。
指摘されるまで、自分では気がつけなかった。
温かくてたくましい手に、次第に全身の力が抜けていく。
悪夢のせいで、こんなにもガチガチに身体が固まっていたのかと実感した。
震えが落ち着きはじめた頃、上から覆いかぶさるようなオーウェン様の手と、中でゆるくこぶしを握る私の手とを見比べる。
私の手はすっぽりと包みこまれていて、サイズ感の違いに驚く。
オーウェン様は男性なのだと改めて認識してしまい、どくんと大きく鼓動が跳ねたのだった。




