第五十四話 いま、かえる
大きな岩に隠れるように、洞窟が口を開けていた。
大型の魔物が、充分にすれ違えるほどの大きな洞窟。
ぐったりとした(もちろん気絶しているフリをしているだけだが)ドナを背負ったアリアが先頭、その後をついてフードを目深に被ったニコが洞窟の中へと足を踏み入れる。
ひんやりとした空気が漂い、濃密な苔の臭いが鼻をついた。
「……ずいぶん深そうな洞窟ですね」
「しっ! 喋っちゃダメ」
不安げな声を洩らしたドナを、アリアが唇に指を立てて咎める。
耳を澄ませば、洞窟の奥の方から大人数の足音が響いてくる。
無論、それは魔物の足音。
この洞窟は、魔王城と渓谷の間をつなぐ地下道なのだ。
これから遭遇する魔物に、ニコとドナが魔物では無い事がバレれば、無事では済まない。
緩やかに傾斜する洞窟。三人がしばらくそこを下っていくと、奥の方から歩いてくる魔物の一団と遭遇した。
黒い甲冑を纏った騎士と、それに従うゴブリンとオークの群れ。正確な数は分からないが、百匹近く居る様に思える。
「声出しちゃダメだからね」
アリアがニコに小声で囁きかけると、彼女は表情を強張らせながらコクコクと頷いた。
ドナはすれ違いざまに薄目を開けて、魔物の群れを観察する。
先頭の騎士は、禍禍しい彫刻を施した黒い甲冑と、強者特有の隙の無い雰囲気を纏っている。只者ではない。流石に表情までは分からないが、ドナ達の事を気に留める様子もないのは幸いだった。
だが、オークやゴブリン達の何匹かは、ちらりちらりとドナ達の方へと視線を向けてくる。
やがて、すれ違いざまにオークの一匹が、足を止めて列を抜けだすと、アリアに話しかけてきた。
『旨そうな女神官じゃねぇか。一口齧らせろよ』
『バーカ、魔王様に献上すんのよ。歯形なんか付けたら、アンタ、殺されちゃうわよ』
『そりゃおっかねぇ』
途端に、周囲の魔物達が一斉に笑い声を上げる。
魔物達が何を言っているのかは、ドナには分からない。
だが、その声に揶揄う様なニュアンスが混じっていることぐらいは分かる。
腹が立った? 答えは否。寧ろホッとした。
それは、怪しまれていない事の証左だからだ。
『ぐずぐずするな! 愚か者!』
既に通り過ぎた黒い甲冑の騎士が、振り向いて声を荒げた。
オークは慌てて列へと戻ると、そのまま歩きさっていく。
平静を装ってはいたが、それなりに緊張していたのだろう。アリアは「ふう」と大きな息を吐くと、八本の脚を蠢かせて、再び洞窟の奥へと歩き始めた。
洞窟の壁面が、次第に人工的な石積みへと変化して、空気そのものが、ドナにも分かるほど濃密な魔力を含んだ物へと変わっていく。
この辺りはもう、魔王の城の地下なのかもしれない。
傾斜の緩やかな上り坂が長く続いた後、アリアは三段ほどの階段を登ったところで脚を止める。そして、彼女は周囲を警戒しながら、ドナへと囁きかけた。
「……着いたわ。魔王の城よ。でも、まだ動いちゃダメだからね」
ドナが薄目を開けて周囲を見回すと、そこは薄暗い石造りの通路。少し先の方で、幅の広い通路と交差しているのが見えた。
アリアはそのまま広い通路と交差する十字路の真ん中へと移動して、少し考えるような素振りを見せる。
「どうしたんだにゃ?」
「アタシがここに居たのって随分前だから、ちょっと記憶があやふやなのよね」
「にゃ! ニコ、ここ覚えてるにゃ! あっちだにゃ!」
そう言ってニコが大きな通路の左側を指さすと、アリアは呆れた様な顔をした。
「そっちは出口」
「にゃ!? じゃ、あっちだにゃ! あっちに真っ直ぐ行けば、上に続く階段があるんだにゃ!」
「……それも一応間違いじゃないんだけどね。そのまま行ったら何時間もかかるわよ」
「にゃ? 半日ぐらい掛かったにゃ!」
「敵の侵入を遅らせるためなんだけど……そっちは空間が歪んでんのよ」
「つまり……他に道があるのですね」
そう言って、ドナが話に割り込むと、アリアが彼女の鼻先へと指を突きつける。
「正解だけど、アンタは喋っちゃダメ。どこで見られてるか分かったもんじゃないんだから」
「むぅ…………」
再び、ドナが意識を失っているフリをすると、アリアはニコの方へと顔を向けた。
「じゃ行くわよ。こっちの脇道から周れば、すぐに階段に辿りつけるはず。まあ、変わって無ければだけどね」
ドナの中で、今のアリアの物言いに引っかかる物があった。
『変わってなければ』
彼女は地下道があると言った時にも、そう言っていた。
古い記憶の様だが、魔王に仕えていないと言っていた割には、この城にやけに詳しい。
騙されているとは考えたくないが、問い質す必要があるかもしれない。
三人は広い通路には入らず、そのまま横切って真っ直ぐに脇道へ。
脇道を三メートルほど進んだところで、アリアが急に立ち止まる。
「たしか、この辺だったと思うんだけど……あ、これだわ」
そう言って、彼女が右手の石壁を押すと、ガラガラと重い音を立てて壁が開き、そこに通路が現れた。
現れた通路は、僅か五メートルほどで右へと折れ曲がっている。そしてそこを曲がると、あっさりと螺旋階段へと辿り着いた。
そこで、アリアは背中からドナを降ろして、人型へと変わる。
「もう、気絶してるフリはやめてもいいわよ」
「……大丈夫なんですか?」
「大丈夫じゃないけど、この上にいる連中にはフリなんて通用しないから。魔族じゃなかったら、無条件に襲ってくるんだもの」
思わず表情を強張らせるドナ。だが、アリアは気軽な様子で、ひらひらと手を振った。
「そんな緊張しなくても大丈夫、闇属性の下級精霊だもの。神聖系の魔法で防御してれば、手出しできないはずよ」
「そうなんですね」
闇属性の下級精霊ということは、『シェイド』だろう。確かにその程度であれば、神官にとっては何の脅威でもない。
ドナは、ホッと胸を撫でおろした。
螺旋階段を上り終えると、そこは不自然なほどに真っ暗な空間。これまでの薄暗さとは異なる真の闇が広がっていた。
「……真っ暗ですね」
ドナがそう呟いた途端、
「任せるにゃ! サラマンダー! 来るんだにゃ!」
そう言って、ニコが中短剣を掲げると、それが炎を纏って、松明の様に周囲を照らしだした。
その途端、
「にゃっ!?」
「ひッ!!」
「なによ……これ……」
三人は、三者三様に顔を引き攣らせる。
足元に広がる水溜まりは赤い色。彼女達の眼前、そこには大量のゴブリンとオークの死体が転がっていた。
ドナは口元を手でふさぎながら、一番手近に転がっているオークの死体に顔を近づけて、まじまじと観察する。
傷跡は胸を貫通している。
おそらく一撃。凄まじい力で貫かれたように見える。
血液の凝固ぐあいから判断するに、半日は経っていない。おそらく、一時間から二時間といったところだろう。
多くは刺殺されているようだが、中には真っ二つに切り裂かれている者もいる。
取り分け奇怪なのは、その死体の山のど真ん中を一本の道が通っていること。そこには轍のように車輪が何度も往復したような血の跡が残っていた。
「こんな足跡の魔物に、覚えがありますか?」
アリアはぶんぶんと首を振る。
その隣で、ニコはひくひくと鼻を動かすと、ピクッと耳を立てた。
「この、腐った魚を煮詰めたみたいな臭い、嗅いだことがあるにゃ!!」
腐った魚? それを煮詰める?
ドナが臭気に意識を向けても、咽かえる様な血の臭いしかしない。
だが、ニコは首を傾げる二人に構うことなく、死体の山のど真ん中、そこに出来た一本道を奥の方へと走りはじめる。
ドナとアリアは思わず顔を見合わせると、
「ちょ、ちょっと!」
「待ちなさいってば!」
慌てて、ニコの後を追って走り始めた。
◇ ◇ ◇
地に横たわる古竜の亡骸。
その周囲の砂山は、巨大ゴーレム『ギガント』の成れの果てである。
二体の巨大な化け物の激闘の痕跡。荒れ果てた大地に、武器を手にしたゴブリンやオークの一団がうろついていた。
その様子を、小高い丘の上から眺めていた黒い甲冑を纏った騎士が声を上げる。
『大司教はまだ見つからんのか! あの女さえいれば『ギガント』はいくらでも作り直せる。死体でも構わん! 必ず見つけ出せ!』
人間の耳には、獣の鳴き声の様にしか聞こえないそれは、魔物の言葉。
この一団は『ギガント』の核である大司教ソフィーの捜索隊であった。
だが、地形が変わる程に荒れ果てたこの場所を捜索するのは、どう考えても容易なことではない。
そもそも、ゴブリンやオークに勤労を求めることが間違えている。
『命令するだけの奴は良いよな。絶対、竜かギガントの下敷きになってぺっちゃんこだ。見つかりっこねぇ』
『違ぇねぇ。適当に探してるフリして、暗黒騎士の奴が諦めんの待とうや。どうせ、魔王様から御叱りを受けんのはアイツなんだし』
やる気の欠片も無く、ゴブリン達は互いに愚痴をこぼし合いながら、ただウロウロと辺りを歩きまわる。そして、時々岩の間を覗いて、探しているフリをする。
そんなゴブリンの一匹が、ひび割れた岩の隙間で、何やら動くものを見つけた。
『ははっ! 岩蛙じゃねぇか! ちょうどいいや。小腹がすいてたんだ』
ゴブリンが見つけたそれは、その名の通り、岩場に生息する蛙の一種。人間の握りこぶしほどの大きさで、岩によく似た黄土色の皮膚を持つ蛙である。
ゴブリンは周囲をキョロキョロと見回す。
丁度良い物陰。おそらく暗黒騎士からは、こちらは見えていない。
――とっとと捕まえちまおう。
ゴブリンは岩の隙間に手を差し入れる。
だが、いくら手を伸ばしても、一向に指先に触れる感触がない。
『ちっ……だいぶ奥の方に入っちまったか?』
ゴブリンは舌打ちすると、岩の隙間に顔を突っ込むようにして、中を覗き込む。
岩蛙と目が合った。
ずいぶん奥の方から、ゴブリンの事を見ていた。
そして、次の瞬間。
彼は見た。
岩蛙の大きく開いた口。
その奥で、蒼い炎が揺らめくのを。




