第五十話 VS百面の悪魔
「ちびっ子! 返事をしろ! ちびっ子!」
バルタザールの声が、虚しく回廊に響き渡る。
だが、いつまでもそうしている訳にはいかない。
背後から響いてくる無数の魔物の足音。
周囲を取り囲むシャドーストーカーの気配。
絶対絶命の文字が、脳裏で明滅する。
「くそったれぇえええ!!」
バルタザールは忌々しげに扉を蹴りつけると、剣を振るって周囲を闇雲に斬りつけた。
光精霊を宿した剣が放つ、淡い燐光の他に光源の無い暗闇。
最早、眼は頼りにならない。
灯りはちびっ子ともども、扉の向こうへと呑み込まれてしまった。
剣を伝ってくるシャドーストーカーを切り裂く感触。
相変わらず周りは奴らで一杯。このままではジリ貧だ。
「ちっ!」
バルタザールが舌打ちすると同時に、彼の足元でガチャガチャと金属音が鳴って、再び鋼の車輪が飛び出す。
やられる前にやるしかねぇ!
彼は激しく火花を散らしながら、もと来た道を、迫りくる魔物の群れの方へと疾走りだした。
「ぐぎゃ!?」
驚いたのは魔物達の方である。
ゴブリンとオークの混成部隊。彼らの方へと、床の上を這う様に赤い火花が猛然と迫ってくるのだ。
ゴブリン達は怯み、足を止めて後ずさる。
だが、バルタザールは速度を落とさない。
「うぉらあああああああああ!!」
彼は獣のような雄叫びを上げて、そのまま二本の剣を真っすぐに掲げながら、放たれた矢の様に魔物の群れへと突っ込んだ。
「ぎゃっ!?」
「ウヴォおお!」
彼は、二匹、三匹と魔物を串刺しにしながら、群れのど真ん中を抜けて螺旋階段の手前へと辿り着くと、ギャギャギャッ!! と甲高い音を立てて方向転換。
串刺しの魔物達を車輪の付いた足で蹴り倒して剣を引き抜くと、再び、魔物の群れへと突進し始めた。
逃げまどう魔物達。それを追い立てる様に、バルタザールが剣を構えて突っ込んでいく。
挟み撃ちにしたつもりが、気が付けば追い立てられる立場になっているのだ。魔物達にとっては、災厄としか言いようがなかった。
魔物達は逃げ惑った末に、左右の壁に張り付くようにして、バルタザールの通り道を開け、逃げ遅れた魔物達は背後から串刺しになる。
再び方向転換をしようとしたバルタザールの目に、うっすらと扉の輪郭が見えてきた。
「開いてやがる!」
どういう訳か、閉じた筈の扉が開いている。
――罠か? まあ、そうだろうな。
だが、突っ込む以外に選択肢は無い。
バルタザールは力任せに二本の刀を振るって、串刺しの魔物を振り落とすと、一気に部屋の中へと突っ込んだ。
横滑りする車輪が一層激しく火花を散らし、勢いに振り回されながら、バルタザールは停止する。
「ちびっ子!!」
だが、返事はない。
背後で獣の悲鳴のような音を立てて、扉が閉じた。
バルタザールは剣を十字に構えたまま、ゆっくりと周囲を見回す。
暗い部屋。だが、壁面に設置された梯子、それが伸びている天井の穴から入り込んでくる光が、照明のように一隅を照らし出す。
そこに、暗灰色のローブ姿の人物が佇んでいるのが見えた。。
「なんだ、てめぇ……」
バルタザールが片方の眉を吊り上げると、部屋の中に大勢の人間の声が響き渡った。
『よう! 剣士』『おまえの相手は私だ』『あんたなんか魔王様のあいてじゃないってことよ』『いやぁん、けっこう好みのタイプだわぁ』『死ねよ、クソ野郎』『ぎゃははははは!』
まさに口々に、と言ったところ。
戸惑うバルタザールの目の前で、ローブ姿の人物は被っていたフードを脱ぐ。
フードの内側から現れたのは、まるで葡萄のような異様な頭。
鈴なりになっているのは無数の小さな顔。
それが、口々に声を上げていたのだ。
「こりゃまた、気色の悪いのが出てきやがったな……」
バルタザールが思わず頬を引き攣らせると、その顔の一つ一つが一斉に抗議の声を上げた。
『なんだと!』『容姿を云々するのは無礼であろう』『まあ仕方ないんじゃないの、ワタシもキモいと思うし』『あ、俺もそう思う』『おまえら、どっちの味方だよ?』『キモいっていう人の方がキモいんですぅ! バーカ、バーカ!』『ぎゃははは!』
口喧嘩を始める奴もいて、バルタザールは話を聞いているだけで、頭がおかしくなりそうな気がした。
「ちびっ子をどこへやった!」
『誰か知ってる?』『知ってたって、言う訳ないじゃん』『ちびっ子をどこへやった~だってさ、だっさww』『ロリコン?』『ぎゃははははは!』
バルタザールは車輪を引っ込める。この狭い部屋では、身動きしにくいだけだ。
「おい、化け物」
バルタザールが、そう口にした途端、
『化け物?』『化け物?』『化け物?』『化け物?』『化け物?』『化け物?』『化け物?』『化け物?』『化け物?』『化け物?』
ざわざわと、ざわめきが起きる。
そして、
『『『『『『死ね!』』』』』』
無数の顔の声が、憎しみ混じりの一つの言葉に集約された。
「うぉおおおお!」
先に動いたのはバルタザール。
彼が二本の剣を交差させながら、相手の懐に飛び込もうとした途端、百面の悪魔は、口々に声を上げた。
『軛に繋げ! 鈍重』『安らぎの砂よ! 微睡』『死神の影を踏め! 疫病』『背負え! 加重』『浸食せよ! 猛毒』
一斉に唱えられる暗黒魔法の数々。
百面の悪魔の眼前に、幾つもの魔法陣が現れた。
「うぉ!?」
そこから噴き出す禍禍しい瘴気。バルタザールは、横っ飛びに飛び退いて、そこから逃れる。
だが、地面を転がって立ち上がろうとした途端、彼は大きくよろめいた。
足元の踏ん張りが効かない。身体が異常なほど重い。身体中が燃え上がるように熱い。
全てを喰らった訳では無いが、躱せなかった幾つかの魔法が、バルタザールの身体を蝕み始めたらしい。
状態から考えれば、恐らく『疫病』と『加重』。もしかしたら『鈍重』も喰らっているかもしれない。
「実質、何対一だよ、これ……」
『あはははは!』『もう、まともに動けねぇだろう』『あはは、ださっ! 弱っ!』『かっこ悪い』『大丈夫、大丈夫、すぐに楽にしてやるよ』『ぎゃははははは!』
バルタザールは剣を杖にして立ち上がると、息を荒げながら再び身構える。
『これでとどめだね』『はい、おじさんサヨナラ!』『死んじゃえ!』
いくつかの顔が嘲笑するように声を上げ、それに魔法の詠唱が続いた。
『爆ぜよ黒炎! 闇の炎!』『暗雲より来たれ! 雷霆!』『もいっちょ! おまけだ! 暗雲より来たれ! 雷霆!』
炎と雷が渦を巻く様に、バルタザールの方へと殺到してくる。
「くっ!」
バルタザールは声を喉に詰めると、剣を交差させて身を固くした。
「ぐぁあああああああああああああ!!」
バルタザールの悲鳴が、部屋の中に反響した。
シューシューと音を立てて立ち昇る黒煙。頭だけはなんとか守った様だが、バルタザールの身体中には赤黒い火傷。身体の表面で染み出した体液がぐつぐつと煮えていた。
剣こそ手放しはしなかったが、彼はガクリと両ひざから崩れ落ちる。
それを目にして、百面の悪魔は口々に声を洩らした。
『死んだな』『ふむ、敗者に敬意を』『弱っわwww」『帰ろ、帰ろ!』『ぎゃははは!』『魔王様に報告しにいかなきゃねー』
百面の悪魔は背後を振り返って、壁際の梯子に手を掛けた。
その瞬間の事である。
座り込んだバルタザールのズボンを突き破って、膝と脛から車輪が飛び出したのだ。
背後から響いた金属音に、百面の悪魔が振り返る。
無数の目が見たもの。それは膝立ちの姿勢のまま突っ込んでくるバルタザールの姿。
これには、流石に百面の悪魔も不意を突かれた。
剣を揃えて突っ込んでくるバルタザールを躱す事も出来ずに、百面の悪魔は、その胸を貫かれて壁面に縫い付けられる。
「死にぞこないがぁああ!」
それはしわがれた老爺のような声。
「はは……それが本体の声ってことかよ」
垂れ下がった幾つもの顔の奥から、憎しみに満ちた二つの眼がバルタザールを睨みつける。
だが、やがてその目からも光が失われていく。百面の悪魔はガクガクと小刻みに震えて、動かなくなった。
しかし、バルタザールも既に限界を迎えていた。
「ああ、やべぇ……な」
そう呟いた途端、彼はそのまま床の上へと突っ伏した。
◇ ◇ ◇
『ありえないほどの魔力です』
『やはり、ただの人間ではないのか?』
『いえ、只の人間なのですが、どこからか、途切れることなく魔力が供給されています。核として使うなら、これ以上望むべくもないでしょうな』
どこか遠くから話声が聞こえてくる。
人の言葉ではないようだが、何を話しているかは、はっきりとわかった。
ソフィーは、霞がかった意識の中で、ぼんやりと考える。
儂は……どうなったのじゃ?
水の中にぷかぷかと漂っているような感触。暗い皆底に沈んでいくような感覚。
『奴らはあとどれぐらいで、ここへ来るのだ?』
『あと数時間といったところでしょうな』
『装填を急がせろ。封印を強くし過ぎるなよ。魔力が行き渡らなくな……』
話声が遠ざかり始める。
再び、ソフィーの意識がゆっくり暗闇の中へと墜ちて行った。




