第四十二話 間に合ったんだ。
レイボーンが外へ歩み出ると、機嫌の悪い牛の鳴き声みたいな音を立てて、背後で城門が閉じた。
同時に、彼の口から吹き出していた炎が消えて、口や眼窩、耳孔。頭蓋骨に開いた穴という穴から、濛々と黒い煙が立ち上る。
近くに魔物はいない。
見回してみれば、黒く焼け焦げた地面。その向こう側から魔物達が怯える様な目、あるいは殺意の籠った目で、彼の姿を遠巻きに眺めている。
「さて、これからどうするか……だな」
既に多くの敵を倒したような気になっていたが、冷静に考えてみれば、たかだか数十匹。
城門の外に歩み出た彼の視界には、見渡す限りの魔物の群れが映っている。
敵は万を数える大軍勢である。
とはいえ、城門さえ破られなければ、もうしばらくは持ち堪えられる筈だ。
そこまで考えてレイボーンは、
「ん?」
違和感を覚える。
そう言えば、ミーシャが起こしていた筈の竜巻が収まっている。
レイボーンが空洞の目を宙空へと向けると、そこにミーシャの姿を見つけた。
耳を澄ませば、彼女が誰かに喚き散らしている声が聞こえてくる。
何を言っているかまでは聞き取れないが、声のトーンだけで何が起こっているのかは、大体想像がつく。
大方、胸が無い事を揶揄われたという所だろう。
「……無いから困るというものでも無いだろうに」
レイボーンはそう思う。
寧ろ胸が慎ましやかな事で、彼女の存在は調和がとれているとさえ思う。
完成されていると言っても良い。
まあ、そう思いながらも、レイボーン自身は彼女の反応が楽しいので、揶揄うのをやめる気はないのだが。
ともかく、怒りで我を忘れてしまう様な事が無いのを祈るのみである。
レイボーンの本体である古竜が到着するまで耐えきれれば、それで勝負は決まる。
あと四、五時間。ミーシャにはそう言ったが、あの後、ある方法で一気に時間を短縮する事が出来た。
あとはひたすら、一人の剣士として剣を振るうだけだ。
魔物達は警戒しながらも、ジリジリと距離を詰めてきている。
もうブレスは吐けない。
既に頭蓋骨には、随分ヒビが入っている。
元々、ブレスに耐えられるような身体では無いのだ。
レイボーンは苦笑するようにカタカタと歯を鳴らすと、魔物達を見据えて剣を構えた。
◇ ◇ ◇
「見つけました! きっとアレです!」
ドナが指さす先、輜重車らしき複数の箱型の車輛の向こう側に、四匹の巨大芋虫の牽く車輛が見える。
ウッドデッキに柵と車輪をつけただけ。まさにそういう造形の地味な車両。
その上に、黒山羊の頭部を持つ筋骨隆々たる魔物が、腕組みをしているのが見えた。
「なにあれ……。普通、指揮車輛っていったら、もっと派手ででっかいモンじゃないの?」
呆れ顔のアリアに、ドナがふるふると首を振る。
「ああいうの程、手強いんです。虚仮威しの必要性を感じていないという事ですから」
「なるほど、そういう見方も出来るかもね」
二人は車両の影に身を潜めて、山羊頭の魔物をじっと観察する。
「あの魔物はご存じなのですか?」
「うーん……デミテリスに似てるけど、若いような……血縁かしら?」
「デミテリス?」
「魔王の右腕よ。魔王自ら召喚して、屈服させた上級悪魔。私も一応、面識はあるんだけど、すごく紳士なおじさまって感じだったわね。たしか……魔王の盾になって、勇者に倒されたって聞いたような気がするけど」
◇ ◇ ◇
「疾風斬ッ!」
ミーシャが手刀で宙を斬ると、それが見えない斬撃となって、ダークエルフに襲い掛かる。
だがダークエルフに慌てる様子はない。
彼女はくるりと回転してそれを躱すと、即座に反撃に転じた。
「氷雨!」
宙空に現れた氷の粒が、キラキラと陽光を反射しながら、ミーシャ目掛けて降り注ぐ。
「ジニっ! 守って!」
途端に、風の膜が半球状に彼女を覆って、氷の粒はその上を滑り落ちて行く。
既に、幾度目かの応酬。幾度目かの攻防。
それにも拘わらず、ミーシャとダークエルフ。二人は互いに傷一つ与えられないでいる。
膠着状態といえば聞こえは悪くないのだが、実質としては魔王軍の侵攻に、ミーシャが関与するのを封じられているようなもの。
抑え込まれていると言った方が、より現実に近い。
ミーシャは下唇を噛んで、地上を見下ろす。
眼下では魔王軍が勢いを増して、城壁へと押し寄せている。
城門の前では、レイボーンが剣を振るって一人奮闘している。
城壁の上へと目を向けると、応援の兵が来たのだろう。先程よりも兵士の数が増えているように思えた。
だが、それでも状況は悪化の一途を辿っている。
ヒドラのウチ一匹は、未だ健在。
そして、城壁にもたれかかるように倒れているもう一匹のヒドラ。その死体を踏み台にして、コボルドを始めとする身軽な魔物達が、城壁の上にまで到達し始めているのが見える。
……なんとかしなくちゃ。
ミーシャは焦る気持ちを抑えつけながら、ジニへと問いかけた。
「ジニ、あいつの契約精霊は分かる?」
――フェンリルだね。ボクと同格の精霊王だよ。悪い奴じゃないんだけど堅っ苦しい奴でさ、結構苦手なんだよね。
「何か弱点とか無いの?」
――そりゃあ、氷の精霊王だから火は苦手だろうけど……。
風の精霊王と契約しているミーシャが、炎の魔法を使える訳も無い。
「くーの事、ほったらかしにするな!」
ダークエルフは苛立たしげにそう吐き捨てると、
「氷剣!」
その手に、氷の大剣を出現させた。
ダークエルフは、二メートル以上もあるその巨大な剣を振りかぶって、ミーシャの方へと突進してくる。
「くっ!? 風鎧」
ミーシャは、咄嗟に風の鎧を全身に纏って背後へと跳んだ。
だが、
「遅いよ!」
とてもではないが、剣術の心得があるとは思えない乱暴な一撃。
だが、それがミーシャの肩口を掠って、中空に赤い血が飛び散る。
「くっ……」
ミーシャは思わず呻く。
傷口を押さえた指先の感触は冷たい。傷口が凍り付いている。
態勢を整えようとするミーシャ。だが、間髪入れずに銀色の髪を振り乱して、ダークエルフが再び大剣を振りかぶった。
「フェンリルが教えてくれた。風の精霊王は近接戦闘が苦手!」
確かに風の精霊魔法には、武器を具現化するようなものはない。
「ジニ! お願い!」
剣が振り下ろされるまさにその瞬間、強い横風がミーシャ自身を吹き飛ばし、ダークエルフの振るった剣は虚しく空を斬る。
態勢を崩すダークエルフ。それを見据えて、ミーシャは叫んだ。
「喰らいなさいよっ!! 振動波ッ!」
ミーシャを中心に、三百六十度全方位に向かって衝撃波が走った。
ダークエルフは身を守ろうと、慌てて剣を翳す。
だが、剣で受け止めきれる物ではない。
「きゃぁあああああ!」
氷の大剣は弾き飛ばされて、ダークエルフは頭から大地へと墜ちて行く。
「ざまぁみろぉ!」
ミーシャが勝ち誇る様な声を上げた途端、ダークエルフは落下の途中でピタリと動きを止めると、再び宙へと浮かび上がり始めた。
「うぅ……もう、しぶといわね」
だが、見るからにダークエルフの方がダメージが大きい。
彼女は肩で息をしながら、ミーシャの事を睨みつけた。
「……もう許さない!」
途端に、ダークエルフの周囲で一気に気温が落ちた。
目に見える程の膨大な魔力の放出。
空気中の水分が、一気に凍り付いてダイヤモンドダストが空を埋め尽くす。
そして、それが寄り集まって直径数十メートルはある巨大な氷柱を形作っていく。
「バ、バカじゃないの! そんな規模の魔法を使ったら、あんたの味方も巻き込むことになるわよ!」
「味方じゃない。利用しているだけ。別に死んでも、くーは問題ない」
ダークエルフの表情に、躊躇するような様子は無い。
無論、魔物が巻き込まれるのは構わない。
だが、ミーシャの背後には城壁がある。
あんなものを喰らったら、それも一気に崩れ落ちるだろう。
「死ねぇええええ! エルフ!」
ミーシャは真っ直ぐに落下してくる氷柱を睨みつけて、大声を張り上げた。
「死ぬかボケェええええええええええ!」
下品と言うなかれ。生きるか死ぬかの瀬戸際なのだ。
その瞬間、彼女の眼前に巨大な透明の球体が発生する。
それは余りにも高密度に圧縮された酸素の塊。
氷柱の先端が球体に突き刺さった途端、それは一気に破裂した。
「うぁあああああああああああ!」
「きゃあああああ!」
熱を伴わない激しい爆発。二人はそれぞれに爆風に吹き飛ばされ、ミーシャは勢いよく城壁に叩きつけられた。
風の鎧を纏っているとは言っても、並大抵の衝撃ではない。
身体がバラバラになってしまったような錯覚を覚えながら、ミーシャは遠のきそうになる意識を必死に繋ぎ止める。
そして、そのまま壁面を滑り落ちる様に、どさりと地面に落ちると、魔物の群れが彼女の方へと殺到してくるのが見えた。
こんなにあっさり終わっちゃうんだ……。
ミーシャは他人事のように胸の内でそう呟く。
身体はほとんど動かせそうにない。
あちこちから、血が滴り落ちているような感覚がある。
その時、昏い視界の中に、飛び込んでくる影があった。
それはミーシャを背にして、魔物達に立ちはだかる。
「レイ……ボーン?」
「喋らなくていい」
レイボーンは彼女を振り返って一つ頷くと、すぐに魔物達を見据える。そして、大きく口を開いた。
途端に口から噴き出した蒼い炎が、迫りくる魔物達を追い立てる。
慌てて逃げ惑う魔物達。
だが、次の瞬間。
パァァアアアアン!
と、やけに軽い破裂音が響き渡って、レイボーンの頭が弾け飛んだ。
「レ、レイボーン!?」
意識が遠のきかけていたミーシャも、思わず目を丸くする衝撃の光景。
遠巻きに取り囲んでいる魔物達も、どこか戸惑うような雰囲気を醸し出して、硬直していた。
そりゃあ、前触れも無く頭が吹っ飛んだら、誰だってビックリする。
だが、頭と右腕の無い骨。当の本人はまるで何事も無かったかのように、剣を構えて尚も魔物達を威嚇する。
そして、ミーシャの脳裏にレイボーンの声が響いた。
――ミーシャ、間に合って良かった。
「レ、レイボーン、間に合ったって……アンタ、大丈夫なの? それ?」
――問題ない。
誰がどう見ても問題がない筈がないのだが、当人の声に淀みは無い。
「でも……もう無理よね。アンタもそんなだし、私ももう……限界」
ミーシャは眼の端に涙を貯めながら、弱々しく、そう呟いた。
滲んだ視界に、ゆっくりと近づいてくる魔物の群れが映る。
血塗れではあるが、宙空から勝ち誇った顔で見下ろすダークエルフの姿が見えた。
だが、次の瞬間、
レイボーンは左手に握った剣。その切っ先を真上へと向けた。
――いや、間に合ったんだ。
途端に、ミーシャが凭れ掛かっている城壁が小刻みに揺れた。
その振動が次第に大きくなって、大地が音を立てて震える。
目の前の魔物の群れから、戸惑うような声が響き始め、背後で、大きな水音が聞こえた。
大瀑布のような盛大に水が滴る音。
海面を突き上げて巨大な物が浮かび上がってくる音。
宙空のダークエルフは、怯えるような顔で目を見開いている。
そして、王都の上に巨大な影が落ちた。




