第四十話 激戦
――簀巻き。
布団や大きな布、または紐などで筒状に巻かれる事、もしくは巻かれている状態を差す言葉。
物の本に拠れば、そういう事らしいが、
「降ろしなさい!」
「なーに? 死にたいの?」
今、まさにその簀巻き状態の女神官を肩に担いだ蜘蛛女が、六本の脚を忙しく蠢かせて、魔物の軍勢から離脱していくところであった。
「放しなさい! 何のつもりですか!」
アリアは、ギャーギャーと喚くドナを、ジトッとした目で眺めて、溜め息を吐く。
「何のつもりじゃないわよ! シレッと魔王軍に紛れ込んでたのに、頭のおかしい女がハンマー振り回して突っ込んできた所為で、悪目立ちしちゃったじゃないのよ。怪しまれる前に離脱しないと……」
「さては裏切るつもりだったのですね!」
「いや、あのさ……忘れてない? 裏切るも何もアタシ、魔族なんだけど? まあ、それもアイツ次第かしら。魔王軍がこのままヌーク・アモーズを滅ぼしちゃうんなら、最初から魔王軍にいた事にした方がおいしい目を見れそうだもの」
ドナがギリリと奥歯を鳴らす。
「この卑怯者っ!」
「ちょっとぉ、卑怯者は酷いんじゃない? せーっかく助けてあげたのに。あのままいったらアンタ、魔物の餌になってたわよ? ちょっとぐらい感謝しても良いんじゃないの?」
「感謝ぁ? 冗談じゃありません!」
ふんとそっぽをむくドナに、アリアは肩を竦めた。
「まあいいけど。それはそうとアンタ、なんであんな無茶したのよ。アイツのバカが感染ったんじゃないの?」
「それは……」
ドナは一瞬口籠る。そして訥々と言葉を紡いだ。
「勇者様が耳長殿と一緒に、魔物に乗って城壁を越えていかれるのを見たのです。てっきり魔物の首魁を退治しに行かれたものと、慌てて追いかけたのですけど……」
それを聞いたアリアは考え込む様な素振りを見せた。
「それは……うまくないわね」
ミーシャとレイの二人が、魔物に乗って城壁を越えた。
だが、魔物に攻撃を仕掛けた訳ではない。とすると、『二人で逃げた』。そう考えるのが妥当だろう。
そしてそれは、アリアにしてみれば何の違和感も無い。
レイの心の中を覗いた時、もしかしたらレイ自身も気づいてはいないのかもしれないが、その心の大きな部分を、あのエルフの少女が占めていたのだ。
彼女の安全を優先させたとしても、不思議は無い。
アリアにしてみれば、時間をかけてレイの心の内側を自分の色に塗り替えていくつもりだったのだが、それ以前に、二人で逃避行されてしまっては手の打ちようもない。
「チッ、あの小娘。まあ……逃げたかどうか、すぐに分かるわ」
「勇者様は逃げたりなんかしません!」
「だったら、すぐに出て来るわよ」
魔王軍の軍勢からある程度距離をとったところで、アリアは脚を止めて背後を振り返る。
「御覧なさいな」
アリアに促されるままに、ドナが顔をあげると、魔物達が、ぞわぞわと動き始めるのが見えた。
いつまでも開かない城門に、痺れを切らしたということだろう。
矢の届かない位置で待機していた魔王軍が、一斉に動き出したのだ。
◇ ◇ ◇
「坊主、あんまり緊張してっと、やられっちまうぞ」
「き、緊張なんか、し、してませんってば!」
言葉とは裏腹の上擦った声。
弓に矢をつがえた状態のまま、城壁の上で伏せている兵士達の中、中年の兵士に揶揄われた少年兵が、強がるように言い返した。
そばかすの残るあどけない顔。
今日初めて戦場に出た少年兵は、冷や汗の浮き出た額を軍装の袖でゴシゴシと擦って、奥歯を噛みしめる。
人面獅子の襲来によって、一時は壊乱状態に陥った城壁の上の兵士達も、既に態勢を立て直している。
今はただひたすらに、相手が動くのを待っている状態だ。
「お、動きやがったぞ」
「え!?」
中年兵士の呟きに、少年兵は思わず目を見開く。
慌てて頭を上げて城壁の向こうへと目をやると、確かに魔物の群れがゾワゾワと蠢いているように見えた。
途端に、
「来たぞぉおお!」
城壁のあちらこちらから、魔王軍の襲来を告げる声が響き渡る。
少年兵は頬に緊張を漲らせて、迫りくる魔王軍を見渡した。
数はどれぐらいだろう。おそらく数万。少なく見積もっても一万はくだらない。
城門のある中央をミノタウロスの一団。右翼にオルトロス、左翼にケルベロスの群れが移動していくのが見えた。
その間を埋めるように、ゴブリンやコボルドといった雑多な種族が犇めきあっている。
ずいぶん後ろの方にゴブリンやコボルド、オーガなどがそれぞれの種族ごとに群れを成しているところをみると、前線のほうで雑多に入り混じっている連中は、はぐれものや功に逸る若者達といったところだろうか?
何カ所か、ぽっかりと空いたようになっているのは、巨大百足の周り。
やはり魔物でも、百足は気持ち悪いのかもしれない。
だが、無数の魔物の中でも取り分け存在感を放っているのは、九つの頭をもつ巨大な蛇――ヒドラ。
それが魔物の軍の中軍――右翼、左翼、中央付近にそれぞれ一匹ずつ。
全部で二十七の頭が鎌首を擡げて、爬虫類特有の感情の無い目で、城壁の上をじっと見ている。
迫りくる魔物たちを硬い表情で見下ろして、少年兵のいる左翼の部隊長が声を張り上げた。
「矢を放て!」
それを皮切りに、伏せていた兵士たちは身を起こして、一斉に矢を放つ。狙う必要など無い。隙間など無いのだ。打てば当たる。当たったかどうかなんて、確認している余裕なんて無い。
「うわああああ! 死ね! 死ねよっ!」
少年兵も声を上げながら、震える指で矢をつがえては、狙いもつけずに放つという動作を、ただ無心に繰り返す。
矢は点描の様に宙を埋め尽くし、魔物達の頭上に降り注ぐ。
だが、その威力は決して強力なものではない。
オークやコボルドといった小型の魔物がいくらか倒れただけで、ミノタウロスやオーガといった大型の魔物は、針山のようになりながらも城門へと迫ってくる。
「くそっ! 城門がやべえぞ!」
中央の辺りからそんな声が聞こえてきた途端、ズシン! ズシン!と、魔物が身体をぶつける音が響き渡って、城門が軋む音がした。
城壁そのものが微かに揺れて、兵士達の間から「ひっ!?」と喉に詰めたような声が漏れ聞こえてくる。
「怯むな! 城門はそう簡単に破れん! 城門の上のものは樽を落とせ!」
こんな状況になるのは、無論、想定の範囲内。城壁の上には、石や土を詰めた樽が幾つも用意されている。
兵士達は重い樽を数人掛かりで引き摺って、城門の前に群れる魔物達の頭上へと投げ落とした。
「ぐぉおおおおおおおおおおおお!」
重い物が地面を叩く音、水気を含んだ圧潰音と魔物の悲鳴。それを巻き込んだ砂煙が舞い上がって、昼下がりの青い空を汚す。
城門を打ち付ける音が途切れ、少年兵がホッと息を吐いた途端、すぐ傍で切羽詰まった声が上がった。
「ま、魔物が登ってくるぞ!」
少年兵が、縋りつく様に下を覗きこむと、巨大百足が大きく蛇行しながら、城壁を登ってくるのが見えた。
「マジかよ……」
「そこ退け! ガキ!」
蒼ざめる少年を押し退けるようにして、必死の形相の兵士達が大きな樽を運んできて、そこに満たされた液体を巨大百足めがけてぶっかける。
そのヌルっとした液体に巨大百足は脚を滑らせては半身を宙に泳がせ、その度に無数の節足を蠢かせて、必死に壁面に張り付く。
「くそっ、落ちないのかよ!」
少年兵が思わず親指の爪を噛むと、さっき少年を揶揄った中年兵が松明に火を灯した。
そして、
「コレでも喰らいやがれ! 化け物!」
それを巨大百足目掛けて投げ落とすと、音を立てて炎が燃え盛った。
キシャアアアアア!
苦しげな絶叫を上げて、巨大百足の身体を炎が包む。あの液体は油。生き物の燃える嫌な匂いと黒い煙。細い節足が炭になってボロボロと崩れ、やがて魔物は城壁から剥がれて地に落ちる。
やけこげた巨大百足は、何匹もの魔物を巻き添えにしながら、地面で激しく身悶えて、やがて動かなくなった。
「効いてるぞ! もっと油を持ってこい! 奴らの上にぶちまけて火矢を射かけろ!」
ワッと歓声が上がって、城壁の上が勢いづく。
だが、それと時を同じくして、再びミノタウロス達が城門へと突進する音が大きく響き始めた。
次第に大きくなっていく門扉の軋む音。閂の横木が悲鳴を上げている。
「隊長、城門の辺りにも火を落としましょう!」
「馬鹿をいうな! 門扉が焼けたら元も子も無いだろうが!」
中央の方から聞こえてくるそんな声が、少年兵の不安を掻き立てる。
だが、他所の事を気にしていられるのも、そこまでだった。
「ひぃいいいい! 来る! ヒドラが来るぞ!」
すぐ隣で声を上げた兵士の視線を追って顔を向けると、すぐそこまでヒドラが近づいているのが見える。
城壁を見下ろすほどの巨体。巨大な蛇が鎌首を持ち上げて、少年兵達を睥睨していた。
文字通り蛇に睨まれて、身動きすることを忘れる兵士達。
次の瞬間、
「うわあああああああ!」
「ぎゃああああああああああ!」
ヒドラの九つの首が、巨大な顎を開いて、次々に兵士達に喰らいつく。
「あ、あ、あわ、わ……」
思わず尻餅をついた少年兵の目の前で、ヒドラは咥えた兵士達を振り回し、城壁の外へと投げ捨てる。
鎌首の一つが、少年兵を見据えた。
「ひっ!?」
ヒドラは顔を引き攣らせる少年兵目掛けて、擡げた鎌首を叩きつける。
必死に逃げ惑う少年兵。そのすぐ後ろで、瓦礫がはじけ飛んで、粉塵が立ち上った。
「こ、こんなの、勝てっこないだろ……」
ちろちろと赤い舌を伸ばして、近寄ってくるヒドラの顎。彼は思わず目を閉じる。
もはや、逃げることも適わない。
少年兵が、出来るだけ苦しまずに逝ける事を願ったその時――彼のすぐ脇を、一迅の風が吹き抜けた。
彼が恐る恐る目を開けると、ぼやけた視界の向こうに、ヒドラを前に立ちはだかる人影がある。
ピントを合わせようと眉間に皺をよせると、その途端、城壁の下で魔物達が一斉に声を上げた。
思わずそちらに顔を向けて、少年兵は目を見開く。
魔物達の群れのど真ん中、そこには巨大な竜巻が渦を巻いていた。
竜巻の中央には長い髪を靡かせる人影。
巨大な風の渦が、魔物達を蹂躙し宙に巻き上げながら、魔王軍のど真ん中に居座っている。
何が起こっているのかわからず、ただ口をパクパクさせる少年兵に向かって、目の前の人物が口を開いた。
「槍を借りる」
彼の手元から槍を拾い上げたその人物は、そのまま恐ろしい速さで、鎌首を擡げるヒドラへと突進する。
少年兵は眼を疑った。
その人物はどう見ても骸骨。右腕の無い骸骨だった。
ものすごい勢いで駆け寄っていく骸骨に、顎を大きく開いた鎌首が襲い掛かる。
だが、骸骨はサイドステップを踏んで牙を躱すと、そのままヒドラの目をめがけて槍を突き刺した。
グギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!
魂さえも刈り取られそうな恐ろしい声を上げて、ヒドラが身を反り返らせる。
だが、骸骨は動きを止めない。
城壁の上に転がっている槍を、次から次へと掴んでは、凄まじい速さで駆けまわりながら、ヒドラの身体を突き刺していく。
「呆けている場合ではないぞ!」
骸骨がそう声をあげると、呆然と見守っていた兵士達は我に返って、慌てて武器を掴んだ。
少年兵は手近に転がっていた弓を掴んで、ヒドラに向かってがむしゃらに矢を射かける。
戦場の混乱同様に、少年兵の頭の中も大混乱の渦中にある。
それでも、
――生き残れるかもしれない。
そんな想いが、彼の胸の内で小さな火を灯した。




