第三十九話 リバースする少女。絡まる神官。それはともかく黄金の右腕は趣味が悪い。そんな混沌とした状況。
「う、ぅうん、ちがうにゃ……ぐろくろじゃないにゃ……」
王宮近くの路地裏、ひっそりとした佇まいの酒場のカウンターで、赤毛の少女が酒瓶に囲まれて突っ伏している。
陽の届かない薄暗い店内には、彼女一人。
他は、とうの昔に逃げ出してしまった。
昨日、ライトナと話をした後、ニコは一人、ふらふらと酒場に繰り出していた。
長くコータの迎えを待つ間に覚えた酒の味。
ニコには嫌な事があると、すぐ酒に逃げる習慣がついていた。
「うぅうん……」
彼女が再び呻いたその瞬間、路地に面する壁を突き破って、轟音とともに魔物が店内へと突っ込んでくる。
石壁がはじけ飛び、粉塵が立ち上る。
テーブルが地面を打つ音、瓶が割れる音が壁にぶつかって、幾重にも響いた。
「な、なんにゃ!?」
ビクリと顔を上げると、ニコは酔眼のままに周囲を見回す。
背後を振り向いた彼女の眼前。
そこには、大きく開かれた魔物の顎があった。
「にゃっ!?」
酔眼を大きく見開いて、ニコは慌てて飛び退き、床へと転がる。
その途端、ガチン! と人面獅子の牙が合わさる甲高い音が耳を衝いた。
ニコはふらふらと立ち上がると、腰から中短剣を引き抜いて、キョロキョロと周囲を見回す。
店内はぐちゃぐちゃ。壁の一面が丸ごと無くなって、なんということでしょう。うらぶれた酒場がオープンカフェに早変わり。脅威のビフォーアフター。
それほど広くも無い店内に、人面獅子の巨体が窮屈そうに居座っていた。
ブォオオオオオン!!
動物の声とは思えないような咆哮を上げて、人面獅子は、ニコに向かって爪を振り下ろす。
傍目には猫がじゃれるような挙動ではあったが、威力はじゃれるどころの騒ぎではない。
「にゃぁぁあああ!」
ニコが再び横っ飛びに飛び退いて、どうにかそれを躱すと、人面獅子の爪が床板を穿って、大きな穴が開いた。
「な、なんだか、わかんにゃいけど……」
ニコは態勢を立て直して中短剣を構えると、身を小さくかがめて、真っ直ぐに人面獅子へと突っ込む。
「にゃぁああああああああああああああ!」
人面獅子は、老爺のような顔を嘲笑する様に歪めて、それを待ち受ける。
獲物が自ら飛び込んでくるというのだ。手間が省けたというところでしかない。
ニコが足に力を込めて跳躍すると、人面獅子は、それを追って首を上へと上げる。
だがその瞬間、人面獅子の視界から、ニコの姿が消えた。
思わず目を見開く人面獅子。
次の瞬間、上を向く魔物のがら空きの喉元に、中短剣が突き刺さった。
それはまさに猫の身のこなし。
跳躍したニコは天井を蹴ると、素早く着地して、そのまま地を這う様に、魔獣の喉元に剣を突き刺したのだ。
剣先に骨を穿つ感触。ニコは更に体重をかけて、深く突き入れると高らかに声を上げる
「来るにゃ! 炎の蜥蜴! フレイムエッジ!」
途端にニコの腕を炎が伝って、中短剣を灼熱させる。そして、刀身を覆う炎が爆ぜた。
「にゃぁ! フレイムエッジ!」
喉を切り裂かれて声も無く身悶える人面獅子。その、飛び散る血を頭から被りながら、ニコは尚も声を上げる。
「フレイムエッジッ!!」
再び炎が爆ぜると、遂に人面獅子の眼球がぐるんとひっくり返って、その身体から力が失われた。
そして、魔獣は横倒しに崩れ落ちる。
「うにゃ!」
ニコは力任せに剣を引き抜くと、勢いのままによろよろと後退って、尻餅をついた。
「にゃぁ……うぷっ……気持ち悪いにゃ」
遠くからは、悲鳴や、何かが壊れる様な音が響いてくる。
風通しの良くなった壁の外は路地裏。
そこに人の姿はない。
「なにが起こってるのにゃ? コータっ……」
ニコは、そう呟いて立ち上がる。
ともかく王宮へ、コータのところへ。
そして、二歩、三歩と歩いたところで、突然、目を白黒させて、
「ぼぇえええええっ……」
少女らしからぬ呻き声とともに、景気よくリバースした。
◇ ◇ ◇
「まだ城門は開かないのか!」
いつまでたっても開かない城門にガープは苛立ち、周囲の魔物達を怒鳴りつけた。
背後のクシャーナは、不貞腐れたままで返事もしない。
その時、前線の方から一匹の魔物が駆け寄ってきて、ガープの前に跪いた。
「どうした!」
「はっ! ご報告申し上げます。頭のおかしい女神官が単独で特攻して参りました」
「は? なんだそれは? 神官の一人や二人、一々報告するな!」
「それが……恐ろしい勢いで突っ込んで参りまして、ミノタウロス他、十数体の魔物が倒されました!」
「は? 十数体だと!? 神官一人でか!?」
「アルケニーが糸で絡めとって沈黙させましたが、予想外の損害ゆえ、ご報告に上った次第です」
「で、その神官はどうした!」
「アルケニーが、夕食にすると持ち去りました!」
獲物は捕らえた者の物だ。
何もおかしなことではない。
だが、ガープは思わず首を捻った。
今回の遠征に、アルケニーなど連れて来ただろうか?
「……まあ良い。おかしな連中が突っ込んできて悪戯に被害を受けるぐらいなら、力づくで攻め入った方がマシか……」
そしてガープは車両の先頭に立って、大声を張り上げた。
「全軍前進! 大型の魔獣を前面に押し出せ! 城門を打ち破るのだ!」
◇ ◇ ◇
先に動いたのは、レイボーンだった。
神速の踏み込み。鋭い突き。
だが、ストラスは風にそよぐ芒の如くに、ゆらりと身体を捻って、それをあっさりと躱す。
「ならば!」
レイボーンは、再び剣を突き出した。
躱されるのは織り込み済み、そのままノーモーションで横薙ぎに剣を掃う。
ところが、それすらもあっさりと躱される。まるでストラスには、剣線の行く末が見えてでもいるかのようだった。
「くっ!」
レイボーンが悔しげな声を洩らした途端、ストラスは突き出したレイボーンの手首を掴み、そして、ニヤリと嗤う。
「面白い物を見せてやろう」
途端にレイボーンの右腕。ストラスが握ったその部分から徐々に色が変わり始めた。
「なにっ!?」
慌てて手を払いのけて飛び退くレイボーン。だが、変色し始めた部分は、どんどんと広がっていく。
それは光輝く黄金の色。
「ふはは! 私に触れられたものは全て黄金に変わる。人間は黄金を価値ある物としているらしいな。黄金の髑髏など、さぞ値打ちがでることだろうよ」
手首から先は既に完全に黄金と化して、動かすこともできない。
ぞわぞわと腕を這いあがってくる黄金色。
「やむをえん!」
レイボーンは、右肩から先を切り離す。
剣を掴んだまま黄金と化した右腕が、どさりと地に落ちた。
「ふはは、切り離したか。賢明な判断だ。だが、武器を失っては最早どうすることもできまい。なあ、竜牙兵!」
レイボーンは昏い穴だけの眼で、ストラスを見据える。
既に勝った気でいる知識の悪魔は、梟の頭をくるくると回転させながら、上機嫌に口を開いた。
「知っているぞ。竜牙兵。所詮、貴様は牙のゴーレム。バラバラになっても再生する以外には、特殊な力は無いのだろう? だが、黄金に変わってしまえば、再生することすら適うまい」
「一つ聞かせて貰おう。剣を躱したのも特殊能力か?」
「ああ、そうだ。私は数秒先の未来が見える。貴様には最初から勝ち目など無かったのだよ」
未来視と黄金へと変える力。
――確かに侮り過ぎだな。
レイボーンは、そう自嘲する。
「ならば……仕方あるまい。確かに竜牙兵には大した特殊能力はない。竜牙兵にはな」
次の瞬間、レイは大きく口を開いた。
空洞の頭蓋骨、その内側。そこで突然、蒼い炎が渦を巻く。
がらんどうの眼窩の奥、外れんばかりに開いた口腔の奥。その向こう側で、蒼い炎が燃え盛った。
「なっ!? なんだそれは!」
数秒後の未来を視たのだろう。ストラスの顔が絶望に歪んだ。
「見えなければ、恐怖を感じる暇も無かっただろうな」
「は、反則だ、ず、ずるいぞ!」
「ルールなど最初から無い」
途端に、レイボーンの大きく開いた口から、巨大な炎の柱が噴き出す。
それはブレス。規模は流石に劣るものの、古竜そのものの、蒼い炎の柱が一気に周囲を薙ぎ払う。
やがて、
炎が消えた時には、既にストラスの姿もオルトロスの姿もどこにも見当たらない。
風景は一変。
辺り一面が灰燼と化して、地面には、真っ黒な灰と消え残った残り火がちろちろと熾っていた。
「ふむ、奴が死んでも、右腕は戻らないか……」
地面に転がる黄金の右手を眺めて、レイボーンが独り言ちる。
「あーあ、もうちょっと加減できないの? 地形変わっちゃってるじゃない」
背後から、ミーシャの声がした。
「もういいのか?」
「うん……って、アンタ、右手どうしたのよ?」
レイボーンが顎をしゃくって地面を指し示すと、ミーシャは眼を丸くして、黄金のオブジェと化した右手を眺める。
「うわっ……趣味悪いわね。それ、玄関かどこかに飾る感じ?」
「私の趣味ではない」
表情の無い顔にムスッとした雰囲気を漂わせるレイボーン。
それを眺めて、ミーシャはクスリと笑う。
「で、アンタの本体が来るまで、どれぐらい掛かりそう?」
「四、五時間というところだな」
その答えに、ミーシャは静かに目を瞑る。
そして、静かに瞼を開くと、レイボーンを見据えて言った。
「わかった。じゃあ、それまで私が頑張る。征くわよ!」
「は?」
途端に、二人の周囲で、風が激しく渦を巻き始めた。




