第三十七話 ダークエルフは大体口が悪い。
「きゃああああああ!」
「ばっ! ばけものだぁあああ!」
悲鳴を上げて、逃げ惑う人々。
波の様に押し寄せる群衆を掻き分けて、蒼い十字をあしらった修道衣姿の一団が大通りをひた走る。
「神官戦士達よ! 城門を開かせるな! 決してだ!」
「「「はいっ!」」」
先頭を征く壮年の男性司祭が声を上げると、後に続く神官たちが呼応する。
城門に近づくにつれて、大きくなっていく悲鳴と怒号。
時折響き渡る、割れた喇叭のような魔獣の咆哮が、それをかき消す。
人波を抜けた先。城門前の広場には、魔獣とそれを取り囲む兵士たちの姿があった。
門を背に、寄り集まった十数人の兵士達は、必死の形相で盾を構え、槍を繰り出して、悍ましい人面獣身の魔物が接近するのを阻んでいる。
周囲を取り囲む兵士達は、魔物の蠍に酷似した尾に威嚇されて遠巻きに身構えるばかりで、近づくことさえ出来ないように見えた。
神官達が駆け寄るのとほぼ同時に、魔獣の上に跨ったゴブリンが剣を振りかざしながら、挑発するように騒ぎ立てる。
「バ、バカにしやがって! こ、これでも喰らいやがれ!!」
門の前で寄り集まる兵士の一人が、苛立ち紛れに勢いよく槍を突き出すと、魔獣はそれを見越していたかのように、巨大な体躯を捻って、槍の穂先をあっさりと躱した。
「くそっ!」
兵士が悔しげな声を洩らしたその瞬間、魔獣が老爺のような顔を歪めて、醜悪な微笑みを浮かべる。
「ひっ!?」
兵士が慌てて手を引っ込めようとするも、もう遅い。
魔獣は兵士の腕に食らいつくと、力任せにその身体を引っ張り上げて、寄り集まる兵士達の方へと振り回した。
「ぎゃあああああああ!」
耳を塞ぎたくなるような悲鳴、兵士達の上へと鮮血が舞い散る。
振り回された兵士に刺さるのを恐れて、思わず門前の兵士達が槍を引いた途端、咥えていた兵士を襤褸雑巾のように投げ捨てて、兵士達の一団へと飛び掛かった。
「マズい! 彼らに神の恩寵を!」
司祭が声をあげると、神官たちは一斉に詠唱を開始する。
「「「主よ、祈りに応え給え! 悪しき者、猛き者、穢れし者より守り給え! ――セイクリッド・ウォール!」」」
まさに間一髪。
兵士達の眼前に見えない壁が現れて、飛び掛かった魔獣が「きゃん!?」と、似つかわしくも無い甲高い声を上げて、跳ね飛ばされる。
「殲滅せよ! ドナ・バロットッ!!」
「神の名に懸けて!」
司祭が声を上げると、それに応えて神官たちの間から、一人の女神官が駆け出した。
手にした武器は、鋼の大槌。
それを大きく振り上げると彼女は、声を限りに叫びながら、牙を剥いて威嚇する魔獣の額目掛けて一気に振り下ろす。
「てんばぁあああああああつ!!」
鈍い音を響かせて、重厚な鋼の塊が魔獣の額を穿つ。
くひゅっ!
鈍い打撃音とともに、空気が洩れたような間抜けな声が魔獣の牙の間から洩れる。
顎から地面に叩きつけられて、魔物の頭蓋骨がメリメリと軋む音がした。
兵士達は目の前で起こった出来事をただ呆然と眺め、ピクピクと震える魔獣の身体の上から、ゴブリンが慌てて逃げ出そうとする。
だが、周囲を取り囲む兵士達が我に返ると、ゴブリンはあっさりと串刺しになった。
「神官達は負傷者の手当てを!」
司祭がそう命じると、神官達は負傷者の元へと駆け寄っていく。
彼は治癒の魔法を唱える神官達を眺めて、「ふぅ」と息を吐くと、魔物の額にめり込んだ大槌を引き抜く、ドナの元へと歩み寄った。
「噂通りですね。ドナ・バロット。まさか一撃で倒してしまうとは……。流石は、最前線帰りだけのことはあります」
「……いえ、これも全て、神のご加護の賜物でございます」
「あと数匹魔物が街中に入り込んでいるようです。我々はここに留まって、兵士の皆さんとともに城門を死守します。よいですね」
「はい、神の御心のままに」
ドナが静かに首を垂れると、急に背後が騒がしくなった。
大通りの奥、王宮の方角から逃げ惑う人々の悲鳴が聞こえてくる。
「……早速、来たようですね」
ドナがそちらへ目を向けると、人波が割れて、先ほどと同じ魔獣が、彼女のいる門の方へと駆けてくるのが見えた。
ドナは道を塞ぐように立ちはだかる。
そして向かってくる魔物を見据えた途端、
――目を丸くした。
「勇者様ぁ!?」
魔物の背中に跨っているのは、鎧姿の骸骨。
その背後には、顔を蒼ざめさせながら、必死に骸骨の肋骨を掴んでしがみついているミーシャの姿があった。
思わず呆然とするドナの眼前で、魔獣は翼を広げて跳躍し、彼女の頭上を越えて舞い上がっていく。
「どうしました。ドナ・バロット!」
司祭の声などドナの耳には入ってこない。
呆然と城壁の外へと消えていく魔獣の姿を見送った後、ドナは我に返ると、慌しく城門へと駆け寄って、閂の横木を力任せに引き抜く。
「ド、ドナ・バロット! 一体、どうしたのです。気でも触れましたか!」
門を死守せよ、開かせるな。そう命じたというのに、いきなり城門を開こうとされれば、それは司祭も驚く。
「外の敵は、まだ門までは到達しておりません。私が外に出たら、すぐに閉じてください!」
「バカな! 死ぬ気ですか!」
「今、魔獣に載って外に出られたのは、勇者様です! 私はソフィー様から、勇者様に付き従う様に命じられております!」
「アナタは、ライトナ様から神官戦士団に加わって、門を守護することを命じられたはずです!」
「その門を勇者様が通られた事こそ、神の思し召し! 神は、私に勇者様に付き従えと仰っておられるのです!」
そう言い放つと、ドナは肩からぶつかる様に城門を押し開けて、外へと駆け出していく。
「くっ!? すぐに門を閉じろ!」
司祭が声を上げると、呆然と見ていた兵士達が門を閉じ、五人がかりで閂に横木を差し込む。
神官と兵士達が戸惑う様に向けてくる視線を黙殺して、司祭は閉じられた門を見据える。
そして、苦しげに顔を歪ませた。
「愚かな……神が自殺を望まれる訳がないではありませんか……」
◇ ◇ ◇
「どうしたのだ、アレは?」
魔物の群れの最後尾。
巨大芋虫が牽引する車の荷台で、黒山羊の頭を持つ魔物が、その感情表現の乏しい目を細め、怪訝そうに首を捻る。
中空に向けられたその目には、城壁の向こうから飛び出した一頭の人面獅子が、海際の小高い丘の方へとふらふらと降りていく姿が映っていた。
「大方、傷ついて、苦し紛れに逃げてきたというところでしょうな……」
黒山羊の頭を持つ魔物――ガープのすぐ隣に立っていた魔物がしわがれた声で応じる。
やせ細った人間の身体に梟の頭。草色のローブを纏った魔物、ガープの副官、ストラスである。
背後から、ストラスのその一言をせせら笑う少女の声が聞こえた。
「……人間ごときにやられる? 魔王の部下も案外だらしない」
抑揚の無い平坦な声。
それは眠たげな眼をした、ダークエルフの口から発せられた。
ストラスは、ギロリとダークエルフの少女を睨みつける。
「クシャーナ殿、お言葉が過ぎますな。魔王様を愚弄するおつもりですか?」
「魔王を愚弄? 冗談。くーは魔王の部下をバカにしただけ」
「貴様ァ! 新参者のくせに調子に乗るな!」
「やめよ! ストラス!」
ストラスが食って掛かると、ガープが苛立たしげに声を上げる。
このダークエルフの少女は、多くのダークエルフ達を率いて、つい最近魔王に帰順した。
魔王が執着する耳長姫を探し出すためには、肌の色の違いはあれど、精霊と交信できるダークエルフが役に立つだろうと同行させたのだが、なにせ口が悪い。
ここへくるまでの間、幾度となくプライドの高いストラスと衝突を繰り返していた。
ガープは、クシャーナの方へと目を向ける。
「人面獅子の一匹や二匹、捨て置けば良い。それよりクシャーナ殿、魔法の気配はあるか? ハノーダー砦にいた大司教の他に、あの厄介な『聖域』を使える者はおらぬ。魔王様からはそう伺っておるが……どうだ?」
「ん…………幾つか魔法を発動する気配はある。でも、どれも小さい」
「そうか。だが引き続き警戒を頼む。結局、例の大司教はまだ発見出来てはおらぬのだ。我々より先にヌーク・アモーズに辿り着いていることなど有り得ぬが、用心にこしたことはないからな」
「小娘一人捕らえられない。魔王の部下はやっぱり間抜け」
「貴様っ!!」
「いい加減にしないか!」
今にも掴みかからんばかりのストラスを、ガープが押しとどめる。
大司教の極大魔法もなければ、警戒していた古竜の姿も見当たらない。
対して彼らの周囲には、オーガやトロール、ゴブリン、コボルドといった亜人達。それに加えて、三体の巨大なヒドラをはじめ、オルトロス、コカトリスやミノタウロスといった魔獣の姿も見える。
正に総攻撃といった陣容。人間が太刀打ちできる筈も無い。
「城門が開き次第、ミノタウロスどもを先頭に突貫させろ!」
ガープが周囲の魔物にそう声を上げたその時、クシャーナがぴくりと眉を動かして、先ほど人面獅子が落ちて行った小高い丘の方をじっと見つめた。
「山羊頭……何匹か魔獣を貸して」
「どうした?」
「あの丘の上、あそこで魔力が膨れ上がっている。エルフのイヤな匂いがする」
クシャーナのその言葉に、ガープとストラスは顔を見合わせた。
「ストラス、貴様は一軍を率いて、あの丘を制圧しろ」
ガープのその一言に、クシャーナが食って掛かる。
「山羊頭! くーが行くと言った!」
「エルフならば、耳長姫の可能性が高い。耳長姫は無傷で捕えねばならぬ。エルフに深い恨みを持つダークエルフに、それが出来るとは思えんのでな」
「むぅうううう!」
頬を膨らませるクシャーナを一瞥して、ガープはストラスへと向き直った。
「良いか、ストラス。耳長姫は殺すな。傷一つ付けてはならん。魔王様に灰にされたくなければ、丁重にご同行願うことだ」




