第三十四話 愛と発狂はよく似ている
レイボーンは丘を離れてわずか数分、坂道を少し下った辺りで足を止めた。
そして、
「この辺りで待とう」
オーランジェにそう告げると、道の脇に転がっている大きめの岩に、どかっと腰を下ろす。
散歩してこいとは言われたものの、ミーシャを一人にするのは心配なのだ。
砦にいたちびっ子司祭や、出会ったばかりの頃のドナの態度を考えても、エルフに対してよからぬ感情を抱いている者も少なくは無い様に思える。
この距離ならば、万一ミーシャに何かあっても、『歩法』を使えば、瞬時に駆け付けることが出来る。
言われた通り本当に散歩をするつもりだったのか、オーランジェは一瞬ポカンとした顔になった後、取り繕う様に微笑んだ。
「では、叔母様をお待ちする間、少しお話いたしませんか?」
レイボーンの正面に立った彼女は、腰の後ろで指を組んで、彼の顔を覗き込んでくる。
やはり血が繋がっているだけあって、どことなくミーシャに似ているような気がした。
だが、髪の色や目の色の違いは当然として、決定的に違うのは、目の形。
切れ長なミーシャに大して、彼女の目は、幾分丸みを帯びて優しげな雰囲気を醸し出している。
「楽しい話を期待されても困る……ります」
レイボーンがそう言って口ごもると、オーランジェはクスクスと笑った。
「無理に丁寧な言葉を使わなくても結構ですのよ。それにその道化師のような格好で、『楽しい話を期待するな』と言われても、割りと反応に困るというか……」
「ふふふ、この仮面の下の顔を見たら、後悔するぞ」
「骸骨なのでしょ? 叔母様が仰ってましたわ」
「……つまらん」
レイボーンが憮然とするのが分かったのだろう。
オーランジェは、再びクスクスと笑った。
「確か、本体は古竜で、今、私の前にいらっしゃるのは分身だとか?」
「そうだ」
「本体の方は、どちらにいらっしゃるんですの?」
「今は、ここからずっと遠く、南の海にいる」
「温かいところで、のんびりされていらっしゃるのかしら?」
「そのつもりだったのだがな……。偶々、小さな島の近くを通りかかった時に、その島に上陸する巨大蛸を見かけたのだ」
「はあ……」
「腹も減っていたので丁度いいと思って、巨大蛸を倒したのだが、私が出て行くのと同じタイミングで、その島の巫女が守り神を呼ぼうと祈りをささげていたのだよ」
「はあ?」
「というわけで、今は南の島で守り神に祭り上げられている」
「ぶほっ!?」
オーランジェは姫らしからぬ音を立てて、盛大に噴き出した。
「笑いごとではないのだ、本当に。恐らく本物の守り神なのだろうが、海竜が恨めしそうな目で遠くからじっとこっちを見てるし、巫女が祈ったら現れなくてはならない雰囲気になってしまったせいで……今は、その島の近くで待機しているところだ」
「ぷぷぷぷっ……!」
オーランジェが必至に笑いをかみ殺しているのが分かる。
「……笑わなくてもいいだろう」
「ご、ごめんなさい。守り神が、出て行くタイミングを図っている姿を想像すると、おかしくて」
「なんでこんなことに……」
レイボーンがしょんぼりと首を垂れると、オーランジェは顔を背けて、肩を震わせた。
しばらくして、
「ああ、……死ぬかと思いました」
「……良かったな、死ななくて」
憮然とした声でレイボーンがそう言うと、オーランジェは再び彼の顔を覗き込んだ。
「ところで、叔母様はレイボーン様は勇者様かもしれない。そう仰られていましたけど……知ってます?」
「なにがだ?」
「勇者様はワタクシの婚約者なのですけど?」
「は?」
レイボーンの動きがピタリと止まる。
仮面の下では、顎関節が外れそうになっていた。
「そんなに驚かないでくださいませ。いずれにせよ、勇者様が魔王討伐から戻られたら、婚約は破棄させていただくつもりでしたし」
「そう……なのか?」
「そうなのです。失礼だと思いません? お心には既に他の方がいらっしゃるのに、お父様に押し付けられて、流されるままに婚約を承諾するだなんて、最低ですよ、最低!」
「……な、なんか……その、すまん」
「いえ、レイボーン様が謝られる必要はありません。お会いしてみてはっきり分かりましたけれど、レイボーン様はワタクシの存じ上げている勇者様とは違う方のようですし」
「……まあ記憶が無いからな」
「記憶が無くとも、身についた癖や態度がころっと変わるとは思えませんわ。勇者様はもっとおどおどしてて遠慮がちな方です。少なくとも女性と二人になって、自分だけさっさと先に座ってしまうような、デリカシーのない方ではありませんもの」
オーランジェのジトッとした目に射すくめられて、レイボーンはたじろいだ。
「……すまん」
「レイボーン様の物腰は武人そのものですものね。勇者様よりは、バルタザールの方が、まだ似ているような気がします」
「その、バルタザールというのは……」
レイボーンがそう問いかけたところで、ミーシャが道を下ってくるのが見えた。
その足取りは覚束なく、どことなく顔色も悪い。
「ミーシャ……どうした?」
「ん、大丈夫。なんでもないわ。ちょっと……疲れちゃった」
そこからの帰り道、心配そうに問い掛けるオーランジェに微笑みかけたほかには、ミーシャは言葉を発することもなく、一人何かを考え込んでいた。
◇ ◇ ◇
心配するオーランジェとレイボーンを「疲れている」とあしらって、ミーシャは部屋に戻るなり、扉に鍵を掛けて引きこもった。
外は夕暮れ時。
窓の無い部屋の暗闇の中、灯りも点けず、着替えることもせずにベッドに横たわると、頭からブランケットを被って目を閉じる。
眠ってしまいたい。
考えるのを止めてしまいたい。
そう思いながらも、頭の中を、つい先ほどのジニとの対話がぐるぐると回る。
霞がかった意識の中で、ジニの緑の髪が風に吹かれてさらさらと揺れていた。
「ミーシャ、余り悪く言うものではないよ。ジェラールは良い奴だよ。権謀術数渦巻く王宮の中で、なんであんな真っ直ぐな人間が育ったのか、不思議なぐらいさ」
「なんであんな奴の肩を持つのよ! ジニだって辛い思いをしたんじゃないの? すぐ傍にいるのに、お姉ちゃんはアナタの姿が見えなくなっちゃってたんでしょ? アイツがお姉ちゃんにインチキ宗教さえ押し付けなければ……」
ジニは静かに首を振る。
「逆だよ。ジェラールはオリビアが改宗することに最後まで反対してたんだ」
「……え?」
「この国は教会の力が強い。それこそ王の首を挿げ替えるぐらいのこと、訳ないさ。そこで王妃が異教の、しかもエルフだというのは、致命的なんだよ。だからオリビアは自ら、精霊達とのチャンネルを断ち切った。ジェラールを守るために、彼とともに生きていく為に」
「なんで、そこまで……」
「愛ゆえに……かな。愛と発狂はよく似ている。その渦中にいなければ、両者に大きな違いは無いね」
「そんな……」
「エルフである彼女が、教会に受け入れられるためにはそこまでしなければ駄目。彼女はそう考えたんだよ。もちろんウニバスだって他の精霊と交わることを禁じた訳じゃない」
「ウニバス?」
「彼らが神と崇める『理』を司る精霊王さ。良い奴なんだけどね。まあ、ちょっと問題がある」
「そりゃそうよ! あんなインチキ宗教の神様なんだもの」
「そうだね。愛が深すぎるんだよ。ウニバスは人間を愛して、愛して、愛しぬいている。だから僕みたいに見守って、救いを求められたらちょっと手を貸すぐらいじゃ収まらない。積極的に人の人生に介入し、試練だって与える。まあ迷惑っちゃ、迷惑な奴だよね」
「この国だって、あの男が勇者なんて馬鹿を焚きつけなきゃ、こんなことにはならなかったんでしょ。今の話じゃ、その……ウニバスってのが唆したんじゃないの?」
「まあ……そうだね」
そう言って、ジニは海の方へと目を向ける。
「ねぇミーシャ。キミはオーランジェを救い出しに来たんだろ? シルフたちから聞いているよ。こんどこそオリビアを、オリビアと同じ血が流れる彼女の娘を救いたい。……そうだよね」
ミーシャは無言で頷く。
「彼も同じなんだよ」
「……どういう事?」
「ウニバスは自分の最も愛する愛し子、確かソフィーと言ったかな。彼女に勇者と聖剣を与えた後、ジェラールに試練を与えた。……彼の耳元で囁いたのさ」
ジニは静かに目を瞑り、そして開き、ミーシャを見据える。
「ミーシャ。キミが魔王の子を身籠ることになるってね」
ミーシャは思わず、目を見開いて硬直した。
「だからジェラールは、勇者に魔王討伐を命じたのさ。こんどこそオリビアを、彼女と同じ血が流れているその妹を救うんだって……ね」




