第三十三話 風の精霊王
「せーっかく、王宮に入り込めたのに出歩くなってのは、土台無理な話よねぇ」
窓から入り込む星明りの所為で、薄墨を零したような柔らかな闇が、静かに蟠る王宮の廊下。
その高い天井を這い回る者がいた。
それは紅いドレス姿の妖艶な女。
蜘蛛女のアリアである。
姿容は人間のままにもかかわらず、蜘蛛そのものの挙動で天井を這い周る彼女の姿は、正直かなり悍ましい。
うっかり天井を見上げて、目でも合ってしまった日には、それこそ失禁ものである。
時折通り過ぎる見回りの兵士を、天井で息を殺してやり過ごし、人気が無くなると再び動き出すという行動を繰り返しながら、アリアは王宮の四階部分を奥へ奥へと進んでいく。
別に盗みを生業にしている訳では無いが、カノカで蓄えた財産は、屋敷とともに古竜の下敷きになった。
この街で娼館を開業しようにも、まずは先立つ物が必要なのだ。
とはいえ、王宮の中に知見がある訳でも無く、手当たり次第に金目の物がありそうな場所を探すしかない。
とりあえず、大事な物を保管しておくなら、王様の居室の近くだろうと当たりをつけて、あえて警戒が厳重な方へと進んできた結果四階まで来てしまったという訳だ。
「……お宝はどこかしら。宝物庫なんてのが有れば、分かりやすくて助かるんだけど」
アリアが、そう独りごちた途端、どこからか話し声が漏れ聞こえてくる。
「聞き覚えのある声ね」と、アリアは声のした方、天井近くに開いた換気用の小窓から、灯りのついた部屋を覗き込む。
そこには、円卓を囲む四人の男の姿があった。
そのうち一人は、先ほど案内をしてくれた小太りの宮宰。
あとの三人も負けず劣らず同じ体形の、小太りカルテットだった。
「まったく、奇貨というべきですな」
「左様、あのエルフの小娘を人質に取れば、エルフどもも動かざるを得ますまい。もはやエルフの連中をどうにかして動かさねば、魔物を押し返すこともできんというのは、情けない限りですがね」
その内容に、アリアは思わず眉根を寄せる。
「しかし、王がお許しになりますかな……」
四人のうち一人は、ドナが纏っているのと似た修道衣。
その修道衣姿の男が、静かに口を開く。
「王の許しなど必要ありませぬ。神の思し召しだと告げれば、それで良いのです」
「ご尤も。しかし、護衛の骸骨をなんとかせねばなりませぬな」
「それこそ問題ありませぬな。此度、彼奴らとともに帰って来た神官。彼女はこの国でも五本の指に入る神官戦士です。しかも、彼女には教会に逆らえぬ理由がございます。司教たる私が命じれば逆らおう筈などございません」
「なるほど、それは頼もしい!」
男達の笑い声を聞きながら、アリアは憮然と口を尖らせる。
その表情を丁寧に分解してみれば『面倒臭い』という思いが五割、単純に『不快』という思いが四割。
あとの一割は、アリア自身も気づいていない思い。
アリアは小さく溜め息をつくと、スルスルと糸を伸ばして廊下に降り立つ。
そして、おもむろに扉をノックした。
途端に部屋の中でガタガタと椅子のなる音が聞こえて、「誰だ!」と警戒感丸出しに誰何する声が聞こえた。
「夜分にごめんなさい。部屋の場所が分からなくなってしまって……」
アリアが怯えた様な声を出すと、扉が開いて宮宰が顔を覗かせる。
「くれぐれも出歩かぬようにと申した筈ですが?」
アリアが、ギロリと睨みつけてくる宮宰に、怯える様な素振りを見せると、背後の男達がせせら笑う。
そして、修道衣姿の男が家宰に歩み寄って、その肩を叩いた。
「あまり、ご婦人を脅すものではありませんな。ご婦人、こちらに来て一緒に葡萄酒などいかがです?」
「司教殿!」
「大事な話は既に終わりましたからな。後は美しい女性を交えて朝まで楽しく過ごすというのも悪くありますまい」
そう言って、修道衣姿の男は、だらしなく鼻の下を伸ばす。
「じゃあ、お言葉に甘えて……」
俯きがちにそう答えると、アリアはおずおずと部屋の中へと入り、後ろ手に扉を閉じた。
そして、
「ところで、大事な話って……どんな話をなさってらしたのかしら?」
部屋に入るなり、アリアがそう問いかけると、男達の間に不穏な空気が漂う。
「ご婦人、あなたには関係のない話です」
修道衣姿の男が、脅すように低い声を出すと、先ほどまでのおどおどとした様子はどこへやら、彼女は急に尊大な態度になって吐き捨てた。
「はっきり言って迷惑なのよね。アンタら。小娘をピンチに追い込んで、もしアイツが、自分があの娘をどう思ってるか気づいちゃったら、どう責任とってくれんのよ? こっちはこれから口説いていこうってとこなのに!」
「貴様、話を聞いていたな!」
男の一人がアリアに掴みかかろうとした途端、アリアはけたたましく嗤った。
そして、男達の表情が、戸惑いから恐怖へと変わっていく。
彼らの視界の中で、彼女の身体が揺らいで、大きく膨れ上がった。
◇ ◇ ◇
翌日、昼近くになって、ミーシャはレイボーンを連れて部屋を出た。
ドナとニコは大司教を訪ねて大聖堂へと出かけ、アリアは脂っこい物を食べ過ぎたせいで胃がもたれて辛いと、ベッドから起きて来なかった。
玄関ホールへと降りると、そこは何か物々しい雰囲気に包まれている。
通りがかりのメイドをつかまえて話を聞いてみれば、昨日案内してくれた宮宰と他数人が、姿を消したのだという。
どうやら魔物の侵攻を恐れて、金目の物をもって遁走したらしい。
「宮宰が真っ先に逃げる様じゃ、この国もいよいよ末期ね」
「そうだな」
大通りを歩きながら、肩を竦めるミーシャにレイボーンが頷く。
彼は、メイドに用意してもらったローブを頭からすっぽりと被り、芝居で幽霊役の役者がつける『ファントム』と呼ばれる仮面をかぶっている。
道行く人々には物珍しそうに見られるが、少なくとも怖がられるようなことはない。
おそらく、旅芸人か何かだと思われているのだろう。
大通りを抜け、町を取り囲む城壁の外へ出ると、二人は海を臨む小高い丘の方へと足を向ける。
「王族の墓にしては、ずいぶん辺鄙な所にあるのだな」
「王族の墓は……王宮の敷地内にあるわ」
レイの問いかけに、ミーシャは苦々しげに吐き捨てる。
それはつまり、彼女の姉が王族として葬られなかったことを意味していた。
「……すまない」
レイが首を垂れたその時、二人の背後から若い女性の呼び声が聞こえてきた。
「おばさまぁー! お待ちください!」
「オーランジェ!?」
背後から駆けてくるのは、菫色のローブを羽織ったハーフエルフの少女。
彼女はミーシャの傍へと駆け寄ると、乱れた呼吸を整えながら口を開いた。
「はぁ、はぁ……ご案内しますわ。ワタクシも久しぶりにお母さまにお会いしたいですし」」
「護衛もつけないで……大丈夫なの?」
「撒いて参りました!」
そう言って、オーランジェは悪戯っぽく笑う。
どうやらおっとりとした見た目に反して、かなり快活な性格らしい。
「もう……仕方ない子なんだから」
「えへへ」
呆れ顔のミーシャの腕に、オーランジェは自らの腕を絡ませる。
寄り添って歩いていく二人の背中を眺めながら、レイボーンは昨晩のミーシャとのやり取りを思い出していた。
◇ ◇ ◇
「明日、オーランジェを……。私の姪を攫うわ」
ミーシャはじっとレイボーンを見詰めると、更に言葉を紡いだ。
「この国はもうすぐ亡びる。人間がどうなろうと知ったこっちゃないけど、オーランジェは死なせたくない。お姉ちゃんは助けられなかったけど、あの子だけは……」
「攫ってどうする?」
「エルフの隠れ里に連れて行くわ。あそこなら精霊たちの力で隠蔽されているから、逃げ込んでしまえば、まず安全だもの」
「それで、彼女は何と言っているのだ?」
「冗談だと思ったみたいね。自分だけ逃げる訳にはいかないし、神は越えられない試練をお与えにならないの一点張りよ。まあ仕方ないわよね。この国で生まれたんだもの。あのインチキ宗教にどっぷりだし、あの娘は精霊の声だって聞こえない」
レイボーンは、不思議そうに首を傾げる。
「逃げなくとも、魔王を倒せば良いだけではないのか?」
その一言をミーシャは鼻先で笑った。
「だけって……無理よ。古竜がいくら強くったって、アンタがいくら強くったって意味が無い。そういう話じゃないの」
「では、どういう話だというのだ」
「魔王の最大の特徴は、『不傷不死』。聖剣以外の武器じゃ、かすり傷一つ負わせる事さえできないのよ。そんな相手に戦って勝てる訳ないじゃない」
「もしかしたら、私が勇者かもしれないのだろう?」
「聖剣がどこにあるってのよ? それこそ聖剣のない勇者なんて何の意味もないわ」
「だが……キミは彼女に恨まれる」
レイボーンがそう告げると、ミーシャは彼を睨みつける。
そして、
「いいわよ、恨まれても。この国の連中がよってたかって、お姉ちゃんを死に追いやった。だから他の連中は死ねばいいのよ。でもオーランジェにはお姉ちゃんの血が流れてるんだもん。今度こそ、お姉ちゃんを助けるの。そのためにここまで来たんだもん」
その蒼い瞳には、固い決意が宿っていた。
◇ ◇ ◇
丘の上に辿り着くと、良く整備された花壇のような風景があった。
青い海を背景に、色とりどりの花。
その真ん中に、良く磨かれた円柱状の墓標が、こぢんまりと鎮座している。
そこに午後の柔らかい日差しに照らされて、広葉樹が網目のような葉影を投げかけていた。
「お母様。今日は叔母様が来てくださったのよ」
「……お姉ちゃん」
オーランジェが進み出て、墓標へと語り掛けると、ミーシャが声を潤ませた。
吹き抜けた風が網目のような影を揺らし、オーランジェが肩までの黒髪が乱れるのを気にして手で頭を押さえると、墓標に向けられていたミーシャの視線が何故か僅かに上へと動く。
「ねえ、レイボーン。オーランジェと一緒にしばらく散歩してきてくれない? お姉ちゃんと二人きりになりたいの」
ミーシャが墓標の少し上の中空をじっとみつめながらそう言うと、レイボーンは小さく頷いた。
「……わかった。オーランジェ姫、参りましょうか」
「はい、レイボーン様」
背中で二人の足音が遠ざかって行くのを聞きながら、ミーシャはあらためて墓標の上へと目を向ける。
レイボーンやオーランジェの目には、何も見えなかった筈のそこには、墓標の上に腰掛けて、足をぶらぶらさせている少年の姿があった。
「やあ、ミーシャ」
「久しぶりね。ジニ」
「二十年じゃ、僕にとっては瞬きするぐらいの時間でしかない。久しぶりというには、あと二百年ほど足りないね」
白い貫頭衣を纏った緑色の髪の少年。
長く伸びた前髪が片目を隠し、隠れていない方の瞳はエメラルドの色をしていた。
「ずっと、お姉ちゃんの傍にいてくれたんだ」
「ああ、オリビアはボクの愛し子だからね」
にこりと微笑む少年の名はジニ。
精霊王の一人である。




