第三十二話 私は、愚かなのだろうな。
昏い海に白波を立てて、巨大な影が陸地へと迫っている。
それは、巨大な竜。
遠く沖合で海へと降りて、海中を進む古竜であった。
鎌首を持ち上げたその頭上には、今、四人の女の姿がある。
「流石に、物見には気づかれているでしょうね……」
「あはは、なら、今頃きっと、蜂の巣を突いたみたいな騒ぎになってるわね」
修道衣姿の女が溜め息混じりに呟くと、それを揶揄する様に、赤いドレス姿の艶めかしい女が軽薄に笑う。
「軍人がいくら慌てたって、知ったこっちゃないわよ。街中でパニック起こされるより、全然マシだもの」
二人の会話に割り込むように、エルフの少女がそう吐き捨てると、その隣の赤毛の少女は、
「にゃぁ……お腹空いたにゃ」
と、興味無さげに、剥き出しのお腹を擦った。
徐々に近づいてくるヌーク・アモーズの港。
その岸壁の上には、幾つもの篝火が揺れている。
おそらく、迫りくる竜を迎え撃つべく、兵士達が集結しているのだろう。
実際、竜が陸地に近づくにつれて、聞こえてくる男達のざわめく声が大きくなっていく。
やがて竜は港のすぐ傍まで辿り着くと、首を伸ばして、その巨大な顎を岸壁の上へと乗せる。
途端に、兵士達は悲鳴を上げて、一気に後退った。
「めちゃくちゃビビってんじゃないのよ。みっともない……」
呆れたような物言いをするアリアに咎める様な目を向けて、ミーシャは竜の頭から鼻先を渡り、岸壁へと飛び降りる。続いて、ドナ、アリア、ニコが、順番に岸壁へと降り立った。
緊張の面持ちで、取り囲む兵士達を見回して、ミーシャは声を張り上げる。
「私は王妃オリビアの実妹、ミーシャよ! 義兄ジェラール王に会いに来たの。取り次いでちょうだい」
その途端、兵士達の間に、戸惑うようなざわめきが広がっていく。
「あらま、あの娘、王族だったのね、一応。お淑やかさの欠片も無いから気づかなかったわ」
「まあ……耳長ですから」
仲が悪い癖に、こんな時だけ声を潜めて囁き合うドナとアリアを、ミーシャがギロリと睨みつけたのと同時に、この場の指揮官らしき男が、兵士達の間から進み出てきた。
「ミーシャ様とのことではございますが、我々では判断出来ませぬ。王宮に伺いを立てます故、しばしお待ちの程を」
「まあ良いわ。でも、できるだけ早くしてよね」
ミーシャはそう言い放つと、古竜の方へと振り返って、その鼻先を撫でる。
「レイ、悪いんだけど、沖合に出て、待っててくれる? たぶん二、三日」
――ああ、かまわない。だが……私も一緒には行くつもりだ。
一緒に行くつもり?
レイの言葉に、ミーシャは思わず首を傾げる。
その途端、古竜は、鎌首を持ち上げて、大きくその顎を開いた。
「ちょっ! ちょっとレイ、何する気よ!」
思わず慌てるミーシャ。
喰われるとでも思ったのだろう。兵士達は悲鳴を上げて逃げ惑う。
それを他所に、竜がブンブンと首を振ると、牙の一本が抜け落ちて、岸壁の上へと転がった。
無論、牙とは言っても、そのサイズは人一人ほどの大きさがある。
「にゃ? 虫歯かにゃ?」
ニコが落ちた牙へと駆け寄って、指でつんつんと突いた途端、それが淡い光を放ち始めた。
「にゃにゃにゃ!?」
彼女が慌てて飛び退くと、それは徐々に鎧を纏った骸骨へと形をかえていく。
「な、なんにゃ!?」
「うわっ……気持ち悪っ!」
慌てるニコの背後で、アリアが自分の身を抱いて、顔を顰めた。
「レイ! なんなのよ、あれ!」
ミーシャのその問いかけに、レイは平然と応じる。
――竜牙兵だ。私の精神と完全にリンクした……まあ、分身のようなものだな。
「分身……ふーん、分身ねぇ……もうちょっとかわいい分身はないの? モフモフした感じの」
――無茶いうな。
「でも、そっちもレイで、こっちもレイっていうのは、ややこしいわね……じゃあ、こっちの骨の方のレイは、『レイボーン』って呼ぶことにする。骨だけに」
――まあ、かまわないが……。
レイは何か言いたげに口籠ると、静かに沖に向かって後退し始める。
――では私は行く。用があれば竜牙兵に言ってくれればいい。私にも聞こえている。
レイが沖の方へと消えてしばらくすると、兵士達の間を抜けて、伝令の兵士がミーシャの前に跪いた。
「ミーシャ姫! 王がお会いになると仰っております。どうぞこちらへ!」
「ご苦労様」
澄ました顔をしてミーシャが歩き始めると、兵士達は慌てて道を開ける。
そして、
エルフ、神官、妖艶な美女、露出過多な少女、最後に骸骨。
仮装行列と見紛わんばかりの一団が、兵士達の間を通り過ぎて行った。
◇ ◇ ◇
王宮に辿り着くと、一行は大部屋に通された。
そこで、ミーシャ達は宮宰を名乗る小太りの男から、以降についての説明を受ける。
「王への謁見が許されておるのは、ミーシャ姫、お一人でございます。他の方々は、それぞれにお部屋をご用意させていただきますので、今夜はそこにご滞在ください。くれぐれも出歩かれませぬよう、重ねてお願い申し上げます」
そう告げている間、宮宰の視線は、レイボーンに釘付けになっていた。
出歩くなという言葉は、どう考えてもこの骸骨へ向けたものだろう。
無理もない。何も知らない人間が廊下で出会ったなら、卒倒することだろう。
「一緒に行かなくて、大丈夫か?」
「うん、大丈夫。みんなは先に休んでて」
レイボーンの問いかけにそう答えてから、ミーシャは何か違和感を感じて首を傾げる。
あらためて周囲を見回してみると、皆、一様に顔を引き攣らせていた。
「「「喋った……!?」」」
よくよく考えてみれば、レイが実際に声を出して喋ったのは、ミーシャと出会って以来これが初めて。
よりにもよって声帯すら存在しない、この最も喋りそうにない身体になって、初めて喋った。
「ゆ、勇者様、どこから声を出しておられるのですか!?」
「なんで、骨だけで喋れんのよ!」
「……なんでと言われても困る」
急に騒がしくなった部屋を後にして、ミーシャは宮宰に先導されるままに、王宮の廊下を歩いていく。
やがて、彼は革張りの豪奢な扉の前で足を止めた。
「ミーシャ姫をお連れ致しました!」
「……ご苦労」
宮宰はゆっくりと扉を開け放つと、ミーシャに中へと入るよう促す。そして、彼女が部屋に入ってしまうと、自らは廊下の外に出て扉を閉じた。
それほど大きな部屋ではない。
白壁の真ん中を緑色のラインが一本。
そこに、まるで鋲を打つみたいに、金細工で百合の花が描かれている。
中央にはソファー。
そして、その向こう側に、窓の外を眺める男の姿があった。
「お久しぶり。義兄様」
男はゆっくりと振り返るとじっとミーシャを見つめた。
「……ますますオリビアに似てきたな」
「錯覚よ。二十年ぐらいじゃ、エルフの容姿は大して変わらないもの」
ミーシャの突き放したような物言いに、男は弱々しい微笑みを浮かべた。
均整の取れた体格。厳めしい顎髭とは対照的に、二十年ぶりに会った義兄ジェラールの目元には、ありありと疲労の色が見て取れた。
「ただ、会いに来てくれたという訳では無さそうだな。何をしに来た?」
「姉様のお墓参りに。この国が滅んだ後じゃ、それも出来なくなっちゃうしね」
ミーシャは怒らせる気でそう言ったのだが、ジェラールは静かに唇を噛んだだけ。
嘗ての豪快な雰囲気は、どこにも見当たらない。
ミーシャが不愉快げに顔を歪めると、ジェラールは目を逸らしたまま口を開く。
「ミーシャ。この国では、もはやエルフは歓迎されない。むしろ敵意を持つものさえいる」
「お祖父ちゃんたちが、義兄様の救援依頼を断ったから?」
「ああ」
「馬鹿馬鹿しい! っていうか! なんで勇者なんてバカを焚き付けて、魔王を討伐させるようなバカなことすんのよ!」
「バカ……そうだな。私は愚かなのだろうな」
ジェラールが怒りもせず、弱々しげにそう呟いた途端、ミーシャの中で何かが決壊した。
彼女は大きく目を見開いて、義兄へと詰め寄る。
「魔王のこともそう。でも、もっと愚かなのは、姉様にアンタ達の信仰を押し付けたことよ! そもそも姉様は高位の精霊使い。流行り病などで死ぬはずが無かった。なのに、姉様はあなた達の所為で、精霊の声が聞こえなくなったのよ! 姉様を死なせたのはアンタ! アンタの所為よ!」
ジェラールの奥歯が、ギリリと音を立てる。
彼がその瞳に、怒りとも、悲しみともつかぬ感情を湛えて、ミーシャを睨みつけたその時。
「お父様! 叔母様がお出でになられてるそうではありませんか! どうしてランジェを呼んでくださらないのです!」
ノックもせずに、一人の少女が扉を開けて、部屋の中へと飛び込んでくる。
年の頃は十七、八。
どこかおっとりとした雰囲気の少女。
特徴的な長い耳。
だが肩までのつややかな髪は、エルフにはありえない鴉の濡羽色。
それはハーフエルフの少女だった。
ジェラールが慌てて背を向けると、ミーシャは少女の姿を眺めたまま固まった。
「……叔母様?」
「あなたがオーランジェ? 髪の色は違うけど……ほんとに姉様そっくり」
「お会いしとうございました。お母様は、いつも叔母様のお話をされておられましたので……」
その一言に、ミーシャは目の奥が熱くなるのをじっとこらえて、背を向けたままのジェラールに問いかける。
「義兄様、オーランジェとゆっくりお話したいんだけど……」
「ああ……そうだな。そうしてくれ。ランジェ、叔母様をおまえの部屋へご案内してさしあげなさい」
◇ ◇ ◇
深夜、レイボーンは割り当てられた部屋のベッドに横たわって、天井を見上げている。
ミーシャが王に会いにいってから、既に五時間近くが経過していた。
彼をこの部屋へと案内してくれたメイドは終始、今にも卒倒しそうな顔をしていた。
見た目だけで言えば骸骨そのものなのだから、それも仕方が無い。
最後に「ありがとう」と声を掛けると、彼女は飛び上がる様にして、走り去っていった。
「あれは、流石に傷つくぞ……」
そうは言ってみたものの、実際、今、ベッドに横たわっている彼の姿は、酷い絵面である。
どうみても、発見の遅れた白骨死体にしか見えない。
その時、コンコンと扉を叩く音が部屋に響き、彼が返事をするより先に扉が押し開けられた。
レイボーンが身を起こして、そちらを眺めると、そこには陰鬱な表情で佇むミーシャの姿があった。
酷く疲れたような、思いつめたような、表情のミーシャは、レイボーンのがらんどうの眼窩を見据えて口を開く。
「ねえ、……何も言わずに手伝ってよ」
「それは……キミのいう『その時』が来たということか?」
レイボーンのその問いかけに、ミーシャは静かに頷いた。
「明日、オーランジェを……。私の姪を攫うわ」




