第三十話 暁の竜
負け犬感なさすぎという各所からのツッコみを受けまして、負け犬→亡霊にタイトルを変更しました。
ガタッ! という物音に、ドナ、アリア、ニコの三人は言い争いを止めて、背後を振り返った。
三人の目に飛び込んで来たのは、膝ほどの高さに張られた蜘蛛の巣。そして、その上に横たわる飛竜と、それを見下ろすミーシャの姿。
飛竜の焼け焦げた身体は弛緩しきっていて、濁り切った白い目に生気は無い。
開いたままの顎から、伸び切った舌がだらしなく垂れ落ちていた。
「コータっ!?」
ニコは大きく目を見開くと、蜘蛛の巣へと飛び乗って、飛竜の、その焼け焦げた身体へと縋りつく。
「ダメ! 死んじゃダメにゃ! 折角会えたのに、こんなのってないにゃ! 返事をしてよコータッ! コータ!」
悲痛な涙声が瓦礫の山と化した街中に響いた。
炎で炙られてドロドロに煮詰まったドス黒い血が、彼女の手を汚す。だが、それを気に掛ける様子も無く、ニコは必死で飛竜の身体を揺さぶる。
ニコのその様子とは裏腹に、つい今の今まで彼女と言い争っていたアリアとドナは、「「ああ……」」と小さく嘆息し、気まずそうに顔を見合わせた。
二人は何が起こっているのかを、正しく認識しているのだ。
そして、アリアとドナは『なんとかしろ』と言わんばかりに、じっとミーシャを見つめてくる。
その視線に気づいて、ミーシャはやれやれと肩を竦めた。
「あのね、アンタが誰かは知らないし、誰と勘違いしてるのかもしらないけど……そいつ死んでないから」
「にゃ? 死んで……な……い?」
「そうよ」
「で、でも、息してないにゃ! く、首も、だらんとしちゃってるにゃ!」
「だって、その身体は只の借り物だもん。アイツはもう、そこにはいないんだって」
ミーシャの言葉の意味が、分からなかったのだろう。
ニコは、戸惑うように目を泳がせた。
「い、いないって、じゃ、じゃあ何処に行ったのにゃ!」
「あっちよ」
ミーシャは顎をしゃくって、肩越しに自分の背後を指し示す。
ニコは戸惑いの表情を浮かべたまま、彼女のさし示した方へと目を向けた。
折り重なる瓦礫の間から黒煙が棚引き、風に吹かれて、火の粉が蛍火の如くに宙を舞う。
彼女の視界の中で、地上に散らばった炎が、古竜の巨体を照らし出していた。
そのまま視線をゆっくりと上へと泳がせて、ニコは思わず驚愕の表情を浮かべる。
「にゃ、にゃ、にゃ……!?」
その余りにも壮絶な光景が、彼女から意味のある言葉を奪い去った。
星も疎らな夜空を背景に、頭部を失った古竜の長い首、その先が蠢いている。
白煙を上げながら、赤黒い肉が触手のように蠢き、絡み合って、何かを形作ろうとしていた。
「な、な、な、なんにゃあれ! 竜のおじいちゃんは生きてるのにゃ!?」
目を見開いて問いかけてくるニコに、ミーシャは苦笑しながら首を振る。
「がっつり死んでるわよ。で、アイツがその死体を乗っ取ったの」
「のっとった……?」
呆然とするニコ。
その間にも、赤黒い肉が竜の頭部を形作り、次第にそれがごつごつとした黒い鱗で覆われていく。
一方、ドナとアリアは、二人して戸惑うような表情を浮かべながら、背後へと倒れ込みそうなほどに身体を逸らして、古竜の姿を見上げている。
二人とも、レイが乗り換えるのを見るのは、これが二度目。
頭では何が起こっているかを理解してはいるものの、今回ばかりはスケールが違いすぎる。
ミーシャの目に二人の姿は、目の前で起こっている出来事を、どう消化していいのか困っている様に見えた。
その時
ぐぎゃっ! ぐぎゃっ!
宙空を旋回している飛竜たちが、口々に短い鳴き声を上げて、四人は空を見上げる。
どこか必死なニュアンスを帯びたその鳴き声に、ミーシャは、この赤毛の少女に比べれば、むしろ飛竜たちの方が、状況を正確に把握しているのかもしれない。そう思った。
やがて、にょきにょきと二本の角が生え切ると、ゆっくりと古竜が目を開く。
そして、爬虫類特有の凶悪な目つきで、ギロリと周囲を見回した。
ぐぎゃああああああああああ!
途端に、空を埋め尽くしていた飛竜たちは、けたたましい鳴き声を上げながら、逃げ惑うように東の空へと飛び去って行く。
それを追う様に、古竜は長い首を振り上げると、飛竜の群れに向けて、その巨大な顎を大きく開いた。
次の瞬間、ミーシャたちの視界が光に包まれる。
「きゃぁあああ!」
彼女達の悲鳴を掻き消して、大地が震え、音が物理的な衝撃となって、周囲の瓦礫を巻き上げる。
ぐうぉおおおおおおおおおおおおおおおおおお!
地の底から響く様な低い咆哮と共に、古竜の牙の間で膨らんだ蒼い炎が、火柱となって空を燃やした。
右から左へと古竜が首を振るうと、壮絶な蒼い炎が、逃げ惑う飛竜の群れを薙ぎ払っていく。
そして、
蒼い炎が消え去る頃には、昏い夜空に星の他には何も見えなくなって、遥か遠くの方から、何かが地に落ちる鈍い音が幾つも響き渡った。
◇ ◇ ◇
東の空に暁。
あれから一時間と立たないうちに、遥か遠くの山並みを、濃い橙色が縁取り始めた。
街を焼いた炎は既に姿を消し、薄く立ち昇る黒煙にその名残を残すのみとなっている。
半分ほども瓦礫の山と化したカノカの街。
そこに、巨大な竜が陽だまりの猫宛らに、身体を丸めて寝そべっている。
そして、赤い斜光に照らされて横たわるその竜の頬の辺りには、寄りかかって座り込む四人の女達の姿があった。
「ねえ、レイ。アンタ、本当に竜に襲われる覚えはないの?」
――記憶を失う以前のことは分からないな。
ミーシャの問いかけに、レイは胸の内で応じる。
「っていうか、その身体、喋れるんじゃないの?」
――それが……厄介なことに、下手に声を出すと軽く衝撃波が発生するのでな。よほどのことが無い限り、しゃべらない方がいいだろうな。
ミーシャは思わず首を竦める。
「……出鱈目すぎるわよ」
そこで、二人の会話を聞くともなしに聞いていたアリアが、口を挟んだ。
「あはは、そもそも古竜なんて、存在そのものが出鱈目だもの。アンタに勝てるのって、もうこの世界じゃ魔王ぐらいじゃないかしら?」
「魔王様と呼ばなくて良いんですか? 化け物」
ドナが揶揄する様にそういうと、アリアは小さく口を尖らせる。
「良いのよ。別にアタシは魔王の配下って訳じゃないもの。そうじゃなかったら人間の街に潜んで、真面な商売なんてしてないわよ」
「娼館のどこが真面な商売なんです? 男達を操って女を攫ってた人がどの口でそれをいうんですか!」
「疲れた男達に一時の癒しを与える商売だもの。立派なものよ。それにあの男どもはツケを踏み倒そうとしたロクデナシ達だもの。借金のカタに労働させてただけ。まあ、そろそろ薬も切れて正気に戻る頃だと思うけど。むしろ、それをボッコボコにしてたアンタの方が酷いと思うんだけどぉ」
「……て、天罰です」
「でも……この有様じゃ、この街での商売はもう終わりね。どこか遠くに行ってやりなおすかな?」
アリアは古竜の鱗を撫でながら、問いかける。
「ねえ、アンタ、このまま海を渡って別の国に行っちゃいましょうよ。そこで見栄えのいい男襲って、身体を奪ったらアタシと慎ましくも愛のある家庭を持つってのはどう?」
「調子にのらないでください。蜘蛛女!」
「そーだにゃ! 魔王を倒したら、ニコはコータと一緒に酒場を開くんだにゃ」
思わず声を荒げるドナ。それに続いてニコが声を上げた。
「当然のように話に割り込んできましたけど、結局あなたは何者なのです?」
「ニコはコータの仲間にゃ」
「っていうか、コータって誰よ」
アリアが怪訝そうに眉根を寄せると、ニコは顔いっぱいに笑った
「コータはコータにゃ!」
ニコのその答えに、アリアが呆れるような顔をすると、ドナが説明を引き継いだ。
「コータ……イノセ・コータ様は、勇者様のご尊名です」
すると、ミーシャが話に割り込んでくる。
「ふーん、変な名前ね。センスが無いわ」
――生霊だからレイと名付けた人間が、どの口でセンスを語るのだ?
「なにをぉ!」
ミーシャはポカリと竜の鼻先を叩いた。
無論、レイに痛がる様子などない。
「そもそも、その身体、可愛げがないわ! 今すぐ兎捕まえて、乗り換えなさいよ。モフモフさせなさいよ」
――アホか。この身体で兎を捕まえようとしたら、半島が沈むぞ!
「沈めちゃいなさいよ、こんな国。兎もモフモフ出来ない様な国は沈んだ方がマシよ」
――国に責任はないだろう。
「そうね。そうよ! アンタが悪いのよ。百歩譲って可愛げのない眼は我慢してあげるから、今すぐモフモフの毛を生やしなさいよ」
――無茶苦茶なことをいうな。出来ないことは無いが。
「出来んの!?」
――やらないぞ。
「なんでよ! モフらせなさいよ! 私の癒しを返しなさいよ!」
「ちょ、ちょっとお二人とも、落ち着いてくだ……」
意味不明な言い争いを続ける二人に、ドナが割って入ろうとすると、アリアがその肩を掴んで小さく首を振った。
「今は放っておいてやんなさいよ。楽しいみたいだし」
怪訝そうに眉根を寄せるドナを他所に、アリアはそう言って竜の方を振り返る。
『一番楽しかったこと』
そう聞かれてレイが思い浮かべたのが、このエルフの少女と憎まれ口を叩き合う光景だったことを思い浮かべて、アリアは苦笑した。




