第二十八話 ライジングドラゴン!
西門の方へと走っていく人々を尻目に、ニコは細い路地に入り込むと、東の方角へと走り始めた。
結局、パンツは見つからなかった。
彼女の装いは、丈の短いシャツに赤の胸甲、ローライズ気味の短袴。
剣帯に下げた中短剣が脚の動きに合わせて、カチャカチャと音を立てる。
布切れ一枚の違いなのに、短袴の下に何も履いていないという事実が、やけに心細い気がした。
大通りの方からは逃げ惑う人々の、悲鳴にも似た声が響いてくる。
「路地の方でも、騒がしいのはあんまり変わんにゃいにゃぁ……」
彼女は小さく溜め息を吐くと、短い赤毛を揺らして走りながら、道の両側に並ぶ建物に切り取られた、細長い空を見上げ、そこに浮かぶ巨大な影へと大声で叫ぶ。
「にゃにゃにゃ! おじーちゃーん! 竜のおじーちゃーーん!」
だがその声は、やはり大通りから響いてくる喧騒に掻き消されて、古竜の耳には届かない。
「にゃーーー! おじーちゃんってばあぁ!!」
彼女は、十字路の真ん中で立ち止まると、ぴょんぴょんと跳ねながら、必死に古竜に呼びかける。
だが、やはり古竜が、彼女に気付く様子は無かった。
その時、彼女の視界の内側に、何かキラリと光る物が入り込んだ。
それは街中の方から飛び出して、古竜の方へと、真っ直ぐに昇っていく。
「にゃんだろ?」
彼女が小首を傾げると同時に、まるで疑問に答えるかの様な声が、十字路の横の方から聞こえてきた。
「レイ! あれはレイよ!」
「まさか!? 本当に勇者様なのですか?」
『勇者』という言葉に、ニコは思わず目を見開く。
髪の中に隠していた耳が跳ねだしそうになって、彼女は慌てて手で押さえた。
「勇者? 勇者ってコータのことにゃ!?」
小さく呟きながら、彼女は咄嗟に十字路の影に身を隠して、声がした方を覗き見る。
そこには壁際で話をする、二人の女の姿があった。
「変な奴らだにゃ……」
大きな背嚢を背負った少女と、物騒な大槌を担いだ女。
よくよく見てみれば少女の耳は長く尖っていて、女の方は青い十字を描いた修道衣を着ている。
「エルフと……ライトナちんと同じ服?」
ニコは怪訝そうに眉を顰めると、息を殺して二人の会話に耳を欹てた。
「間違いないわ。さっき飛び上がっていった飛竜、口に剣を咥えてたでしょ? あんな頭のおかしい飛竜が他にいる訳無いわよ!」
「頭がおかしいは、言い過ぎだと思いますけど……」
「よりによってあんなのに飛び掛かっていくなんて、頭がおかしい以外に、どう表現していいのか分かんないわよ!」
「まあ……そう……かもしれませんね」
エルフの少女は、苦笑する修道衣の女をじっと見据えると、
「でも……レイが戦うって決めたんなら、ちゃんと最後まで見届ける。出来る事なんてないけど……レイは私の使い魔なんだから!」
そう言った。
二人の話はどうにも意味が分からない。
コータ以外に勇者なんている訳が無いのに、勇者と言いながらも彼女達の話に出てくる人物は、どう聞いてもコータでは無い。
少し期待してしまったことが、ニコの心のやわらかい部分を刺激した。
一つ向こう側の筋を東へと走り始める二人を見送って、彼女は思わず、ぐすっと鼻を鳴らす
「コータぁ……竜のおじいちゃんを止めてよぉ……」
少女はごしごしと顔を拭って、再び、古竜の浮かんでいる方角へと駆け出した。
◇ ◇ ◇
漆黒の空へと、再び舞い上がる蒼い翼。
口に咥えた大剣を閃かせながら、レイは真っ直ぐに古竜に向かって飛んでいく。
古竜はレイの姿を捉えると、金色の目でそれを見据え、再び人の言葉を叫んだ。
『盟約に従いて、その命を貰い受ける!』
――覚えは無いが、降りかかる火の粉は払うだけだ!
古竜が大きく顎を開くと、鋭い牙の向こう側で再び、蒼い炎が渦を巻く。
炎に照らし出されて、暗闇の中に巨大な顎が浮かびあがった。
轟と音をたてて、放たれる蒼炎。
帯状に伸びる火柱が、レイを迎え撃つように迫ってくる。
だが、レイは速度を露とも落とさず、くるくると錐揉みしながら、迫りくる炎を躱して宙を舞う。
だが、いつまでも逃げ切れるものではない。
炎は途切れることなく、レイを追い掛けてくる。
――そう簡単には近づかせてくれないか……ならば。
身体は軽い。
ついさっきまで重量級の荷物を背負っていたのだから当然と言えば当然なのだが、それだけではない。
飛ぶという行為そのものに慣れてきたのだ。
今や、歩くのと感覚としては大して変わらない。
レイは、翼へと一気に気を送り込む。
それは剣士の高速移動術――『歩法』。
薄らと光を放ち始める膜質の蒼い翼。
途端に、恐ろしいほどの勢いで、レイの体が加速する。
空気を切り裂き、音をその場に置き去りにして、彼の通った後に衝撃波が巻き起こった。
あまりにも異常な動き。
それを見据える古竜の目に、たじろぎの色が浮かんだ。
ほとんど姿を捉えられないほどの速さで火線を掻い潜り、レイは古竜へと迫る。
そして、竜の首、そのすぐ脇を通り過ぎようというその瞬間、レイは、それまで翼に流し込んでいた気の、送り込む先を一気に変える。
瞬時に光に包まれる剣。
刃の無い模造刀に、光が刃を形作る。
許容量を超える気に、刀身そのものが、今にもはじけ飛びそうなほどに震えた。
カタカタと小刻みに震える剣を、必死の形相で抑え込みながら、レイは、古竜の首、その脇を一気に通り抜けた。
一瞬の静寂。
その直後に、まるで岩礁にぶつかった荒波の様な勢いで、竜の首から血が噴き出す。
グウオァァァァァァァァァアアアアアアアアアア!
古竜の体が僅かに揺らいで、怒りに塗れた絶叫が、大地を激しく揺らした。
ビリビリと空気が震える。
東側の城壁が、まるでその上を何かが走っていくかのように、土煙を上げながら、端から順番に倒壊していく。
だが、
――浅い。
宙に浮かぶ古竜の更に上空を旋回しながら、レイは悔しげな呟きを洩らした。
この竜は首回りの太さだけでも、幾万年を生き延びた霊木ほどの太さがあるのだ。
深く切り裂いたつもりでも、せいぜい皮の下の肉に届くかどうか。僅かに傷をつけた程度でしかない。
火柱の絶えた顎から、濛々と煙を立ち昇らせながら、レイの姿を探すかのように古竜は身体をくねらせ、尻尾を振り回す。
そして、何を思ったか、古竜は、高度を落として地へと舞い降りる。
カノカの街の東半分が一気に押し潰され、地軸を揺るがす轟音とともに、雲の上にまで到達するほどの土煙が舞い上がった。
――ミーシャ!
思わずレイの脳裏を、エルフの少女の姿が過る。
だが、冷静に考えてみればミーシャ達がいたのは町の西側。おそらく無事な筈だ。その半面、東の城門に群れていた者達は間違いなく押し潰されたことだろう。
これで分かった。
竜たちは人間を襲わないのでは無い。
襲うだけの価値を見出していないのだ。
大地に棹立ちになった竜は、首を大きく反らして咆哮を上げる。
グギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!
それは、魂を消し飛ばされそうになるほどの大音響。
レイも思わず目を眩ませて、剣を取り落としそうになった。
次の瞬間、古竜のごつごつとした鱗の隙間が赤く光りを放ち、それが一気に爆ぜる。
四方八方へと飛び散る炎。
まるで火のついた油へと、石を投げ込んだかのように街中へと炎の塊が降り注ぐ。
――手当たり次第だと!?
レイの姿を見失った古竜は、無差別攻撃に出たのだ。
このまま放置しておけば、カノカの街は全滅。今の攻撃だけでも、既にミーシャ達に危険が及んでいる。
――一刻も早く、仕留めなければ!
レイは焦りの中で、胸の奥底に散らばった自分の記憶へと手を伸ばす。
――何か、何かないのか!
形を取らない幾つもの記憶の断片を繋ぎ合わせていく内に、それは、ニコリと微笑む黒髪の少年の姿を形作った。
やがて――
レイは古竜の正面、平屋根の家屋の上へと静かに舞い降りた。
グギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!
レイの姿を見つけた古竜は大きく咆哮を上げると、ゆっくりと歩み寄ってくる。
古竜が一歩踏み出す度に、地面が波打ち、瓦礫と化した建物が音を立てて崩れ落ちた。。
レイは近づいてくる古竜を見据えながら、限界まで身体を捩じって剣を振りかぶる。
――そうだ。頼るべきは翼ではない。
剣の道。その要諦は足さばきにこそある。
膝を落として、足の裏へと気を集める。
――まだだ。まだ……。
そして、竜の口の中に、再び蒼い炎が揺らめいたその瞬間。
――ここだ!
レイは足の裏に送り込んだ気を、一気に爆発させた。
放たれた矢の様に、舞い上がる蒼い鱗の飛竜。
同時に古竜の口から、火柱が真っ直ぐに伸びてくる。
――ぐっ!
直撃こそしなかったものの、それはレイの身体の側面を炙る。
片方の翼が消し飛び、ちりちりと音を立てて鱗が煙を上げる。
肉が焼ける臭いが鼻を突いて、凄まじい痛みが神経を駆け上ってくる。
だが、レイは落ちない。
翼で飛んでいる訳では無いのだ。
レイは痛みに顔を歪めながら、口に咥えた剣を、残った片方の翼で支え、地面と水平に掲げた。
――これが最後だ。絞り出せ!
誰に向けたものでもない。それは、自分自身への叱咤。
その瞬間、一気に気を送り込まれた剣が、電流のような光を放ち、その刀身の延長線上に、長大な輝く刀身を形作る。
その長さ、実に三十メートル。
思わず目を見開き、逃げる様に首を背ける古竜。
だが、もう遅い。
レイの脳裏に、必死の形相で剣を跳ね上げる黒髪の少年の姿が浮かんだ。
――喰らえ! 昇竜斬!!
記憶の中の少年の叫び声とレイの声が重なって、青い光を放つ刀身が、竜の首の半ばにまで食い込んだ。




