第二十四話 たった一つの大事なもの
――おい、上を見ろ!
「なに? 気を逸らそうったって意味無いわよ。アンタの攻撃なんて、私には届きやしないんだから」
レイが鼻先で指し示した先。
アリアは薄ら笑いを浮かべながら、そちらへと目を向ける。
その途端、
「なっ!?」
彼女はいやらしい微笑みを口元に貼りつけたまま、凍り付いた。
星明かりも疎らな空から、錐揉みしながらの垂直降下。
重厚な風斬り音と共に、黒い影が落ちてくる
近づくに連れて顕になる白い牙。
それを剥き出しにして、真っ直ぐに落ちてくる飛竜の姿があった。
「うそぉおおお!?」
必死の形相で、あたふたと糸を手繰って逃げ出すアリア。
グォオオオオオオオオッ!!
咆哮をあげて迫る飛竜。
「きゃああああああ!」
飛竜が蜘蛛の巣のど真ん中を突き破ると、アリアは断ち切られた蜘蛛の巣、その糸に必死でしがみつき、盛大に顔を引き攣らせたまま振り子の様に揺られて、城壁へと飛び移る。
だが、飛竜は、アリアには目もくれない。
そのまま、真っ直ぐにレイの方へと襲い掛かってくる。
視界一杯に広がる飛竜の顎。
頭から齧られるという、まさにその瞬間。
生臭い飛竜の吐息が兎の白い体毛をそよがせると同時に、レイは横っ飛びに飛び退いて鋭い牙の間から逃れる。
ガチン! と上下の牙がぶつかる音が周囲に響き渡って、飛竜は地面すれすれで方向転換。Uの字を描いて、再び空へと舞い上がった。
――逃げるだけなら、なんとかなりそうだな。
レイは長い耳を揺らしながら、飛び去る飛竜を目で追う。
首刈り兎の脚力と『歩法』を駆使すれば、囲まれてしまわない限りは逃げ切れるだろう。だが、それはレイ一人に限った話。
レイがちらりとミーシャ達の方へと目を向けた途端、アリアが八本の脚で器用に壁にしがみついたまま、声を荒げた。
「アンタ! 竜族相手に何やらかしたのよ!」
――全く覚えがない。
「んな訳ないでしょ! どう見てもアンタを狙ってるじゃないの!」
――兎が好物なんだろう。
「兎のアンタがそれ言っちゃうの!? 好物ってだけで、あれだけ飛竜が押し寄せて来たら、兎なんて即座に絶滅するわよ!」
二人が不毛なやり取りをしている間に、空を旋回していた飛竜のうち数匹が、大きく翼をはためかせて降下し始めるのが見えた。
――なるほど、確かに狙われているのは私の様だ。ならば……。
何やら物思いにふけるレイを他所に、アリアは慌てて壁面から飛び降りると、大通りの方へと走り始めた。
「あ、相手にしてらんないわよ! 私は逃げさせてもらうわ」
巨大な蜘蛛の体躯に似つかわしくない俊敏な動き。
アリアは門前の広場から躍り出ると、八本の脚を激しく蠢かせて、大通りを東へと疾駆する。
ところがカサカサという蜘蛛の足音に混じって、すぐ後ろから兎特有のタッタッと跳ねるような足音が追ってくるのが聞こえた。
「ちょーーーー! ついてこないでよ!」
――つれないことをいうな。キミと私の仲ではないか。
「勝手に関係を捏造しないで!!」
アリアが振り向いて、追ってくるレイを怒鳴りつけると、そのすぐ後ろにまで迫っている飛竜の姿が目に飛び込んできた。
思わず顔を引き攣らせるアリア。レイは蜘蛛の身体、その尾の部分に飛びつくと大声を張り上げた。
――そこの通りに飛び込め!
「飛び込めじゃねぇえええ! くぉのボケェェェ!」
アリアが悪態をつきながらも、レイの指示通りに脇道へと飛び込むと、飛竜が、ガリガリと石畳を爪で抉りながら背後を通り過ぎていく。
――いやあ、間一髪だったな。
そう言いながら、レイは無遠慮に、走り続けている蜘蛛の身体をよじ登って、アリアの背中へとしがみついた。
「ちょ!? なんでそんなにグイグイくんのよ!? 放しなさいってば! アンタ、私に何の恨みがあるってのよ」
――恨み? 戦ってる最中に相手が逃げたら、そりゃ追うだろう?
「巻き込むなって言ってんのよ!」
――そういう意味ならすまないが、既に奴らにはキミは私の仲間だと認識されたと思うぞ。
「なっ!?」
アリアの肩にぶら下がりながら、レイが事も無げにそういうと、彼女の只でさえ青白い顔色が、みるみるうちに蒼ざめる。
振り向けば更に一匹の飛竜が、身体を地面に擦りそうな程の低空飛行で追ってくるのが見えた。
――そこを曲がれ!
「命令すんじゃないわよ!!」
アリアの身体がギリギリ通り抜けられる程の路地へと飛び込むと、飛竜は、左右の建物を翼で破壊しながら追ってくる。
アリアが血走った目で背後の飛竜を凝視していると、レイが間の抜けた声で話掛けてきた。
――なあ。
「それどころじゃない! 話しかけないで!」
――いや、その……前からも来るぞ。
「ええっ!?」
見れば、確かに前方でも激しい土煙が、こちらへ向かって一直線に向かってくるのが見えた。
「ふぬぉおおおおおお!」
アリアは蜘蛛の尻を振り上げて糸を放つと、通りの裏側に見える一番高い建物、鐘楼へと絡みつけて、一気にそれを手繰り寄せる。
糸に引かれて、宙を舞う蜘蛛と兎。
眼下では、左右から迫ってきていた土煙がぶつかり合って、ズシンと重い音を立てた。
「はあぁぁぁぁあぁぁぁ……死ぬかと思った……」
鐘楼の屋根に降り立って、アリアは大きなため息を吐く。
見上げれば、町の上空を埋め尽くす飛竜の姿。
一時的なことだろうが、どうやら飛竜達は、レイとアリアの姿を見失ってくれたらしい。
高い所に立って見下ろしてみれば、葦の葉が風に揺られるようなザワザワという音が、いたる所から響いてくる。
逃げまどう人々の声。
飛竜は人を襲ってはいないようだが、ほぼパニックというような状況になりつつある。
明るい炎が見えるのは西の門の辺り、その灯りに照らされて城門の方へと殺到する人の群れが見える。
おそらく東の門でも、状況は同じだろう。
唐突に真下の通りから、女の甲高い罵声が聞こえてきた。
。
「なにが竜殺しよ! 真っ先にビビって逃げてんじゃないのよ」
「うるせぇ! くそ女! あの数だぞ! 無理いうんじゃねぇ! 俺ぁ逃げるぞ!」
「ちょ! ちょっと! 待ってってば! バカ! この腑抜けやろう!」
下を覗き込んでみれば、半裸の男がでっかい剣を放り出して、一目散に逃げはじめるところ。
情事の途中だったのだろう。身体にシーツを巻き付けただけの女が、悪態をつきながら、その後を追っていくのが見えた。
その姿をじっと見つめていたレイは、顔を上げると赤い目をアリアに向ける。
――頼みがある。
「いやよ!」
――ほんの少しでいい。次に襲い掛かってくる飛竜の動きを止めてほしい。
「無茶苦茶言うわね、アンタ。そんなこと出来る訳ないし、そもそも、何でアタシがそんな事しなくちゃいけないのよ!」
――出来ると思ってるから頼んでる。
真剣な兎の顔というのは、正直ちょっと不気味である。
その謎の威圧感に軽くひきながら、アリアは唇を尖らせた。
「で……。それでどうにかなるわけ?」
レイは、口元を引き結んで、こくりと頷く。
「分かったわよ! じゃあ、アンタ。とりあえずアタシに謝んなさいよ」
――巻き込んだことか?
「それもそうだけど! なにより腹立たしいのが、アンタがあのエルフから飛竜を引き離すために、アタシを利用してることよ! 他の女の為に利用されるなんて、本当に屈辱だわ」
――なるほど……バレていたか。それはすまない。
「アンタの考えてる事は筒抜けなんだってば! でもアンタ、なんでそんなに大事にしてんのよ? あの娘。アンタの女って訳でもないんでしょ?」
レイは、少し考える様な素振りを見せた。
そして、
――自分の身体でさえ借り物なんだ。大事にするだけの価値ある物が他に無い。
その答えに、アリアは小さく肩を竦めた。
「ああ、もう! やってらんない! 人の物って、なんで魅力的に見えんのかしら……。どう? あんなガキンチョよりも、アタシのことを大事にしてみない? アンタに見合った身体も用意してあげるし、アタシ、こう見えて結構尽くすタイプなんだけど?」
――喰われるのは御免だ。
「馬鹿ね、アタシを退屈させなきゃ良いだけよ」
赤い目に困惑の色を浮かべるレイの姿に、アリアは思わず吹き出す。
だがその時、宙空で渦を巻いていた飛竜の中から、数匹が二人の方へと急降下してくるのが見えた。
――来たぞ! 頼む。




