表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
復讐を果たして死んだけど転生したので今度こそ幸せになる  作者: クロッチ
第二部 葦原動乱

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

84/177

復讐の終わりと、神殺しの始まり②

1.進撃の義元


「あっちゃあ……」


 また一つ、視線の先で織田方の砦が陥落した。

 やったのは松平元康――俺の知る歴史と同じように進むなら後の徳川家康だっけ? だ。

 性別女で、ロリぃなのはこの際置いておこう。


 アドバイザーとして連れて来た虎子と竜子曰く、

 元康は若いが既に並の将では相手にならないほどの実力を備えているらしい。

 優秀な将が優秀な兵を沢山連れて戦ってるんだ……そりゃ、負けねえよなあ。


「にしても、織田方……ちょっと弱過ぎへんか?」


 数でも質でも劣ってるんだから、負けるのは仕方ない。

 だがそれにしたってもう少し粘りを見せて欲しいというのが本音だ。


「尾張――というか、織田方の兵は傭兵が多いのでしょうがないですよ。

銭で雇われた彼らに死力を尽くして織田のために戦う理由はありませんからね」


 俺の疑問に竜子が答える。


「徴兵された農兵も居ないわけじゃありませんが……尾張は豊かですからねえ」


 虎子が捕捉するように続けた。

 豊かだと兵が弱くなるのだろうか?


「貧しい国の出身者ほど、精強な兵になるという傾向があるんでさぁ。

彼らは皆、後が無い怖さを知っているから死に物狂いで戦いますからねえ」


 ああ、そういう。

 ハングリー精神があるのね。貧乏人は。


「あと、貧しいということは教養が低いということでもあります。

教養の高さはそれそのまま選択肢の多さにも繋がりますからね。

豊かな者ほど考える力を持っているわけで……正直、使う側としてはやり難いかと」


 そういう理由もあるのか。

 いやだが、確かにその通りだ。

 賢いってことは損得勘定もキッチリ出来るわけだからな。

 領主様の命令は絶対! とかならんだろう。

 だって自分たちは平民。領主が負けたところで別の領主に変わるだけ。無理をする必要はどこにもない。

 勝つためにキツイ命令を聞く理由なんかどこにもありはしない。

 竜子の言う通り、使う側からすれば面倒だよなあ。


「とは言え、豊かな国の兵がどこも弱兵というわけでもありませんのでご注意を」


 あくまで考えられる理由の一つだと竜子が念を押す。


「しかし旦那、何だってこんな勝負の見えてる戦の見物を?」

「誰の目にも負けが見えてるからこそ、だよ」


 実際に会った織田信長は期待通り――いいや、期待以上だった。

 まさか誰に教えられるでもなく八俣遠呂智の存在を感じ取っているとは……。

 常人ならざる感性あってこそだろう。


(それに加えてあの覇気……)


 何かデカイことをやってくれる。

 そう期待させてくれる底知れない空気を彼女から感じた。

 とはいえ、所詮は印象。

 実際のところ、どうかは分からない。


(だから、今回の今川との戦は良い試金石になる)


 竜子や虎子の目からも織田の敗北は明らか。

 その状況で勝ちの目を拾えるだけの何かを引き寄せられたなら……疑いようもない。

 信長という女は本物だ。


(ここから逆転を狙うなら方法は唯一つ)


 奇襲を仕掛けて義元の首を獲る、それ以外にはないだろう。

 だがそれはどう足掻いても不可能だ。

 何せ義元は限定的な不死の力を得ているからな。

 だから、俺が見極めるのは殺せるかどうかじゃない。


(奴が義元の首まで刃を届かせられるのか否か)


 実際に首を断てるかどうかは重要じゃない。

 その前段階に辿り着くことさえ余人にゃ不可能な現状だからな。

 俺が見るべきはそこだ。

 人事を尽くして尚、余りある空白。

 そこを埋める運を引き寄せられ、刃を届かせることが出来たのならば――ああ、俺は動こう。

 義元の首を獲り、それを手土産に信長との話し合いの場を設けようじゃないか。


(……あの女なら、まず断らないだろう)


 少し語らっただけでもそれは明白だ。

 信長は決して八俣遠呂智を許容出来ない。

 無謀な戦ならともかく、僅かにでも勝算があるなら必ず俺と手を取る。


「旦那、どうしたんです?」


 声をかけられ我に返る。

 虎子と竜子が怪訝そうにこちらを見つめていた。


「いや、ちょっと気になることがあってな」


 コイツらには俺の目的は明かしていない。

 将軍暗殺からの簒奪についても、その後に待ち構えている天下統一についても、

 最終目標である八俣遠呂智討伐についても――何一つ説明してはいない。


「気になること、ですかい?」


 人間的に信用出来ないわけじゃない。

 一緒に行動してりゃ人柄もそれなりには見えて来る。

 能力に問題があるわけじゃない。

 むしろかなり優秀な部類に入ると思う。

 ただ、何と言うかなあ。

 負け犬状態のコイツらに話してもしゃーないじゃん?

 だからここも誤魔化すとしよう。


「ああ。武田や北条は何で今川の上洛を見逃してるのかなって」


 上洛ってのはようはあれだろ?

 天下は誰のものかっつーのを世に知らしめるためのパフォーマンスだ。


「武田と北条は今川が天下の権勢を握ることに納得してんのか?」


 これが何ら特別の背景を持たない上洛なら別に良い。

 だが義元の――いや、正確に言うなら八俣遠呂智の“力”を持つ大名の上洛は訳が違う。

 仮に俺が奴らの立場だとして、天下を獲ったらまず間違いなく他の奴らの力を没収する。

 そうなれば義元以外の大大名どもはただの人間に成り下がるわけだ。

 力を得た連中はそれで納得してるのか?

 まさか力は奪わないなんて密約を交わして? いやいや、ねーわ。

 仮にそんな密約があったとしても一体誰が信じるよ。信じるとしたらよっぽどの間抜けだろ。


(つっても、コイツらはそんな事情なんざ知らないんだよな)


 だから聞きはしても正確な答えが返って来ることは期待してない。

 あくまで誤魔化しのための話題だ。

 テキトーなとこで切り上げれば良いだろ。


「北条については……あの家は天下に興味があるわけではありませんし」

「基本、先祖伝来の土地を護り続けられるのならそれで良しって感じだよな」

「だから今川とも同盟を結んだのでしょう」


 いや待てよ。

 何らかの備えがあるのか?

 力を奪われないようにするための策を立てているのだとすれば……見逃したのも納得できる。

 問題はそれが何かってことだが……うーん、分からん。


「成るほど、じゃあ武田は何でだよ?」


 もしくは長慶に期待してる?

 確かな実績に裏打ちアイツの神がかった手腕なら易々と義元に将軍職をくれてやらないと。

 そう期待しているのかもしれない。

 義元に一人勝ちされて困るのは北条や武田だけじゃないし、秘密裏に長慶をバックアップしてるのかも。

 でも、それに気付けないほど義元も間抜けじゃないだろうし……。

 いや、気付いた上で踏み砕く自信がある?

 駄目だ、色んな可能性があり過ぎて頭がパンクしそうだ。


「あっこも三国同盟に加入してっけど信玄だぞ信玄。

俺も軽く調べただけだが、アイツかなりの畜生じゃん。息するように同盟破棄すんじゃん」


「旦那様の仰りたいことはよーく分かります。

信玄入道とかいう人間の屑なら“え? 同盟? ごめん、刹那で忘れちゃった”とか平然と言いますものね」


 酷い言われようだが、事実だから仕方ない。

 いや、軽く調べるだけでもマジで信玄の野郎ロクデナシだぜ。

 敵を知るためにと色々調べてみたら数々の畜生エピソードが出て来てビビったわ。

 まあ、八俣遠呂智の力に手ぇ出した時点でそれは分かってたけどさ。

 ちょっと予想以上だったわ。はい。


「そう、そうなんだよ。義元が四万の軍を率いて駿河を出たってんなら正に絶好の機会じゃねえか」


 山賊行為はお手のもの。

 義元の留守を狙って領土を奪う。そうでなくても散々に荒らしまわることぐらいは出来る。

 というか、やらない理由がないだろう。

 織田に密書でも飛ばして反転した今川軍を後ろから突っ突いてもらえば更にカオスな状況になるはず。


「だってのに……何で上杉とバチバチやってるわけ?」


 そう、今武田は対上杉との戦の真っ最中なのだ。

 事情を知らない連中からすれば、何時ものことかってなるんだろうが……。


(何やってんの? いやマジで)


 何だったら一時的に手ぇ組んで今川の邪魔するべきだろ。

 だってのに川中島でマジバトルって。

 いや、軽い小競り合いなら分かるよ?

 そうすることでガス抜いて他の行動に差し支えないようにしてるんだろうさ。

 でも情報を聞く限りでは本気で潰し合っている。

 それこそこの一戦の勝利を足がかりにして互いを本気で潰そうとしているくらいに。

 マジで意味が分からない。


「…………認めさせるため、なんでしょうね」

「竜子?」

「いえ、何でもありません。畜生信玄が何を考えているかは残念ながら私にも」

「そっかあ。急に良い子ちゃんぶって同盟を律儀に守り始めたとかではないんだろうが」


 戦国乱世ってのは複雑怪奇だなあ。

 元の世界の戦国時代もこんな感じだったのだろうか?


「……」

「おや虎子、どうかしましたか?」

「……何でもねえよ」


 見れば虎子が苦い顔をして黙り込んでいる。

 ひょっとしたら、落ちぶれた元凶そのものか。

 そうでなくても昔、信玄の畜生行為によって被害を被ったのかもしれない。


「話は変わるが、お前らが兵を率いて松平の若殿様と戦うとしたら……勝てるか?」

「率いる兵の質や数にもよりますが、まあ恐らくは」

「やるっつっても若い奴にしてはですからね。私なら糞漏らすぐらい徹底的に叩いてやりまさぁ」


 ほう、負け犬の癖に自信満々だな。

 これはあれか。歳を重ねた者の意地か。

 下手すりゃ老害待ったなしなプライドだが……さて、コイツらはどうなんだろうな。


「ちなみに旦那様。旦那様はどうなのです?」

「あん? 元康に勝てるかって?」


「いえいえ元康は将。旦那様とは土俵が違いましょう。

旦那様はどちらかと言えば武人。となれば――――本多忠勝ですよ」


「あー……そっち、ねえ」


 元康の戦をストーキングしていたから当然、奴の戦いぶりも見ている。

 松平最強の男、本多忠勝。


「アイツ、確実に俺より強いからなあ」


 一度たりとて本気は出していないので正確な実力は分からない。

 だがある程度見た限りでも、その強さは尋常の域ではない。

 多分、シャルとタメを張るか……少し劣るぐらいじゃねえかな。

 俺や明美よりは確実に強い。

 葦原が開かれた国であったのなら、本多忠勝の名は帝国にも轟いていただろうさ。


「負けますか」

「いや、やるとなったら俺が勝つよ」


 というか、


「勝つしかないだろう」


 現状、俺に奴と矛を交えるつもりはない。

 交えざるを得ない状況になるということは、俺の道を阻むということに他ならない。

 であれば勝つしかない。

 負けることなどハナから勘定に入れてはいけない。

 忠勝はあくまで本命へと繋がる道の上に生じた障害物でしかないのだから。

 障害物程度に躓いていて、八俣遠呂智が殺せねえよ。

 だったら勝つしかあるめえ。

 俺より強いだとか、そういうことはどうでも良いんだ。重要じゃない。


「勝利以外の結果に意味がないのなら勝つ以外の答えは要らない」


 まあ真面目な話、勝算がないわけでもないしね。

 個人の武勇だけで何もかもを押し通せるほど世界は単純じゃない。

 本多忠勝を封殺する手段ぐらいなら幾らでも思いつく。


「……なるほど」


 俺の返答に何を思ったかは分からないが、竜子はそれ以上の問いを重ねることはなかった。


「にしても」


 空を見る。雲ひとつない快晴。

 天候すらもが今川に味方しているような錯覚に陥る――表面上は。


「どうかされたので?」

「嵐が来そうだなって」


 今夜――いや、明日の夜あたりか。

 俺がそう告げると虎子はぷっ、と噴き出した。


「いやいやいや。何言ってんです?

こう見えて気象学も齧ってるんですが嵐なんて起きませんよ。

ええ、嵐どころか一週間か二週間は快晴が続きます。雨すら降りやしませんよ」


 小馬鹿にしたような物言いに若干、苛立ちを覚える。


「……じゃあ、もしも嵐が来たらお前にゃ東大寺の境内で踊り狂ってもらおうかな――全裸で」

「ハッハッハ! 良いっすよ。じゃあ嵐が来なかったら給金倍増ってことで」

「OK、これで賭けは成立だ」




2.あらしのよるに


 篭城だ。今川の大軍を相手取るならそれしかない。

 援軍の望みもない篭城なぞ愚の骨頂。打って出て織田の意地を示すべきだ。

 喧々諤々。

 意見の統一を見ない会議を一時中断し家臣を帰らせた信長は屋敷の縁側で一人、月を眺めていた。


「……」


 状況は最悪。

 何もかもが織田を滅びへと追いやろうとしている。

 しかし、信長は何一つとして諦めていなかった。

 千載一遇の好機を掴まんと息を潜め虎視眈々とその時を待っていたのだ。


「――――来たか」


 微かな空気の変化を感じ取り、ぽつりと声を漏らす。

 それに呼応するように闇の中から一人の女が姿を現した。


「流石に御座ります」

「世辞は良い。それよりも……」

「こちらを」


 密偵から差し出された文を覗き込むや否や、ニタリと信長の口元が釣り上がった。


「ク、ク、ク……義元め、流石に締め付け切れんかったか。いや、或いは貴様自身もそうなのか」


 ロクな抵抗もせず辛抱強く待った甲斐があったというものだ。

 圧倒的有利な状況、慢心するなという方が無理だろう。

 武士としての心得がある者らならばともかく兵らの緊張を維持し続けるのはまず不可能だ。

 いいや、上の人間でさえ最早勝ちは揺るがぬと思っているのだろう。


「ようやく、ようやく柔らかい横腹を晒してくれたなァ……!!」


 少し無理をすれば清洲まで辿り着き、明日の昼頃には城を陥落させることも出来た。

 だが、今川軍はここで足を止めた。いや、正確には止めるつもりなのだ。

 狙うならばそこだ。そこしかない。

 そのために、耐えた。耐え続けた。

 とはいえ、客観的に見てそれは勝算と呼ぶにはあまりに儚いもの。

 油断して無防備な腹を晒していようとも兵力に差があり過ぎる。

 精々、万回挑んでも零だった可能性が万に一つぐらいはあるかなあ……? 程度になっただけ。


(だが上等だろう)


 これ以上の高望みはしない。

 信長が密偵を見る。


「馬は表に用意してあります」

「気の利く奴め。おれはこれより清洲を発つ。皆には熱田で待つと伝えよ」


 密偵の返事も聞かず信長は単身、屋敷を飛び出した。

 一心不乱に馬を走らせ、向かった先は熱田神宮。

 信長本人は縁起を担ぐなど馬鹿らしいと思っているが、

 多くの人間が神仏の類に大なり小なり心を預けていることも理解している。

 ゆえ、途上にある熱田神宮で戦勝祈願を行おうと考えたのだ。


(来たか)


 数時間後、ようやっと軍勢は集結。

 遅い、と信長が内心で不満を募らせていると息を切らせた男が前に出て来る。


「殿! 御一人で出歩かれては困りますぞ!!」


 信長の乳兄弟である池田恒興――通称、勝三郎だ。

 幼少の頃より距離が近かったのもあって、

 信長を諌めるのは勝三郎か傅役の平手政秀の仕事だった。

 だから今も、こうして声を上げているのだろうが……。


「勝三郎、説教は後にせい」


 信長はバッサリとそれを切り捨てた。

 言いたいことは分かるが、今はそれを言うべき場面ではないと。


「――――ここが分水嶺だ」


 ぐるりと、臣を、兵を見渡し信長はそう切り出した。


「ただ生きるだけならば何のことはない」


 簡単だ。逃げ出せば良い。

 何もかもを放り投げて逃げ出せば命は助かる。


「少しの高望みをするのも、まあ簡単だろう」


 今川に降伏すれば良い。

 天下に威を示す、それが上洛の目的だ。

 であれば織田家程度の規模であれば降伏は受け入れられる。

 何の代償もなしにとはいかないが、王者へ頭を垂れる姿勢を示せば義元は受け入れよう。


「まあ何だ、存外選択肢がないように見えるだろう?

だが現状はそこまで厳しいものではない。未来は決して閉ざされてはおらんのだ」


 戦意高揚の演説でも打つと思っていたのだろう。

 信長を仰ぎ見る者らの間にどよめきが広がっていく。


「だから……なあ、逃げたきゃ逃げても良いぞ」


 降りたいならどうぞご自由に。


「何なら、大義はあちらにあるわけだからな」


 義元のそれは侵略行為だ。

 侵略に立ち向かうは為政者の務め。

 しかし、しかしだ。

 義元が上洛すれば――終息に向かうかもしれないのだ。応仁の乱より続くこの戦国の世が。

 大きな視点に立った時、正しいのは義元だろう。

 物語ならば織田信長は太平を阻む敵役の一人でしかない。


「と、殿……殿は、迷って……おられるのですか……?」


 今にも泣き出しそうな顔をした男――前田利家がそう問いを投げた。

 いや、お前何でここに居るんだよ。謹慎中だろ。

 信長は素でツッコミを入れそうになったが、我慢し、利家の言葉を鼻で笑い飛ばした。


「うつけが! おれの欲はそんなに狭くも浅くもないわ」


 大義? 太平の世?


「――――糞っ喰らえだそんなもの」


 月を喰らうように空の雲が流れ出す。


「大義、大多数にとっての義……知らん知らん。

お前らだけで勝手にやってろ。おれはおれの欲を以って事を成す。

太平の世? ああ、確かに遠退くな。だが安心しろ。

おれの作る世は義元が作る変わり映えのせんそれより断然素晴らしいものになる」


 煌びやかで、可能性に満ちた国になる。

 どこかの誰かが以前やったような焼き増しになぞなるものか。


「おれが欲しいのは何時だっておれが心に描く未来だ」


 織田信長という名の物語において今川義元なぞ端役の一人でしかない。

 所詮は踏み台。自分が飛躍するため、精々良い踏み台になってねとしか思っていない。

 畏れも負い目もありはしない。


「重ねて言おう。ここが分水嶺だ」


 信長はバッと右手を広げ“道”を指し示した。


「勝てば極楽、負ければ地獄――などと考えているのならばそれは誤りだ」


 ここから先は一本道、そしてその道の名は地獄。

 そう語る信長の言葉を理解している者は誰も居なかった。

 負ければ地獄というのは分かる。何もかもを失うのだから。

 しかし、勝っても地獄? そんな顔をする者らに信長はこう続ける。


「勝てば万事めでたし、そこで何もかもが落着するとでも? 阿呆か」


 月が完全に飲み干され、闇が満ちる。

 闇の中、信長は朗々と謳うように語り続ける。


「勝てば道は続く、戦いは終わらない。今川という天下に王手をかけた巨星が堕ちるのだぞ?」


 諦めていた者たちも息を吹き返す。

 次の覇者にならんと、欲望を燃やし始める。

 これまで以上に、世は混沌としていくだろう。


「重ねて言おう。逃げても良い。降っても良い」


 だが、だがしかし。


「それでも尚、おれと共に往かんとするならば」


 見せてやろう。


「道の終わり、地獄の終端――――誰も見たことのない景色をな」


 ぽたぽたと空が涙を流し始める。

 誰かが言った。天が信長様に微笑んでおられる、と。

 沸々と、熱気が滾り始める。

 恐れや戸惑いに満ちていた瞳がギラギラと輝きを帯びる。


「貴様らに気を遣って戦勝祈願でもやろうと思っていたのだが……止めだ」


 信長は具足の一つも纏わぬまま、馬に飛び乗った。

 そして、


「好きにしろ」


 それだけ告げて走り出した。


「――――殿に続けえぇえええええええええええええええええええええええええ!!!!」


 誰かが叫ぶと、張り詰めていた空気が一気に爆ぜた。

 後方から聞こえる雷鳴にも比する雄叫びに信長はポツリとこう漏らす。


「何だ貴様ら、やれば出来るではないか」


 上から下まで、意思の統一は完全に成された。

 義元を討つことしか頭にない彼らの戦意に呼応するように雨は激しさを増す。

 雨は風を呼び、風は雷を招く。

 今川軍が休息を取る桶狭間に雪崩れ込む頃には荒れ狂う嵐へと変わっていた。


「足を止めるな! 振り返るな! 前だけを見据え走れ! 目指すは義元の首だ!!」


 将から一兵卒に至るまで放たれた飛矢と化す。

 標的を貫くまで、止まることは決してない。


「邪魔だ邪魔だ! 雑兵風情がおれを阻もうなぞ億年早いわ!!」


 混乱しつつも立ち塞がる兵らを蹴散らしながら前へ前へ。

 陣の奥深くへ切り込んで行く信長を止められる者は誰も居なかった。


(何処だ!? 何処に居る!?)


 焦りや恐怖からではない。

 昂ぶる殺意が信長の胸を焼いていた。


「ッ! あれは……」


 遠くに見える豪奢な“輿”。

 あんなものに乗れるのはただ一人、奴しか居ない。

 信長は今にも潰れそうな馬に活を入れ、最後の気力を振り絞らせた。


「ハハハハ! おれが一番槍か! 良いな、偶にはこういうのも悪くない!!」


 五十メートル、四十メートル、三十メートル。

 距離が十メートルを切ったところで輿の中から厳しい男がのそりと姿を現した――義元だ。


「!?」


 ガクン、と馬が崩れ落ちる。

 一瞬、驚くが信長の行動に迷いはなかった。

 信長は躊躇なく崩れ落ちた馬を踏み付け天高く舞い上がった。


「……、…………」


 義元が何かを呟く。

 しかし雨と風、戦場の喧騒がそれを押し流し信長の耳に届くことはなかった。


「その首貰ったァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」


 頭上に躍り出た信長は落下の勢いそのままに、義元の脳天に刃を突き立てた。


「グッ……!?」


 着地に失敗し、無様にぬかるみを転がるがそんなものはどうでも良かった。

 手応えあり、確実に殺った! 信長の顔が喜悦に歪むが……。


「――――は?」


 立ち上がった信長が目にしたのは、

 脳天を貫かれたにも関わらず平然としている義元の姿だった。


(立ち往生……違う、目に光がある……)


 刺さりどころが良かった? それも違う。だが、それなら一体何故?

 困惑する信長を他所に義元は一切の躊躇なく自身の頭上に刺さる太刀を引き抜いた。

 びゅーびゅーと血が噴き出すが、出血は直ぐに止まった。


「万に一つの勝機を伺い、機が訪れれば果断に飛び込む……実に見事なものよ。

尾張のうつけなどと呼んでいた者らの不見識は明々白々よな」


 余も含めて、誰もがその真価を見誤っていた。

 世辞など微塵も含まれていない純粋な賞賛が信長に贈られる。


「大殿!!」

「よい、そなたらは手を出すな」


 信長を討とうとする部下らを押し留める義元。

 一体、何を考えている? 否、何がどうなっている?

 信長は混乱の極致にありながらも、必死で状況を見極めようとしていた。


「織田の、今川に降れ。そなたが余の直臣になるのであれば領土はそっくりそのまま安堵してやろうぞ」

「……何だと?」


「雪斎和尚亡き後、当家はイマイチ締まりを欠いておってな。

その結果がそなたに奇襲を許すという結果にも繋がってしまった」


 ゆえに信長が欲しい。

 当人の有能さもさることながら、その人柄は間違いなく家中に刺激を与えてくれる。

 義元の誘いに、信長はますます困惑していた。


「そして欲を言うなら余の子を産んではくれんか?

氏真もまあ、無能というわけではないのだが……些かやる気がなくてな。

しかし、余とそなたの子であれば立派な後継が生まれよう――――どうだ?」


 未だ何一つとして現状に対する答えは出ていない。

 だが、この誘いに関する返答ならば決まっている。


「糞喰らえだ。踏み台風情が大上段から戯言を抜かすな」


 返答と共に足元に落ちていた槍を投擲。

 義元は避ける素振りも見せず槍は心臓へ吸い込まれた。

 しかし、死なない。


「余が神の力を手にしておらねば或いは、

貴様の言うように余は織田信長という女の踏み台になっていたのかもしれんが……残念だな」


「神の、力……?」


 頭がイカレたのか? いや、真偽はこの際どうでも良い。

 義元の口ぶりから察するに奴は何らかの力を得た。

 それがこの不死性に繋がっているのだと分かればそれで十分だ。


「無理矢理に女を手篭めにする趣味はない。ゆえ、重ねて告げる――余のものになれ」

「重ねて答えてやろう“糞喰らえ”だ」


 近場に居た雑兵の首を圧し折り刀と槍を奪う。


「神の力? 知るかそんなもの。

一度二度で死なぬなら死ぬまで殺し続ければ良いだけだろうが。

神だの仏だのという“あやふや”なものがおれの前に立ち塞がろうなぞ片腹痛い」


「……若いな」


 心底から憐れむような目をする義元の身体から禍々しい気が立ち上った。

 生理的な嫌悪と、これまで以上の閉塞感が信長を襲う。


「そなたは素晴らしい資質の持ち主だが、青さゆえの愚が拭い切れておらぬ」


 余のものとする前に、そこらを躾けてやろう。

 義元がそう告げた瞬間、


「――――愚かなのはテメェだよ」


 彼の右腕が宙を舞った。

さらりと首を圧し折ったりしてますがこの信長は割りと雌ゴリラです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ