罪過の弾丸⑨
1.ひとり
残暑厳しい九月が終わり、少しの肌寒さを覚える十月。これまで変化のなかった状況が大きく動いた。
これまでロクに尻尾も掴めなかったヘレルとその一派の情報が裏社会に流れ始めたのだ。
『罠だろ』
『罠よねえ』
『これで罠じゃなかったらびっくりするわ』
幹部連中は皆、口を揃えて言った。
俺も幹部ってわけではないが東京を活動拠点にしてるから会議に出席させられたのだが、
『螢、君はどう思う?』
ファリアに話を振られてしまった。
基本的に俺が何を言うでもなく頑張ってくれるから黙って話しに耳を傾けていたのだが聞かれたからには答えないわけにもいくまい。
『俺も罠だとは思うがそれ以外に考えられるとしたら』
『……他に何があると言うんだい?』
四月からの美堂先生のジャパン講座ですっかりキャラが消えてしまったロドリゲスが不思議そうに俺を見た。
正直、俺としても確証があるわけではないのだが……。
『舐めてるんだろ。もしくはトコトン舐め腐ってる』
これだろうと思った。
シャトー・ディフはヘレルぶっ殺す! という題目を隠していない。
これまでも小さな成果ではあるが連中に関わりがある拠点とか潰したりはしてたんだ。
でもまるでアクションを起こさなかった。それは歯牙にもかけられてないってことだろう。
そんな連中がアクションを起こした――いや、俺らにとはまだ決まったわけじゃないんだが仮にそうだとしたら、だ。
『俺らと話をしてもう無駄なことは止めなさいよ、とでも言うんじゃないかなって』
『流石にそれは……』
『命を狙っている連中にそんな慈悲をかけるかね?』
無言のファリアを除き全員が俺の仮説をやんわり否定した。
まあ俺自身も、そりゃないだろうけど可能性としては一応……って感じだからどうとも思わなかったが。
その後も会議は続き熟考の末、俺達は最高戦力でヘレルが居る可能性が一番高い拠点へと乗り込むことを決めた。
仮に奴が居てもその場で首を獲れるとは思っていない。戦力を揃えたのは何があっても撤退出来るようにするためだ。
だが、
『螢、君にも突入メンバーに加わって欲しい』
『いやそりゃありがたいけど……俺、糞雑魚よ?』
『戦力ではなくその目と頭を期待しての人選だよ』
ファリアの鶴の一声で俺の参戦が決定した。
正直、戦力が揃っている現状で俺がすることは何もないと思うんだがな。
目と頭に期待してるつっても幹部に選ばれた人らも相応のものは持ってるんだし。
だが直前になってシャトー・ディフに予期せぬ事態が降りかかった。
何があっても何対応出来るようにと入念に準備を整え、明日突入! となった段でファリアが血を吐き倒れたのだ。
ファリアはボスであると同時に最高戦力でもある。
作戦を中断しようという話にもなったが他ならぬファリアが決行すると言い張ったのだ。
が、ファリアの様子を見ればそれが不可能なことぐらい分かる。
これまで全員を欺き通していたがその余命はもう幾許も残っていなかった。
『ボス、明日をも知れぬ身だからこそなのかもしれないが私達の誰一人としてあんたの死は望んじゃいない』
『作戦は予定通り遂行するわ。必ず吉報を持って帰るからあなたは休んでいて』
『残り少ない命なら決戦で全てを出し切れば良い。だから、な? 明日はあくまで威力偵察みたいなものなんだから』
皆の説得に折れ、ファリアは渋々療養を承諾。
俺達はボスに報いるためとよりいっそう気合を入れ作戦に臨んだ。
拠点と思われる洋館までの道中は驚くほど何もなかった。
場所が森ということもあって全員が罠を警戒していたのだが本当に何もない。
警戒させることで心を磨り減らす罠かと邪推してしまうほどだ。
そして本命である洋館に踏み込んだのだが、
『……人気がないな』
『罠、とかもなさそうね』
『全員を館に引き入れて爆殺、とか警戒していたのに』
全員で館の中を探索してみるが罠らしい罠は何もなかった。そして益になりそうな情報も。
二時間ほどして探索を打ち切り一階ホールに再度集まったところで、奴は姿を現した。
『ああ、もう来ていたのか。すまないね、野暮用が少しばかり長引いてしまった』
堂々と玄関から入って来た男を視認した瞬間、俺達の時が止まった。
目を覆いたくなるような不細工というわけではない。むしろ真逆だ。
それなりに美男美女というものを見て来たがその男は何もかもが整い過ぎていた。
僅かな瑕疵も欠落もない完璧な存在。それが奴――ヘレルの第一印象だった。
呆然とする俺達を他所にヘレルは真っ直ぐホールの階段を上り、半ばまで来たところでよいしょと腰を下ろし俺達を見渡し口を開いた。
『お初にお目にかかる。私はヘレル……しがない若作りの老人だ』
天井知らずに猛る憎悪とは裏腹に俺の頭は極寒の如く冷え込んでいた。
強い。話には聞いていたが予想の何十、何百倍も強い。
俺達が正攻法でこれをどうにかすることは不可能だろうと確信出来るほどに。
現状、敵意はまるで感じられないから。少しでも敵を理解するために俺は静観を選んだのだが、
『ヘレル……ヘレル、ヘレル! パパとママの……皆の仇ぃぃイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ!!!!!!』
怒りを爆発させた神崎が空中に躍り出た。
ちょ、おま……! と焦る俺達をよそに刃が振り下ろされた。
だが悲しいかな。渾身の一撃は薄皮一枚切り裂くことも出来なかった。
『諸君らが私に怨みを抱いていることは承知している。だがその上で敢えて言わせてもらう。少し、話をしようじゃないか』
不可視の力によって神崎が元の位置に戻された。
乱雑に放り投げるのではない、淑女に礼を尽くす紳士の如く丁寧に。
この段階で俺の脳裏には嫌な影がちらついていた。
だが再度、斬りかかろうとする神崎を羽交い絞めにするのに忙しくてそこに気を回す余裕はなかった。
『まず最初に言っておく。結果的に君達の大切な人を奪ってしまったが私は一切、後悔していない』
どう考えても喧嘩を売っているようにしか聞こえないが、奴にその気は皆無だった。
とは言えそれをこちらが冷静に受け止められるかは別だ。
神崎が再度、ブチ切れそうになったので俺はパンツに手を突っ込むことでそれを制した。
顔面の痛みと引き換えに止めることが出来たし収支はプラスだろう。
『この世に生を受けてから今の今まで善を成すために正道を歩いて来たという自負がある』
『ほう。お前の行動で誰かが涙を流したのに善を成して来たと、道を逸れたことはないと言い切るのか』
皮肉を飛ばすが奴は動じず、その通りだと頷いた。
そしてこう続けた。
『不条理だと思うだろう。私もそう思う。何故、善なる者が正しい行いをしたのに報われないかを君達は考えたことがあるか?』
『何を……』
『答えは明快。この世界が間違っているからだ』
何て、何て傲慢な言葉だろう。殆ど悪役の台詞だ。
なのに、なのにだ。微塵も悪意が感じられない。その心は一点の曇りもない純白。
『始まりは違ったのかもしれない。だが時を重ねるにつれ間違った方向へと歪んでしまった。ゆえに私が正す』
こんなふざけたことを言っているのにその善性を疑えない。
俺はぞっとした。何だコイツは、と。
『人類の永続的な繁栄と恒久的な平和――それが私の目的だ』
そのための手段として集合無意識に干渉する実験を始めたのだと奴は語る。
そして世界各地で起きた境界の発生はその実験による影響だとも。
続けて奴は空中に資料を投射しながら具体的な方法についての説明を始めた。
裏の世界に足を踏み入れて一年も経っていない俺でさえ理解出来るほど分かり易い説明だった。
他の誰かが語っていたのなら机上の空論――いや、誇大妄想だと嗤われていただろう。
だがヘレルと直に相対したから分かる。コイツならやれる、と。
物語のお約束では方法に何かしらの瑕疵があり、そこを主人公が突いてお前は間違っていると否定する展開もあったかもしれない。
でも違う。コイツの思い描く未来は言うなれば完璧なご都合主義だ。
私欲が微塵も存在しない完全なる滅私の存在だからこそ万人に都合の良い世界を作り出せる。
まあ、だからどうしたと言う話なのだが。
『君達の愛する者が私の歩みによって犠牲になったことへの謝罪はしない。それは私達だけではない君達の想いにさえ唾を吐くようなものだから』
関係ない。俺には関係ない。
『事が成った暁にはこの命を君達に差し出そう。やがて訪れる新世界。そこに私が居る必要はないからね』
有史以来誰にも成し遂げられなかった偉業だろうが知ったことか。
今を生きる人達、そしてこれから生まれて来る人達が永遠の幸福を甘受出来るのだとしても俺が復讐を止める理由にはならない。
そして俺の判断は間違っていなかった。ちゃんと話を聞いて良かった。
完全無欠の光を汚濁に沈める方法……復讐を果たせる唯一の可能性を見出せたのだから。
――――でも憤怒と歓喜に沸いていたのは俺だけだった。
憎悪を吐き出す俺を見つめる皆の顔が脳裏に焼きついて離れない。
失望はしなかった。裏切られたとも思わなかった。
俺は俺にとっての真実を貫き通すことに何の躊躇いもないが皆が皆、そうであるとは限らない。
心根が善良であるほどヘレルの語った目的に心を揺らされてしまうのも無理からぬことだ。それを否定するつもりはない。
むしろ我欲で有史以来の奇跡を否定する俺の方がおかしいのだ。
何時か殺した男に言った。俺は屑で良いと。その考えは今も変わらない。
最高最善の奇跡を踏み躙ってでも復讐を成し遂げる。そこに迷いも怖れもありはしない。
「…………善人を屑に付き合わせるわけにはいかねえよ」
未だ動けずに居る皆を置いて館を出た俺は一人、森を歩いていた。
星ひとつ見えない夜空。普段なら辛気臭いと顔を顰めていたかもしれないが今はありがたかった。
「ああでも……少し、寂しいなあ」
なんて、おこがましいにもほどがあるな。
そう自嘲したところではたと気付く。ファリアに報告を入れた方が良くね? と。
あの様子だと皆はしばらく動けないだろう。ならばシャトー・ディフ脱退の報告がてら知らせておくべきだろう。
くたばりかけの老人には酷な話かもしれないが神崎達では躊躇するだろうし恩返しがてら俺が泥を被ろう。
「ああもしもし? 俺、俺だけど。そう孫の……あ、そういうのは良い? 実は……」
数コールの後にファリアは電話に出た。
自分からかけといて何だが病室で通話とかええんやろか? まあ個室だから良いのかな? よく分からん。
「あ? 迎え? わ、分かった」
とりあえず迎えを寄越すから少し待っていてくれと言ってファリアは電話を切った。
まあ今から徒歩で家まで帰るのはしんどかったからありがたいけど、このままここに留まって迎えを待つのもな。
再起動した神崎達と出くわしたら気まずいなんてレベルじゃ――――
「御待たせ致しました」
「うぉ!?」
ぐにゃりと目の前の空間が歪み男が姿を現す。
美しい金髪のどこか狐っぽい顔つきのイケメン。
当然ながら面識はない……が、今の発言から察するにコイツがファリアの寄越した迎えなのだろう。
「私、ファリア様の私設秘書をしております那須野 九兵衛で御座います。どうかお気軽にキューちゃん、と御呼びください」
「テメェ、俺がきゅうりのキ●ーちゃんヘビーユーザーと知っての狼藉か?」
「いや知りませんけど。それよりささ、ファリア様が御待ちです」
九兵衛が指を鳴らすと景色が森から豪華な病室へと一変した。
転移の術なんだろうが……こんな気軽に使えるとかコイツは何者なんだ……。
「……やあ螢、横になったままですまないね」
いや、九兵衛のことはどうでも良いんだ。
転移以外にも気になる点はあるが、ファリアほどの男が見抜けないはずがない。
こうして傍に置いている以上、問題はないのだろう。
「良いさ。俺は敬老精神に溢れた男だからな」
「ふふ、それは良かった。さて……無事を喜びたいところだが随分なことがあったようだね」
「まあ、あんたなら察するよな」
シャトー・ディフの序列で言えば俺は下っ端だ。
上の奴らではなく俺から真っ先に連絡が来たのだ。何かあったと察するのは当然だろう。
「一応聞くが、くたばりかけのジジイにゃ酷な話だぜ。それでもか?」
「構わないよ。長く生きていれば残酷な真実なんて慣れっこさ」
「そうかい。なら、遠慮なく」
俺はあの洋館であったことを包み隠さず打ち明けた。
ファリアは少し顔を顰めながらも最後まで話を聞き、そうかとだけ呟いた。
「散々世話になっといて悪いが組織を抜けさせてもらうよ」
「……勝算はあるのかい?」
「ある」
どこで誰が聞いているかは分からないので明かすつもりはないけどな。
ファリアは小さく嘆息し、言った。
「螢、私は直に死ぬ。今も気力だけで何とか保たせているような有様でね。気を抜けばポックリ逝ってしまうだろう」
「……そっか」
「ああ。だから、その前にやるべきことをやっておきたいと思う」
「やるべきこと?」
「君に私の資産の八割を譲渡する。全部と言いたいところだが……すまないね、他の子達にも遺してあげたいんだ」
……ありがたい話だ。金があればこれからの活動は随分とやり易いからな。
「既に手続きは終わっているから自由にしてくれ。九兵衛をつけるから細かい指示は彼を通してすれば良い。
私の伝手やコネについてもこれまで通りに使えるようにしてあるから君の役に立てて欲しい」
「ンフフフ、誠心誠意お仕え致しますのでどうぞよろしくお願いします」
胡散臭えなあ。
「…………あんたはこうなることを予期してたのか?」
俺の問いにファリアはゆるゆると首を横に振った。
「いいや。ただ、何があっても復讐を止めないのは君だけだろうとは確信していた」
だから最初から資産の殆どを俺に譲り渡すつもりだったのだと言う。
本当にファリア神父のようじゃないか。
「先に進む君と歩みを止めてしまった彼ら。私はどちらも否定しない。だが、どちらの幸せも祈っている」
それだけは忘れないでくれ。
柔らかな笑みと共に告げられた言葉。俺は小さく頷き、受け止めた。
「全部終わったらあんたの墓前に報告しに行くよ」
「ああ、その時は笑顔で訪ねてくれよ」




