関ヶ原の戦い②
1.親愛なるあなたへ
帝の参戦により盛り返した討伐軍は順調に時間を稼ぎ、日付が変わるまでもう一時間を切っていた。
黄泉へと続く扉を縛っていた最後の鎖が解け扉が開き内側から無数の魂が現れる。
魂は事前に用意していた人型へと入り一つ、また一つと人の姿を取って行く。
(……先祖だからか全員どこか庵の面影を感じるな)
歴代の姫らを見渡し、カールは一つの確信を得る。
間違いない――――櫛灘家は貧乳の家系だ。より正確に言うなら櫛灘姫の長女か。
スペアであった明美や幽羅は結構大きいが姫として力を宿した者は皆一様に小さい。
庵はまだ十五歳にもなってないからアレだが御先祖様方は大体は二十歳を超えているはず。
二十歳を数えても嘆きの平原ということは……いや小さい胸が悪というわけではない。むしろ好きだ。
大きい胸も小さい胸も普通の胸も皆、それぞれ違う魅力を備えている。
乳に貴賎はないのだとカールは己のスタンスを再確認する。
「……あれが当代の草薙の担い手、ですか」
「初代様ですら成し得なかった八俣遠呂智討伐に最も近い男」
「凛々しいお表情ですわ。目前に迫る戦いを見据えておられるのですね」
自分達が成す術もなく絡め取られた櫛灘家の非業を断つためここまでやって来たのだ。
当然、歴代の姫達の評価も高いのだが……それゆえカールを美化している節がある。
「あの、御先祖様方。違いますよ? あの顔はまたぞろ助平なことを考えている顔です」
「以心伝心じゃん。そうとも! 俺は今! 胸のことを考えてた!!」
「お馬鹿ッッ!!」
庵からすれば家族に彼氏を紹介しているような状況だ。
だから恥ずかしくてしょうがないのだろうが歴代の姫らはむしろ微笑ましげだ。
自分達には到底望めなかった青い春を庵は謳歌している。
春を越えやがて大人となり子を成し、育て、その子がまた子を産み満たされた老いを重ね人生に幕を閉じる。
そんな有り触れた、だけど何よりも尊い生き方をしていることが羨ましく、それ以上に誇らしい。
無駄ではなかった。自分達の犠牲は決して無駄ではなかったのだ。
「「ん?」」
遠巻きにロリコンとロリを見守っていた姫達だが、一人の少女が二人の下へやって来る。
歳の頃は庵と同じぐらいで容姿も他の先祖達より似ていた。
違いと言えば庵と違い髪が長く腰まで伸びていることと、つり目なところぐらいか。
「…………おいクロス」
「…………うん。一族の性質からして経産婦であることは間違いない」
「相応の年齢の合法ロリか」
「屑どもへの憎悪が更にかきたてられる違法ロリか。前者、ならば良いのだけれど」
「すんません。こいつらちょっと馬鹿でして」
代表してティーツが頭を下げる。
謝られた少女は苦笑気味に口を開き、
「御心配なく。享年時点で四十はとうに超えていますから」
「「マジかお前!?」」
ロリコン二人が興奮を露にする様があまり見苦しいのでティーツがその後頭部を刀の鞘でひっ叩く。
「それより少し、話がしたいのですが」
ぎゃあぎゃあ言い争うアホガキ三人に困ったような顔をする少女。
カールは溜息を吐き改めて少女に向き直り、告げる。
「辛気臭い話は勘弁して欲しいんだがなあ――――初代さん」
カールの言葉に庵や歴代の姫達ですらギョッとする。
この場に居る以上、血縁なのは分かっていたが始祖だとは思ってもみなかったのだ。
「気付いて、いたのですか」
「まあ何となくだがね」
初代と言えば負債を残した側の人間だ。そんな相手からの話ともなれば辛気臭いものにしかならない。
そういうのは遠慮したいのでカールはふざけていたのだが、この様子だと逃がしてくれそうもない。
「私は、後の世代に多くの禍根を残してしまいました」
民草に、子孫に、無関係な異国人であるカール達に。
自分が上手くやれていれば皆が血を流すことはなかったのだ懺悔する初代。
カールはそんな彼女の目の前まで歩み寄り、
「初代さん」
「……はい」
「――――調子乗るなよ」
思いっきり胸を揉みしだいた。
「!……?……!!?!?!!」
「まあ、あんたの立場を考えると責任感じるってのも分かるが余計なものまで背負い込むのはどうなんだ?」
カールは今、とても憂鬱だった。
葦原に来てからずっとそうだ。誰かを諭したり説教したりと柄じゃないことをし過ぎている。
ボケかツッコミかで言えば自分はどう考えてもボケだ。何でボケが真面目腐ったことをしなければいけないのか。
かと言って代わってくれる人も居ないし無視も出来ない。
溜息と共にカールは語り始める。
「第一に、あんたが始めたことではないだろ」
全ての元凶、八俣遠呂智。
これは元々田村麻呂の腹の中に封印されていたものでその力を利用しようと決めたのは田村麻呂だ。
流石に独断ではないだろうが当時の帝や他の立場ある人間もそれに賛同したのは間違いない。
「それは……」
「じゃあそいつらが悪いのかって言えばこれも違う」
八俣遠呂智の力を利用しなければどうしようもなかった。
皆が無残に殺される未来を否定するためには八俣遠呂智の力を使わざるを得なかった。
そしてその決断が今日の葦原に繋がっているのだ。
そこを否定するのは難しい。
「つか、あんたはあんたで生き方を強いられた側じゃんよ」
最悪の事態に対する備えとして生み出されたのが初代櫛灘姫である。
生まれながらに運命を定められていたと言う意味では庵達と同じだ。
「で、でも……私が八俣遠呂智を滅ぼせていたらこの子達は……」
「それもあんたが一人で背負う責任じゃないだろうが」
八俣遠呂智――当時は九頭竜か。九頭竜との戦いは国を挙げてのものだったと聞く。
初代だけを責めるのはお門違いだろう。
「強いて責任を挙げるなら子孫が悲惨な運命を辿る原因の一つになった守人の一族についてか? 正直それもな」
第三者の立場から考えると初代に何が出来たのだと首を傾げてしまう。
カールは守人の一族は反吐が出るほど嫌っている。
だがそういう連中が生まれるのは避けられないことだったとも思っている。
「もっと上手く立ち回ってくれていればとあんたを責める権利があるとすれば歴代の姫さんたちだが……そこんとこどうよ?」
庵を含む歴代の姫たちに話を振る。
突然、話を振られた姫らは戸惑っていたようだがやがて二十代半ばほどの姫が口火を切った。
「私はこの世に生まれたくなかったと思いながらその生を終えました」
「……」
「誰が頼んだ? 誰が願った? 私を生んだ全てが憎い」
「私は全てを憎みながら殺された」
「好いてもいない男に子を孕まされ、挙句殺される。何故、自分がこんな目にと死するその時まで何度も思いました」
一人、また一人と生前の怨み辛みを吐き出していく姫たち。
初代は顔を歪め、必死に泣くのを堪えているが……違う、そうじゃない。
告白の意味を理解していていないのはこの場において彼女だけ。
部外者であるティーツやクロスですら気付いている。
「守人の一族は当然として、父母や祖父母、先祖――初代様を憎んだこともあったわ。ううん、今でも憎いと思ってる」
「私も同じ。大なり小なり、皆今でも何かを……誰かを呪い続けてるわ」
心に巣食う闇は確かに存在する。そこは否定出来ない。
だが、
「今この場に居るのは生前の怨み辛みを晴らすためではありません」
「初代様も聞こえたでしょ? 深い深い闇の中で……あの子の声が」
「大好きな人に生きていて欲しい。これからもずっと一緒に居たい」
「だからどうか力を貸してくださいと願うあの子に声に応え、私達はここに集ったのです」
抱いた怨み辛みをなかったことには出来ない。
だが、それを乗り越えることは出来る。乗り越えられたからこそ彼女たちはここに居るのだ。
「自分が得られなかったささやかな……それでいて何よりも尊い幸せをあの子にあげたい」
「私たちはそう思っています。初代様は違うんですか?」
「それは……」
「なら、それで良いじゃないですか」
「過去にばかり目を向けてうじうじするのは止めましょうよ」
それでも煮え切らない態度の初代に、
「庵。言っておあげなさい」
「私たちはもう終わった人間。今を生きるあなたの素直な気持ちを教えてあげて」
「……分かりました」
庵が真っ直ぐ初代の目を見つめる。
「良いことばかりじゃなくて……むしろ辛いことの方が多いぐらいだったけど……」
「……」
「兄様に出会えました。私は今、幸せです」
花のような笑顔で庵は告げる。
「――――私をこの世に産んでくれてありがとうございます」
母に、祖母に、初代を含む御先祖様たちに心からの感謝を。
庵の言葉を受け初代は一瞬泣きそうな顔をしたが、直ぐに柔らかな笑みを浮かべこう答えた。
「――――ありがとうございます。あなたがこの世に生まれて来てくれて私も嬉しいです」
娘に、孫に、庵を含む全ての子孫たちに心からの感謝を。
あなたたちの始まりになれたことが今はこんなにも誇らしい。
「さ! 話もまとまったし庵の幸せを守るために私たちも頑張りましょう!!」
「誇らしい子孫の一人である幽羅さん? 準備はよろしくて?」
「誇らしい子孫の一人である幽羅さん、整っていないようなら何か手伝いましょうか?」
「ほこ……」
「あの、肩身が狭いんでそういうん止めてくれます? それと準備は終わりました」
「では初代様」
庵を取り囲むように歴代の姫らが配置につく。
「庵。これより皆の力をあなたに集めカール殿を強化しますが……」
「覚悟は出来ています」
莫大な力が流れ込むのだ、庵の身体にかかる負担は尋常なものではない。
だが庵とてとうの昔に覚悟は済ませている。
「分かりました。私も外側から制御の手伝いをしますが、肝心要の部分はあなたがやるしかありません。
僅かでも狂えば己どころかカール殿も死にかねません。努々、忘れることのないよう」
あとはカールに注ぐ力を整えるだけだが日付が変わるまで既に二十分を切っている。
本当にギリギリになるだろう。何とか間に合ってくれと祈りながらカールはその時を待つ。
焦れる気持ちはもうない。ここまで来ればじたばたしてもしょうがないからだ。
今、自分がすべきことは殺意を研ぎ澄ませることだけ。
一分、また一分と時が刻まれていく。
そして、
「――――ッ、封印が解けたか」
葦原全土を震わせる咆哮が轟く。八俣遠呂智が封印から解き放たれたのだ。
蝦夷から関ヶ原まで多少、時間はかかるが……どうか?
カールの視線に初代がギリギリで間に合わないと答える。
となれば、
「クロス」
「OK」
ティーツでは駄目だ。魔道士のクロスだからこそ八俣遠呂智相手でも僅かな時を稼げる。
「死ぬなよ」
「勿論」
クロスは八俣遠呂智の進路上で戦っている兵達を離れさせるよう幽羅に頼み、飛行魔法で本陣を飛び出した。
そして戦場のど真ん中で停止。滞空しながら魔力を練り上げる。
「ッ……この距離で、何つープレッシャー……! カールはこんなのと真正面から殺し合うのか……!!」
八俣遠呂智はカール以外に意識を注いでいない。
だと言うのにどうだ? 感じる重圧が物理的な現象を伴い肌を切り裂いていく。
「っとに――僕の友達は最高にイカレてんなあ!!」
だが恐怖はない。友を信じているから。
クロスは凄絶な笑みと共に両手を前面に突き出し魔力で編んだ巨大な障壁を展開する。
ぱつん、ぱつんと小気味良い音を立てながら身体のあちこちが爆ぜては修復してを繰り返す。
「この分だと命まで賭ける必要はないけど……向こう半年は魔法を使えそうにないな」
だがまあ命を捨てるよりはマシだ。
戦場ではもう役に立たなくなるが、あとはカールが上手いことやってくれる。
心配することは一つもない。クロスは笑みを深め更に魔力を循環させる。
「来い、来い、来い、来い」
破壊を撒き散らしながら戦域に突入した八俣遠呂智を視界に収める。
寸分違わずカールまでの最短距離を進む姿にクロスは思わず噴出してしまった。一途にもほどがあるだろうと。
「僕なんか羽虫程度で眼中にもないんだろうけどさあ」
クロスの障壁に八俣遠呂智が正面から衝突する。
「お前はその羽虫にしてやられるんだよ」
草薙を持たぬクロスに八俣遠呂智を傷つける術はない。
だが、ダメージは与えられずとも吹き飛ばすぐらいは出来る。
「ぐ、ぐぎぎぎぎぎぎぎ……!!!!」
衝突のインパクトを反射――するだけでは足りない。
更にこちら側から力を加えて飛ばせるだけ飛ばす。
「ぶッッ――飛べェえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!!!」
山ほどもある巨体が凄まじい勢いで吹っ飛ばされる。
その大きさゆえ何十キロと飛ばすことは出来なかったが十分だ。
地面を削りながら体勢を立て直した八俣遠呂智が怒りも露に再度、突っ込んで来るのを見ながらクロスはふっと笑う。
「――――あとは任せた」
「――――おう、任された」
空中での一瞬の交差。友の背中を見送りクロスは意識を閉ざした。
気絶したクロスはティーツがささっと回収しました。




