決戦に向けて⑤
1.集結
十二月二十日。全国の大名が決戦の地、関ヶ原へと集った。
二百万を優に超える邪神討伐軍。しかし、その士気は決して万全とは言えぬものだった。
「……去年の北条攻めの比じゃないぞ」
「わしらぁ、一体何と戦わされるんじゃ?」
情報の漏洩による不利益を避けるため殆どの者は事情を知らない。
完全に状況を把握しているのは大名と一部の将だけ。
それ以外の者らはロクに事情も知らぬまま来るべき大戦のためと言われ今日まで訓練を続けて来たのだ。
「大陸の人間が攻めて来るんと違うか?」
「阿呆。それならなして美濃なんぞに軍を展開するんじゃ」
ああでもないこうでもないと言い合っていると、
《――――よう、将軍だぜ》
声が響く。弾かれたように空を仰ぐとそこにはカールの姿が映し出されていた。
《糞寒い中、集まってくれたことにまず礼を言いたい。ありがとな。
あとで温かい食い物と酒を差し入れるからちぃとばかし俺の話に付き合ってくれや》
そしてカールは皆が知りたがっている話について切り出す。
《気になるよな? 天下を統一し磐石の体制を築いた俺が何と戦おうとしているのか》
緊張感の欠片もない軽薄さが前面に出た何時も通りのカール。
常ならば兵達も親しみを感じていただろうが、今はどうにもそれが不気味だった。
《神様だ》
世間話のような気軽さでカールは敵の存在を明かした。
《正確には邪神。ほら、朝敵討伐の時に言っただろ? これから殺しに行く連中は邪神の走狗だってさ》
事情を知らぬ多くの者は葦原の人間らしく、皆信心深い。
特定の神を信じているわけではないが神仏という超常の存在に対し畏敬の念を抱いている。
だからこそ邪神の存在を疑うわけではないが、納得出来ないことがあった。
《邪神の企ては阻止出来たんじゃないのかって言いたいんだろ?》
そこだ。
邪神の手先になっていた者らは皆、カールがその手で葬り去った。
大団円で何もかもが幕を閉じたのではないのか。
《残念ながら阻止は出来なかったんだなあ。北条攻めが終わった後で大きな地震があったろ?
あれな、実は邪神が復活しかけてたんだよ。封印の地に直接乗り込んでどうにかしたが、それは一時凌ぎでしかない。
俺が葦原に来る前――もっと言うなら、葦原という国が出来た時から邪神との戦いは決定付けられていた。
野郎は蝦夷に封じられたその時から気の遠くなるような長い時間、暗躍し続けていた。
顕如らを利用したのもそう。本命の計画から目を逸らさせるための巧妙な罠だったのさ》
カールの言葉が真実ならこれはどうしようもなかったことなのかもしれない。
だがはいそうですかと受け入れられることでもない。
《おう、言いたいことは分かるぜ。何で今になってって思ってるんだろ?
そうだよな。もっと早く知らせてくれりゃあ、外国に逃げられたかもしれねえのに酷いよなあ》
口にしたくても出来ない本音をカールは真正面からぶち抜いて来た。
決まりの悪い顔をする兵達だが気まずい話題を振った当人はへらへらと笑っている。
《土壇場まで内緒にしてお前らの逃げ道を塞いで戦いに駆り立てる――そういう思惑があったことは否定しない》
為政者側の隠しておきたい本音ですらカールは素直に打ち明けた。
察しの良い者は気付いていたが、まさかそれを征夷大将軍が口にするとは思わず動揺が広がっていく。
《だが一番の理由は情報の漏洩を避けるためだ。何でかって? 説明してやるよ。
仮に真実を皆に公表していたとしよう。全員が全員大陸には逃げられないだろうがそれなりの数、あちらに渡るだろうな》
カールが始末した凶衛のように葦原から大陸に渡る者は少ないながら存在している。
だが一度に何十人、何百人、それも継続的に葦原から人が来るようなことはこれまでなかった。
《向こうの人間は当然、気になるよな? 葦原で何が起こっているのかってさ。
逃げる奴に口止めするか? そりゃ無理だ。百人居れば何人かは必ず漏らしちまう》
カールは笑顔で暗澹たる未来を語り始める。
《邪神の存在を他国の人間に知られたらまず間違いなく介入は避けられない。
協力して一緒に戦ってくれるってんなら良いが世の中そんなに甘くねえよ》
正式な国交も結んでいない国を助ける理由がどこにある?
むしろ邪神の封印を解除して葦原で暴れさせ国を疲弊させた方が良い。
国としての体裁を保てなくなったあたりで軍を派遣し八俣遠呂智を倒せば合法的に領土を手に入れられる。
葦原の人的資源は多く失われるし、土地もボロボロだがそこはそれ。
自国の困窮者や犯罪者を募って復興のため旧葦原に送り込んでやれば良いだけの話だ。
《つってもこれは邪神を知らぬがゆえに甘い見通しを立てるであろう他国の御偉いさんの話だ。現実はもっと酷いぜ。
他国が軍事介入して来るってこたぁ、その頃には俺はまず間違いなく邪神に負けて殺されてる》
あ、と誰かが声を上げる。流石にここまで話せば気付く者も出て来るだろう。
邪神の走狗でしかなかった顕如達でさえカール以外には殺せなかったのだ。
例外的に氏康討伐には他の者も参加したがそれもカールから力を分け与えられたから戦いに参加出来たのだ。
そのカールが死ねばどうなる?
《無尽蔵に生み出される不死身の軍勢に、その何百倍もつええ邪神様――おい、一体誰が止められるんだ?
葦原に生きる命を滅ぼし尽くしたからって邪神は止まらねえ。次は大陸だ。
時間をかければ何とかする手段も見つかるかもしれないが甘く見積もっても年単位だろうな》
一年、それだけの間にどれだけの犠牲が払われるのか。
滅ぶ国だって出て来るだろう。最悪、対抗手段を見つけ出す前に全てが死に絶えるかもしれない。
《邪神が大陸に渡った時点で葦原から逃げ出した奴らも安全じゃなくなる。
仮に邪神がどうにかなるまで生き残れても万事解決とはならねえ。むしろここからだ》
葦原から逃げ出した人間の情報によって邪神が解き放たれ世界が滅茶苦茶になったのだ。
邪神を解き放った国の人間も酷いことになるだろうがそれは葦原人も同じ。酷い迫害が始まるのは目に見えている。
《良くて奴隷。悪くて葦原人は皆殺し。逃げ出して来た葦原人だけじゃねえ。
既に大陸で生活基盤を築いていた葦原人も目の敵にされる。元から大陸に居た奴らは逃げて来た奴らを憎みに憎むだろう。正に地獄だな》
教養のない人間でもここまで理路整然と説明されれば嫌でも理解出来る。
葦原という国とそこに住まう人間はとうに詰んでいたのだ。
《神を殺すか神に殺されるか。道は二つに一つ》
それ以外に選択肢はない。
《まあ、神を殺すつっても直接戦うのは俺だけなんだがな。お前らにやってもらうのは露払いだ。
北条攻めの時みたいに俺の力をお前らに分け与えるから俺が邪神との戦いに専念出来るよう眷属の相手をして欲しい。
邪神と直接戦うよりかはマシだが決して楽じゃない。何せ眷属は無尽蔵に生まれ続けるからな。ん? 勝てるわけないって?
安心しろ。勝ち目がまったくない戦いをするほど俺は馬鹿じゃねえ。晴明ら術師の尽力によってこの関ヶ原の地には多くの術式が刻まれてる》
カールは関ヶ原の地で得られるバフについて事細かに語る。
その語り口が上手いものだからどん底まで沈んでいた士気も徐々に上がり始めるのだが……。
《……とまあ、長々と語ったわけだが――――逃げたきゃ逃げても良いんだぜ?》
ここに来てカールが突然、梯子を外す。
その背後で慌しい声が聞こえるあたり、この演説の予定にはなかったことなのだろう。
《“仕方ないから”で戦うぐらいなら居ない方がマシだ。
人間相手の戦ならそれでも良いけど今回の相手は神だぜ?
半端な気持ちの奴が混ざると逆に勝率が下がっちまうよ。俺が欲しいのは自らの意思で運命に抗うことを決めた人間だ》
だから覚悟を決められない者は逃げても良い。
《安心しろ。逃げ出してもそれを理由に罰するつもりはねえ。征夷大将軍の名に賭けて誓おう》
だが、とカールは言葉を区切る。
《逃げるってことは手前の運命を他人に委ねるってことだ。
例えどんな惨い結末を迎えるとしても大人しく受け入れろ。嘆きの言葉一つ口にする資格はないぜ。
目の前で愛する誰かが化け物に食い殺されたとしても仕方ない。
粛々とそれを受け入れるしかない。だってその手で守れるかもしれなかったのにその権利を放棄したんだからな》
他人に運命を委ねるとはそういうことだ。
《まあでも運が良ければ他の奴が何とかしてくれるかもしれねえし? 逃げるのも一つの手だよ》
だが、逃げることを良しとしないのならば。
ふざけた運命に抗うことを選んだのなら、
《身分の上下なんざねえ。同じ志を抱く対等な戦友だ》
カールは不敵に笑う。
《やってやろうぜ》
神様? 知らぬ存ぜぬ心底どうでも良い。
《俺の幸せを邪魔するんじゃねえってよ》
力の限りに殴り付けてやるのだ。
《どっちを選ぶかは自由だが》
もし運命に抗うことを選んだのならその時は、
《――――俺の背中は任せたぜ?》
にっ、と笑い空に映し出されていたカールの姿が消える。
それからしばし関ヶ原の地には何とも言えない沈黙が満ちる。
「…………わしな、こないだ息子が生まれたんじゃ」
「……ほうか」
「あの子が巣立ちの日を迎えるまで死にとうない。死にとうないが……あの子の明日がなくなる方が嫌じゃのう」
ぽつぽつと小さな声が上がり始める。
「別に俺一人居なくたって何も変わりゃしない。そう思うのに、何でかなあ」
「ああ。何もせずに待ち続けるのは情けないし、辛いよな」
大義だとか使命感だとか、そういうものに命を懸けられる人間は多くない。
「何が邪神だ、ふざけんな。天下が治まりようやく太平の世が訪れるって思ってたのに」
関ヶ原の地に集った大多数の者は平々凡々な人間だ。
「まだアイツに好きだって言ってねえんだぞ」
だが平凡な人間にだって譲れないものはある。
「許せねえ」
それは人によって様々だがその人にとっては命を賭けるに足る理由だ。
「何でわしらがこんな目に遭わにゃならんのだ」
小さくか細い火が一つ、また一つと灯り始める。
「……将軍様なんてのは雲の上におる御方やと思っとったが」
一つ一つは吹けば容易く掻き消える儚いもの。
「同士。戦友。まさかそんな風に呼んでもらえるとはのう」
だが寄り集まればそれは闇を引き裂く炎と化す。
邪神、死すべし――今、ここに意思の業火が産声を上げた。




