天下統一⑥
1.覚悟
毛利家が真っ二つに割れたのはカールらが北近江に攻め入るほんの少し前のことだ。
元就の嫡男であり次期当主である毛利隆元は毛利家の朝敵認定を受け、父元就に詰め寄った。
これは一体どういうことなのか、邪神の力とは何なのかと。
そう、元就は義元と同じように我が子にさえ八俣遠呂智に関する情報は一切伝えていなかったのだ。
ことここに至っては致し方なしと元就は真実を伝えるのだが、隆元のリアクションは元就の想像を裏切るものだった。
隆元は京に赴き将軍と帝の前で力を放棄し、許しを乞うべきだと進言したのだ。
多少の劣勢ならまだしも殆ど詰んでいる状態で徹底抗戦するよりかは目があるだろう。
隆元は毛利家の次期当主として御家存続のために正しい判断をしたわけだが、当然の如く元就は反発。
話し合いは平行線で元就は裏切り者として隆元の処断を決定した。
斬首に処されようとしていた隆元であったが、次男元春と三男隆景がその危機を救う。
隆元は事前に元就との会話で得た情報を密かに二人に送っていたのだ。
仮に自分の身に何かあったとしても弟二人ならば正しい判断をしてくれるだろう、と。
その期待通り、弟二人は正しい判断を下し見事に隆元を救出してのけた。
そして毛利家は元就と息子三人で真っ二つに分かれ、泥沼の内乱に突入したのだ。
そんな毛利の人間が自分の前で何を語ってくれるのか。
後ろに信長達を控えさせたカールは好奇心を隠しつつ使者を自らの陣幕に招き入れた。
「御目通りが叶い、恐悦至極に御座いまする」
生真面目な青年と言った印象を受ける使者が両手を地につけ頭を下げた。
「頭を上げな。まずは自己紹介といこうじゃねえか。知ってると思うが俺ぁ渚の征夷大将軍カール・YA・ベルンシュタインだ」
「毛利隆元と申します」
「へえ」
隆元の顔を知っている者は誰も居ない。しかし、カールには確信があった。コイツは本物だと。
思わずカールの口角が吊り上がる。それは信長も同じで真っ当に驚いているのは家康ぐらいだ。
「ひとまずはお前を本物として話を進めるが、よくもまあ俺の前に面ぁ出せたもんだよ」
「殿下の御言葉、一々御尤も。されど座して終わりを待つには小生は若過ぎました」
「認められない、受け入れられないってか」
「然り。最後の最後まで足掻かねば死んでも死に切れませぬ」
「知ったこっちゃねえが一応話は聞いてやろう。それで? 何を望む」
「小生が当主を務める毛利家の存続を」
「ははは、面白い冗談だな。イカレてんのか?」
言葉は軽く、殺意は重く。
直接向けられたわけではない信長達でさえ冷や汗を浮かべるカールの殺意を受けながらも隆元は言葉を紡ぐ。
「父、元就の犯した罪を小生含め家中の者は誰も知りませんでした」
「知らなかったで済ませられるようなことかね?」
「…………いいえ、族滅も已む無しでしょう。それでも我らは死にとうありませぬ」
「死にたくないなら逃げれば良い。お前らならその伝手もあるだろう?」
葦原は鎖国状態ではあるが大陸との繋がりが皆無というわけではない。
カールらが降り立った港町のように限定的ではあるが貿易が行われていて金さえ払えば密航も不可能ではない。
毛利家も大陸との貿易に噛んでいて、取り仕切っているのは隆元だ。
彼なら確実に殺されるであろう人間だけを連れて大陸に逃げることは出来る。
カールの指摘に隆元は確かに逃げられはすると頷き、こう続けた。
「殿下。生きるとはただ心の臓が動いていることを言うのでしょうか?」
じりじりと重みを増していく殺意。
隆元は全身に脂汗に塗れさせ、身を震わせながらも言葉を紡ぐことを止めない。
「大陸に逃げたとしても待っているのは惨めな暮らしでしょう」
「…………それを俺に言うか」
庵のことを知らないので悪気はないのだろう。
が、カールとしては面白い発言ではなかった。
「?」
「何でもない。惨めな暮らし? そりゃあ今の生活とはかけ離れたものになろうさ。だが……」
「違う。違うのです殿下。惨めとは貧乏暮らしのことではありませぬ」
「では何だと言う?」
「心の貧しさに御座います」
隆元の瞳に恐怖とはまた別の感情によって生まれた雫が浮かび上がる。
「……此度の戦がただの戦であればどれほど良かったか。
互いが信ずるもののために命を賭してぶつかり合うことが出来ればどれほど良かったか。
己が裡にある正しさを、信念を失わねば例え戦に破れ身を落とそうとも心の篝火を頼りに再起も出来たでしょう。
貧しいのなら働けば良い。汗水たらして必死に働き銭を稼げば良い。それで返り咲きを狙うも良し、新たな幸せを探すも良し。
道は無限に拓かれています。ですが……今回のこれは違う。惨めに滅びるか、死んだように生きるかの二つしか道はありませぬ」
そしてその道の先は行き止まりだ。
「他人がどれだけ罵ろうとも己の中に一抹の正しさがあるのならば苦しくても光はありましょう。
ですが、滅ぼされても仕方ないと、悪いのは自分達なのだと。そう、己が認めてしまえば……もうどうしようもないではありませんか。
殿下は恐ろしい御方に御座います。酷い御方に御座います。
胸を張って死ぬことも、泥に塗れながらも懸命に生きることさえ許さぬと。我らの正しさを根こそぎ奪ってしまった」
ぽたぽたと涙が地を濡らす。
カールには分かった。これは同情を買うためなどではなく、心底からの気持ちを語っているのだと。
「そもそもからして貴様らが愚かな行いに走ったのが原因であろう!!
己が非を棚に上げての放言、まっこと無礼千万! そこになおれ! 叩き切ってくれるわ!!!」
赦し難しと怒りも露に飛び出そうとする信勝だったが、カールが手で遮る。
そしてそれと同時に隆元には悟られぬよう、信長にサインを送る。
まあサインと言っても内容はないに等しいのだが、カールは信長を信頼していた。
相通ずる自分達だからこそ、この場で望んでいることをしてくれるだろうと。
そして信長はその期待に見事、応えてくれた。
「帝に背き朝敵認定を喰らったからとて何だと言うのだ?
葦原全てに悪と断ぜられようとも、それがどうしたと鼻で笑い飛ばせば良い。
他人の認識に依存する程度のものを軽々に信念などと言ってくれるな。言葉が軽くなるわ」
信長の語るそれはハッキリ言って暴論だ。
信念の形など人それぞれ。共通の形などあるわけがない。他人の認識=普遍的な正しさに拠って何が悪いと言うのか。
無論、信長もそれは理解している。理解した上で敢えてこんな馬鹿げた暴論をぶつけているのだ。隆元の立ち位置を確認するために。
「それは強者の論理でしょう……只人は――小生は枠の中でしか生きられませぬ」
隆元は弱者としてここに居る。おぞましい殺意に晒されながらも弱者として懸命に自らの意思を示しているのだ。
英傑や狂人と呼ばれる類の人間ならばカールの殺意にも負けはしないだろう。
だが、隆元は違う。隆元は凡人だ。どれだけ頑張っても秀才程度にしかなれはしないただの凡人。
能力も心も枠を外れた人種には遠く及ばない。全てを投げ打つ覚悟を持ってようやく、一矢報いれるかどうかというところか。
そんな隆元がカールの殺意に屈せず自らの意思を示してのけたのはその覚悟を決めているからだ。
(全てを投げ打つ。言葉にすれば簡単だが)
実際はそう容易いことではない。
英傑や狂人ならば息をするようにやってのけるだろうが凡人は違う。
その覚悟を捻り出す段階で折れてしまうのが普通である。
隆元も道中、幾度も迷ったはずだ。それでもここまで辿り着いたのだ。そこには確かな価値がある。
「言いたいことは分かった。で? お前らを生かして俺に何の得があるんだ?」
「……誠心誠意御仕えし、必ずや殿下の御役に立ってみせます」
おいおいおい、と思うかもしれないが実際、毛利には差し出せるものがないのだ。
金も土地も絶対正義の御旗の下に滅ぼして奪ってしまえば良いだけなのだから。
「親父相手にぐだぐだやってるお前らが役に立つとは思えんがねえ」
「……」
「が、単身ここまでやって来た度胸と正面から俺を罵った厚顔さだけは買ってやろう」
カールはニコリと笑みを浮かべ、
「毛利家の存続だったな? ただ丸々そのままとはいかんぜ?」
「……覚悟の上に御座います」
現在の領土を全て没収して僻地に飛ばされるぐらいはされるだろう。
それでも赦しを得たという事実があれば何とかやっていけると隆元は深く深く頭を下げるが、
「だが許してください、はい許しますじゃ示しがつかねえ」
信長から放られた脇差をキャッチしそのまま隆元の眼前に突き刺す。
「ケジメはつけてもらう、手前の命でな。腹ぁ切れ――ああ、介錯はしねえぞ」
腹を切った程度で人は即死しない。
だからこそ切腹の際は長く苦しまぬようにと介錯人が首を刎ねるのだ。
苦しんで死ねと言っているも同然なカールの言葉だが、それでも隆元は笑みを浮かべた。
「格別の慈悲を賜り、感謝の言葉もありませぬ」
「言い残すことは?」
「ありませぬ」
死の恐怖を滲ませながらも迷いなく刃を抜き放ち、隆元は躊躇なく自らの腹を掻っ捌いた。
激痛と出血でその身体が崩れ落ちようとする瞬間、
「――――見るべきものは見た」
カールがその身体を抱き留めた。
「ぇ……あぐぅ……!?」
そして痛みに顔を歪ませながらも困惑する隆元の腹に自らの手を突き刺した。
「クロス」
「はいはい。回復魔法は得意じゃないんだけどなあ」
「俺が流してる活性の気と併せりゃ何とかなるだろ」
言いつつ二人は隆元の傷を完全に治してのけた。
いや、活性の気の分腹を切る前より元気になったぐらいだ。
「あ、あの……殿下、これは……」
「お前が僅かでも躊躇するようだったら毛利家は滅ぼしてた」
「え」
「腹を切る前もそう。口約束以上の確約を俺から得ようとしてたら滅ぼしてた。
せめて後事を託してからとか理由をつけて切腹を先延ばしにしてみっともなく足掻いた場合も滅ぼしていた」
淡々と告げるカールに隆元の顔が青くなっていくが、
「誠意と覚悟を示せたのならお前も毛利家も生かす。どちらかでも欠けていたのなら根絶やしにする。
俺はそのつもりでお前の話を聞いてたんだよ。つっても、最初は正直そこまで考えてはなかったんだがな」
ハッキリ言うと単なる好奇心だった。
生かすかどうかを考え始めたのは生きるとは何かを問うたあたりだ。
コイツは頼れる仲間になるのでは? と思いカールは試すことを決めた。そして隆元は見事に期待に応えてみせた。
「示しがつかねえから領土の大半は没収させてもらうがお前が当主を務める毛利家は潰さん。征夷大将軍として誓おう」
「ぁ……え……あ、ありがとう御座います!!!!」
「まあこれからの働き次第では挽回も出来るだろうから精々気張ってくれや」
「はっ!!!!」
隆元の背中を大きく叩いた後で、信長達に視線を向ける。
「この後は北条攻めの準備をするために甲斐に入る予定だったが……」
「先に元就を殺すんだろう? ああ、西に行くならついでに宗麟も殺っとくか?」
「おう。つっても西に行くのは俺だけだ。お前らは予定通りに動いてくれ」
「私は同行せずともよろしいので?」
「単独つっても途中で西への対処任せてる久秀らと合流するつもりだしな。竜子は越後の安定に注力してくれ。あ、でもカッツは連れてくから出立の準備頼むわ」
「はっ!!」
休む暇もなくというのはしんどいが少し無理をするだけの価値は十分にある。
カールは自身に活を入れるべく全身に活性の気を巡らせ倦怠感を追い払った。
「あの、殿下」
「どうした家康?」
「流石にその、隆元殿と信勝殿だけでは道中が不安ですので忠勝を護衛につけたいのですが……」
「あん? 忠勝はお前んとこの最高戦力だろ。軽々しく派遣するのはまずくね?」
「恐れながら殿下。御身に万が一があれば何もかもが台無しになりまする。どうか我が主君、家康の言を取り入れて頂きたく」
「んー……うん、分かった。じゃ、ありがたく借り受けるよ」
「はっ。忠勝、殿下を頼みますよ」
「御意」
「それならうちからも一人つけておくか。権六、お前に預けている犬を使おうと思うが良いな?」
「構いませぬ。直ぐに呼んで参りましょう」
天下統一はもう、目の前に迫っていた。
次回で西国平定です




